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アメノヒ

作者: rakia
掲載日:2015/06/03


 『梅雨の夜想曲』の続きです。おそらく書いてから二年越しの続編ですかね。


 そろそろ例の『d』とか『k』とかの続き書かねば……。


 ん? この数年間何してたって? バイトとか……お絵描きとか……?


 真珠のように輝く一滴が眼の前を通り過ぎたかと思うと雨が降りだしてきた。私はそれを合図にいつものように外へと出た。慌ててはいけない。雨の日は足元が大変よく滑るのだ。紳士たるもの焦らず急がず、背筋をしゃんと伸ばして優雅に歩かねばならない。背後で自慢のステッキをゆらゆらと揺らすのは日頃、愛想が無いと言われ続けている私のせめてもの遊び心である。

 雨の日の街は噎せ返るような緑の匂いが鼻に付く。濃密ではあるが後腐れなく消えるこの匂いは案外嫌いではない。煉瓦が敷き詰められた街を行き交いする人々の顔よりは遥かに良い。忙しなく足音を立てながら余裕の無い表情で濡れた地面と携帯電話ばかりを見ている彼らの如何に愚かしい事か。世界は瞬きをする毎にその色と姿を変えているというのに。

 往来の激しい大通りから脇道に逸れ、シャッターの閉まった店の多い小さな商店街へと入る。湿った匂いに混じる乳臭い香りを頼りに進んでいくと大きなショーウインドが特徴的な店が見えてくる。大きなアンティーク調の扉の前で今日もその店の店主は鬼をも睨み殺しそうな凶悪な面で腕組みをしていた。


「おう、今日も来たか。雨なのにご苦労なこった。ちょっと待ってな、今持ってくるからよ」


 挨拶代りにステッキを軽く振ると、凶相の店主は顔を綻ばせて扉の奥に引っ込んでいった。

 待っている間に鏡のように自分の姿が映る水溜りを覗き込んでおく。見た所問題はない。髭は今日もピンと立っているし、胸のリボンタイもきちんと左右対称になっている。梅雨の季節は髭がしんなりしている事がままあるので、こうして逐一確認しておかねばならない。我ながら神経質にも思えるが、小まめに身嗜みを整えるのも紳士の立派な務めなのである。

 そうこうしている内に店主がまだ湯気の立っている焼き立てのパンを一つ持って来た。何とも言えない小麦の香りに食欲が湧いてくる。しかし催促する訳にもいかない。そんなはしたない真似は出来る筈もないのだ。故にただひたすら『待つ』に限る。


「ほれ、遠慮すんな、持ってけ」


 上品に受け取り、忘れずに礼を言う。店主は厳めしい顔に似合わぬ笑顔で軽く手を振った。


「お前さんはいつも澄ましてるな。まぁ、そこが良いんだが」


 じゃあな、という一言だけを残して店主は再び扉の向こう側に姿を消した。無理に取り繕う必要がなくなった私は頂いたパンを雨に濡らさないように気を付けながら食み始めた。今日はロールパン。シンプルであるが、それだけに作る側の腕が試される。ふんわりとした食感に仄かなバターの風味、少し時間を置いてからでも中々いけるのだが矢張り焼き立てが最も美味である。但し数は一つで十分だ。前に食べ切れない量のパンを頂いたが、結局食べ切れなかった。私は小食なのだ。最近は店主もそれを察してくれているらしく、余程の事が無い限り大量に寄越してくる事はない。有難い心遣いだ。

 朝食に舌鼓を打った後、私は商店街から離れ、自動車の騒音が喧しい大通りへと戻った。時刻は昼過ぎ、単調な色合いの空には依然として厚い雲が垂れ込めている。自動車が時折飛ばしてくる水飛沫を意識しながら慎重に建物と建物の軒先を渡り歩いていく。大きな十字路に差し掛かった頃、ふいに黒い影が眼の前を横切っていくのが見えた。それは首元に銀色の鈴を付けた見るも麗しい黒毛の女性であった。

 おや、と首を傾げる。あのような人目を惹く女性がこの街に居ただろうか。以前から居るのならば、とうに知り合っていても不思議ではないのだが――。

 私の視線に気付いたのか、その女性はこちらの方に顔を向けてきた。

 眼尻の切れ上がった深い金色の瞳。不気味な程造形の整った顔は不機嫌そうに歪められている。まるで私に見付かった事が不愉快であるかのように。いいや、あれは間違いなく気分を害しているのだ。


「……見てんじゃねえよ」


 容赦のない殺意の籠められたその言葉は研いだばかりのナイフの如き鋭さであった。

 背筋が寒くなるのと同時に肝が縮み上がる。にこやかに微笑んでみようともしてみたが、どうにも引き攣った何とも情けない笑顔になってしまう。


「………………」


 直立不動のまま動けなくなった私を後目に黒毛の彼女はその場を無言で立ち去っていった。

 苦しい息を吐き出す。あまりに怖かったので呼吸を忘れてしまっていた。こんな体験は滅多にないだろう。無論、頻繁にあっても困る。正しく心臓が幾つあっても足りないだろう

 ともあれ、彼女は何者なのだろうか。異様というより異常というか、兎に角計り知れない程危険な人物であるのは野生の勘とその他諸々で理解したが。少なくとも私達の生きている世界の法則外で生きているような気がしなくもないような。まぁ、いずれにしても私などが足を踏み入れてはいけない領域なのは間違いないだろう。私だって己の分も弁えず、興味本位に声を掛けて、命と好奇心を天秤にかけるような真似は流石にしたくない。

 気を取り直して歩き始める。今度は閑静な住宅街を突き進む。窓辺で退屈そうに寝転ぶ妙齢のご婦人に熱い視線を送り、開いたままの硝子戸の先で石像のように佇んでいる老人に頭を下げ、普段と変わらずゴミ箱ばかりを漁っている悪友の肩を叩いては小走りで逃げていく。一通りの挨拶を終えた頃、辺りはすっかり群青色の宵闇に沈んでいた。

 嬌声を上げながら姦しい娘達がバス停へと駆けていく。大方傘の用意をしていなかったのだろう。彼女らの後には色とりどりの傘が連なって続いていく。怒涛の如く押し寄せて来る学業から解放された少年少女達の流れに逆らいながらも私は待ち合わせ場所に急いだ。今日が雨で良かったとつくづく思う。晴れていたら今頃は年頃の少女達のおもちゃ(、、、、)にされていた所である。彼女らも今日に限っては申し訳なさそうに眼を向けてくるばかりで私に構っている余裕は無いようだ。

なに、気にする事はない――と向けられた視線に私もそれらしい表情で応じる。漸く人ごみを抜け、人通りの少ないバス停や駅とは真逆の位置にある交差点に辿り着く。運悪く赤色になっている信号機を待ちつつ、雨に濡れた身体を揺すぶる。最早雨風を凌げる場所など無い。別にこういうのも嫌いではないのだ。雨を無理に避けるよりも思い切って雨に身を浸してしまった方がさっぱりとした気分になる。自分にも外聞があるので滅多にやらないが。

 信号が青になった。誰も居ないひんやりと静けさの漂う歩道を足早に渡る。この信号は通行人はおろか車すら殆ど通らないというのにやけに赤色である時間ばかりが長い気がする。

 渡り終えた所でおや、と首を傾げた。いつもの目印が見当たらない。周囲を見渡してみると植え込みの陰にひっそりと佇む人影があった。確信めいたものを感じたまま近づいていく。そこにはずぶ濡れになった彼女の姿があった。彼女は足元の私に気が付くと、出会った時から変わらぬ長い前髪を掻き上げて涼しげに微笑んだ。


「今晩は……。今日は傘、忘れちゃった」


 そう言う彼女はいつも以上に機嫌が良さそうだった。そしてその『傘を忘れた』という言葉が嘘であるのはどこはかとなく解った。追及するべきなのか逡巡したが、これはなんだかデリケートな問題のように思えたので大人しく黙っている事にした。そうこうしている内に彼女は小さくしゃがみ込み、私の頭を優しく撫で始めた。困ったものだ、もう私は立派な大人で、彼女だって見た目だけはあどけない少女から淑やかに振舞うべき可憐な乙女に半ばなりかけているというのに。


「そんな顔しないでよ。君と私の仲じゃないか」


 立ち上がり、スカートの裾を雑巾のように絞った彼女は酷く華奢に見える。他の少女よりは幾らか大人びた印象を受けるが、肝心の中身はまだ未熟な子供なのだ。故に放っておけない。子供は自らの繊細さを理解していないのだ。発展途上中の複雑な心はほんの少しの衝突で砕け散ってしまう。幼き頃より衝突を繰り返していればそれも大した問題ではないが、彼女の場合はそうもいかない。おそらく彼女は一度たりとも他の人間と本心でぶつかった事が無い。知る限り、積極的に彼女に関わろうとした人間は居なかった。それでいて周囲に上手く溶け込んでいるから余計に性質が悪と思う。彼女はすっかりその生き方が染み付いてしまっているようだが、私にはそれが彼女にとって良い事だとは到底思えない。

 

「じゃ……そろそろ行こう。これ以上此処に居たら風邪引いちゃうからさ」


 彼女はどこか危うい儚げな笑顔のまま歩き始めた。すかさず追い付き、頭で彼女を歩道側へと追いやる。いたいけな少女を危険から守り、誤った道に迷い込まないように毎夜付き従うのも紳士の役目である。今までもそうしてきたし、叶うのならばこれからもそうしていくつもりだ。なにより、頼りがいのある雄はもてるらしいのだ。今の所、相手にもならない少女ばかりにしか相手にされていないのだが、まぁこれからであろう、私の真価が発揮されるのは。


「……アメ、君ってなんか騎士みたいだね。やたらと堂々としている所とかそれっぽいよ」


 なんと言われようと素知らぬ顔で歩く。下手に照れてしまったら弄られるに決まっている。


「つれないなぁ……」


 矢張り今日の彼女は機嫌が良いようだ。それならそれでいい。彼女の幸せは私の幸せなのだから。

 雨の日はデートの合図。猫やおかしなものばかりを相手にしている少女との、何年も繰り返している秘密の邂逅である。一人と一匹で雨夜の街を連れ立って歩いていく。今日はどんな話を聞かせてくれるのか。温かい場所へと至ったら、ミルクと缶詰めを肴に存分に訊かせて貰うようにしよう。

 何故そんなにご機嫌なのか、も。


 

 


 毎日暑いですが、体調にはお気を付けて!


 また何か書いたら投稿します。

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