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「すみませんでした、あんなに一生懸命教えていただいたのに・・・」
試合後、試合会場の外、体育館の出入り口の脇で一休みしていると、渡辺は宏の母親にそう声をかけられた。いつも通り、その腕の中には宏の妹。隣には宏を携えている。宏は試合が終わってからひとしきり泣いたようで、まぶたを真っ赤に腫らしていたが、その表情はもうけろりとして、すでに好きなゲームのことでも考えているようだった。12月の昼下がりの空は見事に晴れて、寒さの中にも穏やかな陽射しが降り注いでいた。
「いえ・・・」
試合で爆発した感情の余韻がまだ残るなか、渡辺は半ばぼうっとしながら、母親に答えた。
「こんなに殴られるなんて・・・もう、組手には出さないことにします」
自分の息子が人前で殴られる姿を見なければならない、組手試合への出場。その重みがようやくわかったのだなと、渡辺は感じた。そうして、試合の感想を、短く、しかしはっきりと、この親子に伝えた。
「いえ・・・本当に、よくやってくれました。宏、よくやったな。本当に、よくやったよ」
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それから5年の月日が経過した。
空手の先生として、あんなに宏たち生徒に偉そうに空手を教えていた渡辺は、今、醜く太った体をスーツに包み、満員電車に揺られている。
そんな満員電車の中で宏のことを思い出しては、渡辺は嫌なことをふと思うのだった。今の自分を見たら、宏はなんて思うのだろう、と。




