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だから、宏は、渡辺から技術的な指導を受けられない最たる生徒だった。宏は、小学2年生。渡辺の教える空手道場に通い出してから、1年あまりといったところだった。
そもそも、宏は空手をやるのには見た目からしてよろしくなかった。坊ちゃん刈りに、近眼メガネをかけており、色白で、ひょろひょろとした体には道着がまるで似合わず、帯を締めると昆布巻きみたいに見えた。近眼メガネを外してしまうと何も見えなくなってしまうらしく、練習中もメガネにゴムバンドをつけてメガネのまま練習するものだから、野比のび太が稽古をしているようだっだ。そうしてそのメガネの奥では、度の強いレンズを通して大きく膨らんで見える切れ長の目が、へらへらとした笑いを含んでいるのだった。
だいたい、宏は名前すら格闘技をするには向いていないように思われた。ぬた ひろし(布田 宏)。名前で格闘技の強い弱いが決まるわけでもないだろうが、あまりにも弱々しい名前だ。辰吉丈一郎、魔裟斗、エメリヤエンコ・ヒョードル・・・成功する格闘家というのは、名前からして強そうにできているものだ。辰吉丈一郎と、ぬたひろし、では、なんだか闘う前から勝敗が決まっているように思われる。
この宏の練習態度が、あまりにもひどいのだった。基本稽古の際も、グニャグニャしながら中段突きを放ち、蹴りはまるで脚をあげない。しかも、技と技を繰り出す間に、いちいち、
「ふう、疲れた」
「汗かいちゃった」
などとひとりでぶつぶつ文句をたれるのである。汗をかくために練習をするようなものに思えるのだが、宏にとってはそんな理屈は通用しないようだった。
また、休憩時間になると、真っ先に体育館の隅っこに置いてある自分のナップサックまで走って行き、NintendoDSを取り出して、ゲームをするのだった。きわめつけは、ある日行っていた型稽古の最中の時のことで、その時、子供たち全員で型の練習をしていたら、出し抜けに宏が、
「アッ」
と叫んだのである。渡辺が戸惑いながら練習を止め、
「宏くん、どうしました?」
と聞くと、宏は、
「昨日ポケモン録画するの、忘れちゃった!」
と、そう言うのだった。
渡辺はこの宏だけは苦手で、心の中でひそかに敬遠していたが、生徒である以上は仕方がない。宇宙人に教えるようなつもりで、あくまで最低限必要なだけ指導を行っていた。




