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ぶっきらぼうな?そう、渡辺はぶっきらぼうな先生ということで道場の子供たちの間で通っていた。渡辺がぶっきらぼうな理由は、「空手は自分の意思でやるものである」という信念を、渡辺が持っているからだった。


渡辺は高校生の頃、学校の空手部に入って空手を始めた。暴力的だし、怪我が怖いという理由で、両親はそれに賛成しなかった。高校の3年間通して一度も、両親が渡辺の試合の応援に来てくれたことはない。また、練習の辛さから、同級生の多くが途中で部活を辞めていった。しかし渡辺は、空手をしたいというその一心のみで部活を続け、人一倍努力し、大学に入ってからはたった2年あまりで道場の指導員を任されるようになった。そのため、渡辺にとって空手は、誰に勧められてするものではない、自分の意思で勝手にするものであったし、成功するためにはやはり自発的に努力をするべきものだった。


だから渡辺は、子供たちに空手を教えるとき、他の指導員に比べるとどうしても消極的な教え方をした。渡辺にとって、空手は自分の意思でやるべきもの、なのだから、子供たちが自分から進んで教えを請いに来なければ、余計な指導をすることはまずなかった。やる気のない子供などは教える対象にすらならず、その子が好きじゃないなら空手なんて辞めればいい、くらいに考えていた。この姿勢が、子供たちにはぶっきらぼうに映って見えたのである。


そのため、稽古が始まっても、渡辺の教え方はひどく淡白なものだった。例えば、基本稽古のときである。これは、体育館いっぱいに子供たちがちらばって、みんなして体育館の舞台のほうを向き、


「イチ、ニイ、サン、シイ」


という掛け声に合わせて、子供たち全員が、


「エイッ、エイッ、エイッ、エイッ」


と気合いと共に、突きや蹴りなどの基本的な空手の技を繰り出す練習だ。


しかし、この基本稽古をしているときも、渡辺はただ黙りこくって子供たちの練習風景を観ているだけなのである。これが、中年のおじさん指導員などが稽古をつけているともう大変だ。子供たちがかわいいあまりに、あっちへ行きこっちへ行き、教える時間が足りないよと言わんばかりに一人一人に技の型の誤りを教えて回り、ときおり全体の練習を止めては全員に自ら手本を見せたりする。


しかし渡辺は、子供たちの間をするりするりと歩き回るだけで、まるで教えようとしない。それでも、時おり、思い出したようにその足が止まることがある。しかしそれは、小さな子供が、手足を構える位置を左右逆に覚えているときなどで、


「違う違う、右回し蹴りは、左足を前にして打つ。左、わかる?わからない?お箸を持つ手はどっち?」


(こっち、と子供は得意げに手を上げてみせる)


「そう、そっちが右。左は反対。左を前にして。・・・そう」


などと、ごく基本的な誤りを直してやるだけなのだ。


この渡辺の指導態度は、子供たちの親から指導料をもらっている者としては失格だったかも知れない。しかし、まだ20歳を出たばかりで、社会に出て自分の骨身を削ってお金を稼いだことのない渡辺にとっては、もっと子供たちに親身になって教えなければならないという感覚は、理解できないものだった。

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