2
渡辺の輝かしかったころーー、それは、大学生時代のことである。大学3、4年のころ、渡辺は空手の先生をしていたのだ。当時通っていた空手道場で、毎週日曜日の夕方、子供クラスの生徒たちに空手を教えていたのである。このころの渡辺は今とは比べ物にならないくらい引き締まった肉体を持ち、若くして指導員を務めることになった道場内のホープで、子供の練習生のお母様方にはかつての斎藤佑樹や石川遼ばりの人気がある、爽やかな青年だったのである。
さて、そんな若き空手の先生・渡辺は、毎週日曜日の夕方になると、道場として空手クラブが使っている世田谷区J小学校の体育館へと向かう。もちろん指導をするために向かうのだが、自主練習をするため、全体練習の始まる一時間も前に体育館へ入る。体育館には空調設備がないから、夏などにはとんでもない暑さになる。そこで、体育館のドアと窓をいっぱいに開けて、セミの声がシャアシャアと降り注ぐ中、一人空手の型(演舞)の練習や、基本となる蹴り・突きの確認の稽古をするのだ。
渡辺以外誰もいない体育館で、時に素早く時に緩やかに体を動かしながら、稽古をしていると、だんだん身体が温まり、あごから汗がしたたり落ちるようになる。そうして体育館の床に渡辺の汗が点々としたたるようになるころ、
「お願いします!」
元気に挨拶をしながら子供たちが三々五々、体育館へと入ってくる。子供たちは皆、渡辺と同じように白い道着を着ている。まだ幼稚園に通っているような小さな子供も、0号というサイズの小さな小さな道着に短い手足を通し、帯をめちゃくちゃな結び方で結んで体育館へと入ってくる。そうして体育館の敷居をまたぐ際には、一生懸命しゃっちょこばって、胸の前に小さな両腕をばってんに結んだかと思うと、その両腕を勢いよく振り下ろしながら、
「オネガイシマスッ」
と、しっかり空手流の挨拶をするのだ。
「はい、お願いします」
このかわいい挨拶をされた時には、いくらぶっきらぼうな渡辺でも、稽古を中断し、思わず笑顔になって挨拶を返してしまうのだった。




