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永田町駅で乗客がドッと乗って来て、地下鉄の乗車口近くに乗っていた渡辺正巳はあっという間にその人の流れに押し流された。車内の反対側へ、反対側へと押しやられて、とうとう逆側の乗車口までたどり着き、そのままの勢いで乗車口のドアの窓ガラスに左頬をくっつけるはめになった。


「・・・っ」


さすがに嫌な気持ちがして、背中にのしかかってくる乗客の体の圧力を跳ね返して、顔を窓ガラスから引き離した。窓ガラスには、渡辺の頬からにじみ出た脂が、べっとりとくっついている。その脂の向こうに、渡辺の顔が映っていた。疲れきり、不規則な生活で肌あれと隈が目立つ、肥満した顔。すっかりくたびれきったその顔は、渡辺の気持ちを暗くさせるのに十分だった。


紺のスーツに身を包み、満員電車に乗っているこの渡辺正巳は、社会人4年目。この2駅先の六本木一丁目駅近くの会社で、売れない営業マンをしている。あまり大きな会社ではないが、仕事は忙しいーー。いわゆる、ブラック企業という会社に当てはまるかも知れない。このまま電車に乗って会社へと体を運んでも、渡辺を待っているのは上司の罵声と嫌な客との応対だけだ。営業成績の良くない渡辺にとって、毎朝の通勤電車は会社という死刑台に向かう、死の乗り物だった。


電車の中は春だというのに満員のためムッと暑く、乗客たちの体臭がこもっていた。渡辺は、背中に押し付けられた乗客の体がなま温かく汗ばんでいることをスーツ越しに感じながら、窓ガラスに映った自分の姿を見つめ、(いっそのこと、三年前の震災よりもっと大きな地震が起きて、会社が潰れてしまえばいいのに)と不謹慎なことさえ思った。


ーーこんな、いまではすっかり情けないサラリーマンになっている渡辺だが、そんな彼の人生にも輝かしい時期というのが、かつてはあったのである。そうして時々、その輝かしい頃のことを思い出しては、懐かしくその思い出を咀嚼し、ゆっくり味わうことがある。そうしてこの時ーー満員の通勤電車に揺られながら窓ガラスに映った自分の姿を見たときーーにも、ふとその思い出が心の中に浮かんできたのだった。

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