ナルタリアの闇①
第三市街と書かれた看板が見える。看板は煤けたように汚れていて、その先から感じる負の空気は、俺の心を不安で揺らす。
「ここが第三市街にございます」
サーシャの顔は先程までと違い、どこか警戒しているようにも見えた。
「行こう」
俺は覚悟を決め、第三市街と書かれた門を潜った。
「私めから離れないで下さい、勇者殿」
そう言うと、サーシャは俺の前に出て、先を歩き始めた。
第三市街は広場からすぐに入れる位置にある。
後ろに見える広場からは先程と変わらない賑わいが聞こえてくるが、第三市街からは何も聞こえて来ず、[無]という表現が一番的確と言えた。
歩を進める度に遠退く賑わい。歩を進める度に広がりを見せる闇。
俺の心は不安な気持ちで一杯になった。
建物に囲まれたような道を歩く。道の左右を囲まれているため、光は少ない。
まるで迷路にでも入ったような気がしてきた。
進んでも進んでも見える物は壁と地面のみであった。
ある程度歩き、気づいた事がある。それは何かと言うと、人がいないのだ。
もう、10分程歩いているが、第三市街に足を踏み入れてから誰にも遭遇していない。
「大丈夫ですか?勇者殿。ご気分、優れませんか?」
サーシャの声に少し驚く。
恐らく、俺の顔は心配されてしまう程、強張っていたのだろう。
「あ、あぁ、問題ない。先に進もう」
「はい。もう少しで第三市街の中心に着きます」
「分かった」
先を見ると仄かな灯りが見える。
灯りの場所が第三市街の中心なのだと感じた。感じたのだが、気が重い、脚が進まない、逃げ出したいと、感じてしまう程に闇を感じる。
戻ろうかと後ろを振り返るも、来た道は暗く、複雑で、とても一人では帰れない。先程までの広場の賑やかな声は一切聞こえず、闇だけが広がっていた。
「着きました…」
サーシャの声にまたもや驚く。
着いてしまったのなら仕方ない。行くだけ行ってやるさと、仄かな灯りのある場所へ足を踏み入れた。
そこは、開けた場所だった。壁と壁に囲まれた広場と言えば分かりやすいだろうか。かなり広かった。
「ここが第三市街…」
「ええ、この国の裏の顔にございます」
壁で囲まれた広場には何か異臭が漂っていた。
なんの臭いかは分からないが物が腐ったような感じだ。
その臭いにやられ、少し気分が悪くなる。
吐きそうになってしまった為、少し上を向いた。
そして、気付く。
何物かが俺を見ている。しかも、一人や二人では無い。何百人もの視線だ。
目を凝らすと、暗い広場には人が居た。気付かなった。気付かなかっただけなのだ。
暗さに。あまりの静けさに。
第三市街の皆が俺を見ている。広場から、広場を囲う建物の中から。
怖い怖い怖い怖い恐い恐い恐い恐い。
心の中の不安が爆発する。狂気に犯されそうだ。
「大丈夫ですか!?」
サーシャが俺の肩を掴み揺らす。
「うん。少し座らせて」
俺は壁にもたれ掛かるように地面に座った。
先程感じた異臭が強くなったように感じ、臭いがする右へと顔を向けた。すると、何か物がある。いや、人か。
人?いや、何か別の物体だ。人では無い。じゃあ、これはなんなのだ?人の形をした物体って…
答えに行き着く。死体だ。俺の隣に居た、いや、あったのは人間の死体だった。
先程、第三市街の広場に入ってから感じた異臭は人間の死体からの腐臭だったのだ。
「うあぁぁぁぁ!!!」
地面を這いずるように移動する。少しでもその場から逃げ出したくて。
「落ち着いて下さい!!!」
サーシャの抑制も聞かない程、動揺していた。
変な移動をしたせいか、俺の吐き気は我慢できない程に大きくなり、嘔吐。
暫く吐き続けてしまった。
少し楽になってき、肩を叩かれた。
サーシャかと、振り返ると、そこには一人の少女がいた。
「あの、あの、大丈夫…ですか…?」
少女はそう言うと、俺の口元をタオルで拭ってくれた。
無言のまま俺は泣いてしまった。心の中に不安と狂気だけが渦巻くなかで、少女が与えてくれた優しさに。
俺がありがとうと、言うと、少女はにっこりと笑って、
「いいえ♪」
と、一言だけ言い、行ってしまった。
少女が去ると、俺の周りに人が集まってきた。第三市街の人達だ。
第三市街の人々は俺に次々に声を掛けてきた。大丈夫か?水飲むか?など、全て俺を心配してくれている声だった。
涙が溢れて止まらない。人の優しさとはなんて暖かいものなんだと。
「ここの者達は皆、被害者なのです。ナルタリアの闇とは第三市街の人間達ではなく、この環境を作り出してしまった、国や、世の事なのです」
サーシャが第三市街の闇について説明をしてくれた。
俺の考えは完全に検討違いだった。不安と狂気に負け、ここの人達を闇そのものだと感じてしまった自分が情けない、と、俺はまた泣き出してしまう。
「アンタ泣いてばっかだな。いいから休めるとこ行って落ち着きな」
一人の老人が俺を部屋へ案内してくれた。
「すいませんでした。俺、皆さんの事…」
「いいんだよ。アンタこの国は初めてかい?驚いたろ?表と裏の差に」
老人は明るく話し掛けてくれた。優しい人だった。いや、ここの人は皆優しいのだろう。
「それより、さっきはすまんかったな」
老人が頭を下げた。
「さっきのラダ…いや、死体はだな、埋葬してやれなかったんじゃよ。最近、流行り病があって、皆、次々に倒れとるんじゃ。それでついに昨日、墓が足りなくなってな…」
「そう…だったんですか…」
ラダという男の人に申し訳ない気持ちと共に、流行り病という言葉が気になった。
詳しく聞こうかと思い、話を始めようとするも、老人は、
「さぁ、元気になったならこんな所いちゃ行けねぇ。早く街へ帰んな」
「え?なんで?」
「病が移ったらいけねーだろ?」
早く帰れと言うのは老人の優しさ故だった。
俺は身支度を整え、部屋を後にした。
壁の広場に戻ると、第三市街の人達が俺を見送るため、集まっていた。
「元気でね!勇者さん!」
「期待してるからな!」
「負けるんじゃないよ!」
「アタシ達の病が治ったらまたおいで!」
皆が皆、俺を様々な言葉で励ましてくれた。
「勇者殿、さぁ、帰りましょう」
広場で待っていたサーシャと合流する。
すると、さっきの老人が俺を救ってくれた少女と共に近づいてくる。
「この子を連れてってくれねぇか?」
老人の言葉の意味することはこの少女意外、全員病に感染しているということだ。
しかし、俺は問い詰める事もなかった。
「はい!必ずこの子とまた遊びにくるんで、皆さんお元気で!」
「ちょっ、ちょっと勇者殿!この子を連れていく気ですか?」
サーシャはダメだと反対するも、俺は、
「勇者権限だ!」
と、反対を押しきった。
「では、また!」
と、第三市街の住民たちに挨拶をする。ラダにも手を合わせ、先程の事を謝る。
壁の広場に背を向け歩き出す。少女と、サーシャと手を繋ぎながら。
少女は一瞬振り返り不安そうな顔をしたが、恐らく分かっていたのだろう。
自分を第三市街から出すことが、皆の優しさ故だと。
サーシャは呆れたように言っていたが、その表情はどこか微笑んでいるようにも見えた。
来た道を引き返す。来たときには不安しか無かったが、今は不安など微塵も無い。
第三市街の人々が与えてくれた優しさを、次は俺が与えられるようにと、願う。
第三市街のみんな、また、会いにいきます。
そう、俺は固く決心した。