ep4 動き始めた歯車
「どうした! 剣速が落ちてきているぞ。もっと速くだ」
のどかな昼下がり。争いとは無縁にある村の隅で剣を振るう二つの影。
「ッ、わかってますよ」
ジンは、拳十つほどの長さの剣を握り直し、全身の筋肉に一気に力を入れてルーサスの懐に飛び込む。ルーサスは一瞬驚いたような顔をするが、落ち着いた様子でジンの剣を受け止める。
「思ったより速かったよ。隠してたのか?」
「まぁ、ねッ!」
ジンが答えると同時にルーサスの剣をはらうとルーサスもタイミングを合わせて飛んで後ろに下がる。が、ジンは素早く距離を詰めて追撃する。
「もらった!」
「狙いは悪くない。悪くないが、……甘い!」
着地と同時にジンは必殺の突きを放つ、がルーサスは素早く身を返し、突きを回避してジンに建の柄で打撃を打ち込む。倒れこむジンに、喉元に剣を突きつけるルーサス。
「はい、終了な」
「……参りました」
倒れているジンに手を差し伸べるルーサス。ジンはその手を取り、立ち上がる。
「今日は一段と気合入ってたな。何かあったのか?」
「数日前に勇者一行が魔族領に入ったってことをこの前聞いたんだ」
そう答えるジンに、ルーサスは「なるほど」と言った。ジンの剣の修行の目的は幼馴染の二人の力になりたいがため。そう考えると焦るのも無理はない。
「ま、焦る気持ちはよくわかる。が、一行が魔王城に到着するのにはまだまだ時間がかかるよ」
「わかるんですか?」
「当たり前だ。初めて会ったとき言ったろ? 預言者だって」
ルーサスはジンの頭を二・三度なで、「メシにしよう」と言って家に戻っていった。
「え、村を離れるんですか?」
「ああ。少しの間だがな。急用ができたんだ」
修行のあとの食事時。ルーサスは村を離れることをジンに告げた。ジンは「寂しくなりますね」とつぶやいた。
「なに、すぐ帰ってくるって。それと、ひとりでも鍛錬サボったら帰ってきたときひどいからな?」
「ははは、わかってますよ」
その後も二人で他愛のない話を続けた。そして、その日の晩。ルーサスは村を去った。
同日の夜。月明かりが照らす深い森の中でルーサスは一人佇んでいた。
「アイナ、いるんだろう。出てこい」
ルーサスが虚空に向けていうと、闇の中からゆっくりと真っ白いワンピースを着た少女が出てきた。月明かりに反射して輝く銀色の髪が彼女をどこか神秘的なものに思わせ、真紅のごとく紅い瞳からはどこか危ない感じを匂わせる。それは、この世のものとは思えないほど美しい。
「どうしたのだ。この様な所へ呼び出して」
「白々しい。全て見ていたんだろう?」
「全て、とは?」
「……俺がここに来るまで、全てだ」
アイナと呼ばれた少女の白々しい態度に苛立っているルーサス。そんな様子を見てアイナはクスクスと小さく笑った。
「本当にお前はせっかちなのね。ええ、全て見ていたわ」
「……彼女が我らが領土に入ったらしい」
「知ってる。そちらの方も見ていたから」
苦々しく言うルーサスにに対し、先ほどの態度とは一転してつまらなさそうに答えるアイナ。
「彼女が来たのならば、俺はここを離れなくてはいけない。だから――」
「それまで自分の弟子の様子を見てくれと? 嫌よ。どうして私があなたの手伝いをしなくてはいけないの?」
「それは……」
「哀れな人間の女に恋した哀れな同胞よ。何が目的かはだいたい予想がつくわ。見逃してあげるけど、手伝いはしない。以前あなたと誓いを立てたはずよ?」
アイナの言葉に何も言い返せなくなるルーサス。痛いほど拳を握り締め、その手からは血が出ている。
「ねぇルーサス。手伝いはしないけど、ひとついいことを教えてあげる」
手を握りしめているルーサスを見て、アイナはひとつ笑い、続けて言う。
「あのバカが動いたわ。確かに面白そうな匂いはするものね。でもあなたに選択するだけの選択肢は残っていない。せいぜい自分の鍛えたあの子信じることね」
それじゃ。と言ってアイナは闇の中へまた消えていった。一人立ち尽くしているルーサス。
「クソッ、俺はどうすれば……」
ここまで順調にやって来たハズだった。しかし、違う。彼女たちの進行速度がありえないくらい早い上に、あの狂犬が動きだした。ルーサスにはもう手詰まりだ。
「……すまないジン。どうか生きてくれ」
ルーサスは身を切る思いで、森の中を歩み始めた。後ろを振り向くことできない。ルーサスには選択肢などないのだから。
ルーサスが村を出て数日。ジンは農作業の傍ら剣と魔法の修行をしていた。朝のうちに農作業を、昼からは修行を。ルーサスとの約束を忠実に守っていた。
「おいジン。お前、また騎士の真似事でもしてんのか?」
「ん? ああ、えっと……ナルシストさん?」
「違う! 俺はナルシスだ!」
剣の修行の途中。ジンに声をかけてきたのはルーサスが来るまでジンをいじめ続けていたナルシストだった。
「まったく。お前みたいなクズがそんなことするのは百年早ぇんだよ。ほら、その剣よこしな。俺が有効的に活用してやっから」
「お断りします。これはルーサスさんが僕にってくれたものだし、これないと修行できないから」
「調子に乗るなよグズ。痛い目みないとわからないみたいだな」
断られたことに、怒りを感じたのか。ナルシスは、怒りをあらわにしてジンに殴りにかかった。以前のジンであれば反応できずに唯々殴られたかもしれない。しかし、ジンは何ヶ月も修行を続けてきた。それも、常人では考えられない密度で。
(見える。これってやっぱり修行の成果なのかもしれない)
ジンの目には、迫ってくるナルシスの拳がなんとも遅く感じられた。ゆっくりと迫ってくる拳を、余裕を持って回避し、カウンター気味に顔面を蹴る。
「ぐほぉ!!」
綺麗に顔面に蹴りが炸裂し、ナルシスが三メートルほど飛ばされる。ナルシスの鼻は見事に折れているのが目に見えて分かり、歯に至っては前歯が一・二本しか残っていない。
「あ、ごめん。大丈夫?」
つい、いつもルーサスとの修行の時のように蹴りを入れてしまい本気で心配しているジン。しかし、ナルシスは「ぁ……ぁぁ…ぁ」と、何を言っているのかわからない状態が三分ほど続いた。
「てめぇ、ジン! 覚えてろよ。俺の美しい顔を蹴るなんて。ブチ殺してやる!」
そのあとしばらくしてナルシスはなんとか立ち上がれるまでに回復し、吐き捨てるように言い捨ててどこかへフラフラと行ってしまった。
「大丈夫かなあの人。……まぁ、大丈夫かな?」
「野郎、ジンのやつ。傭兵崩れが指南してくれたからっていい気になりやがって」
ジンに蹴り飛ばされたナルシスはその後、村の近くの湖に来ていた。この場所はナルシスのお気に入りで、よく来ている。理由はこの場所が美しいとナルシスが思ったためだった。
「ああ、僕の美しい顔が……」
水面に映るのは以前の自分のものではなく、鼻は歪み、頬は腫れ、前歯がない。なんとも醜い顔だった。
「あのクズ。絶対ブチ殺す」
酷く殺意が湧いた。自分の自慢の顔をこんなにしたやつに。ついこの前まで村でも【のろま】とか、【金魚の糞】と評価されていたクズが自分にこんなことをするとは。ナルシスの怒りは頂点にまで登っていた。
「いいねぇ。その殺意。気に入ったぜ」
背後から声が聞こえて驚くナルシス。後ろを振り向くと、黒色で統一した服を着た黒髪の男が立っていた。そして、こちらの顔をみてニヤリと笑った。
「誰だ」
「誰か、か。ますます気に入った。やっぱり殺すのはなしだ。俺の配下に加えてやる」
こちらの何に気に入る要素があったのかルーサスは全く理解できなかったが、ひとつ理解できることがあった。
(この男、なにかやばい。早く逃げないと)
ナルシスが感じたのは、この男から漂う危険な香り。それも、人生経験が短い自分でも感じ取れるほど圧倒的なもの。ナルシスはこの男に恐怖せずにはいられなかった。
「お前、名前はなんだ?」
「な、ナルシスだが。それがなんだ」
「ナルシス、か。なるほど、感じは悪かねぇな。こりゃいい素材になるわ」
素材とはなにか? その後も男は何かをつぶやくがナルシスには全く理解できない。そして、ナルシスが理解できないうちに男は何かを決めたようだった。
「おめでとう……名前なんだっけ? まぁ、いいや。人間、今からお前は俺の眷属だ。よろしくな」
男がそう言って笑うと、手をゆっくりとこちらに近づけてくる。そして、ルーサスは見た。指の隙間から、後ろの森で蠢く大量の影を、あれは――。
そこでルーサスの何も考えられなくなった。