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  ダークの家を出ると、日差しはますます強くなっていた。風にそよぐ街路樹の影を選んで歩きながら、テリーがぽつりと呟いた。

「……あの男、チキン野郎だな」

「どうしてそんなこと言うんだよ、テリー」

 テリーはそんなことも判らないのかという顔でレイを見返した。

「いいか、レイ。ヴァンパイアは人間そっくりだけど、化け物だ。神に反するものだ。悪魔と同じさ。だから同情なんかしちゃいけないんだ」

 レイの脳裏に先ほどダークが見せてくれた二つの指輪が浮かんできた。恐らくは深く愛し合っていたのだろう。寄り添うように輝いていたその指輪達からは深い悲しみ以外の何も感じられなかった。


――本当に彼らはただの化け物なんだろうか?


「そうかな? 俺、よく判らなくなってきたよ」

「ふん、お前も他人に影響されやすい性格だよな。ジャッキーはどう思う?」

「僕か。どうでもいいよ。ハンターにもヴァンパイアにも興味はない」

「ふ~ん。まあ、いいや。俺、本当は仲良くなってヴァンパイアの牙をもらおうかと思ってたんだけど、仕方ねえな。通販で買うか」

 ジャッキーはちょっと眉を上げて呆れ顔でテリーを見る。

「テリー。雑誌の広告を信用してるのか? あんなの、偽物ばっかりだぞ」

「そんなこと買ってみなきゃ判んねえだろ? それにあれは強力な魔除けになるんだ。レイ、お前は欲しいと思わないか?」

「いや、別に。第一、そんなもの欲しいっていったって買ってもらえないよ」

 その時、レイは遠くから聞こえてくる聞き覚えのある音楽に気付いた。

「アイスクリームだ! もう近くまで来てるよ」

「え? 俺、何にも聞こえないけど」

「僕も」

 レイは訝しげな二人の顔に少し戸惑った。

「え……だって」

 甘いバニラの香りだってしてくるじゃないか。その言葉を口に出す寸前にレイは母の言葉を思い出した。気付かれちゃ駄目。例え相手が友達であっても。


「そう……気のせいかな」

 レイ達はしばらく黙って歩いていた。販売車のオルゴールの音がだんだん大きくなってくる。

「あっ。本当だ。聞こえてきた! レイ、耳がいいなあ」

 テリーの関心はもうアイスクリームに移っていたが、ジャッキーは不安げな視線をレイに向けていた。

 やがて、移動販売車の青と黄色の派手な車体が視界に入ってきた。あちこちの家から子供達が走り出てくる。

「俺、金持ってるから奢ってやるよ、行こうぜ! 俺、チョコミント!」

「じゃあ、お言葉に甘えて、僕はストロベリー。レイは?」

「僕はバニラがいいな」

 テリーはもう走り出していた。ジャッキーはその姿をしばらく見ていたが、やがて、レイのほうを見るとぽつり、と呟いた。

「レイ。君、十二歳になったんだよな?」

「ああ」

「これから君に何があっても、君は僕の友達だよ、レイ」

 ジャッキーはふっと優しげな笑みを見せて、車のほうに歩きだした。

「あ……うん」

 その言葉が何を意味しているのか、その時のレイには判らなかった。

 

 数日後の満月の夜。

 夕食後、アメリアがシャワーを浴びに行ったので、レイはソファに寝転がってジャッキーに借りたスーパーマンのコミック誌を眺めていた。彼は人を殺さない。でも、もし相手がヴァンパイアだったらどうするだろう。やはりハンターのように杭を打つのだろうか。でもそんなスーパーマンは嫌だし、想像もつかない。ぼんやりとそんなことを考えていると突然、喉が渇いてきた。

 キッチンへ入り、冷蔵庫から牛乳の瓶を取り出すと、コップに注ぐ。一気に飲み干した白い液体は、いつもとは違い喉を潤してはくれなかった。

 漠然とした不安を感じながらもう一杯牛乳を飲むと、ようやく渇きは治まった。

「レイ、あなたもシャワーを浴びなさい」

 アメリアの声に振り返ると、彼女はバスタオルを身体に巻いて、レイのほうを見ていた。

「どうしたの? レイ。何かあったの?」

 レイの表情がいつもと違うことに気付いたのか、アメリアが問いかけてきた。

「いや、なんでもないよ、母さん」

 軽い笑みを浮かべて母に答える。数日前、公園で起きた妙な衝動が脳裏に蘇ってくる。何か悪い病気になりかけているのだろうか。いや、単に暑さのせいに違いないと自分に言い聞かせる。あの日、ハンターの家に行ったことは母には内緒にしていた。母はハンターが嫌いだから、きっと気分を悪くするだろう。とにかく早くシャワーを浴びて寝てしまおうと、レイはバスルームへ向かった。


 真夜中、レイは焼けつくような喉の渇きを覚えて目を覚ました。苦しい。全身が熱を帯び、横になっていることが出来ない。震える身体を起こすと、周りの景色がぐらりと揺れた。窓の外から不気味なほど明るい満月の光が煌々と差し込んでいる。

 ベッドから降り、部屋を出てキッチンに入ると冷蔵庫の牛乳を掴み、瓶に口をつけてそのまま飲んだ。だが、喉の渇きは収まるどころかますます激しくなってくる。


――これじゃない。俺が欲しいのは――


 数日前のテリーの傷口が脳裏に浮かんでくる。血が欲しい。狂おしいほどの欲求に手が震え、牛乳の瓶を取り落とした。派手な音を立てて転がった瓶から零れた牛乳がゆっくりと床に広がっていく。

 激しく首を振り、理性を呼び戻す。俺は何を考えているんだ。レイは両手で顔を覆った。


――おかしい。今、手に触れたものは何だろう。


 レイはバスルームに駆け込み、恐る恐る顔を上げて鏡を見た。そこに映っていたのは目を青く光らせ、口の端から長い牙を覗かせた異形の姿だった。


――何だよ、これ。


 震える手で口元に手を触れ、長く鋭い牙をそっと撫でた。


――嘘だ。これは夢だ。こんなこと、あるわけない!

 

 激しい喉の渇きが再び襲ってきた。レイは自らの指を強く噛んだ。流れ出る血は生温かく、手の甲を伝って流れ落ちていく。


「う……」


 喉の奥から絞り出すように出した呻き声。それは感情の爆発へと一気に姿を変えた。


「うわあああああっ……!」


 腹の底から湧きあがってくる叫びを止めることが出来ない。レイは両手で頭を抱え、ただただ叫び続けた。絶望と恐怖で慄くその身体を白くしなやかな腕が後ろから強く抱きしめてきた。

「レイ、レイ。落ち着いて!」

 やがてレイの叫び声は止み、低い嗚咽へと変わっていく。

「母さん、これ、どういうことだよ! 俺、いったいどうなっちゃったんだよ!」

 アメリアはレイの身体をしっかりと抱きしめたまま、答えた。

「レイ、あなたはヴァンパイアなのよ。その喉の渇きはヴァンパイアとして覚醒した証拠なの」

 レイは金縛りにあったかのように身体を硬直させた。

「っていうことは……俺は人間じゃないってこと?」

「ええ……そうよ」


 レイは激しい喉の渇きに苦しみながら考えた。ということは、もう人間として生きていくことは出来ない。友人達と笑いあうこと、ふざけあうこと、可愛い女の子に恋をし、結婚して家庭を持つこと。今まで当たり前と思っていたこと全てが叶わない夢になる。


――俺は化け物だ。


 レイは身体を捻り、母の腕から逃れると、そのまま母の身体を突き飛ばした。


「母さんもヴァンパイアなんだろう? こうなることが判ってたのに、どうして俺を産んだんだよ! 俺、化け物なんかになるくらいなら生れてこなければよかっ……」

 アメリアの腕が素早く伸びてきてレイの左の頬を思い切り引っ叩いた。突然の母の怒りに、レイは頭が混乱し、声を出すことも出来なかった。

「レイ。ヴァンパイアとして生まれたことは恥でも何でもないの。あなたの父親のジョセフ・ブラッドウッドは素晴らしい人よ。あなたはヴァンパイアとしての運命を受け入れなければならないの。もう甘えて生きていくことは許されないのよ!」


レイはアメリアのきっぱりとした態度に戸惑ったが、再び襲ってきた激しい吸血衝動に身体を震わせた。

「母さん……今、そんなことはどうでもいいよ。苦しいんだ。血が欲しいんだ。俺、どうしたらいいんだよ!」

 アメリアは黙ってバスルームから出ていくと、黒い綿のシャツとジーンズを持って戻ってきた。

「さあ、これを着て。私と一緒に来なさい。血を手に入れるにはそれしかないわ」


 黒いTシャツとスラックスを身につけたアメリアはさながら獲物を追う黒豹のように、用心深く、人の気配を窺いながら歩を進めていく。レイはすぐ後ろからついていった。前触れもなく襲ってくる衝動に時折、足並みが鈍くなる。

 歓楽街の裏路地の角で、アメリアはぴたりと歩みを止めた。そっと覗いてみると男が一人歩いてくるのが見えた。

「レイ。襲う相手は健康じゃないといけないの。匂いの違いはこれから覚えなさい。それから、なるべく酔った人間を襲うこと。動きが鈍くなってるから扱いやすいのよ」

 男は隠れている二人に気付くことなく通り過ぎた。かなり酔っているようだ。アメリアがすっと動いた。滑る様に男に近付くと後ろから素早く身体を抱きしめて首筋に咬みつく。空気が抜けた風船のように男が気を失う。

 レイはまだそれが現実に起きてることとは思えず、ただ茫然とその光景を眺めていた。

「レイ、こっちへ来なさい!」

 アメリアが低い声でレイを呼ぶ。

「見て。咬みつくのはここよ。一度、人を襲ってみれば本能的に判ると思うけれどね。さあ、血を飲みなさい」

 嫌だ。理性がそれを拒否する。でも、耐えがたい喉の渇きを止めるにはそれしか方法がない。ぎゅっと唇を噛み、覚悟を決める。

 男の首筋には二つの小さな穴が開いていた。アメリアはすっかり力の抜けたその身体を、少し膝を曲げさせた形で前から抱え込むようにして支えている。レイが背伸びすることなく首筋に咬みつくことが出来るように。

「この男を気絶させる為に、牙から出る麻酔液を少しだけ注入したの。このままでは数分で気が付いてしまうから早くしなさい。それから喉の渇きがなくなったら血を吸うのは止めること。いいわね」

 ごくりと唾を飲み込む。と同時に激しい衝動が襲ってきた。後ろから素早く男の頭に手を回すと首筋に牙を突き立てる。溢れ出した血液が渇ききった喉に流れ込んでくる。それは今まで飲んだどんな飲み物よりも美味だった。ゆっくりと喉が潤い、不快な衝動が嘘のように消えていく。まだ吸っていたいと思ったが、レイは母の言うとおり、そっと牙を抜いた。

「上手だわ。それでいいのよ、レイ」

 アメリアは男の身体を離し、レイの身体を固く抱きしめた。

「さあ、早く帰りましょう。誰も来ないうちにね」

 倒れた男の身体を引きずって狭い路地に隠す。塀に寄りかかり、地べたにべったりと座り込んだ男は、ただ酔っぱらって眠りこんでいるように見える。

「その人……このまま死んじゃったりしない?」

「大丈夫よ。あなたも咬みついた瞬間に牙から麻酔液を出してるの。だから、十分くらいは気を失ってる。基本的に人は殺さないのよ、私達はね」

 アメリアは素早く周囲を見回し、空中の匂いを嗅いだ。

「遠いけど、ハンターの匂いがするわ。急ぎましょう」

 彼女はレイの先に立って歩きだした。

 レイは歩きながら倒れている男の首筋を見た。母の咬み痕の少し内側についた二つの赤い咬み痕。それは紛れもなく――自分のものだ。

唇が震え、自然と涙が溢れ出てきた。レイは家に辿り着くまで、込み上げてくる嗚咽を止めることが出来なかった。


朝、目を覚ましたレイは身体を起こすと、窓から差し込んでくる信じられないほど眩しい日の光に目を細めた。


――昨夜の出来事は夢だったんだろうか。きっと夢だ。いや……夢なんかじゃない。俺はもう人間じゃない。いや、元から人間じゃなかったんだ。これからヴァンパイアとして生きていく運命を受け入れなければならない。


 そうしなければならないことは十分判っていた。だが、昨日までは希望を与えてくれた日の光が、今は無数の短剣のように肌に突き刺さってくる。ベッドから降りてブラインドを下ろす。

 ベッドに倒れこみ、毛布を被り、目を瞑る。

 怖い。

 今まで自分の周りに当たり前に存在したものの全てが、自分を非難し、滅ぼそうとしているように感じて、レイは身体を震わせた。

 アメリアがドアを開けて入ってきた。

「レイ? 起きてるの?」

 レイは返事をしなかった。アメリアはベッドに近付くと、そっと彼の柔らかい髪を撫でた。

「レイ、今日はバイトを休んでいいわ。私はもう出かけるから、ゆっくり寝ていなさい」

 バタン、とドアの閉まる音がレイの耳に響く。

 固く目を瞑り、楽しかった日々の出来事を思い起こす。今が現実なら、あれは全て夢だったに違いない。

 

 

「レイ、起きなさい。もう夜よ」

 アメリアの声に目を覚ますと、枕元の時計の針は午後七時過ぎを指していた。

「今いくよ、母さん」

 レイはのろのろと起き上って、部屋を出た。キッチンに入ると、テーブルの上にはポテトとブロッコリーが添えられたビーフ・ステーキとパンが乗せられていた。食欲のそそられるその匂いに誘われて、レイは椅子に腰を下ろした。 アメリアはコップにオレンジジュースを注ぎ、彼の前に置いた。

「ずっと寝てたのね。どう? 少しは気持ちが落ち着いたかしら」

 レイは黙ったまま、首を横に振った。アメリアはレイの後ろに回るとそっと胸に腕を回して抱きしめる。

「そう。大丈夫よ。今は辛いでしょうけど時が解決してくれるわ」

 彼女はレイのすぐ前に座ると、ステーキを小さく切り始めた。

「ああそうだ。夕方、ジャッキーが来たわよ。具合が悪くて寝ているって言っておいたけど、明日、元気になったら家に遊びに来ないかって言ってたわ。明日はバイトが休みの日でしょ?」

「そう。行かないよ。会いたくないし」

「駄目よ、レイ。明日から普段通りにしなさい」

「母さん! 俺は人間じゃないんだ。だのにどうやって友達と付き合ったらいいんだよ!」

アメリアはフォークを置くと、厳しい表情でじっとレイの目を見詰めた。

「レイ、聞いて。あなたは人間のふりをしなければならないの。これは人間の世界で生きていく為に必要なことなの。運命に立ち向かわなくちゃ生きてはいけないわ。さあ、いいから食べなさい。ステーキが冷えてしまうわ」

 生きていけなくったっていい。

 だが、さすがにそれを口に出すことは出来ない。これ以上、母を悲しませたくはない。レイはフォークでステーキを突き刺すと、一口齧った。溢れ出る肉汁が、一瞬、喉に流れ込む血液を思い起こさせる。自分が血の味を覚えてしまったことが悲しい。また涙が込み上げてくる。でもこれ以上、母に涙を見せたくはない。口に押し込んだステーキを無理やり飲み込むと、次の一切れに手を伸ばした。


 翌日、レイはいつもどおりに目を覚ました。朝食後、食器を洗い終わってアメリアとテレビを見ていると、ドアのチャイムが鳴った。レイが出てみると、テリーがニヤニヤしながらポーチに立っていた。

「よお、レイ。具合が悪かったそうだけど大丈夫か?」

「ああ、大丈夫だよ。もう治った」

 レイはまともに彼と目を合わせることが出来ず、彼の後ろに視線を彷徨わせていた。テリーはレイの視線に気づいて後ろを振り返って見た。

「後ろに何かいるのか?」

「ああ、いや。見かけない犬が歩いてたんで」

「そうか? 何もいなかったみたいだけど。まあ、いいや。ジャッキーが新しいコミック誌を見せてくれるってさ。もう行けるか?」

「こんにちは、テリー」

 いつの間にか、アメリアがレイの後ろに立っていた。

「あ……こんにちは。アメリアさん」

 テリーの顔がみるみるうちに赤くなった。だが、アメリアの浮かべた笑みはテリーの首に下がったものが目に入った途端に凍りついてしまった。レイは振り返って母の顔を見ると、テリーに視線を戻す。

 テリーの灰色のシャツの胸には、白い牙のネックレスが輝いていた。そこから漂ってくる微かな血と肉の匂い。それは紛れもなくヴァンパイアの牙だった。


「テリー、それ……」

「これか? かっこいいだろ。昨夜、兄貴にもらったんだ。知り合いの武器ショップのオーナーから買ってくれたんだぜ」

 テリーは首から革紐のネックレスを外すとレイのほうへ差し出した。

「見せてやるよ。これ、本物だぜ」

 レイはネックレスを受け取ると、右手の掌に乗せた。長い牙は歯根の部分が切断され、穴が開けられていた。その穴に革紐が結ばれている。

「……痛かったのかな。これを抜かれた時」

「え? ああ、判んねえな。殺した後に抜いてるかもしんねえし」


――俺も狩られたら牙を抜かれるのかな。ハンターは俺の牙に穴を開けて、汗臭くて薄汚い胸にぶら下げるんだろうか。

 

 吐き気がするほどの嫌悪感で微かに手が震える。レイが黙りこんでしまったので、テリーは少し心配になった。

「レイ、どうした。まだ気分悪いのか?」

「いや……大丈夫。これ、よく似あってるよ」

 レイはテリーにネックレスを返した。

「だろ? そろそろ行こうぜ。ジャッキーが待ってる」


 テリーが兄から仕入れた下ネタ混じりの面白おかしい話のおかげで、ジャッキーの家に着く頃には、レイの気持ちも少し落ち着きを取り戻していた。でも、もしもテリーが自分の正体に気付いたら、どうするだろう。そう思うとたちまち心は黒い雲に覆われてしまう。

「なあ、レイ。そっちの『Adventure Comics』、取ってくれよ。こっちの『バットマン』見せてやるからさ」

 テリーの言葉にはっとしてレイは顔を上げた。テリーは絨毯の上に座っているレイのすぐ横で寝転がっている。ジャッキーはベッドの端に腰かけていた。

「ああ、いいよ」

 ジャッキーの部屋の本棚には父親に買ってもらったコミック誌がぎっしりとつまっている。壁には『遊星よりの物体X』のポスターが貼られている。

「いいよなあ。コミック誌のヒーローって。俺がもしスーパーマンみたいだったら、素手でヴァンパイアを倒せるんだけどな」

「ねえ……テリー。もしも」

 もしも、親しい友人がヴァンパイアだと判ったら、お前はどうする? だが、その質問はレイの口から発せられることなく消えてしまった。

「何だよ?」

「いや、何でもない」

 このまま、俺はこの二人を騙し続けるのだろうか。この町を離れるその日まで。それとも思い切って打ち明けたほうがいいのだろうか。いや、テリーには言えない。でも、ジャッキーならどうだろうか。レイははっと息を飲んだ。ジャッキーは、彼は俺の正体に気付いているんじゃないだろうか。――これから君に何があっても、僕は君の友達だよ――その言葉を信じてみてもいいんじゃないだろうか。

「レイ、ドーナツ食えよ。なくなっちまうぞ」

 テリーはそう言いながら、皿に盛ったドーナツに遠慮なく手を伸ばす。

「なあ、ジャッキー。俺、ルーシーが気になってしょうがないんだ。あいつ美人だし、セクシーだろ?」

「ルーシーか。止めとけよ。あいつ、男をとっかえひっかえしてるって噂だぜ。奢らせるだけ奢らせて飽きたらさようならだってさ」

「ふうん。じゃあ、止めとこうかな。レイ、お前は好きな子いるのか?」

「いないよ。今のところはね」

 

――いや、気になる子がいないわけじゃない。でももう人間の女の子をデートに誘うことはないだろう。永久に。


 時間は瞬く間に過ぎていく。気がつくと五時を過ぎていた。

「じゃあ、俺は帰るよ。夕食の時間に遅れるとオヤジがうるさくってさ。レイはどうする?」

「まだいるよ。もう少しでこれ一冊、読み終わるから」

「そうか。じゃあまたな、ジャッキー、レイ」

 ジャッキーに借りたコミック誌を大事そうに抱えて、テリーは出て行った。しばらくするとジャッキーはベッドから立ち上がり、レイのすぐ横に腰を下ろした。

「レイ、もしかして僕に話したいことがあるんじゃないのか?」

 レイはジャッキーの勘の良さが少し怖くなった。もう隠しておくのは無理かもしれない。心臓の動悸が激しくなり、息が詰まりそうになってきた。コミック誌に目を落としたまま、声を絞り出す。

「ジャッキー、あの、驚かないで聞いてほしいんだけど……俺……」

「ヴァンパイア、なんだろ?」

 レイは顔を上げてジャッキーを見た。彼は柔らかく微笑んでいる。

「やっぱり気付いていたんだね」

「ああ。あの公園で君、テリーの傷を見ておかしくなっただろう? あの時、ほんの一瞬だけど長くて鋭い牙が見えたんだよ。見間違いかと思ってたんだけど、そうじゃなかったんだね」

「あの……」

 何を言えばいいんだろう。頭が真っ白になって何も言葉が浮かんでこない。そんなレイの戸惑いを汲み取ったかのようにジャッキーは言葉を続けた。

「心配しなくっていいよ。僕は誰にも言わないし、何もしない。だって僕達は友達じゃないか」

「ありがとう、ジャッキー」

「レイ、テリーには言うつもりか?」

「いや。だって彼はハンター志望だろ?」

「まあ、そうだね。そのほうがいい。で、やっぱり満月の日に人を襲うの? よかったら聞かせてくれないかなあ」

 レイは二日前のことをジャッキーに話して聞かせた。

「そうか……辛かっただろ?」

 レイは膝を抱え、唇を震わせて小さな子供のように泣き始めた。その肩にそっと手を回してジャッキーは呟く。

「大丈夫だよ、レイ。きっとすぐに苦しまなくても済むようになるさ」

 ジャッキーはレイの背中を優しく摩りながら唇の端に小さく笑みを浮かべた。

「あの……ジャッキー」

「何だい? レイ」

「苦しまなくても済むようになるって、それどういうこと?」

 レイは友人のその言葉が少し気になった。だが、ジャッキーはレイの不安を振り払うように即座に答えを返す。

「ああ。つまり慣れるってことだよ。これは本で読んだんだけど、ヴァンパイアは覚醒した頃は辛いけど、次第に吸血衝動をコントロール出来るようになるらしい」

「へえ。けっこう詳しいんだね、ジャッキー。興味ないって言ってたのに」

「一応、ああ言っておかないとまたテリーが別のハンターのところに行こうとか言いだすかもしれなかったからね。僕、ヴァンパイアには興味があるけれど、ハンターは好きじゃないんだ」

 ジャッキーは立ち上がり、しばらくするとタオルを持って戻ってきた。

「さあ、これで顔を拭けよ。酷い顔してるぞ、レイ。そんな顔で帰ったら君の母さんが心配するだろ?」

「そうだね。顔を洗ってくるよ」

 レイは差し出されたタオルを受け取ってバスルームに入った。勢いよく水を出して顔を洗い、鏡で顔を眺めた。泣きはらした目が赤くなっている。少し落ち着いてみると友人の前で泣いたことが恥ずかしくなった。それにいくら泣いたって人間に戻るわけじゃない。自分が惨めになるだけだ。レイはぎゅっと拳を握りしめた。


――俺がしっかりしなかったら、母さんは悲しむだけだ。

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