8、伝説の魔法使いフローラ
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オルフェが王国魔法師らに囲まれ、闘技場から運ばれて行くと、オービルと共に、それを見ていたフローラが、オービルの耳元でささやいた。
「さあ、王子。いよいよ、ここが決断の時だ」
その言葉に、オービルがフローラに顔を向けると、
「実を言うと、もしオルフェに私が苦手な回復魔法を今、施してたら、私は魔力切れになってた。でも幸い、オルフェは意識があるみたいだったから、それをせずにすんだ。だから、私には今、戦いに挑む最低限の魔法は残っている」
と言われ、オービスが改めてフローラを見ると、フローラがいつになく呼吸が速くなっていることに気がついた。そこでオービルが、
「フローラ様・・・」
と声を掛けようとすると、それを遮るようにフローラは言葉を続けた。
「いいかい、王子。パルスは、先鋒、次鋒と負け、あと一つ負けると敗北なんだ。そして私は、魔力を思った以上に消費している。今の私に、どれくらい魔力が残っているのかと言えば、次の試合に勝つかどうかは分からないが、うまいこと負けられるくらいの魔力は残っている。そして、それは、ここで私が負ければ、王子は試合を免れることができる、ということなんだ。どうだね、王子。私が、ここで負ける、というのは」
フローラの顔は、オービルがこれまで見た中で、一番厳しい顔だった。その瞬間、オービルの頭の中は、様々な思いでいっぱいになった。でも、悩んだのは一瞬だった。
「僕は、できれば試合がしたいです。負けてもいいから、自分の力を試したい。でも、フローラ様には、ケガをしてほしくない。フローラ様に身の危険が及ぶようなら、負けてもらっても構いませんよ。でも、僕は試合がしたいです」
オービルがそう言うと、フローラは一瞬、渋い表情を浮かべたが、すぐに笑顔に戻り、
「試合に出たいって、私に勝てっていうことかい。分かったよ。私の場合、これくらいのハンデがないと、相手がかわいそうだからね。無駄に生きて来た訳じゃない、ってとこ、見せてあげるよ」
と言うと、闘技場の中央に向って歩いて行った。
「パルス国、三峰、フローラ」
それから、すぐに、会場にリンドバの声が響いた。そして、すぐに、
「アルテス国、三峰、プトレマイオス」
折り重なるように、シュタインの声が響いた。
「あれれ、知らない間に、獣族も魔法を使うようになったの?でも、魔法で私に、本気で勝負しようと言うのかい」
会場から聞こえた、フローラの声に、オービルがアルテス側に目をやると、そこに立っていたのは、魔法使いのローブを身につけ、杖を手にした、恰幅のいい、男だった。歳は三十台くらいだろうか、プトレマイオスと名乗る、その男は、試合が始まるとすぐに、フローラの言葉には一切反応せず、何やら、つぶやきながら、地面に円を描くように、杖を振り回した。
すると次の瞬間、プトレマイオスが円を描く地面から、何かが飛び出して来た。空中に現れた、その物体の輪郭が、だんだんハッキリして来ると、それは、全身が白い毛で覆われた、小さな動物だった。
「あれは、イズン?」
思わず、オービルは、そう言ったが、それは確かに、一つ前の試合でフレイと闘い、フレイをかまいたちで切り刻んだ、イズンが変身した姿と同じだった。ただ奇妙なことに、アルテス側の席に、当のイズンは座っている。そして、さらに気になるのは、そのイズンが、その動物が現れると同時に、表情を歪め、目を伏せたことだった。
ピュー。
プトレマイオスの杖が地面をなぞるたび、砂がざらりと舞い上がり、観客席のざわめきが一瞬止んだ。
プシュ!プシュ!
すると、次の瞬間、風が裂けるような音が闘技場全体を震わせ、鋭いかまいたちがフローラへと襲いかかる。空気が切り裂かれる匂いは、鉄のように鼻を刺した。
だが、フローラの周囲に張られた透明の壁が、風を弾き返す。壁にぶつかった刃のような風は、ガラスを叩くような甲高い音を響かせ、観客の耳を痛ませた。フローラの髪が結界の反動でふわりと揺れ、頬に冷たい風が残る。彼女は息を整えながら、杖を強く握り直した。
すると、それを見ながら、プトレマイオスは、もう一つ、別の場所に円を描いた。その円から現れたのは、顔は獅子だが、背中には大きな羽根を持つ、見るからに狂暴そうな獣だった。獣の吐息は獣臭と血の匂いを混ぜ合わせ、闘技場の空気をさらに重くした。
その獣は現れるとすぐ、羽根を動かして、空 中に浮かび上がると、そのまま一直線にフローラに襲いかかった。その巨体が迫るたび、地面が震え、オービルの胸にまで振動が伝わった。観客は思わず口を閉ざし、乾いた唇に砂の味を感じながら息を呑む。
「かまいたちの間接攻撃に、グリフォンの直接攻撃とは、驚いたね。でも、いずれにしろ、当たらなければ、同じことさ」
フローラの声は、荒れ狂う風の中でも澄んで響いた。フローラがグリフォンからの攻撃を杖でかわしながら、そう言うと、プトレマイオスは少し後ろに移動し、再び、杖で円を描き始めた。
フローラはプトレマイオスに言い聞かせるように、言葉を投げかけた。
「一体、一度にどんだけ出現させるつもりなんだ。あんたの召喚魔法の魔力の多さは、認めるよ。でも、よく見たら、あんたが呼び出す獣、みんな死んでるじゃないか。死者をこんなことに使うなんて、あまり、いい趣味とは言えないね。仕方ない。苦手だけど、僧侶系魔法を使わせてもらうよ」
フローラは、そう言うと、杖を大きく振り上げ、
「トリスタン浄化」
と呪文を唱えた。呪文と共に、フローラを攻撃していた二つの獣は動きを止め、すぐに消えて光になると、空に向って飛び去って行った。
そこで初めて、プトレマイオスが言葉を発した。
「フローラか、さすがに伝説の魔法使いだけはあるな。でも、俺は知ってるぞ。あんたは、もうすぐ魔力切れさ。残り少ない魔力で、どこまで俺のしもべたちの攻撃に耐えられるかな」
プトレマイオスはそう言うと、先ほど彼が描いた三つ目の円から、今度は、バカでかい動物が、ゆっくりと姿を見せ始めた。
その動物の姿が、だんだんとハッキリしてきた時、フローラが声を漏らした。
「何だ、お前、ブラウンじゃないか。大猿族の王、草原の王と言われたブラウン、まさか、お前と、ここで再会できるとは、思わなかったよ」
ところが、頭の側から徐々に実体化したブラウンは、フローラの言葉に反応することなく、完全に姿を現すと、フローラに走り寄り、いきなりフローラにパンチを浴びせた。防御魔法で、パンチはフローラに直接、当たりはしなかったが、フローラは防御の透明の壁と共にそれによって弾き飛んだ。
「ブラウン、さすがに、凄まじい力だね。でも、かわいそうだね。操られているなんて。仕方ない、お前には、同じ僧侶系魔法でも、トリスタン浄化じゃなく、こちらを使わせてもらうよ」
弾き飛んだフローラは、体勢を立て直すと、再び、大きく杖を振り上げた。
「マリガレーマン解放」
すると、その呪文により、ブラウンの体が一瞬止まり、光を放った後、振り上げた拳を下ろした。
「ん?おお、フローラか。悪かったね。まさか、ここで再び、君に会えるなんて夢のようだよ。フローラ、君に助けられたのは、何度目かな。ありがとうよ。これ以上、死んでまで、恥をさらすことはなさそうだ」
動きを止めたブラウンは、そう言って、フローラにくしゃくしゃの顔で笑顔を見せると、くるりと踵を返し、今度は、プトレマイオスに向って歩き出した。




