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「よろしい、ならば決闘です」と令嬢は言った

作者: 鈴白

ルイザ・ディートリンデ伯爵令嬢は、ぱっとしない女生徒である。

引っ詰めた焦茶の髪、伏目がちな薄茶の瞳。魔術愛好会に所属し、ぱっとしない友人達と古い魔術や歴史書の話ばかりしている。しかしその内面は陰湿で横暴、婚約者と仲の良い女生徒に影で嫌がらせをしていると専らの噂だった。


「ルイザ・ディートリンデ!今日を持ってお前との婚約は破棄する!私に隠れてナターシャに非道を働いていた陰湿な貴様は、我が未来の妻に相応しくない!」

貴族学園の学生ホールで叫んだのは、オクタヴィオ・ファーガス伯爵令息。ルイザの婚約者だ。オクタヴィオの腕にはナターシャ・トルデ男爵令嬢がしがみつき、瞳を潤ませている。

「ルイザ様がオクタヴィオと仲の良いあたしを許せないのはわかります!でも、どうしても耐えきれなくて…」

突然の婚約破棄宣言。そして明らかに度を越えた親密さを見せるオクタヴィオとナターシャ。学生達の好奇心に満ちた視線がルイザに注がれる。


「婚約破棄については確かに承りましたが、非道とやらについては否定いたします」

「言い訳がましいぞ!ナターシャは俺に何もかも話してくれた。このか弱い女性の証言が何よりの証拠だ!」

ルイザは無表情のままするりと手袋を脱ぎ、オクタヴィオに投げつけた。

「よろしい、ならば決闘です」


学生ホールにざわめきが満ちた。


「ははっ、気でも触れたかルイザ!決闘なんて…」

「学園長先生に申し上げます。私ルイザ・ディートリンデは、正義の天秤を司る女神の名のもとに、私を侮り謂れなき罪を断じたオクタヴィオ・ファーガスに魔術決闘を申し込みます」

人だかりの奥から、立派な髭を蓄えた老人が進み出ると、重々しい口ぶりで告げた。

「許可する。三日後、闘技場において存分に撃ち合うがよい」


うおおお!と教職員席から叫び声があがる。

「魔術決闘!いいねえ、何年振りだ?」と叫ぶのは体育の主任教諭。

「わたくしが若い頃は学校生活の華でしたわよ。ひとりの乙女をふたりの魔法騎士候補が獲り合う、なんてこともあってねえ」と頬を染める教頭。

「やはり学園長としては、あの『許可する』っていうのをねえ、やりたかったんじゃよねえ」と学園長。

「こうしちゃいられませんよ。おい新聞部!決闘号外の準備だ!」と新聞部顧問の文学教師。

「決闘といえば賭けですよねえ、どっちに賭けますか」と持ちかける数学教師と経営学教師。


「何だこの状況は…」

目を白黒させるオクタヴィオに、ルイザとその友人である魔術愛好会の面々は、呆れてため息をつく。

「魔術決闘については、一年の直接魔法の授業で履修済みでしょう」

「まったく、若者の魔法離れは由々しき問題です」


この世界の魔法は、直接魔法と間接魔法に大別される。

杖や詠唱により、魔術師が対象に直接働きかける直接魔法。

魔法陣や術式を道具に仕込み、誰でも簡単に魔法の便利さを手にできる間接魔法。


この国の貴族はすべて魔術師であり、かつては貴族である魔法騎士達が直接魔法で人々を守り、魔獣や他国と闘っていた。

魔術決闘はそういった時代に端を発する、一対一の果たし合いである。

とはいえ、この四半世紀ほどで間接魔法の技術が飛躍的に向上し、今や直接魔法は貴族学園の基礎教養として学ぶ程度。オクタヴィオの困惑も当然といえば当然なのだが。


「では私への侮辱を詫び、決闘を棄権されますか?」

ルイザの言葉に、オクタヴィオが気色ばむ。

「だ、誰がそんなこと…!」

「オクタヴィオ様。私も貴方もこの国の貴族であり魔術師。誇り高くいきましょう。では三日後に」

ルイザはそう言うと、オクタヴィオ達に背を向けた。


「畜生、ルイザごときが…!」

オクタヴィオはぎりりと唇を噛んだ。普段は行かない図書室へ行き、必死で魔術決闘のルールブックを読み込む。

闘技場での一対一での果たし合い。助太刀無用の真っ向勝負。使う魔法に制限はなく、殺しさえしなければどれだけ痛めつけてもお互い様──

ファーガス家は由緒ある魔法騎士の家系だ。オクタヴィオも筋肉や腕力には自信があった。一年生の頃の直接魔法の授業も、成績はさほど悪くない。

これは案外いけるかもしれない、と彼は思った。

オクタヴィオはルイザが疎ましかった。ぱっとしないくせに、オクタヴィオを立てようとか、気に入られるために努力しようという風情すら見せない生意気な婚約者。

ナターシャと付き合うようになって、その思いはますます強まった。ナターシャはミルクティベージュの髪に青い瞳を持つ笑顔の可愛い美少女だ。何かにつけて「オクタヴィオ様はどう思う?」と聞いてくる健気さがたまらない。見た目も趣味も交友関係も、オクタヴィオの意見を悉く無視するルイザとはまるで違う。友人達の評価だってナターシャのほうが俄然いい。ナターシャと共にルイザの悪評を流して外堀を埋め、皆の前で婚約破棄を宣言し、晴れてナターシャとの関係をオープンにできたと思ったら、カビの生えた決闘とやらを持ち出すとは。

「まあいいさ。あの生意気な女に吠え面かかせてやれると思えば、悪くない」

オクタヴィオはにやりと笑うと、直接魔法の授業以来使っていない杖を取り出した。


三日後。

「ほらどいた!飲み物はこっち、ポップコーンは向こう側だよ!」

「新聞部の決闘特別号はこっちだ!ディートリンデとファーガスの最新の成績表も載ってるぞ!」

「賭けをしたい奴は数学のホーマー先生に声をかけろ!」

闘技場はすっかりお祭り騒ぎである。オクタヴィオもまた、この雰囲気にすっかり乗せられていた。

「オクタヴィオ!あの生意気な地味女に一泡吹かせてやれ!」

「当たり前だ。俺に歯向かうとどうなるか、目に物見せてやらなきゃなあ」

「そう来なくちゃ!」

悪友たちに囃し立てられ意気揚々のオクタヴィオ。一方でナターシャは浮かない顔をしている。

「ねえ、どうしてもやらなきゃダメ?せっかく婚約破棄になったんだし、もうこれ以上は」

「ナターシャ。君の優しさは美徳だけど、ああいう女は堂々と懲らしめてやらなきゃ」


オクタヴィオは上機嫌だった。可愛いナターシャの前で、生意気で身の程知らずの悪役をぶちのめす。三日間何度も反芻したその妄想が、とうとう現実になるのだ。


「ごきげんよう、ファーガス伯爵令息」

人垣の中から現れたルイザは、紺を基調に白いラインの入ったジャケットを着ていた。白のトラウザーにブーツを合わせ、手には美しく磨かれた無垢の木の杖。

その姿に教師陣が沸き立つ。

「あれは第八十二代魔法騎士団の隊服の配色じゃないか?」

「学園長先生が総代を務められたという、あの伝説の?彼女、それを模した服を選んだのか」

「いやぁ痺れるね、魔術決闘冥利に尽きる」

ルイザは教師陣に向かってにっこり微笑むと、オクタヴィオに向き合った。

「では改めて。正義の天秤を司る女神様の名の下に」

学園長が右手で天を指す。

「いざ尋常に、勝負!」


先に叫んだのはオクタヴィオだった。

業火(フレイム)!」

炎が渦を巻きながらルイザに向かってくる。ルイザは杖を軽く振った。

疾風(ラファール)

巻き起こった風で炎がオクタヴィオに跳ね返った。オクタヴィオは慌てて防御魔法を唱える。

「危ないじゃないか!」

「決闘ですから」

ルイザは平然としている。

「では行きますよ、雷撃(エクレール)!」

防御(デファンス)!」

オクタヴィオはどうにか防御魔法を唱えるが、攻撃までは展開できない。疾風と雷撃がひっきりなしに彼へと襲いかかる。

ルイザの冷静で手数の多い攻撃に、観客からの歓声があがる。

オクタヴィオへの声援は「もっとしっかりやれよ」という野次ばかりだ。

(クソッ、お前らだって直接魔法なんか碌に勉強してないだろうがっ…)

オクタヴィオは内心毒づく。魔術決闘の決着はまだついていないが、この場の主役は明らかにルイザだった。


「…っ、はあ、貴様…!」

「ほらほら、守ってばかりでは勝てませんよ」

ルイザが楽しそうに煽る。


(こいつ、こんな女だったのか…?!)

オクタヴィオはぜいぜいと息を切らしながら、目の前の元婚約者を凝視した。地味で冴えない変わり者が、こんなに楽しそうに笑うとは。面白みのない薄茶の瞳が燃えるように煌めくとは。


気づけばオクタヴィオは壁際に追い詰められていた。

芽吹(ジュルーム)

ルイザが詠唱すると、壁から蔦がするすると生えてオクタヴィオの脚に絡みつく。

「なっ…?!おい、卑怯だぞ」

「これは決闘ですから」

ルイザはそう言うと、ゆったりと杖を構える。その目はぎらぎらと猛禽類の輝きを宿していた。


殺る気だ、とオクタヴィオは思った。

周りには教師達も控えている。回復魔法の得意な養護教諭もいる。オクタヴィオが死ぬ確率は、おそらくとても低い。

だがルイザは殺る気なのだ。魔術決闘は一対一の真っ向勝負。どれだけ痛めつけても恨みっこなしの果たし合い。


オクタヴィオは心底ぞっとした。

死ぬのは嫌だし、死ぬほど痛いのも怖いのも嫌だ。


「おい、よせ!ルイザ、悪かった!俺もナターシャも、お前が悪いことにすれば丸く収まるって、本当それだけだったんだよ!」

「魔術決闘に言葉は無粋です。小火(アリュメ)

ルイザの詠唱で、オクタヴィオに絡んでいた蔦に火が付く。オクタヴィオは情けない声をあげて尻餅をついた。ちろちろと燃える赤い火に、燃え広がるほどの勢いはない。だがオクタヴィオは、その火にすら冷静に対処できなくなっている。


もはや魔術決闘の勝敗は明らかだった。


「そこまで!」

学園長の声が響く。

「この魔術決闘、オクタヴィオ・ファーガスの戦意喪失により、ルイザ・ディートリンデを勝者とする。双方異論ないな」

「はい。学園長先生の公正な審判に感謝いたします」

ルイザはそう言って、オクタヴィオにちらりと視線を向ける。オクタヴィオは足をばたつかせながら火を消そうと躍起になっていた。

ルイザは小さくため息をつくと、シュッと軽い音を立てて杖を振る。

降雨(プルヴォワール)

ばしゃりと水がかかって火が消え、残されたのは濡れ鼠で尻餅をつくオクタヴィオ。

「まったく、もう少し手応えがあるかと思いましたのに」

「…貴様っ…」

「ディートリンデ伯爵令嬢、とお呼びください。それではナタリー様?でしたっけ。可愛らしいお嬢さんとお幸せに。ほらナタリー?さん、助けにきてあげなくていいんですの?」

ルイザが客席のナターシャを煽る。ナターシャは「うわっダサ…無理無理」と呟くと、すたこらと闘技場の客席から逃げ出した。どうやら負けた恋人に寄り添い慰める気はないらしい。

「まあ」

ルイザは軽く肩をすくめると、観客達の「ルイザ!ルイザ!」と叫ぶ声に右手を挙げて応えた。


◇◆◇


ルイザ・ディートリンデはおじいちゃん子だった。

祖父は幼いルイザに、若い頃の武勇伝を沢山聞かせてくれた。魔法騎士達が己の腕で闘い、のし上がった時代のことを。祖父とはよく狩りにも行った。獲物を仕留めて火を起こし、水を浄化し料理を作る。その直接魔法の手際の良さに、ルイザは目を輝かせた。

「間接魔法や魔道具は確かに便利だよ、ルイザ。わしだって魔道具のない暮らしは考えられん。だが、だからこそわしらは魔術師の誇りを忘れちゃならん」

それが祖父の口癖だった。

祖父を愛し、祖父の教えてくれた直接魔法を愛したルイザ。貴族学園では直接魔法や古い魔法を愛する仲間もでき、毎日楽しく過ごしていた。

ただ、婚約者のオクタヴィオには辟易としていた。オクタヴィオはルイザの見た目や交友関係や趣味を扱き下ろす。そのくせ「家の決めたつまらない婚約者」ルイザを、友人関係や女遊びの踏み台として利用するのだ。

ルイザの祖父とオクタヴィオの祖父は魔法騎士時代の同期。そのよしみで婚約者になったとはいえ、祖父達も「気に入らなければやめていい」と言っている程度の約束だ。婚約破棄でも撤回でも望むところだと伝えてきたが、まさか根も葉もない「非道な行い」とやらでルイザを糾弾し、学校の真ん中で婚約破棄を宣言するとは。

婚約破棄は構わない。とはいえ、ないことばかりでっちあげ、ルイザの名誉を好き放題に貶めるのはいただけない。


「最初は案外やるんじゃないかと思ったのだけど、とんだ見当違いだったわ」

強ければぶちのめし甲斐もあったというのに…とルイザが呟くと、テオフィル・ロイドベルクがくすくす笑った。テオフィルはルイザと同学年。今月から魔術愛好会の部長になったばかりの侯爵令息だ。

「そりゃ無茶だ。毎日直接魔法の鍛錬をしている君に、そう簡単に勝てるわけない」

「でも直接魔法は必修科目だし、運動神経も悪くないし、由緒ある魔法騎士の家系の出なんだから、もっと手応えがあると思ったのよ」

オクタヴィオは魔術決闘の後、祖父に特大の雷を落とされたらしい。婚約破棄はともかく、名誉あるファーガス家の跡取りが骨の一本も折らずに戦意喪失で負けたことに、ご隠居はカンカンだったとか。オクタヴィオは祖父に引きずられるように領地へと戻り、直接魔法の特訓という名のしごきを受けているそうだ。

ナターシャとオクタヴィオは結局別れたらしい。無様な負け方をしたオクタヴィオにナターシャが愛想を尽かしたものの、まがりなりにも闘った男に寄り添うどころか簡単に見捨てたナターシャの評判もガタ落ち。男子生徒から「いくら可愛くてもああいう女子は願い下げ」と言われ、小さくなっているらしい。


「ところで先生達も、直接魔法のカリキュラムを見直すらしい。次代を担う若き魔術師達があまり軟弱なのはよろしくないそうだ。魔術愛好会にも意見を聞きたいってよ」

「ふうん」

「喜ばないの?」

「直接魔法を好きになってくれる人が増えるのは、いつでも大歓迎なんだけど。でも騒がしくなるじゃない」

魔術決闘以来、ルイザはちょっとした有名人だし、魔術愛好会は注目の的になっている。入会希望者の増加は嬉しいが、学園の片隅でひっそり研究したり、直接魔法を撃ち合い鍛錬する日々が性に合っていただけに、ルイザとしては少々複雑だった。


「ただでさえ学年があがって忙しくて、テオフィルとなかなか手合わせができないのに…」

ルイザが呟くと、テオフィルが軽く咳払いをした。

「じゃあ、休みの日にうちのタウンハウスで手合わせする?」

「ロイドベルク侯爵邸で?」

「うちの屋敷なら手合わせの場所はいくらでもあるし。ルイザも今は婚約者がいないんだから、遠慮する必要もないかなって」

ルイザが薄茶の瞳をぱっと輝かせた。テオフィルはそれを見て「よしっ」と小さく拳を握りしめる。


それから毎週末、ルイザはロイドベルク侯爵家へと訪問することになった。直接魔法の鍛錬と、その後のお茶会。そのうちにすっかり家族ぐるみで親しくなり、ルイザが次期ロイドベルク侯爵夫人と見做されるのにさほど時間はかからなかった。

ちなみにロイドベルク侯爵家の先代は、ルイザの祖父が慕っていた魔法騎士団長。ルイザとテオフィルの結婚はオクタヴィオと縁づく以上の祖父孝行にもなった。

直接魔法は「競技」として貴族の間で権威を取り戻すのだが、その功労者としてロイドベルク侯爵夫妻の名は讃えられることとなる。

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