表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ラークスパーの花束を  作者: 柊 こはく
第一章 騎士の使命と疑念
7/17

第6話 静かな夜

挿絵あり

 食後、皆で片づけを終えた頃には、外はすっかり夜の帳に包まれていた。


 セイはシエルに手を引かれ、再び居間で絵本を読んでいた。

 やがてページをめくるたびに、隣のシエルはうとうととまぶたを落とし、ついにはセイの肩にもたれかかって眠ってしまった。


「ヴァンク、シエルが寝た。」


 セイにそう言われ、シエルを抱き上げようとしたが、彼女はセイの服をしっかり握ったまま離れようとしなかった。


「……参ったな」


「あらあら、シエルは本当にセイちゃんのことを気に入ったのね」


 そんな二人をみて母は口元に手を当てふふっと笑う。


「……ここで寝ようか?」

 そう言いながらシエルの頭を優しく撫でる。


「ベッドで寝た方がいいわ。ヴァンク、二人まとめて運べそう?」


「ああ、わかった。少し、失礼する」


 ぱちくりと目を瞬かせるセイと、ぴったりとくっついたままのシエル。二人をそっと抱きかかえる


「……すごい、力持ち」

 セイは驚いたように目を丸くしながら、恐る恐る俺の肩に手を添える。その手は小さくて、驚くほど軽かった。


「さすが毎日鍛えてるだけあるわね。おやすみ、セイちゃんまた明日ね」


 ひらひらと手を振る母へセイも同じように手を振る。


 俺はそのまま二階へと上がり客間へとはいる。

 一度シエルを離そうとしたが、少しでも動かすと「やーっ」と声を上げて、さらにセイにしがみついてしまう。


「すまん、シエルが離れそうにない……今日はこのまま一緒に寝てもらってもいいか……?」


「いいよ」


 客間の扉をそっと閉めると、部屋の中には、虫の音と風の気配だけが静かに残った。

 シエルはセイにぴったりとくっついたまま、すやすやと寝息を立てている。その小さな寝顔を見下ろしながら、セイは毛布の端を整えた。


「よく眠ってるな」

 俺がそう声をかけると、セイは小さく笑って頷いた。


「本を読みながら、何度も目がとろんとして……最後のページをめくる前に、こてんって」


「……こいつ、絵本の最後まで聞いた試しがないんだよな」


挿絵(By みてみん)


 俺は部屋の壁に寄りかかりながら、ゆるく腕を組む。灯りは落としていたが、窓からの月明かりが淡く床を照らしていて、部屋の空気はどこか落ち着いていた。


 セイはシエルの手を優しく取ったまま、そっと俺の方を見た。


「……今日はありがとう」


「気にするな。これが騎士である俺の仕事でもある」


 そう言うと、セイは小さく「ふふ」と笑った。月明かりがその頬を優しくなぞっていて、その表情は昼間よりも少しだけ大人びて見えた。


「この家、あたたかいね。空気も、人も。すごく……落ち着く」


「そうか?」


「うん。風の音もやさしい」


 風……。やっぱりセイは風に敏感だ。

 その言葉に、俺の意識がふと過去へと引き戻された。

 こんなふうに、夜の静けさの中で風の音を感じていた時間が、かつてにもあった。


 まだクレールがいた頃。

 アイツはよく、風の気配を感じては、なにかを言いたげに空を見上げていた。


『風は、どこまでも自由に行けるんだよ』


『ぼくも、そうなれると思う?』


 夕暮れの丘の上、隣に並んで座って、そんな話をしたっけ。


「……クレールっていう幼なじみがいたんだ」


 ぽつりと、思わず口に出していた。

 セイは驚いたように目を瞬かせたが、何も言わずに続きを待っていた。


「昔、よく風の話をしてた。……あいつ、風を読むのが得意だったんだ。どこから吹いてくるか、どこへ向かってるか――何もない空を見て、感じ取ってた」


「……風と、話してたの?」


「そんなふうに見えたよ。……不思議なやつだった。動物にも好かれてさ。そういう自然と会話ができる特別な人間なんだろうな……でも、ある日、突然いなくなった」


 風が、どこか遠くへ連れ去ってしまったように。


 セイは少しだけ視線を落として、窓の外の夜空を見やった。月明かりが髪を照らし、草花の髪飾りがほのかに揺れる。


「その子を……探してるの?」


「ああ。……きっとまだ生きてる。あいつは、風に守られてるはずだから」


 それは祈りにも似た言葉だった。


 風に守られている――だって、あいつの力は風の女神様から授かったものだから……


 月明かりの部屋に沈黙が落ちる。


「……じゃあ、今日助けてくれたのは、その子を助けられなかったことを後悔してるから?」


 ふいに、セイがこちらを見つめてそう訊いた。

 そのまっすぐな瞳に、俺は少しだけ言葉に詰まる。


「それも……あるかもな。でも、それだけじゃない。……困ってる人がいるなら助ける。ただ、それだけのことだ」


「そっか」


 セイは微笑む。そして、俺が思っていたよりずっと自然な仕草で、シエルの頭を撫でた。


「……ねぇ、ヴァンク」


「ん?」


「もし……風が声を持っていたら、どんなふうに話しかけてくると思う?」


「……難しいな。でも、きっと――」

 少し考えて、俺は言った。


「……『また会えたね』って、言うかもな」


 セイは目を細め、風の音に耳を澄ませるようにしていた。


 そして、まるでその言葉に返すかのように――

 外の庭を、ひときわ柔らかな風がふわりと通り抜けた。


 セイが風に耳を澄ませたまま、しばらくの沈黙が続いた。


 その間、俺は黙って二人を見守っていた。

 シエルの小さな寝息と、月明かりが揺らすカーテンの影が、静かに時を進めていく。


 ふと、セイがこちらを向く。


「……おやすみなさい、ヴァンク」


 囁くような声だった。けれどその声は、はっきりと心に届いた。


「おやすみ。……ゆっくり休め」


 俺がそう言うと、セイはこくりと頷いて視線を落とす。シエルの髪をそっと撫で、横たわるようにベッドに身を沈めた。


 扉を静かに閉じようとすると、背中に小さな声がかかった。


「……ねぇ」


「ん?」


 振り返ると、セイは布団の中からこちらを見つめていた。


「……あなたの探してる人。きっと、また会えるよ」


 その言葉に、不意を突かれたように心がざわめいた。


「……そう思うか?」


「うん。風がそういってる。風はね、どこにだって行けるから」


 それは慰めでも、気休めでもなかった。ハッキリと断言をしたセイもやはり"特別"なのだろう。

 

 俺は、ただ一言だけ返す。


「……ありがとう」


 そうして静かに部屋を出た。


 廊下を歩きながら、ふと気づく。

 胸の奥、ずっと押し込めていた痛みが、少しだけ軽くなっていることに。

 あの日、失った幼なじみ。

 自分よりも繊細で、けれど強い心を持っていた少年。


 クレール。


 お前がいなくなってから、ずっと俺は答えを探していた。

 何をすれば、どこへ行けば、お前を見つけることができるのか――。


 でも、今夜だけは。

 セイと、シエルと、母と過ごしたこの時間だけは。

 昔の感情を思い出させてくれた。


 自室へ戻り、ランプの灯りを落とす。

 窓の外を見やれば、風がそっと揺れている。


 お前もどこかで、こんな風に空を見ているだろうか。


 俺の声が風に乗ってお前に届いたらいいのに。

 こんな願いを込めて、静かに目を閉じた。


 今夜は、風の音が、やけに優しく聞こえた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ