第9話 教会
「それにしてもさ、ヴァンクって意外と……小さい子の扱い、慣れてるんだな」
教会への道すがら、エリックが興味深そうに俺の横顔を覗き込んでくる。
「妹がいるからな」
「え、マジか! 実は俺も妹いるんだよなー。もうめっちゃ可愛くてさぁ……」
懐かしそうに目を細めるエリック。つい笑ってしまいそうになるほど、顔が緩んでいる。
「都市から離れた場所の出身だったよな。今も会えてないのか?」
「んー、まぁな。こっちで騎士になるって決めたから、しばらくは我慢だ。でもさ、次に会えたらさ……思いっきり甘やかすつもりだよ」
セイに目を向けた一瞬、エリックの表情にわずかな翳りが差す。
――けれどすぐに、いつもの軽い笑みが戻っていた。
「――着いたぞ。セイちゃんの探してる人、見つかるといいな」
優しく頭を撫でて、エリックは先に教会の扉をくぐる。
彼が中に入ったのを見届けてから、俺はセイに小声で囁いた。
「……セイ、まずは“同行者を探している”っていう体で話を聞く。ついでに、教会の仕事や風の様子に興味があるって振る舞えば、話を引き出せるかもしれない」
「わかった」
いつも通りの調子でそう答え、セイは俺の手を引いて歩き出す。
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ステンドグラスから差し込む淡い光が、礼拝堂の床に色とりどりの影を落としていた。
だが、そこにあるはずの“清浄な気配”は、どこか薄い。
教会の奥へと進むと、エリックが既に司祭と話を通してくれていたようで、応接室へと案内された。
中にいたのは、品の良い装いのサスマン政務官と、上位司祭であるジェイド司祭。
その目には、どこか……信仰ではない“何か”が宿っているように感じた。
「教会の状況に、お変わりはありませんか?」
エリックが形式的に尋ねる。巡礼の護衛や国との連携確認――この訪問も、騎士団の定期的な業務の一つだ。
やり取りが一段落した頃、ジェイド司祭がセイに目を留めた。
「その少女は……?」
視察にしては場違いな姿に、不審げな視線を向ける。
「申し訳ありません。昨日の災害で同行者とはぐれてしまったそうで、情報を集めるため同行させております」
背筋を伸ばし、穏やかに説明する。
「ふむ……そういう事情ならば、教会内の者にも確認しておきましょう」
「ありがとうございます」
頭を下げると、隣にいたサスマン政務官がやや芝居がかった調子で言葉を添えた。
「昨日の災害では、騎士団の皆様が迅速に対応くださり助かりました」
「いえ、職務を全うしただけです」
そのときだった。
「……みんな、女神様が怒ってるって言ってた。本当なの?」
セイが、少し幼さを混じらせた口調で問いかけた。
俺と話すときとは違う、“子供らしい顔”を見せている。
「そんなことはありませんよ。女神様はこの国を守ってくださっているのです。私たちも、怒らせるようなことなど何一つ――」
ジェイド司祭がやや早口に否定する。
セイは黙ったまま、俺の袖をぎゅっと掴んだ。
「風の神フルーヴェンへの祈りは、今も民の支えです」
微笑むジェイド司祭は続ける。
「とはいえ、信仰というのは“形”がなければ意味をなしません。行事の整備や供物の管理は、神への敬意を示す手段ですから」
“形”……?
心の中で、その言葉が引っかかる。信仰とは、心に宿るものではなかったか――。
すると、サスマン政務官が口を開いた。
「神は象徴で十分。民がそれで安心し、統治が円滑になるならば、それ以上の信仰は要らないでしょう」
その言葉に、背筋がうっすらと冷たくなる。
「ともかく、今後は安心を取り戻せるよう尽力いたします。それは教会も、騎士団の皆様も同じ思いでしょう」
緑色の目を狐に細めるこちらを見るジェイド司祭に、俺は一言だけ返した。
「……ええ、民を守るのが、騎士の務めです」
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応接室を出てから、エリックがセイに顔を向ける。
「じゃあ、俺はこのへんで人に聞いてみるよ。セイちゃんと一緒にいた人、どんな感じ?」
「……私と同じ髪色と目。あと……すごく、うるさい」
「う、うるさい?元気な子ってことかな……?よし、とにかく聞いてくるわ!」
パタパタと駆け出していくエリックを見送り、俺とセイは再び教会内を見渡した。
ふと、奥の礼拝堂が目に入る。
神聖な空間のはずのそこでは、若い修道士たちが儀式の準備を機械のように進めていた。祈りは形だけ――そこに心は宿っていなかった。
胸の奥に小さな違和感が芽生える。
俺は自然と、教会の裏手――かつてクレールと何度も訪れた、古い礼拝室へと足を向けていた。
古びた祭壇。風の紋が彫られた聖具。かすかな埃の匂い。
「……ここだけは、まだ風が残ってる」
目を閉じると、頬を撫でるような微かな風が、確かにそこにあった。
ちらりと隣を見やると、セイがそっと手を上げ、風を探るように動かしていた。
俺の視線に気づいたのか、彼女はすぐに手を下ろす。
「……風の声が、きこえない」
ぽつりと落とされたその声は、石壁に静かに反響した。
――やっぱり、何かが、おかしい。
セイの言葉と、司祭たちの言動。
それは俺の中にあった信仰の輪郭を、静かに、でも確かに揺るがしていた。
風は、女神は、本当に今もこの国を見ているのだろうか――。