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玉は砕けず、花は散らない。今はまだ、

作者: あおたん

 

 

 今この瞬間が耐え難いほど辛い訳では無いけれど、只、生きていくことが苦痛で仕方がない。

 早く時間が過ぎ去ってほしいと思いながら、心底、明日が来るのを恐れている。

 自ら首を括る勇気もないくせに、日々、命の終焉を心待ちにしている。


 そんな人間は割と多いと思う。私もそんなありふれた人間の一人だった。


 そう、だった。あの日までは。



 ***


 車窓の景色は雪模様。断頭台に向かう馬車の外は季節外れの雪が降っていた。

 天を仰ぐ朱と白の木蓮の花は綿帽子を被り、細い枝は折れそうなほどに撓んでいる。苔生した岩肌も、花咲き乱れる並木道も、全てが雪で覆われ、暖かな春の日差しを忘れさせるかのような冷たい空気が大地を支配していた。


「イリア、今日はお前の刑が執行される日だ」


 外の景色を眺めていると、静寂を保っていた車内にカイエンの声が響いた。

 にやにやと不快感を覚えるような口元に、舐め回すようなじっとりとした紫目。私を断罪したあの時と同じように彼の顔は嗜虐心に歪んでいる。


「ええ、そうね。カイエン」

「何だ、ずいぶんとさっぱりしているな。死を恐れていないのか」


 私が静かに答えると、彼は不満そうに眉を顰めた。自分でこうなるように仕向けたくせに。恐れていないのかなどと、どの口が言えるのだろうか。思わず乾いた笑い声が漏れる。


「恐れるも何も、私に決定権などありませんし。足掻いたところで何も変わりませんので」


 それに、あなたと生きていく苦しさに比べればこのほうが幾分か楽だわ。そんな言葉を飲み込み、私は視線を彼から窓の外へ戻す。車輪が付けた轍は降り積もる綿雪によってかき消され、何処から来たのかも分からなくなるほどに一面は白で埋め尽くされていた。


「そうやって泣きもせず喚きもせず、お前は本当につまらない女だな」

「ええ、まあ。そうかもしれないわね」


 彼は幾度と無く私に告げてきたその言葉をまたしても口にする。微笑を浮かべ、その言葉を肯定すると、彼はため息を漏らし私と同様に窓の外に視線をずらした。


「まあ、つまらない、何もない女だが、潔い所ぐらいは認めている」

「ああ、そう」


 何を今更。鼻から息が漏れそうになるのを堪え、返事をする。自身の罪悪感を慰めるようなそんな言葉に取り合ってあげるつもりはない。


 私に興味を無くしたのか、それとも言いたいことを言って満足したのか、彼はその言葉を期に黙り込んだ。





 私─ランベール王国の王女、イリア・ランベールと彼─アーデント王国の王子、カイエン・アーデントは元々婚約者だった。


 隣国どうしの王族が一同に会し、交流を深める年に一度の夜会。そこで彼と私が出会ったのは10年前。私達が8歳を迎えた頃の事だった。

 婚約の申し出は彼からで、ランベール王国は一も二も無く飛びついた。数年前に国王が死に絶え、没国間近とも思えた当時のランベール王国にとって、絶大な国力を誇るアーデント王国からの提案は正に天から差し伸べられた救いの手だったのだ。


 私を手に入れられるのであれば、軍事力も、物資も、食料も、人手も支援しよう。彼の放ったその言葉通り、アーデント王国の助力によってランベールの痩せた土地は潤い、国民が諸外国からの侵略に怯えることは無くなった。農作物も枯れること無く立派に実り、アーデント王国との貿易によって得た葡萄を熟成して造られたワインは今ではランベール王国の特産品となっている。財政難に頭を抱える事も無くなり、彼と私の婚約によってランベール王国には安寧がもたらされた。


 その代わり、私の人生は彼のものとなった。

 彼が私を選んだ理由。それは単純に私の容姿を気に入ったからだった。世にも珍しい白銀の髪と藍色の瞳。私の風貌を物語から出てきたような麗しいお姫様だと、そう称した彼は私を手に入れようと躍起になった。私を手に入れられるのであれば支援をする、手に入れられないのであれば攻め入ることも辞さない。その言葉は私にとって脅し文句以外の何ものでもなかった。

 カイエンを溺愛する現アーデント王はそんな彼を咎めることを一切せず、ランベール王国もアーデント王国に抗えるような国力は持ち合わせていなかった。そんな大きすぎる権力を前に私は成す術も無く彼の婚約者に成り下がった。


 勿論、いくら強制された婚約であろうと長年連れ添うことになる相手。だからこそ、良好な関係を築こうと、彼を愛そうと努力してきた。

 しかし、そんな私の尽力も虚しく移り気な彼はすぐに私に興味を無くした。興味を無くしたのであれば私を手放せばいいものを彼は一度手にしたものを手放せない愚かな人間だった。手放せない代わりに感情の起伏が乏しい私のことをつまらない女だと揶揄し、常に女性を侍らせるようになった。

 学園に通えば複数の女性と恋仲になった。王宮に務める貴族令嬢の使用人に気紛れに手を出した。隠れて情事を済ますだけでは飽き足らず、有ろうことか彼は彼女らを引き合いに出し私を詰り続けた。


 だけど、どれだけ彼に横柄で横暴な態度を取られようとも、支援を受けたランベール王国を鑑むに抗うことは恐ろしくて出来なかった。彼との関係にヒビを入れるような重大な決断をすることは憚られた。


 常に向けられる彼の非難の目と、私を罵る言葉達。ただ黙って耐えるだけの毎日。この日々がいつまで続くのか、想像すると怖くて怖くて夜も眠れなかった。今が辛くて、でも明日も怖くて。

 それは私を徐々に、しかし確実に苛んでいった。だけどもう、こんな日々も今日で終わりだ。


 私の命がこと切れる時、私はこの苦しみから解放される。

 あの日。彼が私を陥れ、断罪した夜。私の心に宿った感情はこの日々が終わることへの仄暗い喜びだったのだ。





「おい、おい。イリア、着いたぞ」


「ええ。わかったわ」


 カイエンの声に起こされ目が覚めると、すでに馬車は停車していた。

 板を無造作に並べられただけの馬車で寝入るものではないと今更ながら思う。変な姿勢で寝てしまったせいか、脇腹が痛みで悲鳴を上げていた。それは生命維持のため、防衛のために生き物に平等に備え付けられた感覚。痛みなぞ感じたところで死ぬことは確定しているのに、身体は無為にも生を求めて活動し続ける。


「お前が花と散るときだ。元婚約者として確と見届けよう」


 横っ腹を抑え、顔を歪ませていると彼と視線が合わさった。浮かべる表情はやはり、したり顔だった。




 ***




「イリア。あなた、今日は一段と綺麗ね。凄く似合っているわ」


 馬車から降ろされると、私の元侍女であり、私の刑が決まってからカイエンの婚約者となったアリサ・アルバーニ伯爵令嬢が駆け寄ってきた。カイエンと二人で謀ったことを歯牙にも掛けず、彼女はにこやかに話しかけてくる。


「そうかしら」


 私が平穏を保ったまま返事をすると、彼女は僅かに口元を歪ませた。


 断頭台に上がる罪人は、最期を美しく迎えられるよう、せめてもの情けとして華やかな装いが許される。そんな習わしが古くからあった。

 その慣習に倣い、今の私が身につけているのは純白のドレス。首元には藍玉と翠玉をあしらった首飾りが光を放っていた。罪人を示す手首の錠とそれらは不釣り合いで、大きな違和感を抱かせる。


「ええ。この雪も、その錠も、罪を犯したあなたが玉と砕ける今日という日にぴったりよ。白い髪に、白いドレスに、白い大地。それがあなたの真っ赤な血で染まるの。きっと綺麗だわ。ああ、想像しただけでゾクゾクするわね」


「ああ、そうなのね」


 私の変わらぬ態度に彼女の眼光は小さく光る。途端、笑い声をあげた。

 不気味な声を上げる彼女は紛れもなく私の侍女を務めていたアリサそのものだった。




 アリサが私の侍女となったのは、カイエンとの婚約が決まった日のことだった。

 する訳も、気力も無い私の浮気を心配した彼が自国から用意した侍女。それが彼女だった。

 私の家に来た日から彼女は自身の歪みを包み隠すことはしなかった。カイエンへの恋心を婚約者である私に語り、私への敵意をむき出しにする。事あるごとに私への妬み、嫉みを口にし、おまけに手癖も悪い。彼女の挙動には手を焼いたが、かといってカイエンが用意した侍女を変えることも出来なかった。


 そうして10年の時を経た彼女は妖艶な女性に成長を遂げていた。艶麗な体躯と、整った顔立ち。カイエン好みの女性に育った彼女は、私への心などとうに無くなったカイエンと距離を縮めるのにそう時間はかからなかった。私が公務に勤しんでいる最中、二人は関係を深めていったのだ。


 きっと手放す位ならば殺してやろうなどと馬鹿な事を思ったのだろう。私を煙たがった二人は逢引きを繰り返す中で私を嵌めようと画策していた。カイエンの浮気なんて日常茶飯事だったから、そんなことになっているとは露知らず、私はまたかと呆れ半分で彼らを放置した。


 その結果、あの夜会でまんまと嵌められ、断罪されることとなったのだ。


 16の年になったあの日、開かれた夜会。

 新たな繋がりを持とうとした王族たちが親睦を深め、自国の優位性を暗に示す。またあるいは、王族同士が各国の特産品を持ち寄り、貿易の裾野を広げようと弁舌をふるった。

 ランベール王国で造ったワインが配られ、皆がそれを口に含もうとしたその時、カイエンの怒声にも似た大声が会場中に木霊した。

 飲むな。毒が入っている。そう叫んだ彼が手にしていたのは黒く染まった銀の匙で、私に鋭い視線を向けていた。悲鳴が響き、気付けば私は罪人として取り押さえられていた。閉ざされた口では弁明する余地も無かった。きつく押さえつけられたせいで呼吸もままならなくて、苦し紛れに身体を動かせば抵抗と捉えられ殴られる。涙の滲んだ視界でどうにかカイエンを捉えれば、人知れず彼は笑みを浮かべていた。


 彼の笑顔を見た瞬間、ポキッと乾いた響きで、心が折れる音がした。それは実際、肋骨の折れる音だったのだけれど、痛みよりも先にやってきたのは“もうどうでもいいや”という諦めの感覚だった。

 抵抗する気力も、息を吸うための余力も無くなった。生きていくための活力を失い、明日を考えなくて良くなった。諦めは同時に私の心を軽くもさせた。


 死を受け入れてから、話は急速に展開していった。審問会に掛けられ、私の処刑が決まった。抗議することも出来ず、私自身、生への執着を失っていたから、私が断頭台に上がることは容易に決定した。錆びれた牢の中、私は一人、死への希望を募らせ今日、やっとこの人生が終わる。



 ***



 観衆はすでにひしめき合い、私の処刑劇を今か今かと待ちわびているようだった。各国から罪人を裁くためにと召集を受けた役人の一人が、私の錠に繋がった紐を乱雑に引っ張る。その強引さに私は足を縺れさせながら断頭台へ続く階段を上る。最後の段に積もった雪に足を取られ、私は台の上で不格好に転んだ。掌は血液で赤く染まっていく。

 降る雪の冷たさは容赦なく私体温を奪っていった。私はさながら各国の王族を死に追いやろうとした重罪人。顔を上げると、私に向けられる視線は雪よりも冷え切っていた。


「さあ。本日は諸外国を含め、各国の要人を死に追いやろうとした極悪人、イリア・ランベール処刑の日だ」


 カイエンの声に合わせて群衆は歓喜する。私に向けられる視線は相変わらず白かった。


「最期に何か一言いいたいことはあるか?俺はお前から謝罪の言葉をまだ一言も聞いていない」


 弧に歪んだ口元をこちらに向け、彼は発言を促す。そんなことを言われた所で、誰に向ける言葉も私はもう持ち合わせていない。私が黙りこくっていると、場は次第に静寂に包まれていった。




「少しいいか?」


 カイエンが痺れを切らし、断頭の儀を執り行おうと動いた時、低くて重い響きを纏った声が耳に届いた。張り上げたわけでもないその声は不思議と群衆にも聞こえているようで、声の主に皆が視線を向ける。


「盛り上がっている所、済まない。僕はそこの麗しい姫君と少し話がしたい」

「ひ、姫君って、こいつはただの罪人だぞ」


 視線の先には、屈強な男が立っていた。堀の深い顔と、琥珀のような瞳、黒い頭髪は短く切りそろえられている。彼の堂々たる佇まいに反して、突然割って入って来た男性にカイエンは酷く狼狽していた。


「罪人って本当にそうなのか?」

「本当にって、何を今更。審問会で彼女は抗議しなかった。それは肯定の意と捉えられて当然だ」

「抗議しなかったのではなく、出来なかったんじゃないのか?それに僕は君と話したい訳じゃなくて、彼女と話したいんだ。少し黙っていただけるとありがたいんだが」

「お、おれはアーデント王国の王子だぞ。平民風情が俺に指図してくれるな」

「一国の王子如きでそんな横柄な態度取られてもな」


 男性はそう一言告げると、外套を僅かにひらき、右胸の紋章をちらりと見せた。その紋章はシガール帝国の皇帝を意味する鷹と大蛇が描かれた紋章だった。一部の観衆がどよめく。

 カイエンは言葉を失い、固まっていた。


 彼らの驚きを横目に男性は断頭台にゆっくりと登り、私の目の前に立つ。


「ご紹介が遅れました、姫君。僕はシガール帝国、皇帝。アレク・シガールと申します。中々予定が合わず、顔を出すことが出来ませんでしたが、来年の夜会からは参加させていただく予定の為、以後お見知りおきを」

「来年って、その頃にはそいつはもう──」


 穏やかに私に話しかけたアレクは、口を挟もうとしたカイエンを一瞥し、黙らせた。


「で、君は本当に罪を犯したのかい?僕はそれが知りたい」

「わ、私は……」


 正直に告げれば今死ぬことは出来なくなるかもしれない。しかし、自分の口からやってもいない罪を認めることは──


「君の言葉を聞きたい。君の本心を、事実を聞かせてくれ」


 言い淀んでも、黙り込んでも、彼は私の言葉を待ち続ける。私の言葉に全くと言っていいほど聞く耳を持たないカイエンとは正反対だった。でも、それでも、私はもうカイエンと生きていくことは出来ない。


「私がやりま──」

「君はそうやって死ぬまで逃げるのか?耐えることに逃げて、抗うことを諦めて。君はそれで満足なのか?」


 私の口から出た嘘を遮るようにアレクは言葉を紡ぐ。


「君は、花が散ってしまうほど、年老いたのか?玉が砕けてしまうほど、傷ついたのか?違うだろう?君はもう、立ち向かうための武器も、守るための盾も持ち合わせているはずだ。只、出来ないと諦めているだけ。今の君に必要なのは一歩踏み出す勇気。

 進んだ道の先に辛く悲しいことしか待っていないと思うならば、道を変える勇気を持ちなさい。耐えることに逃げて、自分を偽って、自分で自分の首を締めて、いつの間にか生きることさえ億劫になって。

 そんなみっともない人生を歩むくらいなら、格好悪くても、情けなくても、自分に、自分の正しさに正直で居なさい。

 君はそれが出来るだけの力を持ち合わせているはずだ」


 アレクの語り掛ける言葉は厳しくも柔らかくて、優しい。

 いつの間にか雪は止んでいて、雲の割れ間から蒼空が覗いていた。そこから差し込む光芒はアレクと私を包み込み、陽の光はこんなにも暖かかったんだと思い出す。


「私は、やっていないです」


 その言葉は想像していたよりもするりと簡単に口から零れ落ちた。私の反応を見てアレクは朗らかに笑う。


「そうか、それならば──」


 アレクは呟き、持っていた大剣を振り上げる。思わず目を閉じると衝撃が台全体を揺らした。

 目をゆっくりと開けると、手首を覆っていた木の錠が割れ、外れていた。


「これで君は自由だ。ほら、皆が君の言葉を待っているよ。あの夜、何があったのか、君の口から説明してくれ」


 彼はしゃがみ込み、私に手を差し出す。その手を取り、私は立ち上がった。私に向けられている目はそれでも尚、冷たい。でも、アレクが握る手は暖かくて、勇気をくれるように握りしめていた。


「私は、やっていません」


 声を張り上げた。同時にひそひそと訝しむ声が聞こえてくる。しかし、雪が雑音を吸収し、私の声はしっかりとした強さを持って響いてくれた。


「あの夜会の日、私は確かにランベールで造られているワインを持参しました。夜会を彩る一色にでもなってくれればいいと思って。ありがたいことに我が国のワインは他国にも好評を頂いていたので、皆様に舌鼓を打っていただければとそう考えていました。

 でも断じて言えます。私は毒を盛ってなどいない。なにより、そんなことをして、私にメリットなどありません。ランベールは諸外国に支えられ、前国王の死という危機からどうにか脱することが出来た。皆様に感謝することこそあれど、恨むなんてこと土台出来るはずがありません」


「でも、証拠はあるのかよ。やっていないって言う証拠は」


 一際大きな声がどこからか上がる。それに賛同するように、歓声が大きくなった。それを制するように私は息を大きく吸う。


「証拠はありません。残念ながら無実を証明できるほどの証拠を今は持ち合わせてはいません。だから、見て聞いたことだけをお話させていただきます。それをどのように判断するかは皆様に決めて頂きたい。

 私が毒を盛った。その疑いが掛けられたのはカエサルが黒く色づいた銀の匙を見せたことが始まりでした。だけど、あの夜会で使われているのは金の食器であったはずです。なぜ、彼はあの夜都合よく銀の匙を持っていたのでしょう。そして、それを都合よくワインに入れて。不自然に思いませんか?

 私はワインに毒など混入させていない。ワインは複数本持参致しました。だから、未開封の物がまだ何本か残っているでしょう。それを調べて頂ければわかることだと思います」


 私のその言葉を皮切りに何人かの役人が忙しなく動き出す。


「そして、あのワインをグラスに注ぎ、持ってきたのは私の侍女であったアリサでした」

「それならばやはり、お前がやらせたと考えるのが妥当じゃないのか?」


 いつの間にか辺りは静寂に包まれていた。話の続きを促すかのように男性が声を上げる。


「いえ、残念ながら私は彼女とそこまで仲が良くありませんでした。彼女に不満なく働いてもらうことが私の責務でもあったのに、それが出来なかったことは正しく私の落ち度です。ごめんね、アリサ」


 私がアリサに視線を向けると彼女は鋭い眼光をこちらに向け、舌を鳴らした。


「御覧いただいた通り、私が彼女に何かを頼むことは出来ないような状況でした。それはなぜなのか。きっと彼女が私の婚約者、カエサルを好きだったからだと私は思っています。私の家に来たときから彼女はカエサルへの思いを隠さず私に打ち明けてくれました。そして同時に私への憎悪を募らせていった。私が話かけると彼女は悪態をつき、無くしものは決まって彼女の部屋から出てきました。

 そんな彼女のカエサルへの思いは最近どうやら実ったようでした。カエサルもアリサもどうしてか自分達の情事を婚約者である私にすら話すような所がありましたので。それは確実だと思います。

 銀の匙を見せ、私の罪を宣言したカエサルと、問題となったワインを用意したアリサが恋仲で繋がっていた。これもまた不自然に思えました」


 “確かに”、“おかしい”、そんな声が聞こえてくる。


「そして、その疑念が確信に変わったのは昨日の夜のことでした。牢の中、一人布団に包まっていた私の元にアリサが現れたのです。私の処刑が決定して、カエサルとの婚約も決定して、少し浮足立っていたのでしょうか、酔っぱらっているようにも見えました。そして彼女は私に告げました。二人とも私が邪魔だったこと。だけど、繋がりの強くなってしまったアーデント王国とランベール王国の手前、婚約破棄することもできなかったこと。私を嵌め、私だけを殺してしまえればランベールとの国交も途絶えること無く、邪魔者を排除できる。むしろ罪を犯した国を赦した偉大な王国であることの証明となると語りました。ねえ、そうでしょ?アリサ」


「う、煩い!そんなのあんたのでっちあげよ。あんたが悪いの。あんたは裁かれるべき罪人なのよ!早く無様に死になさい。赤い血を流して無様に死ぬのよ!」


 叫ぶアリサはどこからともなく現れた役人によって取り押さえられる。


「誰が裁かれるべきかどうかは、私達が決めることじゃないわ。私は私の身に起こった事実を見たまま、聞いたままに話しているだけよ。

 皆さん、どうか私から一つお願いです。ここで見て聞いたこと、これから出てくるであろう新しい情報。それらを加味して偏りなく物事を見て、そして皆さんが判断してください。断言できます。私はやっていません」


 私が言い終えるとちらほらとまばらな拍手が鳴り響いた。その音を聞いてやっと膝が震えていたことに、拳を握り締めすぎていたことに気が付く。力が抜けそうになると、アレクの手がそっと私の肩を支えてくれた。


「おい。こんなことして、俺たちを嵌めて、ランベールがどうなるか分かっているのか」


 カエサルが私に掴みかかろうと襲い掛かるが、それも役人によって押さえつけられた。


「初めに嵌めようと企てたのはどちらでしたっけ?私は私の見た事実をそのまま申したまでです。それにランベールはもうアーデント王国の援助を受けずとも運営していけるだけの国力はすでにありますので、ご心配なさらずとも結構です。

 10年かけて兵士も、田畑も育ちました。今年の秋にはランベール産の葡萄が実る予定で、ワインもより美味しいものを造ることが可能になります。今から楽しみですわ。

 それに、懇意にしていただけている国も多く、皆さまと貿易路を伸ばそうと計画している最中でしたの。完成すればきっと多大な富を生むでしょうね。

 むしろ危ないのはアーデント王国の方じゃないでしょうか?あなた方は偏った貿易ばかりされているようですし、ランベール以外の王国との関わりはかなり希薄なようにお見受けします。

 それに、恋に現を抜かし、統治を怠ってしまえるような王子に一体何人の国民が付いて行くのでしょうか。もし仮に、あなた方の罪が証明されたとしても、私はあなた方の処刑など望んでいません。しかし、もう、死ぬも地獄、生きるも地獄なように私は感じます。

 ランベールとの交流が無くなってしまえばきっと国民の流出は止められず、国土は荒れ、収集が付かなくなってしまうのではないですか?私、貴方が言うように潔い所がありまして。一度ケチが付いてしまった国との交流はすっぱり諦めてしまえるようなきらいがあるんです。協力差し上げられないのは申し訳ないわ。

 私達はきっとこれから会話することもなかなか出来なくなるでしょうから、最後に何か一言ありますか?私は貴方から謝罪の言葉をまだ一言も聞いていないわ」


 私の放つ言葉がそれなりに虚勢を張っての言葉であることは否めない。しかし、口にすることで誠になることもあるはずだ。王国を統べる人間はそのくらい自信にあふれた態度を示さないと、国民はついてこない。私に必要なのはきっと一歩踏み出す勇気。そして、進むべき道を声高らかに皆に示す勇気であるはずだ。

 カイエンに対し、にこやかにそう告げると、彼は押し黙ってしまった。そのまま役人に引っ張られていく。

 その姿を見届けると、終ぞや張れる虚勢すらも無くなって、視界がぐらついた。カイエンの喚き声が遠くで聞える。


「さあ、姫君。脇腹が痛むんだろう。少し休んだらいいさ」

「ええ、ありがとう。お言葉に甘えさせてもらうわ」


 私はアレクに抱きかかえられた。初対面であるはずの彼の腕の中は暖かくて、不思議と安心感に包まれた。


 ああ、そうだった。国民が私をランベールで待っている。玉は砕けず、花は散らない。今はまだ、私は死ねない。




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