Ⅱ
「──皆様にお尋ねします。我々人類の最も尊い能力とは何でしょうか?」
司会者が着飾った参列者に呼びかける。正答を探す紳士淑女たちのかすかなさざめきに応じるように、司会者は少し間を置いてから続けた。
「長い歴史の中で人類は魔を駆逐し、大地を征服し、天空をも制覇しました。そしてこのギルアスシティを始めとした、偉大なる文明圏を築きあげたのです。では人類の素晴らしい能力とは、支配域拡大に貢献した魔法技術でしょうか? あるいは文明を大きく発展させた科学技術でしょうか? どちらも確かに素晴らしい。しかし! さらに上位があります。それは、〝美〟を生み出す力!」
とっておきを告げるようにたっぷり息を吸う司会者がちらっと、舞台袖の俺に目で合図した。返事の代わりに俺はネクタイを締め直す。これ一本で先日まで俺が着てた服が百着は買えるだろうネクタイは、何度触っても指ざわりがいい。
「〝無〟から〝美〟を生み出すこと、それこそがあらゆる魔法でも到達できなかった極致! 人類の持つ最も尊い能力なのです! そして今宵、我々はその真髄を目の当たりにするでしょう。たいへんお待たせしました! 彗星のごとく現れた〝芸術の神〟にご登場いただきます。リューゴ・アリサワ先生に盛大な拍手を!」
広い会場を埋め尽くすほどの拍手の嵐に招かれて、俺はステージへと進み出る。強烈なスポットライトと連続するカメラのシャッター音が俺を迎えた。明日の新聞には俺の姿が大きく載るんだろう。礼服を着こなし、スタイリストの手によって髪や肌をビシッと整えられた、イケてる俺の姿が。
参列者の注目を集めてるのは俺だけじゃない。反対側の舞台袖からは、布に覆われた状態の大型作品が台車に載って現れている。
ステージの中央でその作品と合流し、俺は会場に向けて一礼した。
「ご紹介に与りました、リューゴ・アリサワです。皆様に作品を披露できる栄誉を賜り、この上ない喜びを感じております──さて、長口上でこれ以上お待たせするのは心苦しい。さっそくご覧ください」
会場にはマスコミのほか、大企業の重役や貴族階級の有力者、芸術分野の権威などが集まっているのだと、デルフィーンから聞いた。そんな彼らの注目を感じながら、俺は作品を隠す布の端を引いた。
「こちらが私の新作──『ドラゴンの咆哮』です」
ヴェールが取り払われるやいなや、どよめきが生まれた。
最初は悲鳴。それから驚嘆がさざ波のように広がっていく。
ヴェールの下から現れたのは作品タイトルの通り、精巧なドラゴンの石彫だ。白磁の外皮に鱗の影が淡く落ちたその巨体は、見る者に例外なく畏怖の念を抱かせるだろう。作った俺でさえ見続けるほどに、巨大な顎門が急に迫って鋭い牙で喰らいついてくる、そんな錯覚を覚えたほどだった。まるで本物のドラゴンを石に閉じ込めたような彫刻だ。
「なんと凄まじい、恐ろしさと美しさを兼ね備えた作品でしょうか! これは歴史に残る名作と言っても過言ではありません! 会場の皆様、リューゴ先生にいま一度、盛大な拍手を!」
割れんばかりの拍手が起こった。誰もが陶酔の笑顔で俺を讃えている。
今夜の発表会は大成功だ。拍手とシャッターの嵐に向けて、明日の紙面を意識しながら俺は笑みを浮かべた。
ひとしきりその場で挨拶を終えてから、いったん舞台袖へと俺は踵を返す。司会者が立食と歓談を参列者たちに勧めるのを背中に聞いていると、ブラウンの髪の女性が俺を出迎えた。
「おめでとうございます、リューゴ先生。想定の通り、会場の反応は最高のものでしたね」
「まあな。有識者も混ざってるから、少しくらい辛口の反応があっても仕方ないとは思っていたんだが」
「それはあり得ないでしょう。先生の作品は完璧です。有識者であればこそ、その芸術性を認めざるをえません」
ブラウンの髪の女性──デルフィーンは断言した。その質素なスーツの胸元には、美しい花の彫刻が飾りつけられている。初めて会ったひと月前、俺が彼女に渡した彫刻だ。
「ところで先生。ここからが本番ですよ」
「ああ、わかってる。今日はまだ前座だ。最大の舞台は二か月後──ギルアスセントラルタワーで開かれる総合芸術祭。そこで、あらゆる芸術家の頂点が決定する、だったな?」
「その通りです。ですが私が申しているのは、そのことだけではありません」
会場の方では立食パーティーが始まっているようだった。そちらに耳を澄ますようにしながら、デルフィーンは仕事連絡用の携帯端末を取り出した。
「今夜いらっしゃってます貴顕淑女の中には、再来月の審査員になると目されている方々もいます。また、各方面に太いパイプをお持ちの方々も。今後の先生の活躍のため、できるだけたくさん仲良くしてきてくださいね」
「要するにコネ作りか……」
端末を受け取って、画面をタップする。今はデルフィーンの名前しかない連絡先の欄を、今夜、充実させてこいってわけだ。
別に他人と話すことは苦じゃないんだが、なんか面倒くさいな。
「先生がおっしゃりたいことはわかりますが、たとえどんなに素晴らしい作品でも、多くの人の目に触れられなければ意味がありません」
感情が顔に出てしまっていたらしい。笑みをたたえながらも、諭すようにデルフィーンは腰に手をあてた。
「とにかく周知を徹底して、先生の名前と作品を人々の常識にすること。これは先生が二か月後にトップアーティストとして君臨するためには必要なことです。ですから、どんどんお喋りしてきてください」
「けど、そういう手回しは俺よりも君の方が向いてるんじゃないか?」
「私は別件で手いっぱいですから。五日後の個展に、来週のチャリティーイベント、再来週の展覧会……その他諸々の調整や打ち合わせがまだありますの。でもご心配なく。ひと通り済ませましたら、先生のお手伝いに参りますので。がんばってくださいませ」
そう言うとデルフィーンは、彼女自身の携帯端末を操作しながら歩いていった。誰かと通話をしながら会場の方へと出て行く。
「……〝拝金主義〟って言われてたのは、なんだったんだろうな?」
その後ろ姿はビジネスウーマンという言葉が相応しい。それもストイックに仕事をこなすタイプのだ。
服装も化粧もその場の状況に最低限合わせている感じで、派手な印象はまるでない。加えて、彼女は実に優秀なアートバイヤーだった。
一か月前に俺と専属契約を交わすや、すぐさま各所に働きかけて出展の場を獲得。それだけでなく、美術コレクターたちと俺を繋ぐ架け橋になり、積極的に作品を売り込んでくれた。
収益は凄まじく、おかげさまで今の俺の拠点は、シティ中心部の高層マンションの最上階だ。
しかしデルフィーンはといえば、高額の報酬が振り込まれているはずなのに、生活水準が上がってるようには全然見えない。
「金が一番大事な人間、じゃなかったのか?」
そうだと思ったから、あのとき声をかけたんだがな。
それに、作品を瞬時に生み出せる能力を隠しているのも、金に目が眩んだ彼女に利用されないかと用心してのことだったんだが……
俺はまた、連絡先の画面に視線を落とした。
「……がんばって増やすか」
たった一か月でこれほど儲けて、しかも〝芸術の神〟なんて大層なあだ名が付くほどの知名度が得られたのは、デルフィーンの功績と言って間違いない。
もはや俺のパートナーであるそんな彼女が、必要なことだと言って、俺にコネ作りを求めた。
だったら俺は、それに応えるべきだろう。
それが俺の成功に繋がるのだから。
端末を懐にしまい、俺は舞台袖から会場へと出る。
お喋り中の来賓たちは誰ひとり俺に気づいていない。向こうから寄って来てくれたら楽だったんだが、仕方ない。話しかけやすそうなお偉いさんを探す。
すると人混みの中に、若い女性の姿が見えた。
長いミントグリーンの髪の下の白い顔はまだ少女のものに見えたが、目が離せなくなる大人の色香を備えていた。
貴族の令嬢だろうか。そう思っていると、俺の視線に気付いたらしく、少女がこちらに顔を向けた。儚げな美貌が薄く笑みをたたえると、肩まで肌の露出したドレスの裾を揺らして、こちらへ近づいてくる。
「……がんばって増やすか!」
通りがかった給仕からグラスを受け取りながら、俺は決意を新たにした。
思えばこの一か月、デルフィーンが持ってくる案件に対応するばかりで、女の子と遊ぶ暇なんてなかった。だが今の俺には時間も、金もある。少女の接近に慌てることなく、自信を持って応じることができる。
「リューゴ先生。お会いできて嬉しいわ」
透き通るような声に胸が騒ぐのを感じながら、俺は紳士の表情を努めて保った。連絡先をゲットできるまで、ニヤけてはならない。
「こちらこそ、レディー。今夜は楽しんでいますか?」
「もちろん。あんなに凄いものが見れたんだもの」
少女の示した先にあったのは当然、ステージで存在感を放っている俺の石彫だ。
「『ドラゴンの咆哮』……ってタイトルだったわね? とても石でできてるとは思えない生命力を感じるわ」
「気に入っていただけたかな?」
「それはもう。こんなに衝撃を受けたのは、きっと原体験以来よ」
「原体験?」
それは何かにこだわるきっかけになる、幼少期の特別な体験のことだ。あれを見てそう感じるということは……
「君も彫刻を?」
「いいえ。私は絵画を少々。けれど根っこは同じでしょう? リューゴ先生はラフティの絵をご存知?」
「いや、申し訳ない。不勉強で」
専門外の分野、ましてや異世界の歴史上の画家なんてわからない。けれど幸い、少女が気を悪くした様子はなかった。
「私が五歳のときだったわ。両親に連れられた美術館で、私はラフティの絵を見たの。胸が止まりそうだったのを覚えているわ。美しさの中に神様を見た心地になった。でもどうして自分がそう感じたのか、全然わからなかった。今もわからないまま。その答えを見つけるために、私はずっと、筆を握っている」
少女の曇りない緑色の瞳が俺をじっと見つめてきた。
「あれもそう。理屈を抜きにして、ただ美しいと感じる。ねえ、リューゴ先生、どうか私に教えてほしいの」
「ああ。何かな?」
来たぞ。連絡先を聞ける流れだ。瞳の輝きに吸い込まれそうになりながら、俺は懐の端末に手を伸ばす。
「先生はどうして、ドラゴンをあんな形で表現したの?」
「──なんだって?」
ステージの彫刻を改めて見る。
獰猛な目つき、鋭い牙。長い首とそれを支える太く筋肉質な胴体と四肢はざらついた鱗が覆う。今にも羽ばたきそうな翼は奇跡的な繊細さとバランスで広がっている。誰がどう見てもドラゴンだ。
「どうしても何も、ドラゴンはあんなイメージだろう。君は違うのかい?」
「そうね……ドラゴンはとても恐いわ。でも、あそこまで具体的な形にするのは、先生ならではの解釈やメッセージがあるんじゃないの?」
とても恐いって……なんだか実感のこもった口ぶりだな。
いや、そういうことか。
この世界にはドラゴンが空想の産物じゃなく、常識的に実在しているんだ。俺の彫刻がそれとかけ離れた姿をしているからこそ、表現の意図を尋ねているんだ。
「解釈やメッセージ、か……」
少女の言葉を繰り返して返答までの時間を稼ぐ。
メッセージなんてものはない。
ドラゴンを題材にしたのは俺の名前にちなんだだけの思いつきで、あとは能力で一瞬で完成したものだからだ。
あのドラゴンの造形のどこにも、俺の意図したものはない。
……だがそう正直に答えるのは、ためらいがあった。
能力のことを他人に明かしたくないという気持ちもある。
けどそれ以上に、幼い頃から絵画を続けているというこの少女に、「自分の作品に意図もメッセージもない」なんて答えるのは、なんとなく芸術家としてあるべき姿じゃないとも思った。
……待てよ。
そもそも作品に何の想いも込めてない今の俺って……
「──先生?」
その女性の声は、返答に窮している俺を急かすものではなかった。少女は無言で俺を待っている。声は俺の背後から聞こえた。
振り返ると、デルフィーンが信じられないものでも見たような顔で俺を見ていた。
「あ、いや、違うんだ」
絶対、女の子をナンパしてるって思われた。硬い表情で距離を詰めてくるデルフィーンへと、追及される前に言い訳を並べる。
「これは連絡先を増やすためにだな──」
「お、お久しぶりです。ジェイデン先生」
そのときになってようやく、硬い表情のままお辞儀するデルフィーンの目が俺じゃなく、初めから少女に向いていたのだと気付いた。
「その……お越しになられてたのですね。すっかりご無沙汰してしまいましたが、お元気でしたか?」
「……そうね、聞いていたわ。リューゴ先生の下で、あなたが働いてるって」
そのとき少女の緑の目に灯ったのは、二人の関係を知らない俺でもわかるほど、あからさまな嫌悪の光だった。
知り合いのようだが、デルフィーンの態度からして、この少女は実は凄い画家だったりするんだろうか。
ジェイデン……どこかで聞いた覚えが……誰だったか……
「忠告するわ、リューゴ先生。この人とは縁を切った方がいい」
記憶を探る俺へと、少女──ジェイデンが話を振ってきた。だがその眼差しは棘を含んだまま、うつむくデルフィーンへ向けられている。
「この人の頭にあるのはお金だけ。芸術をお金儲けの手段と考える、劣悪な人種よ。いずれ必ず、リューゴ先生の芸術を貶めるわ」
美しい少女の口から紡がれる激しい非難が、ふいに俺の記憶を刺激した。
思い出した。ジェイデン氏。デルフィーンのことを拝金主義と言っていた芸術家だ。
「……それは言い過ぎだ、ジェイデン先生」
年下の相手を先生って呼ぶのは初めてだった。俺の反駁に、少女の目がチラリと俺に向く。
その目に、俺はどう映っているんだろう?
芸術に真摯に向き合う芸術家か?
だったら的外れだ。金儲けや成功に浮かれているのは俺の方だ。
「君とデルフィーンの間に何があったのかは知らない。だけど、彼女はよく働いてくれている。君が言うような人間じゃない」
「簡単には変われないのが人間よ」
俺の反論はなんら心に響かなかったようだ。冷たくすらある表情のジェイデンは、何ひとつ言い返さないデルフィーンに飽きたかのようにくるりと踵を返した。大きく開いた白い背中を向けたまま、横顔で見返る。
「じゃあね、リューゴ先生。二か月後の総合芸術祭──私は絵画部門だけど、そこでまた会いましょう。そのときに質問の答え、聞かせてちょうだい」
質問の答え──その言葉にグラスを持つ手が強張ってしまった。そのときにはジェイデンは会場の喧騒の中へ歩み去っていたため、幸か不幸かそれを見られることはなかったが。
「……申し訳ありません、リューゴ先生」
まるで呪縛から解かれたように、デルフィーンが緩やかに顔を上げた。ばつが悪そうに囁く彼女の硬い表情をグラスの水面に見ながら、俺は言葉を選ぶ。
「変なこと聞くけど……〝ドラゴン〟ってなんだ?」
「え?」
曇り顔に疑問符が浮かぶ。
この人は急に何を聞いているんだろう、自分で作品の題材にしているのに──そんなふうに思っているかもしれない。
「ドラゴンは……熱風を伴った、気象災害のことです。頻度そのものは数年に一度あるかないかですが、未解明な点が多いため対策が不十分で、発生するたびに多数の被害が出ています。実は来週のチャリティーイベントも、その被災者慰問の一環でして……あの、これで答えになってますか?」
「ああ……」
災害か。たしかにそれは恐いな。
納得しながらグラスをあおる。味はほとんど感じなかった。