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I

 どうやら俺は違う世界に生まれ変わったらしい。

 見覚えのない、そう広くないアトリエの中央で丸椅子に腰掛けながら、俺はぼんやり、そう思った。

 いや、生まれ変わったという言葉が正しいのかはよくわからない。壁に掛かった鏡を見るかぎり、そこに映る俺の姿は、間違いなく俺自身のものだ。ぼさぼさの黒い髪。不健康そうな(なま)(ちろ)い顔。細い目。ひげの伸びた顎。柄のない白いシャツと色褪せたジーンズを着た細い体。

 生まれ変わったというのは、同じ姿のまま異世界に来たときの表現にはそぐわないだろう。

 まあなんにしろ、ここが異世界なのは間違いない。

 夕陽に染まる窓の外では、見たこともない高い塔がいくつも立ち並び、生身の人間が当たり前のように空を飛んでいる。そんな光景を見て、「ここは日本だな」と能天気に思えるほど、俺は察しは悪くないつもりだ。

 それに、異世界に転生したと断言できる一番の理由として、俺はここに来る前に神と対話したことを覚えている。驚くような景色を目にしてもさほど心が動いてないのは、そのせいだ。

 神は言った。

 俺が死んだこと。

 そして違う世界へ、俺の望んだ能力を授けて、生まれ変わらせてくれること。

 そして俺は望んだ。

 最高の彫像を──至高の芸術作品を生み出す力が欲しい、と。

「……馬鹿げてるな」

 ひと通り思い返して、俺は吹き出すのをこらえられなかった。

 何が神だ。何が生まれ変わっただ。我ながら現実逃避がひどすぎる。

 わかってる。どうせ全部、夢なんだろ? 神と話したことだけじゃない。俺が有沢竜吾(ありさわりゅうご)っていう、日本で暮らす芸術家だったことも。作品が鳴かず飛ばずで、困窮の中で自ら命を絶ったことも。

 全部が夢で、本当の俺はこの、がらんと寂しいアトリエを拠点にした売れない芸術家。そういうオチだろう。最高の彫像を生み出す能力なんて、あるはずがない──

「……嘘だろ」

 あるはずがない、そう思いながら前方にかざした手の先に、忽然(こつぜん)と俺の身長と同じくらいの純白の彫像が出現した。何もなかった場所に、突然だ。

 信じられない。驚愕に声が出せないまま、立ち上がる。丸椅子の倒れる音が後ろで聞こえた。

 出現したその女性像をじっくり観察する。

 西洋彫刻らしい、麗しい顔立ち。丸みを帯びた肉感的な肌。風になびく長い髪と、纏う衣服の裾。それらがひと繋がりの石彫で見事に表現されている。

「美しい……」

 俺の喉が震え、ただ感嘆の息を絞り出す。

 歴史に名を残す巨匠が手がけたような、ハイレベルな作品だ。これほどの作品なら作り手が無名なはずがない。しかし今まで俺が見聞きしてきた古今東西の作品群に、この女性像に該当するものはなかった。いったい、誰が手がけたんだ?

「……まさかこれが、能力、なのか?」

 馬鹿げた推測に手が震えるのを感じながら、俺はその手を、すぐ横のデスクにかざした。最高の彫像を生み出す、そう心で念じながら。

 するとどうだ、今度は何もなかった机の上に、まるで最初からあったかのように、小さな彫像が出現した。真っ白な猫の石像だ。何かを捕まえようとする一瞬の躍動感が、時間を切り取って固定したかのように表されている。これもまたハイレベルな一品だ。

「なんてこった……夢じゃなかったってのか……」

 もはや疑いようもない。これが俺の能力なんだ。

 生前にどれだけ願っても微笑んでくれなかった芸術の神様に、どうやら死んでから出会えたらしい。

「ふざけんなよ。なんで死んでからなんだ……何を作っても売れなくて、どれだけ苦労したと思ってる。生きてるうちに授けてくれよ」

 天井に向かって毒づく。スマイル付きだ。これくらいの軽口、大目に見てくれないとな。

 こんな彫像が作れてたなら、俺は大儲けできてたはずだ。いい服を着て、広い家に住み、女にフラれることもない、そんな人生を送れていたはずなんだ。

「落ち着け、後悔の必要はない……今から実現すればいいんだからな」

 俺は身ひとつでアトリエを後にした。女性像と猫像は置いていく。その場で作品を生み出せるんだから、持ち運ぶ必要はない。

 建物から外に出ると、からっとした夏めいた暑さが肌に触れた。歩道沿いにビルや店舗が立ち並び、夕暮れの大通りを車が行き交っている。その様子は日本の大都市の街中と大差ない。どの車にも車輪がなくて、地上からちょっと浮いているということを除けば。通行人の方も普通に歩道を歩いてる者が大半だが、さっき窓から見えてたように、空を飛んでいる人たちも少なくない。顔立ちも服装も現代社会人と似通ってて違和感がないだけに、ファンタジックさが際立っていた。

「俺の彫像は、売れるんだろうな……?」

 街の異質な部分を見ていると、だんだん陰鬱な気分になってきた。

 美術品の価値は見る者が決める。異世界の価値観が、はたして俺の彫像を高く評価するかどうか……。どこか美術館や画廊(ギャラリー)、あるいは買取屋でも見つけて、確かめる必要がある。

「いや、売れる。売れるに決まってる……!」

 車道を挟んで向かいの通りに画廊の看板を見つけた。日本語じゃなかったが、難なく読めたのはありがたい。車道を横切る間ずっと、売れるに決まってると自分に何度も言い聞かせる。

 もう、これまでとは違う。違うんだ。恐れることはない。

 画廊の入口前には一組の男女の姿が見えた。どちらもスーツのような服をきっちり着ていて、何やら熱心な様子で会話している。画廊の関係者だろうか? 近づくと、だんだん女性が何を言っているか聞こえてきた。

「──返して! 返しなさいよ! 私の案件よ!」

 この世界の人の言葉をきちんと聞き取れた感動よりも、女性が叫びながら男性に掴みかかるのを目の当たりにした衝撃の方が大きかった。女性が怒りに猛ってる一方、掴みかかられた男性は平然とした様子だった。

「返すも何も、ジェイデン氏と契約を交わしたのは俺が先だ。これ以上言いがかりをつけるなら訴えるぞ」

「言いがかりですって⁉︎ ジェイデン先生との打ち合わせは順調に進んでたのよ! それをあなたが横から掻っ(さら)って……」

「順調だって? 勘違いしているようだから教えてやろうか、デルフィーン。俺に契約の話を持ちかけたのは、ほかならぬジェイデン氏の方だ」

 女性が驚愕の顔で声を詰まらせる。その隙に男性は彼女の手を自分の服から引き剥がした。

「氏はこうも言っていたぞ。拝金主義の女はごめんだ、とな。仕事の邪魔だ。とっとと帰れ」

「そんな、私は」

 女性の反論を男性が最後まで聞くことはなかった。話は済んだとばかりに男性の姿は画廊の中へと消えている。音を立てて閉じた扉に女性は取りすがるように手を伸ばしたが、結局その手は扉に触れることなく、力なく下ろされた。

「何が悪いの……私の方が上手くやれるのに……私の方が……」

 肩を震わせて嗚咽(おえつ)する女性の背中へと、俺は歩み寄った。

 会話から察するに、この女性とさっきの男性は美術商、もしくはバイヤーだろう。芸術家と契約し、作品プロデュースをはじめとする支援や、作品を顧客(コレクター)に販売するのが仕事だ。

 そして仕事の過程で、有望な芸術家との契約を奪い合うということもままある。かつての俺には縁のない話だったが。

 俺が近づいたことに気づいたようで、女性が扉の前から端へと体を寄せた。

 だが道を空けたというのに、いつまで経っても俺が画廊に入らないのを不審に思ったらしい。顔を上げて、俺と目が合う。

「……私に何か?」

 ブラウンの髪の下、目の周りは涙で化粧が崩れていた。たとえ崩れてなくても美人という感じではないだろう。俺の好みの顔ってわけじゃない。

「泣いている女性の横を素通りなんてできなくてな」

 だが彼女は、俺が今求めてる人材だった。拝金主義って、つまり金が一番大事な人間ってことだろ。だったら乗ってくるはずだ。

 ポケットから取り出す素振りをして、手の中に石彫刻を作り出す。

「これで笑顔になってくれないか」

「……花?」

 俺が差し出した、花びらの一筋ひとすじまで瑞々しさを閉じ込めたような彫刻品に、彼女は意表をつかれたようだった。

 目尻に涙をたたえたまま、しばらく怪訝な顔で女性は俺を見つめ返していた。

「ひょっとして口説いてるつもり? おかしな人。ハンカチじゃなくて、花を渡してくるなんて──」

 女性の指が花に触れる。

 その瞬間の表情の変わりようは、俺の期待以上だった。

 驚愕、そして緊張。触れて初めてそれが本物の花ではないことに気づいたであろう彼女の視線に、俺は真っ直ぐ応じる。

「俺の作品はこれだけじゃない」

 そして、もはや答えのわかりきった問いを続けた。

「君の目から見て、これはどうだろう──高値はつくか?」

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