婚約破棄されない悪役令嬢
書きたいとこだけです。
クイーン・アガサは「あら」と一つ思った。
昨日までめろめろと自分に酔いしれていた男たちが、二日酔い明けの顔で雁首揃えて立っていたからだ。
妖精に魅入られた(チェンジリング・チャイルド)かと錯覚するほどの黒檀の美丈夫、ネオ。
火のように野心と情熱に燃える強面のダイ厶。
切なげな瞳と薄い横顔がいじましいハーピーの青年、ファルル。
そして凪の海みたいにいつもふんわり微笑む正統派のハウス。
どれもが極上の酒精みたいに美しい蒔絵の佳人だった。そんな男たちが今、か弱い乙女の前に壁の如く立ちすくんでいる。
か弱い乙女は値100万石の美貌を前に、ふっと溜め息をついた。厚い火の唇からブワリと紫雲が燃えあがる。咥えていた煙草の火をぞんざいに消して、アガサはうすく顎を引いた。
怖いほどに美しい女である。肌は抜けるように白く、ブラックの巨大な目は長い睫毛に縁取られてなお巨大に見えた。猫のような勝気な瞳に見つめられれば、まさか声をあげられる者なぞいない。それほど壮絶な美貌だった。
彼女はその身を鮮やかなピーコックグリーンのドレスに包んでいた。混じり気のないホワイトの肌に、華やかなダイヤモンドとゴールドのリングを着けている。薄いウエストと豊かな腰が一級の芸術品のようだった。
優れた魔術師しか身につけることのできない、プラチナのモノクルがその腰につけられている。豪奢な室内のなか、彼女だけが浮き出たように爽やかである。惜夜の大気のきらめきだった。
「ごめんあそばせ。もう一度おっしゃってくださる」
「あ。ああ、アガサ。君との婚約破棄を提言する」
クイーン・アガサ。彼女は悪役令嬢であった。
それも虐めの主犯をするタイプである。線の細い清らな乙女をひっそりしっかりいじめ倒していた。
名をシュシュ・ホワイトネスト。
暖かな陽だまりのような少女である。軽やかなシルバーブロンドにキュートなそばかすの可愛らしい美少女だった。あどけない笑顔に幾人が落ちたのかもわからない、傾国の美貌であった。彼女は背中にカスミソウを背負って、右も左も分からぬまま社交界に泳ぎでてきたのである。
「シュシュと申します。その、仲良くしていただけたら嬉しいです」
「まあ。こちらこそですわ、よろしくお願いいたしますね」
二人が並んで立つさまは厳かな宗教画のようで、同じくらいクラシックな官能も漂っていた。チヨチヨと鳥の鳴き水そそぐ桃色の乙女の花園だった。
しかしアガサはシンプルに性格が悪かったので、無視をしたり、音も葉もない噂で嘲笑したりしていたのである。しとしとと泣く春風が彼らの心に火をつけたのも当然だった。
だが、婚約破棄は、とりわけ女にとっては大スキャンダルである。センセーショナルな宣戦布告に、しかしアガサは落ち着いて「なるほど」と頷く。
あの小娘、意外と手練れか、と。いじめを告発するでもなく、きちんと彼女の弱みを突いてきている。面白い。なるほどあの程度でへこたれる女ではないはずである。
「ふむ…」
もうなんか参謀みたいな顔で頷いていたので、周りの男達はハラハラして待っていたのであった。
男たちが耐えかねてせっつこうとしたとき、ようやくルビーの柔石が動いた。真珠のような歯並びが熱い影の奥に見えた。
「よろしいでしょう。その意思、認めます」
「そうだ、早く…えっ」
まさかこんなあっさりと。ダイムは苦々しい顔で「腑抜けたか」と呟いた。聞こえているのかいないのか、アガサはひらりと扇子を振るだけだ。羽根に散りばめられたエメラルドが光の筋を残して瞬いた。
「ただし。一週間だけ」
「一週間」
「あたくし、気の短い女じゃないけど男を待てる女でもないの。一週間以内じゃなきゃイヤよ」
戻る気ならばその日までになさってね。と言い残して、クイーンは去っていった。
影ひとつを従えて、ラストノートすら残さなかった。
・・・
以上。