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第一話 カノードロの悪夢

 結局のところ、どれだけ世の中が魔法だの奇跡だのに満ちていたとしても、出来る事は限られている。

 もっと適確に言うのであれば、飛竜とそれに乗った騎士の集団に追われている状況で、魔法だの奇跡だのは都合良く助けてはくれない。

「魔法使いはさっき襲われて居なくなったしなっ」

 恐らくは尻尾を巻いて逃げ出したか、飛竜の吐き出した炎で既に消し炭になっているかのどちらか。

 一方で自分も逃げ出しているし、消し炭になるのも時間の問題であるため、同行していた魔法使いには文句も言えない……と、彼、ソール・レイントは考えていた。

 自らの目に映る光景をソールは確認する。炎を吐きながら飛竜が迫っている。周囲の大半は荒野で開けた土地が広がり、隠れる場所も少なそうだ。

 ただし、前方には森が見える。木々が生い茂る森であり、ソールが目指す先もそこであった。

 が、そこに辿り着くまでにまだ走り続ける必要があるし、どれだけ必死に走ったところで飛竜に速度で勝てるものではないだろう。

(勝てないから大人しく灰になる運命ってのも、受け入れがたいけどな!)

 だから、逃げるのではなく戦う事を選ぶ。

 振り返り、地面を強く蹴り上げ、腰から下げたスコップみたいに幅広の短剣の柄を握るや、一気にその場からジャンプした。

 瞬時に、その視界は襲い来る飛竜を駆る乗り手、一般的には騎士と呼ばれる人間と並ぶ。

 高さにして成人男性の身体三人分と少しくらいだろうか。人間がそれほど跳躍できるなど想像した事も無いのか、飛竜の騎士はその顔を驚愕に染めていた。

「こっちは翼が無い代わりに、足を鍛えてるんでね!」

 聞こえるかどうかは、特に反応も期待していないため気にせず、ソールはまず飛竜の顔の先端に足を掛け、そこを足場にする形で一歩踏み込む。

 その一歩の距離は、一息でソールが持つ幅広の短剣を、飛竜の首元に股がる騎士へと届かせた。

「がっ……うっ」

 騎士はその重さを軽減させるため、極力軽装だ。こちらが短剣であろうとも、それ防ぐ程の鎧は着込んでおらず、がら空きの首元から血を放ちながら、力無く飛竜から落ちて行く。

 御者を失った飛竜はと言えば、そのまま背に乗るソールを振り落とそうと空中でもがき続けるが、そんな背をソールは足で叩いた。

「―――!」

 ソールの踏みつけは、身体を飛竜が飛ぶ高度にまで跳ねさせる脚力から来るものだ。巨体のワイバーンであろうとも悲鳴をあげる。バランスを崩させる事も出来るだろう。

 倒し切る事は? 残念ながらそこまでの威力は無い。ただし、バランスを崩した後の飛竜は、次に背中のソールを敵と見做すだろうし、それは不味いと考える騎士はもういない。

 一方、飛竜の背中を叩いたソールは、そのまま次の飛竜と騎士へ再び身体を跳ばしていた。

 背中を叩かれた飛竜は当然、恨みの籠った目でソールを狙う。次の飛竜へと辿り着いたソールをだ。

「飛竜と騎士は一蓮托生だったか?」

「何を―――

 目の前の騎士が何かを話す前に、ソールは再び飛竜から跳ねた。今度は騎士にも手は出さない。その余裕も無いだろう。

 今すぐこの場を離れなければ、これから始まる大乱闘に巻き込まれてしまう。

(多勢に追われてる時は、これに限る)

 要するに、敵同士をかち合わせるのだ。今回で言えば、最初に叩いた飛竜は、ソールを狙おうとする勢い余って他の飛竜に攻撃を加えてしまう。

 実際に今、そうなった。背中を叩いた飛竜は、次にソールが飛び乗った飛竜に対して、炎を吹きかけ、そこに乗る騎士を燃やしてしまった。

 そうなった以上、火を吐きかけられた飛竜とて反撃する。そちらもまた、それを何とか出来る騎士は存在していない。乗り手がいなくなった飛竜二匹は、お互いに仲間であったはずの相手を信用出来なくなってさらに狂暴に、ソールなど眼中に入れずに暴れ回る事だろう。

(こす狡い手だって文句は言わないでくれよ……こっちも必死なんだ)

 頭の上で飛竜達が争い始める光景を見ながら、すぐに視線を正面に移す。

 飛竜から飛び降りた際の着地は足に相当な衝撃を与えてきたが、痛みに悶えているわけにも行かず、無理やりに動かして逃走を再開した。

 ソールはこういう事に慣れていた。大した高さから着地するのも、痛みに耐えるのも、走り続けるのも、どこかへ向かい続けるのも。

 それがソールの、今のところの生き方であった。




 戦王国と叡王国が戦争を始めてからどれほどの月日が経過しただろうか。

 それを正確に知る者は少ないだろう。一方で、それが今も続いている事は、この二国に生きる者であれば誰しもが知っている。

 それぞれの国は常日頃から戦場で戦う兵士と、戦場で消費する物資を求め続けており、その営みに関わらぬ者などどこにも居ないからだ。

 ソール・レイントもまた、そんな営みの中で、傭兵としての生き方を見つけた人間の一人だった。

「同行されていた魔法使いですが、叡王国側よりの通達で、本日、死亡が確認されたという事です」

 薄暗い木造の小部屋で、そんな報告を聞くのも慣れている。

 通達した側の叡王国はあの飛竜部隊が所属しているはずの国であり、はぐれた魔法使いを戦死させた側である事もまた、慣れてしまえば違和感も覚えない。

 ここは戦士の館。戦王国と叡王国の国境線上にありながら、それぞれに傭兵を送り込む事を生業とする、気狂いな商人に寄って運営された、そういう場所の一室だ。

 昨日の敵が、親切に情報を教えてくれるという事も日常茶飯事。ソールとてその両国に雇われた経験を持つ傭兵であった。

「あいつ、故郷に借金残して来て傭兵を志したなんて言ってたが、戦死の際の慰労金で返済出来たのかね」

「さあ。けれど魔法使いで傭兵なんて、どうせ碌な人生設計ではありませんよ」

 と、ソールに言葉を返してくる彼女の名前をミスリット・ロードランと言う。

 この戦士の館で、主に事務作業や傭兵への報告連絡業を行っている。彼女もまた、一応は傭兵で魔法使いの少女である。

 見た目だって悪くなく、生き死に関わらず生きていける知識だってあるだろうに、今の立場になっているという事は、確かに、碌な人生設計では無いのだろう。

「で、事後の整理が終わったところで、俺に渡される予定の報酬はどうなるんだ? 敵地への斥候及びその情報の報告までが仕事の範疇だったわけだが」

 飛竜の部隊に追われる事になった仕事もまた、戦士の館を通して、戦王国より依頼された仕事であった。

 国が戦士の館に適切な人員の派遣を依頼し、館はその報酬の内、幾分かの手数料を懐に入れ、残りを傭兵へ渡す。それが戦士の館と、ソールの様な傭兵との関係性である。

「そーですねー。斥候の本来の目的が、件の飛竜部隊撃退のための前段階であったわけで、あなたの行動に寄って、その予定が大きくズレたと戦王国側からは文句を付けられています」

「おいおい、勘弁してくれよ。命からがらなんてもんじゃなかったんだぞ。その部隊の内軟体は仕留めたんだから、成果らしい成果もあったろう」

 難度の高い仕事でもあった。そういう類の仕事は、全てが全て上手く行く事の方が稀で、報酬を支払う側もそれを念頭に置いて金銭を用意しているはずなのだ。

「そもそも、言われた仕事については行ってる。逃げる途中で見つかったのはこっちの不手際だが、それはこっちの責任として、一人の傭兵の命を支払ったわけでな」

「分かっていますから、館側としましてはその交渉を行い、事前の取決め通りの報酬はいただきました。という事で、手数料は何時もより割り増しとなります」

「こ、こいつ……!」

 理屈は一応、通っている。そういう面倒を戦士の館に一任出来るというのが、この館に傭兵として身を置く際のメリットの一つなのだ。

 その分の手数料を寄越せというのは、間違った言い分では無いだろう。

 行き過ぎれば不当なやり口で信用を傷つけたと傭兵が離れる理由になるだろうが、今回に関してはそこまでの事ではあるまい。

 と、ソールは傭兵として生きるために必須な算段を付けて、溜息を吐いた。

「で……手数料差っ引いた上で幾らくらいになるんだ?」

「そですね。こちらが三割いただいてドルゴン銀貨で40枚ほど」

「いや、いくら何でも取りすぎじゃないか?」

 だいたいは報酬に対する手数料は高くて一割程度だ。平均的な相場はそのさらに半分となるだろう。

 ただ、逆にソールは冷静になってくる。戦士の館がややこしい場所で、面倒の多そうな仕事をしているのは、妥当と周囲が思える仕事と結果を提供してきたからである。

 ここでソールが違和感を覚える様な事を伝えてきたのは、何かあると考えさせられる。

「なんだ? もしかして、戦王国側から追加で何か言われたか?」

「むしろとある仕事を紹介されました。その詳細について伝えますので、その仕事を断る場合はこちらに三割。そして、受ける場合は一割で結構です。どうです?」

「……とりあえず、聞くだけに関しては、特に問題は無いわけだな?」

「ええ。勿論」

 何かの罠に嵌っている様な、そんな感触があるものの、現段階では罠の輪郭さえ分からない。だから話を進めるしか無いわけであるが……。

(聞いたら、こいつは受けるだろうと予想されてるわけだよな……)

 やはり溜息を吐きたくなる。交渉事は苦手だ。それは誰しもが抱える悩みかもしれないが。




 戦士の館の隣には、増築される形で酒場が存在している。

 金を稼いだ傭兵や、明日の命が無いと怯える傭兵などの騒ぎ場所として、戦士の館が用意した施設との話であるが、その実、渡した報酬の幾らかをさらに徴収するべく、悪知恵の働く誰かしらが考え付いたものだろうとソールは思っている。

 そんな場所の、席の一つに座りながら、やや汚れた机に肘を突き、ソールは人を待っていた。

(騒がしい中でって思われるかもしれないが、こういう場所こそ、あんまり聞かれたくない会話ってのがし易いんだよな)

 誰も彼もが、賑やかに、向こう見ずに、他人を気にしたりしないそんな雰囲気。余程の大声で話さなければ、会話の内容は喧噪の中に溶け込む。

(少なくとも、ここで仕事内容の詳細を伝えるとか言ってきている戦王国の人間は、そう考えてるってわけだ)

 先のミスリットから、戦王国より再び仕事の紹介があったという話と、その概要は聞き及んでいたが、具体的な話は、戦王国側の人間がここで直接伝えるとの事である。

 何時とは伝えられていないので、ここに座っていれば直に向こうから接触してくるだろう。

 今のソールは、店に安酒を頼みながら、ただそれを待ち続けている。

 そうして、その時はごく自然にやってきた。

「ソール・レイントだな?」

「……ああ」

 机を挟んだ対面にやってきた、フードを被った相手に対して、ソールは頷きで返した。

 その声が女性のそれだったことには、内心で多少、驚きながら。

「仕事の話がある」

「聞いてるよ。で、あんたはどういう立場だ? それをどこまで明かせる?」

「何も無いと言った場合、首を横に振るか?」

 その女は、フードを被ったまま椅子に座る。目を向き合えば、さすがに顔くらいは分かる。

 整った、そして皺の無い顔立ちから、恐らくは若い女性なのだろう。

 そんな女性の質問に、ソールは答える事にした。

「話と報酬の内容に寄る。何も言えないが、ここでこうしろって仕事も無いわけじゃあない。結果は保障しないけどな」

「つまり、そういう類の話になれば、成功するかどうかも怪しくなると」

「報酬も高くなる。ただ、そういう話をするなら、戦士の館の窓口にでも話せば良い。こっちはそこまで詳しく言える身じゃあなくてね」

「……分かった。とりあえず私は、戦王国特務戦士団のショーゴという者だ」

 と、女は自らの身分と、フードを頭から退ける事で、その外見を明かして来た

 ぞっとすると言う程でも無いが、綺麗な銀髪とそれに見合った顔。まあ、こういう場所には似合いそうにない、そんな人間に見えた。

「特務戦士団ねぇ……つまりその名前は偽名か」

「不服か?」

「いいや。そういう連中がいる事と、そういう連中がどういう仕事をしているかは知ってるしな」

 戦王国特務戦士団。武力を通して、戦王国上層部にとって都合の良い状況を作り出す事のみを目的とした、かなり自由度が高く、一方で行う作戦の機密性の高い組織。

 与えられた密命の中には、要人の暗殺から反抗的な住民の内部扇動というものもあり、汚れ仕事をする連中と忌み嫌われる時もある。

 ソールの印象はと言えば、昔、彼らと関わる仕事をした時には、共に叡王国のある拠点への破壊活動を行った事がある程度。いつの間にか陽動側にされた事もあり、抜け目ない連中で注意する必要があるというものもあるが……。

 ちなみに、彼らはしっかりとその拠点を潰した。

「では、仕事の話の前に一つ尋ねるが……前の仕事で叡王国の飛竜部隊とやり合ったのは本当か?」

 こういう問いかけにも、某かの意味があるのだろうと思い、考えてみるも、今の段階では探りを入れる事も出来ないと結論を出し、正直に答える事にした。

「やり合ってはない。追われて、逃げ切れたってだけの話だ」

「報告で直接に対面する様な状況だったと聞いているぞ」

「それでも逃げ道があったからな。目の前で大きな口を開いてる飛竜がいる状況で、やり合えとか言われたら、そりゃあ困る」

「ふむ。状況を利用するのが上手いという事か? 人一倍に、身体能力が高いという話も聞いているが」

「そこらの連中と比べれば、そりゃあそうだ。大猪より力持ちかと聞かれたら、どうかなと首を傾げる程度の物さ」

 超人では無い。ソールはなんでも出来てしまえる様な神の如き力なんて持っていない。他人よりも、生きる事に役立つ能力を持っている人間というだけだ。

 だから悠々自適には暮らせないし、今は傭兵をやって生活している。

「そうか。いや、むしろそういうのが向いているのか……?」

 何かを考える様に呟くショーゴ。

 何を考えているかは分からないが、値踏みされている事くらいは分かる。いったい、自分には幾らくらいの値段が付けられているのか。その部分は気になった。

「あんた、俺に何をさせるつもりだ? 何が出来そうだと考えている?」

「カノードロという町は知っているか?」

「確か戦王国南方の町だろ。陸の流通路近くで、そこそこ栄えてるって話だが、行った事は無い」

 戦王国も広い。傭兵としてあちこちの国や町へ赴く事のあるソールとは言え、そのすべてを自身の目や手足で確かめるには、世界は広すぎるのであろう。

 だから戦争や諍いも絶えない。

「今、カノードロはその機能を喪失している。叡王国側が仕掛けた作戦に寄ってだ」

「流通路に近いって事は、攻め込まれ易い土地でもあるからな。驚きはしない」

「こちらとしても戦場の一風景として当初は受け止めていた。偉い人間の首の一つか二つかが跳んで、奪還にはどうしようかと考える具合の話だなと」

「ところがそうも行かなくなったか?」

 ここまでは傭兵などより正規兵が関わるタイプの話であるはずだ。

 ソールがどれほどの物だとしても、雇ったり頼ったりするべき対象としては選ばれないだろう。

「既に第一次の奪還作戦が行われた」

「わざわざ一次なんて言うからには、それは失敗したのか? 取られやすい町なんてのは、取り返しやすい町でもあると思うけどな」

「第一次作戦に投入された兵数は三百。その装備も士気も十分かつ、状況把握を優先して無理をするなとの指示もされていた。結果、作戦後に帰還した兵は二十にも満たなかった」

「ははぁ。だから今度は使い捨て出来る奴で状況を探らせようってそういうわけだ」

「ちゃんと使える奴を……だな。どうにも状況は、一般兵士では手に余る状況であるらしいが……これ以上、詳しい話をするのなら、それは依頼を受けてからにして貰う」

 ショーゴの言葉は依頼してくる側として不遜な物か? ソールはそう思わない。

 危険な任務だとは既に伝えてきているのだ。それだけでも、生半可な依頼者よりは上等な類とすら言える。

 あとはソールがこの話からどこまでを見極めるかであろう。そういう部分もまた、傭兵に求められる技能であった。

 だが、それでも先に一つ、聞いておくべき事柄が残っていた。ある意味ではこの場における作法とも呼べるそれを、ソールは遠慮なく言葉にする。

「で、報酬は幾らの仕事になるんだ?」




 かつてそこは、賑わいの只中にあった。

 国内随一とはお世辞にも言えぬが、それでも大きく、整備の行き届いた町として、規則正しい石畳みの道が町のあちこちを繋いでいた。

 立ち並ぶ家屋や見張り用の塔もまた、内側に向かえば規則正しく、外側に向かえば町の発展と共に混沌とした形で外付けされるそんな街並み。

 その町の名前はカノードロ。今はその町を作り出す建屋が、外壁の半数が崩れ去り、それらも静かな夜の帳に隠されようとするそんな場所。

「何か居るな。なんだこれ? 住民にしては獣染みてる」

 と、崩れた外壁から町へと入ろうとしていたソールは、それほど大きく無い声で呟く。

「事前に説明した通りだ。獣がいる。叡王国側が送り込んだであろう狂暴な獣だ。カノードロはその獣に寄ってこの有様に成り果てた」

 ソールに仕事を依頼し、同行する事にもなっているショーゴが言葉を返してくる。

 だいたいソールと同じ声量なので、声をさらに潜める必要は無いらしい。

「というより、分かるのか? こんな場所から、人や獣の気配が?」

「理屈が付くのか勘か。俺だって良く分からないが、なんとなくでもそういうのが分からないと、生きるのが難しい仕事をしていてね」

 恐らく空気の動きや臭い、微かな足音や擦過音で把握できているのだと思うが、ソール自身にとってもこれぞという答えの無い技能ではあった。

 だからそれほど信用もしていない。両の目で敵を視認してこそ、あらゆる手段というのは生まれてくる。

「町をこうした獣は確か中心部分を縄張りにしてるんだったか……とりあえずは、ここから外壁の内側沿いに少しずつ内側に向かっていく事にしよう」

「悠長に出来る時間があるとは言え、随分と慎重だな」

 ショーゴのその言葉に眉を顰める。

 彼女はどうにも、やはり兵士であるらしい。流れの傭兵の類ではない。

「自分の命は一つだけだ。二つも三つも持ってるやつなんて見た事が無い。慎重にもなるさ。俺やあんたのたった一つの命が無くなれば、その時点でどれだけ俺たちが頑張ったって無駄骨になる」

「我々がどうなろうと、次がある」

「俺たちの方は次には繋がらない。そこを間違えるなよ。思うに、だからこそ今、俺みたいなのを雇う破目になってるんだろう?」

 カノードロを襲う獣。それに対しての情報は、たかが獣相手だというのに驚くほど少ない。

 その獣が、栄えた町を今、廃墟に変えてしまっているのだから、冗談にもならない事態であった。

「わかった。これまでの作戦に慎重さが欠けていた事は認めよう。だが、慎重になったところで意味はあるのか?」

「あるさ。あんたは獣って言ってるが、町をこうしたのは獣たちだ。一匹じゃない。まずはそこへの確証を得てからだな」

 町には気配が蠢いていた。人ではない何かの、そんな気配が。




 この仕事を受けた際、ショーゴより伝えられたカノードロの状況とは、叡王国が放った狂暴な獣により、町が破壊されたという物であった。

 その獣は人間では無い以上、手当たり次第で破壊活動を行い、送り込んだ兵士すらも撃退してしまう、そんな超常的な獣なのだと。

 しかし、獣が複数居たとして、それがすこぶる狂暴であったとして、町をこんな風に出来るものだろうか。

 町を外周から徐々に内側へと観察していったソールが抱いた感想はそういう類のものであった。

 夜の闇の中、あちこちに崩れ去った建屋がある。この町から人が居なくなって数か月程。建築物が自然に倒壊するにはまだまだ早いだろう。

(じゃあ獣がこれだけの破壊をまき散らせるかって話だ)

 猪や熊を想像したところで、突然変異レベルで大きくならなければ不可能であろう。

 それに、それくらいに大きくなったとしても、町の衛兵や国の兵士達を返り討ちにする事は難しい。

(単純な怪物としてなら、ドラゴンか陸クジラか、そこまで行かなくても大魔獣くらいだったとしたら……出来るか?)

 まだ見ぬ化け物を瞼の裏で思い浮かべつつ、目を開けばそれを否定する。

「なあ、ショーゴ」

「なんだ。いい加減、悠長に偵察を続けるつもりでも無くなったか?」

「いや。偵察しといて良かっただろ」

 と、立ち止まる。その瞬間、目の前少し斜め横の民家の壁が爆発した。

「敵襲か!?」

 驚くショーゴの声を後目に、ソールは壁が爆発した民家の屋根へと跳んだ。

 飛翔するワイバーンにすら跳び付ける脚力ならそれくらいは可能であったが、今の問題は民家が爆発した原因。

 いや、それは爆発したのでは無く、単純に内側から圧壊したのだ。

 土煙が晴れれば、民家の内側から爆発かと思う規模の大きさを持った巨腕が現れる。

(巨人!? いや、違う!? なんだあれ!?)

 それは間違いなく巨大な腕だった。だが、巨大な腕だけであった。

 人間の腕をそのまま民家の規模にまで肥大化させただけのそれ。蠢く姿は芋虫の様だが、手を広げればソールの身長くらいにはなる手のひらが付いた芋虫もそうは居ない。

「おい、ショーゴ! そっちは逃げろ!」

 それは明確に、ソールとショーゴを狙っていた。今は咄嗟に屋根まで跳んだソールを見失って硬直しているが、ショーゴの方が狙われる前に、ソールは叫ぶ。

 目論み通りと言えば良いのか、それとも止めて置けば良かった。巨腕はこちらを見つけてくる。

 そうして、それと同時にショーゴの声もどこからか聞こえて来た。

「気を付けろ! そいつには五感が備わっている!」

「お前、これが何か知ってるな!?」

 ショーゴの助言を聞いたうえで、ソールは結論を出した。裏のある仕事を請け負ってしまった。

 舌打ちしたくなる衝動を、現れた巨腕への危機感へ打ち消しつつ、ソールは立っている位置からもう数歩ほど後方へと移動する。

 巨腕の方も民家の屋根へと羽跳んで来たからだ。

 その見た目に反した身軽さでソールと同じ高さまでやってくるや、その見た目通りの重さで屋根を軋ませる。

 穴でも開くのでは無いかというドシンとした勢いとミシミシという破壊音に屋根が揺れる。

 だが脅威はそこで終わらず、さらに屋根を崩しながら、ソールへと巨腕は迫って来た。

(見た目に驚いてる場合じゃないなっ)

 一足程、ソールは後方に跳んだ。それで最接近までの時間は数瞬稼げるも、それより後ろは屋根の端。これ以上引くとなれば屋根から落ちる結果に終わる。

(逃げに徹するならそれでも別に構いやしないが、着地で隙が出来るのは問題だろうさ。ならどうする?)

 冗談にもならないが、巨腕と相対する他無いだろう。直接にぶつかり合う……のは、少しばかりソールの背丈が足りないため、腰より幅広の短剣を鞘から引き抜き、迫る巨腕と半歩分だけズレる様に身体を動かす。

 巨体の勢いは、慣性から容易くその方向を変えられないのが唯一の付け入る隙だ。 

 すれ違い様にソールは手に持った短剣で切り付ける。

「見た目は奇怪だが、やり方はデカい獣相手と変わらないか?」

 すぐさまに振り向き、切り付けられた痛みに蠢いているらしい巨腕を見つめる。

 丁度人間が指をナイフで切った程度の切り傷であったろうが、それでもダメージはあった様子だ。

(痛覚があるのは幸いだ。付け入る隙が増えてくれる……が)

 決め手に欠ける。というよりも、目の前の巨腕に命に届き得る臓器があるかどうかも謎だった。

 巨腕は痛みへの躊躇が見えたが、それでもまたソールへと迫る。ならば同じ行動を繰り返すのみだと考えるも、自らの直感がその行動を阻害してきた。

(こりゃ、あからさまにフェイントだろ!)

 ソールはむしろ、さきほどより距離を取った。先ほどと似た様な動きをしつつも、すれ違ったところで短剣も届かない距離でもって、今度は巨腕を避けたのだ。

 結果、その行動は半分ほど正解だった事が分かる。

「くっそ……!」

 もう半分の不正解は、取る距離がそれでも短かった事。

 巨腕の指が伸びたのだ。その伸びた指で持って、横へと逃げるソールの身体を掠らせる。

 それだけでも勢いと衝撃はソールの身体を傾かせるには十分だった。

 身体に欠損は無く、ダメージもそれほどでは無いだろうが、ここでの問題はソール側に隙が出来た事。

 それは再度の巨腕の突進を招く事になる。いや―――

「伸びたんじゃなく、裂けた?」

 巨腕の指は裂けていた。指は裂け、深さを増し、その角度の広がりでソールに指を届かせたのである。

 さらに今は、裂けたその指と指の間に膜の様なものまで出来ており、それに寄って宙を滑空し始めた。

 今度は突進では無く、上空からの踏み潰しであるらしい。

(芋虫から今度は蛾……印象としてはむしろ蝙蝠だが、何にしたって奇怪極まりない!)

 落下するその巨腕から、前転する事でその地点より逃げるソール。タイミング的にはギリギリか。

 屋根へとぶつかり、建物そのものを軋ませた結果の風圧を肌で感じながら、前転の勢いのままにさらに距離を取る。

(これは奥の手のつもりだったんだけどな……!)

 短剣の握る手と反対側の手で、腰の後ろ型に掛けておいた細工物を取り出す。

 通常とは反対側の方向に畳まれた木製のハサミみたいな見た目をしているそれであるが、開けばハサミでは無く弓へと変わる。

 折り畳み式の弓であり、矢の方は風切り羽も無い短い鉄製のものが十二本。右の腰部分に下げたポーチにすべて入っている。

 ソールが得手とする飛び道具でありつつも、構造からそれほど威力は期待できない。だが、今は使わざるを得まい。

 畳まれた弓はすぐさまに開き、弦から鉄製の釘にも見える矢を放った。

 当たり前の話として、そんな不格好な姿の弓と矢は、不格好にしか飛ばない。それほど距離は無いというのに、巨腕へ真っ直ぐに向かってくれなかった。

 構わない。これはそういう類の武器だ。

「飛べっ」

 それは祈りに近いが、ソールの技能も足された祈りだった。絶妙な角度、その時の風向き、天候、自分の身体の調子に至るまでを経験則というものですべて包み込み、瞬時に軌道を導き出す。

 故にその軌道は、まるで風に乗るかの様に縦横無尽に変化する。

(俺の奥の手の一つ……切り札なわけなんだが……っ)

 それは巨腕に届く。狙ったのは巨腕の中でも弱そうな部分。指を切り裂き現れた膜の部分。

 鉄の矢はそれを貫き破り、再び滑空して迫ろうとしていた巨腕をソールの目の前に叩き落とす事には成功した。

 成功したのであるが―――

「それで仕留め切れないとなると、どうしたもんか……」

 巨腕はなおも健在だ。矢で指の間の膜が破れただけ。落下の衝撃でどうこうなってくれるなら、そもそもこちらを空中から押し潰そうなどとはして来ないだろう。

(どうする? あれを使うか? こんな場面で? 派手にやらかして、他のがやってきたら?)

 頭の中で、次の手段を模索する。方法ならある。だが、取れる手段だけが最善というわけでもあるまい。

 実際、変化はソールが何もしない段階で発生した。巨腕はこちらに背を向けたのである。

(背? 手の甲? いや、どっちでも……逃げを選べるか)

 巨腕はソールに単体で勝てぬとでも判断したのか、ソールから離れる様に屋根から飛び降りると、立ち並ぶ建築物やその瓦礫をさらに破壊しながら直進し、逃げて行った。

 それを追う事もソールなら出来ただろうが……。

「その前に、やっておく事があるわな」

 と、ソールも屋根から飛び降りた。巨腕が降りた方では無く、先ほどまでソールが居た場所へ。

 そこには未だ逃げず、こちらを見つめるショーゴの姿があった。

「それなりに、出来るらしい」

 そんな言葉を投げかけて来るショーゴに対して、ソールが言える事は一つ。

「金を貰って、契約もしておいて何だが……もうちょっと詳しく話して貰いたいね」

 巨大な腕を獣とは言わない。

 人間の腕の形をした巨腕が、人間と関係無いはずも無い。

 腕の特性を知っている風だったショーゴは、ソールが知らない情報をまだ知っているはずだ。

 そんなソールの考えは当たっていたらしい。

「あれを退けた以上、説明するだけの価値はあるのだろうな。そのためにこそ、私も同行している」

「提案を受け入れてくれて幸いだが、これ以上、人を試す様な事は止めろ。俺だって苛立つ」

「分かっている。だが、こちらとて慎重にならざるを得ない事情がある。それを含めて、説明する事になるだろうが……」

「なら、ここを移動しながら話でもしようか」

 ショーゴの話も気になりはするが、それ以上に、巨腕が去った事も懸念事項だった。

 どこかへ逃げた以上、何かをこれからするつもりではないか? そんな予感が、頭の中で過ぎっていたから。




 カノードロは比較的戦線に近い町であり、またそんな町の中では規模がある町でもあった。

 今はその見る影を無くしているが、少なくとも、その時までは戦王国にとって価値のある町であったのだ。

 どういう価値か? 聞く人間に寄っては経済的であったり拠点としてであったりするのだろうが、今回の場合は、戦争に関わる事柄全般の、総合研究地として価値があった事の方が重要だったそうだ。

「結局は叡王国の獣の仕業じゃなく戦王国側の連中がやらかして、このザマってわけだ。どおりで報酬と秘密が多いわけだ。口止め料も含まれていたな?」

「その部分については勘づいてはいただろうに」

 それほど反省した様子を見せないショーゴと話しながら、ソールは小走りで町の中を移動し続けている。

 どこを目指しているというより、どこか一か所に留まって置きたくないという理由が強かった。

「強力な兵士を作りたかったというのは、戦争研究の中においてはそれなりに在り来たりなものだろう?」

「結果として出来たのがあのデカくて気持ちの悪い腕か。その腕に町一つ壊されてるんだから世話は無いな」

 ショーゴから聞いた事情というのは、つまり、戦王国側で人をどうこうしてしまえる研究を続けた結果、町一つが壊滅してしまったというものであった。

 結果を考えれば大失敗も極まっていると思う。後始末をしようとした部隊まで失って、等々追い詰められた管理者側が、ソールの様な人間まで頼ろうとしている。裏を考えるにしても、せいぜいがそんなところなのだろう。

「とりあえず、国のやらかしを糾弾出来る立場でも無いし、憤りを覚える性質でも無い。今重要なのは、相手をしてるのが何かってところだ。想定してない事件である以上、どこまで知れてるか分からないが、知ってる限りは話してくれ」

「怒りに任せてこんな仕事やってられるかと言われなくて幸いだ。聞くに及んで、やっぱり怒り出さないで貰えるとさらに有難いのだが」

「不安になってきたかな」

 強い正義感なんてものを抱えない我が身であるが、それはそれとして無茶をしろと言われれば、無茶だから嫌だと言うくらいの常識は持っているのだ。

「私も資料でしか見ていないのだが……ここではお前の様なのを作ろうとしていた」

「……俺?」

 気でも狂ったのかこの女は。国の指標になる様な生き方をしているつもりがソールには無いのであるが。

「歴戦だけでは説明付かない、力を持った兵士や戦士の事だ。お前のさっきの戦いを幾らか観察させて貰ったぞ。妙な武器を使って妙に戦って、あの大きな腕を退散させてしまった」

「妙ではあるとは俺も認めるところではあるが……」

「お前だけじゃあない。戦場には時々、そういう力を持っている連中が、大きな戦果を挙げる事がある。研究者はこれが何らかの魔法的か神秘的な作用が働いているのではと考えてだな……あーえっと」

「分かった分かった。専門的な話は俺だって分からないから省略して良い。常識的じゃあない傭兵なんかは俺だって何人か知ってるから、そこまでは理解できる話だ」

 自分も含めて、一般的から外れている存在というのは、少なくともソールが生きる世界には居るのだ。

 そうして、研究方針とやらもなんとなく分かってしまった。

「色々と手段を選ばず、なんとか再現性のあるもんが出来ないかって、試してみたのか」

「そうだ。結果として……巨人が生まれた。という報告がある」

「巨人?」

「ああ。人間一人が巨人に変じた。そこまでは報告出来る程度に研究は安定していた……らしい」

 だから五感があるなどという情報も言えたのだろうか。あの巨腕が、元は人間だからと判断していたから。

「……巨人って、腕だけでか?」

「いや、そこはすべてにおいて巨大化しているという話だったが……何だろうな、あれ」

 さて、ここからは本気で訳の分からない事態というわけだ。

 巨人が居ると聞いてやってきたが、腕だけで蠢いていたぞと情報を持ち帰ったとして、どれほどの評価をしてくれるか……。

「ああ、くそ。つまり、まだ暫く調査とやらを続けない限りは、報酬も限られるってわけだな」

「私の方も、ここで中断というわけには行かない」

 すべてを解決する事が任務では無いが。状況を報告出来る程度に理解するのは仕事の内だった。

「俺が見た限り、巨腕は町の中心へ向かって行った。単に縄張りがそこである可能性もあるが……」

「戦争研究がされていた研究所もそこにある。ほら、あそこだ」

 町の中央。そこにはかつて、カノードロの象徴でもあっただろう時計塔が未だ立っていた。

 あちこちが廃墟になった町において、それはむしろ不気味さを感じさせるものであったが、今やこれから向かうべき目的地にもなってしまう。

「ま、外周をうろうろしてるだけで終わる仕事でも無いか」

「だろうな。次は私も……戦う必要がありそうだ」

 と、ショーゴは町に来てからずっと持ち歩いていた長い棒状のものへ触れる。布袋に包まれたそれを手に持つや、彼女はその袋をさっさと剥がし捨てた。

「中身は魔法杖か」

 袋の中身は、木製の杖である。しかしその外観は通常の杖ではなく、細長い木の枝を曲げ、伸ばし、輪で無理矢理纏めた様な、そんな外観の杖。

 そんな杖の形状をソールは知っていた。

「対象から一定の範囲を破壊する魔法を込めた魔法杖だ。八発込めの特製でな」

 ショーゴが続ける様に説明していく。

 魔法杖に関しては、戦場に立つ者ならば誰しもが知っている武器の一つだった。

 かつての戦場では魔法使いという専門知識を持つ者が魔法を使って活躍していたが、その魔法の力を誰しもに使える様にしたのが魔法杖であった。

 事前に魔法を杖に込める形で、一回使ったら使い捨てという様な道具から徐々に進歩する中で、何発かの魔法を込められる杖が今の主役だった。

 それでもだいたいが四発から多くて六発がせいぜいという話なので、確かにショーゴが持つものが特別なものである事が分かる。

「さっきの巨腕相手じゃあ使わなかったな、そういえば」

「数が限られている。お前一人で相手取れるならばそうするべき状況だろう?」

「まあ、今は口論は止めておく」

 後できっちりと文句は言っておこうと心に留めてもおく。二人とも無事で終わればの話だったが。




 ソール達が町の中央へ向かう中で、やはり別の化け物と遭遇する事になった。

 それは巨腕だけで無く巨大な足首から先の足だったり、腕と胴体の間の上腕部分が転がって来たりもした。

 それらと出会い、時に迎撃するに従って、ソールの頭の中におけるカノードロの町の風景は、今やミニチュアの町に転がるバラバラ死体というものへと成り果てる。

「ったく、碌でも無い。なんで奴らはバラバラなんだよ?」

「そんなのは私だって分かるはずが無いだろう」

 場所は時計塔近くの建築物。戦闘を繰り返す中でやや消耗し始めたソールとショーゴは、内部への突撃のタイミングを図っていた。

 時計塔の出入口付近には、常に化け物が見張る様に存在しているのだ。

 角がまるくなっている立方体。印象としてはそんな化け物がずるずると時計塔の周囲を回っている。というか蠢いている。

「あれ、もしかして胴体か?」

「大きさ的には腹あたりだろう。その部分だけが分離してると考えれば……考えたくもない」

 うんざりしてくる様な気分。そんな中でも仕事を続けなければならない。今のソールとショーゴはお互いに同じ心情を共有しながら、やはり二人して、いい加減動き出すかと結論を出した。

「ソール。あれと戦う可能性もあるだろうが、時計塔内部へ向かうぞ」

「今以上に情報を得るためにはそうなるか……ここまで来てもまだ、町の中で作られた巨人がバラバラの化け物になってる以上の話が出て来ないし」

 と、ソールは外を伺うための窓に足を掛ける。

「ちょっと待て。そこから出るのか?」

「目立つのを覚悟なら、ここからあの時計塔のどこかまでは跳躍できる」

「お前だけだろうに。私はどうする。私は」

「後から……あらゆる手段を講じて追って来て貰う?」

「無茶を言うな! 私の武器はこの魔法杖くらいだぞ! しかも既に二発程使ってしまっている!」

 自分は安全圏に逃げると言い出さないだけマシなのだろうが、足手纏いを介護するのは仕事の範疇では無い。と言いたいところだが、一応の雇用主はショーゴなので、どうしたものかと考える必要が出て来た。

「……時計塔の周囲には、あのデカい腹部分以外に、時々、足だったり手だったりが見張りみたいにうろついてる。が、ほら、幾つかある出入口の内、東側の部分の警戒が緩むタイミングがある。そこを見計らえば、地上からでも潜入できない事は無い」

「一つ聞いても良いか?」

「なんだよ。これも駄目だってのなら、本格的に置いて行くぞ」

 装備品がまだ不具合無く使える事を確認しつつ、出発の準備をする。食糧も大して用意していないのだ。長く町の中に居続ける想定はしていなかった。

「いや、つくづく思っているところなんだが、いったいどういう感覚をしているんだ? 戦い方についても、自己流と考えても良いのか? お前のその、技能は」

 化け物連中と戦いつつ、無事のまま町の中心へと辿り着いた事を言っているのか、それとも状況の判断能力についてを言っているのか。

 ソールにはショーゴの言葉の意図を測りかねていたが、単純に疑問に答えるのが早いだろうと結論を出した。

「一応、戦い方について色々と教えられた側だよ、俺も。先生みたいなのが居たんだ。その先生曰く、戦場やこういう場所において必要な技能は四つ。火と水と風と土に分けられる……そうだ」

「魔法的な?」

「いや、もうちょっと抽象的だったな。火は肉体の瞬発力。タイミングさえ掴めば、瞬間瞬間で常人離れした動きも現実に出来る。そんな話で、教えられるうちに、どうしてか出来る様になった」

 例えば上空で自分を狙うワイバーンへと跳躍できたり、民家の屋根へ一足で登れたりと言った事である。

「信じられないな。教えられてどうこうなるものなのか?」

「さあな。その通りなのか、俺にそういう才能があったから先生が教えてくれたのか……何にせよ、今でも意識してる事だ。その四つの力ってのは」

 今一番意識しているのは、風であろうか。

 周囲の環境を読み、利用する力。今、敵がどこに居てどう動くか。取り巻く風や空気の状況のどれが利点となり得るか。

 その力により、今は敵の位置を把握出来ているし、戦いにおいては短い鉄の矢をまともでない軌道で跳ばしたり出来る。

 風を意識する事で、その他多くの情報を細かく考えずに、直感に似た形で把握する。戦場においては瞬時に物事を判断する必要があるため、その様な技能としてまとめたものであるらしい。

「とりあえず今は、その力とやらを信用するしかないか……」

「気を付けておけよ。俺だって、全部頼れるってわけでも無い力なんだ。これは」

 ソールとて未熟なのだろうと思う。その未熟さでもって、この仕事をやり遂げる事が出来るか。今、重要なのはそこであった。

「タイミングは今だ。行くぞ、音を極力立てずに走れ」

「まったく。そうか、これが戦場で戦うという事か」

 そんなショーゴの愚痴が耳に入り、ソールは苦笑するのを我慢する。

 それはソールも常々、実感させられる言葉であったから。




 時計塔の中へと入るのは容易かった……とは言えないが、それでも無事とは言える状況だった。

 息を乱し、ひたすらに緊張させられながらも、なんとか町中にいる巨大な身体からは見つからずに済んだ状況だ。

 首尾は上々と言えるのではないだろうか。

「中に何か、進展のある物があれば良いが、無ければ無駄骨も甚だしいな」

 と、ショーゴが空気の読めない発言をしてくる。そちらとて必死に時計塔の中へ入り込んだのだろうに、多少なりとも期待があっても良さそうなものだ。それに……。

「何かはあるだろ。これは」

「まあ、だろうな」

 時計塔の外観は町の他の部分と比べて無事に見えたが、その中については尋常とは言えない光景が広がっていた。

 それは一見、カビに見えた。

 黒い粘性のカビに、壁や柱のあちこちが侵食されている。時計塔内部の光景を説明するならば、そう表現するのが手っ取り早いだろう。

 一歩踏み出す度に、不衛生そうで不快感のあるネチャネチャという感触が靴の裏を通して足に伝わって来る。そういう場所だ。だから表現としては間違いではない。

 ただ、それはカビよりもっと酷いものだと、観察を続ければ分かる様になる。

「何の肉片なんだよ、これ」

「まるで他人の身体の中に入ってる気分だ……」

「他人の身体だって、ここまで腐っちゃいないだろ」

 ソールとショーゴ、二人して時計塔内部の不快さを表現し合う。

 そうだ。ここは肉に包まれようとしている。カビに見えるのは少しずつ増殖している肉片だった。

 しかも、増えた端から腐り始めている様で腐臭が酷い。仕事で無ければ一刻も早くこんなところから去りたい気分にさせてくる。

「一つ、感想を言っても良いか」

 聞きたくも無い事をショーゴは尋ねて来るものの、やめろと言うのも億劫になる空気なので、ショーゴは話を続けて来た。

「この時計塔が、奴らの本体なのでは?」

「じゃあ正真正銘、その本体の腹の中に入ったってのか俺達は」

 このまま胃液で溶かされてしまうのだろうか。そんな事は御免被りたいが、今のところは溶かされる様な状況では無かった。

 つまり、やはり撤退という選択肢が無いという事。

「研究所みたいなのがこの時計塔内部にあったわけだろう? とりあえずそこを目指すか?」

「研究所は時計塔の地下にある。よりジメジメとした場所に向かうというのはあまり良い気分では無いがな」

 言い合ったところで状況が改善するわけでも無い。結局は二人して諦め、足を進める事になる。

 肉片の影響だろう。時計塔内部の湿気は酷いものであり、腐った肉片からは血の様なものまで滴っていた。

(きついなこれは。しかも地下に進めば進む程に酷くなっている)

 状況の最悪さは勿論、この先に待ち受けている物に対しても嫌な予感が膨れ上がって来る。

 こういう予感は嫌でも当たる。人間がごく自然に持つ警戒心が働いているからだろう。

 地下に向かうに従って、空気は澱み、それを鋭敏な感覚が拾い上げて、危機感を生み出しているのだと思う。

 その危機感は、減る事は無い。一歩足を踏み出す度にここから逃げ出せと心が叫び出す。

 その叫びが行動へ結びつくその前に、そこへ辿り着く。

 カノードロ軍事戦略研究所。地下にある事を考えれば十分な広さを持っている様に見えるその場所。

 幾つかの個室に分かれているらしく、今、ソールが足を踏み入れたのはその玄関口と言える。

「ここの肉片は、生きてるのか?」

 黒ずみが赤くなりつつあった。もはや黒カビと間違える事もあるまい。そもそも脈動するカビもなかなか存在しないだろう。

「襲い掛かって来ないだけ上等では無いか? 襲って……来ないよな?」

 ショーゴが尋ねて来るものの、どう答えたものか。危機件は未だ去ってはいないのだ。

「さっさと調べるぞ。それでこれ以上に危険そうなら、それこそ撤退のタイミングだ」

 町は妙な化け物に占領されており、その本体らしきは時計塔の元研究所にある。ある程度は報告する価値のある情報は集まって来ていた。

 報酬に見合うまであと一歩と言ったところだろうか。

 そのあと一歩が、部屋の扉を開けた瞬間に重くなった。

「っ……」

 息を飲む。そこには顔があった。

 ソールのそれより三倍は大きな顔が、天井や壁から生えた糸の様なもので絡められ、宙に釣られ、こちらを見つめていたのだ。

 目があった。顔と同じく大きくなった目が部屋へと入って来たソールを、睨むでも無く、ただ見つめて来ている。

「意識がある……のか?」

「あ……あー……」

 その顔は口を開く。首から下の無い、生きているとすら言い切れなかったその外観で、それでもソールの言葉に反応し、喋ろうとしていた。

 その顔から、漏れ出る言葉とは―――

「見ィ……つけ……た」

 顔が、引き攣った様に笑い、時計塔が揺れた。

「馬鹿な!? ここは地下だぞ!?」

 ショーゴの驚きの言葉に、ソールはむしろ冷静になる。地下でも揺れるという事は、周囲の地面を何かが揺らしているということ。

 いったい何が、どういう風に揺らしているのか。

「ショーゴ! 走れ! 逃げるぞ!」

 ここまでだ。ここまでで十分だ。それ以上は命の危険がある。そう判断したソールは、ショーゴの返答を待たずに顔のあった部屋から逃げ出す。

「どういう事だソール! いったい何が―――

 今のソールには、ショーゴの疑問に答える余裕が無かった。二人して、もしかしたら判断が遅かったかもしれないと後悔するのみである。

 逃げようとするソール達の背後に、地下の壁を貫きながら巨大な腕が現れたのだ。

「奴が地面を掘っていたのか……!」

 後方を確認したショーゴが驚愕している。この町で最初に出会った化け物が再び現れただけの驚きでは無いだろう。

 今度はその動きに、最初に会った時より鋭さがあったのだ。あの腕は、部屋にあった巨大な顔に制御されている。ソールはそれを直感していた。

 ただの直感だろうか。いや、違う。この戦場に近づいてくる、別の何かがそれを強く感じさせている。

(意識しろ……俺は水だ。戦場では、予想外の事が常に起こる。幾ら戦場の風を読んで、状況を把握し、先に起こる事を予想しても、それを裏切って来るのが戦場だ。だから自分自身を……水へと変える)

 戦場の四つの力。風と火と水と土。風は機を読み、火は瞬発力を引き出し、そうして水は柔軟な行動を促す。

 それを意識した瞬間に、ソールの目の前に、いや左右からも、壁を貫いて巨大な肉体の一部が襲い掛かって来る。

 恐らくはあの顔の指示に寄って、身体の各部位、そのすべてがソール達を目指して動き出したのだ。

 地下の道はそう広くは無い。囲まれた形になる。そのはずだと予想出来る。

 だが、その状況に対応するのはソールが一歩、抜きんでていた。

(左右から来るのは右足と右太腿)

 それぞれ大きさが微妙に違い、形も違っている。

 こちらを押し潰そうとしても、ぴったりのタイミングとはならないはずだ。背を屈める。ついでに横で驚き立ち止まっていたショーゴを比較的安全圏へ押し出す。

 空気が揺れるかの様なズシンとした音と共に、迫っていた肉体達がぶつかる。が、その隙間から抜け出したソールは無事のまま。

 そんなソールを再び潰そうと各部位が迫って来るも、その配置を確認した上で、腰から下げた幅広の短剣を抜き放ち、部位の一つを切り付ける。

 他の部位がタイミング合わせるだけ、その切り付けた部位のみタイミングがズレる。結果、またしても掻い潜れる隙間が生まれ、ソールはそこに身体を潜り込ませる。ついでに押し出されて抗議しようとしていたショーゴを蹴り付け、やはり安全圏へ飛ばしておく。

(回避だけじゃあジリ貧だ。あくまでこの場を逃げる事を優先しろっ)

 向かう先は分かっている。ここまで来た道を引き返すのだ。それまでの懸念事項は二つ。

(一つはこいつらにどれだけの知能があるか。俺はこのまま回避し続ける自信はあるが、こいつらにそれを上回って来る機微があるのか? そこはまだ、結論を出すべきじゃあないな)

 油断も慢心もしない。ただ対応を続ける。それが水の動き。戦場における対応力の極致。それを生み出すのはソールの身体とソールが握る幅広の短剣。奇妙な形のこのお短剣は、今の動きを補助するために用意した特注品だ。

 これらにて、巨大な肉体達に抗ってみせる。そう考えるのだが、懸念はもう一つ存在していた。

「ぐっ……貴様なぁ!」

 蹴られて、やはり文句を言おうとしているショーゴの存在だ。今のところ、ソール一人で生き残る事より、彼女も含めて生き残る事の方が、難易度が高い。

 そう懸念するソールであるが―――

「私を、舐めるなっ」

 ショーゴもまた兵士だった。戦場を知らないわけでは無い。単なる足手纏いとも違う。足手纏いであれば、そもそもソールはここまで連れて来ない。

 既に彼女は自らの魔法杖を構え、その内に秘められた魔法を放っていた。

 その威力たるや、道中でも見たが驚くべきものだ。

 魔法杖は襲い来る巨大肉体の部位。その内の右足の半分を抉り取ったのである。

(普通なら、これで一体の敵の戦力を奪える……ってのなら楽で良いんだが)

 抉られた右足から、泡立つ様に肉が膨れ、傷跡を塞ぐ、いや、再生していく。

 奴らを安易に倒そうとしなかった理由の一つがこれだ。多少の傷を残しても、それは無為に終わってしまう。そういう再生力が、巨大な肉体達には存在していた。

(だがそれでも、再生するまで奴らは停止する)

 さすがに動きながら元通りになりはしないらしい。その隙を、ショーゴは作ってくれた。

「地上だ! ここにこいつらが集まってる以上、地上は安全圏になっている!」

「分かってはいるが……」

「良いから俺に付いて来い! 逃げ道はそれで切り拓いてやる!」

 出来た隙はそれだけの価値があった。巨大な肉体達の囲いは微かであるが破られていたのである。

 あとはソールがショーゴの無事も含めて凌ぎ切るだけ。廊下を埋め尽くさんばかりの人間の巨大な肉体群というのは、見ているだけで吐きそうになる不気味さがあったが、それでも自分自身に発破をかけていく。

 巨大な右手が大きく手のひらを開き、巨大な足首が転がり迫り、壁の様な胸が振って来る。

 それらを、まず手のひら部分を短剣で切り付ける事で怯ませ、転がる足首の先に瓦礫を蹴り飛ばし進路を妨害し、壁の様な胸は全力で走っていれば潜り抜けられるので無視をする。

 兎に角対応し続ける事だ。やる事は先ほどまでとまったく変わらない。それだけで辿り着ける逃げ場がそこにある。

 そんな場所まであと少し。敵の勢いもまた減じている様に感じ―――

(あん? どういう事だ?)

 対応が楽になった。肉体達の圧力が無くなって行く。おかげで地上まであと少しというタイミングで、既に危険な領域から脱していた。

「やつら……地上にはもう出ないらしいな」

 ショーゴのその言葉は、巨大な肉体達の戦意喪失を意味している。少なくともショーゴはそう見たのだろう。

 だが、ソールはそう思えなかった。

「止まるな。まだ走れ。あの地下で会った顔。あれは簡単に引き下がる様なナニカじゃない」

「何か分かったのか?」

 ショーゴの問い掛けにソールは首を横に振って答える。

 時計塔の地下の研究室で、何が行われていたか。そんな事は分からない。いったいどういう経緯で今の状況になったのか。それも分かるはずがない。

 あの顔が何を狙っているのか。それすらも理解不能なソールであったが、ここですべてが終わるとは思えなかった。

 無事に町から逃げられればそれに越した事は無いが……。

「ほらな! 走っておいて良かっただろう?」

「言ってる場合かっ!」

 時計塔を出て、町の中央道を走る中、地面が揺れ始める。地響きが激しくなっていく。

 地下から何かが溢れ出して来る!

「なんて事だ……」

 ショーゴの方が立ち止まり、後方を見る。いや、見上げる。

 ソールもまた彼女に釣られて、やはり振り向く事になった。

 巨大な身体。もはやそれは各部位などとは呼べない。それぞれが結びつき、一個体となり、まさに巨人となって、地下から這い出して来たのだ。

 巨人は時計塔を崩して行く。先ほどまでは時計塔の地下に詰まっていたはずのそれが、今や時計塔と同じ程の大きさでもって、それを潰して行くのだ。

「デカくなって、強力になったって事か?」

 だが、それを単なる巨人と呼べぬ抵抗感がソールを襲う。

 その巨人は歪だった。四肢は胴体に対して長いが、それは許容しよう。肌は薄汚れ、黒ずみ、泥の様であったが、それでも人型ではある。だからそれだって巨人の範疇だ。

 だが、ただ一点。顔の部分だけが、明らかに小さかった。いや、人間のそれよりは十分に大きいのだろうが、肥大化した他の部位に比べて、明らかに地下で出会ったままの大きさだった。

 その一点が、巨人の輪郭を人型から大きく乖離させていた。

「くっそ……あいつ、追って来てやがる!」

 その身体に対して小さな顔が、それでもソール達を見据える。巨大な足がのろのろと一歩を踏み出す。

 ソールの何倍。いや十何倍はあるだろうその巨体の一歩は、どれだけ鈍かろうと、一気にソール達との距離を詰めて来る。

「どうする? 逃げるか!? どうすれば良い!?」

 ショーゴの方は、ここに来て完全に混乱の中に陥っているらしい。十分に冷静な行動を。そんな事を言って収まる状況でも無いだろう。

(だから、俺が、この状況をどうにかしなきゃならない!)

 もう嫌だと泣き出す事すら出来ない我が身。しかし生き残るという欲求は何より行動を鋭く、落ち着かせてくれる。そういう事にする。

(考えろよ。あいつから逃げ切れるか? 速度的には無理だ。必死に逃げたってそのうち追いつかれる。戦うか? 奥の手が通じるか? いや、まともにぶつけても、あの大きさにどれほど通用するか。やるなら少なくとも弱点を……弱点?)

 ふと、思い至る。付け入る隙はまったく無いとは……言い切れない。

「おい。あの地下室。地下の研究所で行われていた研究は、人を強くする研究だった。そういう類のものだったんだよな?」

 ソールはショーゴに尋ねる。ソールだけの考えでは何かを間違えているかもしれないから。

「そうだが……あんな、あんなものを作り出すつもりでは無かった、はずだ。あんなのを意図して作り出そうとするはずが無いだろう!?」

「今はそんな事は置いておけ! 少なくとも人を強くしようとして、ああなった。それが事実かどうかが肝心なんだ」

「何を?」

「人を強くするなら、単純にデカくなる。だから巨人になってる。そういう理屈なんじゃないか?」

「可能性は……無いでは無いが……」

 そんな単純な話なのだろうか。ショーゴの方はそう疑問を抱いている。ソールの方もまた同様だが、それでもソールとショーゴ。二人ともの印象として、そういう方向性もあるという考え方は出来ている。

 少しばかり確度は上がったのだ。ソールの予想は。

「あれが人間を強くするっていう結果としてデカくなったんだとして、じゃあ頭はなんで同じ比率で大きくなっていない?」

「そこだけ……まだ元の人間のままという事か!」

 ソールは頷く。再生能力すらある巨大な肉体だが、強化し切れていない場所があるとしたら、その部分こそが付け入る隙だ。

「あの地下で出会った瞬間に、決着を付けて居れば良かった! 今ではどうしようも無い!」

 ショーゴは今や、強大な肉体によって高く押し上げられたその頭部を見つめて叫ぶ。

 だが、あの地下で戦っていたとすれば、頭部を破壊するより前に、やってきた他の部位に押し潰されていた事だろう。

 決着を付けるなら、やはり地上だ。

「時間を稼いでくれ」

「何?」

「あの頭を、俺が潰す。方法が一つだけある」

「馬鹿を言うな! あれか!? 私を囮に逃げるとかそういう方法を選ぶと言った方が、まだ正気だぞ!?」

「逃げられない。逃げ切れる状況じゃない。それは分かるだろう。出せる手札を全部出すしかないってわけだ」

 言いながら、ソールは走る準備をする。今から、本日でもっとも全力を出しながら、走り出す必要があるのだ。

 あの迫る巨体に対して。

「言ったぞ! あいつの動きを少しでも止めて、俺がトドメを刺すまでの時間を稼げ!」

 返答は聞かない。今や巨人はすぐそこまで迫っていたからだ。

 そんな巨人に、ソールはむしろ自ら近づいた。まずはソールを踏み潰さんとする足が頭上より一気に落ちて来る。

 足だけであった時より速く、狙いは的確だ。ただ走っているだけではすぐにソールは踏み潰され、道の染みへと変えられる。

 だから走り方を工夫する。一瞬、全力よりほんの少しだけ、身体の動きを抑えるのだ。

 そうしてソールに巨人の足の影が掛かるその瞬間を見計らい、今度こそはと全力を出す。

「ぐっ……っとぉ!」

 走るだけでは間に合わなかったので前方に跳び、地面に身体がぶつかる前に前転し、さらに前へ。

 背後からは巨人の質量が地面に叩き付けられて発生した風圧がソールを強く押して来る。

(ぎっりぎりだな。これはっ)

 風圧に半ば吹き飛ばされる様に地面に転がりながら、無理矢理に体勢を立て直す。

 ぎりぎりではあったが、一度や二度、それを凌いで安心しても居られないのだ。

 巨人はまだ真上。ソールを潰す方法なんてまだ幾らでもある。

 走る。転ぶ。避ける。フェイントを仕掛ける。また走る。

 それを繰り返し、目的の場所へと進んでいく。

(くそっ。踏めないなら今度は掴んで潰そうってか!?)

 巨人は姿勢を屈め、足より余程器用な動きの手でソールを狙ってくる。

 危機だ。間違いない。踏み潰しを避ける事すらぎりぎりなのに、それ以上を求められている状況だ。

(だが、好都合だ。その姿勢になってくれるのは好都合だから……ここを乗り切ってやる!)

 巨大な腕と戦うのはこの町に来て二度目であろう。慣れたとも言えないが、今さら驚きはしない。ただ恐怖心を感じるから、それに歯を食いしばって耐えるだけ。

(それだけをして……足りないってのは悔しいな……)

 迫る腕は、ソールの動きよりやや速かった。これまではなんとか状況を利用して裂けて来た敵の攻勢であったが、ここに来て、ソール単独ではどうしようも無い速度である事を、ソール自身が自覚してしまう。

 今から道具を使い、身体をどう動かしても、あの腕がソールを掠める。それだけで、ソールの命に届いてしまうのが、巨人と自分の圧倒的な体格差。

「ま、ただ諦めるってのは癪だからな!」

 諦めない。ただ向かう。それしか出来なくても構わない。最後の瞬間まで死を選ばない。それがソールの意地であった。

 そうして、奇跡とやらは起こるらしい。

「おおおお!」

 雄叫びが聞こえた。今や甲高いショーゴの雄叫びだ。そんな彼女が、魔法杖に残った魔法を放ち始めたのである。

 たかが数発。巨人の身体の一部を削るが、それはすぐに再生していく。

 だが、そのたかがが巨人の動きを鈍らせた。故に巨人の動きよりソールの動きが勝る瞬間がやってきた。

「良くやったショーゴ!」

 叫びながら力を振り絞り、ソールは巨人の身体の真下を抜け、その向こう側にある、巨人が崩した時計塔へと辿り着く。

 それはもはや塔では無く瓦礫と表現するべきだったが、それでも、未だ他の建物より高さを保っていた。

 そんな瓦礫の山を、ソールは登る。ひたすら登る。

 巨人はソールか、それとも自らを牽制してくるショーゴを狙うかでその動きを鈍くする。それもまたやはり隙だ。結局はソールを狙う事に決めたとしても、その間にソールは瓦礫の山をさらに登る。

(それがお前だ。どれほど強大な力を得たとしても、考え方は人だ。いや、人にも劣る)

 だからこその付け入る隙。だからこそ辿り着けた場所。

 時計塔の瓦礫の頂点。その高さは丁度、巨人の顔と目を合わせられる地点。

「まだ笑えているってのは……やっぱりお前にとっての油断だよ」

 わざわざソールが手を届けやすい場所に来た。そんな風に思っているのだろうか。

 だが、それはソールとて同様だった。今は、手は届かないが、足は届かす事が出来る。

(意識しろ……火を。肉体を燃やし尽くす程の燃料の如き火が、俺の身体の内に流れている)

 それは瞬間だけ、まさに燃え盛る火の如く、身体の勢いを増してくれる。

 常にでは無い。ただ一瞬。その一瞬を、ソールは脚力に使う。

 自分自身を大きく跳ねさせるそんな火のイメージ。

(俺の身体は今から、お前に届く。だが、それだけじゃあ駄目だ。他の肉体より小さいとは言え、お前の顔は大きく、生半可な衝撃は通用しない。だから……俺は!)

 ソールは駆けた。そして飛んだ。爆発するが如く身体は宙へと跳ね上がり、まっすぐと巨人の、まだ小さな顔へ。

 イメージをもう一つ。風と水と火と……そうして土。それは戦場における質量。破壊力と表現すれば良いのか。

 たった一つだけでも良い。いざという時に、状況を打開できる破壊力を用意しておけという師の教え。

 今のソールにとって、それは足裏にある。

 ソールの靴の裏には、魔法が仕込んであった。魔法杖の様に、誰でも使えるそんな魔法。

 魔法杖程の構造をそこに用意出来なかったため、使えるのは両の足にそれぞれ一回ずつ。その魔法は、強大化させる魔法。

 何をかと問われれば、今のソールそのものを。もっと具体的には、火の力に寄り加速したソールの身体そのものの勢いを、ぶつかった際の衝撃を、さらに増加させるというもの。

 故にソールは、跳躍した瞬間に、巨人の顔に向けて、その足を向けていた。

「これが俺の!」

 奥の手。火の力に寄り跳躍し、土の力でそれを増強させた飛び蹴りこそがソールが用意出来る、正真正銘の奥の手である。

 回数すら限られたそれを、しかし確かに巨人の頭部へと届かせる。

(いい加減、さっさと倒れて―――

 瞬間、ソールは見た。

 接近する事で漸く見える、巨人の表情を。

 ソールは聞いた。

 接近する事で漸く聞こえる、巨人のその声を。

 ソールはそうして確信する。これで漸く、カノードロの町の事件は終結するのだと。




 夜が明け始める。

 長い夜だった気もするが、あれだけの事が一夜の出来事だったのかと意外に思ってしまう、そんな夜が今、明ける。

「頭の潰した巨人の残骸は、とりあえず動く気配を見せていない。少しずつ、萎んでる様に見えるが、遠からず、元の人型に戻ったりするんじゃねえかな」

 と、町の中心。元は時計塔であった残骸の上から、倒れた巨人を見下ろして、ソールは呟く。

「あれを除去する手間を考えれば、そうなってくれる方がありがたいがな……本当に、どういう理屈なのか」

 同じく、瓦礫に上から巨人の死骸を見下ろしていたショーゴがソールの呟きに答える。

「あんたに分からないなら俺にも分からん。偉い人間なら理由も語れるんだろうが……俺に分かる事なんて、結局、放置していたら碌な事にならなかっただろうなってくらいだ」

「放置していたら?」

「ほら、結局、なんでこの巨人の身体が各部位分裂してたかだよ」

「まあ、謎ではあるが……そもそもが巨人だぞ?」

「頭だけ小さいままの巨人さ。多分、身体ばっかり強くなって、頭が置いてけ堀だったから、最終的には身体が勝手に動き出した……んじゃあないかな」

「つまり、放置していたら、そのまま身体の各部位が意識でも持って、また別の変化でもしていたと?」

「かもなぁ」

 何も想像だけの話では無い。あの頭が呟いた数少ない言葉。

 ソール達を見つけたという言葉と、トドメを刺す時の最後が繋がるのだ。

「この巨人、最後に俺に顔を潰される前、やっとって言ったんだ。何がやっとか分からないけどさ……」

「やっと終わる……そう言ったのかもしれんな」

 ただの感傷的な言葉。しかし、この事件の最後に、そういう気分で終われるのは上等では無いだろうか。

 何せ、暗い街中を、人間の身体の形をした怪物達と戦い続けたなんて、そんな気の滅入る仕事だったのだから。

「とりあえず、報告書に関しては私が作成する。幾らか私なりの脚色は入るだろうが構わんな」

「こっちは報酬さえ払ってくれれば、どんな話にとして落ち着こうが構わないよ。口を塞げってんなら、とりあえず話も合わせる。町の中は賊の根城になっていて、俺達が見事退治してみせたってのはどうだ?」

「これだけの事が出来る賊ねぇ?」

 町を見渡す。

 朝日に照らされて、その傷跡が生々しく残る街並み。

 けれど、それはあくまで半壊だった。もう半分は無事のまま。恐らく、暫くしてこの町から危険が去ったと知られれば、少しずつだが人も戻って来るのだろう。

「これだけの事が出来る賊を倒した。それくらいの価値はあっただろう?」

「違いない。上に掛け合ってみる事にしよう」

 言いながら、漸く二人で笑みを浮かべる。笑い出すとまでは行かない、苦笑に近いそれだったが、それでも、笑える時間というのがやっとやって来た気分だった。




 金銭に余裕のある傭兵は普段、何をしているか。

 答えにもいろいろあるだろうが、だいたいの場合、どこぞの酒場で飲んだくれている。

 そんな多数の場合に漏れず、ソールは戦士の館併設の酒場にて、天井を見上げながら、喉が渇いて来たら酒を口に含み、腹が減ってきたらつまみを口に含むという行動を繰り返していた。

(情けない姿なんて言わないで欲しいな。こういう怠惰な瞬間こそ、人間、生きて行くうえでの最大の快楽なんだろうからさ)

 何時までもこんな事はしていられないが、出来るうちはこうあるべきだとソールは思う。

 先日まで酷い光景をひたすら見せられる仕事をしていたのだ。まとまった報酬も入って来ている状況で、むしろ怠けるなと言う方が酷では無かろうか。

「ま、二、三日だな。あと二、三日はこうしておこうか」

「それはそれで困りますですが」

「げっ」

 と、掛けられた声の方も向かず、ソールは悪態を吐いた。

 その声だけで嫌な予感がしたのだ。

 わざわざこの酒場で聞かされる、戦士の館事務員、ミスリット・ロードランの声を聞けば、だいたいの傭兵はそうなるだろう。

「げっ、と言われるのはとてもとても傷が付きます。これはその分の補償をしていただくべき案件では?」

「お前さんを見て、嫌な気分になる傭兵だって少なくないんだぞ? それで金を取られたらかなわんだろうに」

「まあ! そんな風に普段から思われていたなんてもっとショックです。その嫌な気分になる傭兵全員の名前を記憶に残っている限り、列挙していただけませんか?」

「あーはいはいはいはい。いちいちそんな事しなくても、あんたの話は聞くから、その面倒くさい前置きは一旦中止してくれ」

 ミスリットには口では勝てない。数字に関してもだ。だから悪態を吐いてからの会話だって、傭兵側が負けるのだ。丁度良いところで中断しなければ、常に負け続ける。

「私も、傭兵の方々から賠償金を徴収する必要は無さそうで安心です。ちょっと地味に大変そうですから」

「本気でするつもりじゃなかったんだよな?」

「どうでしょうか?」

 恐ろしい女である。もっとも、そういう女性で無ければ、荒くれの集まっている戦士の館で、ただひたすら事務仕事や窓口仕事をする事は不可能であろう。

「で、何の用だよ。また仕事か? 余程の事が無い限りは、暫くは受けないつもりなんだけどな」

「そうは仰られても、ソールさんにと、こちら側に直接お客が来られたので、相手をしてくれなければ私の仕事が増えてしまいます」

「待った。なんだって? 俺に客?」

「ああ、その通りだ。久しぶりと言えば良いか?」

 漸くミスリットに視線を移し、その後に、彼女の隣に立つ女も視界に入れる。

「ショーゴ……なんだ? 懐かしむ余裕も無く登場ってのは、前の仕事の件で何かあったのか?」

「いや? お前も知っての通り、十分な報酬を支払えるくらいには、上手くやったと言われている最中だ」

 実際にそうしているわけでも無さそうだが、胸を張っている様に見えるショーゴ。

 仕事が上手く行っている様で、大変に結構な事であるが、ならなんで顔を見せに来たと言いたい。

「なんだよ。じゃあまた会う事も無いだろうに」

「そうも言って居られなくなった。人目があるので詳細は省くが、前の仕事、むしろ上手く行き過ぎてな。費用対効果が必要以上に評価されてしまって、また仕事を頼めないかとの上からの指示が降りて来てしまったわけだ」

「はぁ!? 言っておくがな、俺は暫く休養期間だ。酷いもの見た後は、楽になるって決めて―――

「つまり、新しいお仕事のご依頼ですか? でしたら戦士の館を通していただければ、それはもう万全の体勢でご用意させていただきますよー?」

「ああ。勿論だ。やはり公的な仕事というのは組織を通す事に寄ってスムーズに進むものだ」

「おい! 聞けよお前ら!」

 自分の目の前で、自分の意向を無視しながら、自分の仕事についての話が進んでいく。

 これで怒鳴らなくて何に怒鳴れば良いのか。

(それに、ここで怒鳴っておかないと、嫌な展開になりそうだしな!)

 そう思う。そう思ってしまう。

 何せソールの直感が告げているのだ。

 どうにもこのショーゴという女とは、長い付き合いになりそうだと。




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