白銀の国の翼
別編、『水晶炎華』の、ずっとずっと未来の話しです。
白き窓枠。
降り注ぐ蒼。
清冽な光の滝……。
大きな白い枕に広がる、黒き流れ。
小さなな寝息とともに、身じろぎ。
真っ直ぐな闇色の髪が、ゆうるりと流れを変える。
──音……。
微睡みの中に混じる思い。
「誰?」
瞳が開く。
一度。
二度。
瞬いて、銀色の瞳が、くっきりと浮かぶ。
清冽なる蒼を弾いて。
啜り泣く……、声。
「誰?」
少女の声が、夜の部屋に流れる。
──気配……。
少女の上に降り注ぐ、満月の銀蒼色。
「いっけない! カーテンを閉め忘れていたのね。おばあちゃんに叱られ……」
途切れる言葉。
見張られる銀の瞳。
──綺麗……。
蒼の滝の中、浮かぶ銀……。
銀色の乙女。
緩く、淡く、渦巻く銀の髪に縁どられた、美しく、そして……哀しい顔。
なによりも少女の目を惹いた、自分と同じ銀色の瞳。……流れ落ちる、涙。
奇怪な光景に恐怖するより先に、少女は、その美しさに魅せられていた。
「誰? 貴女、誰?」
つっ……と、乙女の腕が動く。
そして、指差す。
窓の外。
村外れの深い樹海。
「杜?」
ゆっくりと、哀しげに瞳がすがめられる。
「魔の杜?」
乙女の姿が翳る。
月が……、雲に隠れる。
薄れゆく姿が、指差す。
杜を……、魔の杜を。
──消えた……。
『杜の奥に入ってはならぬよ。杜の奥は、魔の杜へと続いておるから。そこには、“銀の魔女”が住んでおる。生きる者全てを呪って死んだ、魔女が住んでおる』
蘇る、祖母の言葉。
「銀の魔女?」
呟き。
『満の月の晩、月の光を浴びて眠ってはならぬよ。“銀の魔女”に魅入られるゆえ……』
「違う! 魅入られたんじゃ、無い。私が、望んだのよ!」
少女は、動きやすいようにズボンを。深い杜に入るために、厚めの胴着を、ブラウスの上に着ける。
マントを羽織り、父に譲られた短剣を持った。
杜は、少女を拒まない。
草は薙ぎ、木々は枝を掃う。
杜の奥へと導く路を、軽快に歩む。
歩むそば閉じていく背後を、気にすることは無かった。
戻れぬ。と、言う、恐怖は無い。
何より、恐れてはならぬ。と、心が告げる。
奥へ……。奥へ。
導かれるままに。
「城?」
突如、視界に飛び込む、崩れかけた古城。
「魔の杜に、こんな物が在ったなんて……」
再び聞こえ始めた、小さな啜り泣き。
誘われるままに、城へ足を踏み入れる。
広い広い中庭に、鏡面の泉。
その中央に……。
「居た……」
少女は、膝までの深さの泉の中に入り、その中心へと向かう。
水晶の柱。
中には──銀色の乙女。
「泣かないで……。私、来たわ」
その顔を覆っていた両の手が離れる。
ゆっくりと、伏せられていた顔が上がる。
──幼子よ。良く……来てくれた。──
「呼んだのは、貴女よ。銀の魔女?」
──忌まわしき名よ。かつては言われなき汚名であったが……、今の私には否定できぬ。
私は、破壊と殺戮のために力を司ってしまった。もう、否定出来ぬ。──
「でも、貴女は違う。魔女なんかじゃ無いのでしょう? 本当の名前は、何?」
──心優しき、幼子よ。我が名は、“白銀の翼の乙女”、シ‐ジァルナデ‐ルディア‐ノル‐アデュラ‐ソォン。──
「え?」
──何か? 幼子よ。──
「我が祖よ……」
少女は、全身が濡れるのも構わず、泉の中、跪いた。
「白銀の国、最大にして、最後の王よ」
──幼子よ。そなた、何者だ? ──
「白銀の国の末です。我が君」
少女の返答。
哀しみしか映していなかった乙女の顔に浮かぶ、驚愕と……歓喜。
──幼子よ、感謝する。そなたは、私の一番欲していた事を語ってくれた。──
乙女の瞳の縁から、涙が落ちる。
それは、哀しみのものでは無かった。
喜び故の物。
──我が国の若者たちは、生き延びた。──
乙女が、淡く微笑む。
頂点に達した満月の光が、静かに水晶の柱に差し込み……。
乙女は、その姿を消した。
そして、二度と再び現れることは無かった。
少女は、一度だけ月を振り仰ぎ、帰路へとついた。