迎えたその日
それからの2週間は本当に目まぐるしく過ぎていった。
ルークは私の護衛騎士に選ばれてからというもの、今まで以上に鍛練に励んでいるらしく、この短期間で驚くほどの成長を遂げたらしい。
強くなることよりも体調優先、無理はしないでと伝えてはあるのだが、このくらい全然大丈夫だと鍛練の程度を緩める気配もない。
一見冷静そうに見える彼のその蒼い瞳に秘められた情熱に私は驚かされてばかりだ。
同時に、とても頼もしくもある。
私は私で、この2週間で貴族としての礼儀作法や知識を叩き込んだ。
といっても元々の体の持ち主であるエミリアの動きがこの身体に染み付いているため、振る舞いを思い出すのは容易かったのだが。
何はともあれ、今日が決行の日。
朝から馬車に揺られ、アルテーヌ王国に到着したのは太陽が空高く昇った頃だった。
「わあ、、、!」
祭りのメイン会場である大通りに到着したとき、私は思わず感嘆の声を上げた。
まだ肌寒かった2週間前に比べて最近では随分と暖かくなり、もうすぐ春がやって来るということをしみじみと感じられるようになった。
お陰で、街のそこかしこではチェノリアの花が美しく咲き誇っている。
辺り一面が花のピンク色で覆われていて、この世界にはピンクしか存在しないのではないかという錯覚さえ覚えさせるほどだ。
街の人々の服装もしきたりでピンクが取り入れられていてとても華やかだ。
ちなみに私は淡いピンクのいつもよりシンプルな、品の良いくるぶしまであるワンピースを着ている。
エミリアは元々髪がピンク色のため相性が良く、我ながら、いや身体の持ち主ながらとても可愛らしく仕上がっている。
ルークはイヤーカフにピンク色のクリスタルを使っていて、一緒に来たアンリは長い髪にピンク色の髪留めをつけている。
さらに街の人々や私たちの胸元には赤と黄色のチェノリアが咲いていて、赤は既婚者、黄色は未婚者となっており、この祭りは出会いの場ともなっているようだ。
道ゆく人は皆笑顔で、心からこの祭りを楽しんでいるように見えた。
(こんな幸せに満ちた場所で、人殺しが行われるなんて)
戦争は、仕掛けた国にも甚大な被害が及ぶ。
そうなったらきっと、この笑顔は失われてしまうだろう。
この先に起こることを想像して、ぎゅっと唇を噛む。
(やっぱり、私が食い止めないと)
神妙な面持ちで考えていると、アンリがくいっと私の袖を引っ張った。
「お嬢様、チェノリアを使ったアロマキャンドルが売っていますよ!それに、チェノリアを練り込んだシフォンケーキも!どれも素敵です、見に行きませんか?」
そう言って屋台の方を指差したアンリの目はキラキラしていて、わくわくに満ち満ちているのが容易に見てとれた。
ルークの方を振り返ると、表情にこそ出さないがこちらも瞳が輝いている。
彼は私と目が合うと、きまり悪そうにたじろいだ。
「その、俺は平民の中でも裕福ではなかったので、こういった祭りにはあまり参加したことがなくて。だから、その…申し訳ありません」
2人の様子を見てると、思わず笑みが溢れてくる。
「謝らなくていいのよ、私もこの祭りを見るのは初めてだもの、わくわくしちゃうわよね。よし、それじゃあ2人とも、屋台を見て周りましょうか。まずはどこから行きたい?」
暗殺とか、それを止めるとか。
そういうのも確かに大事なことだけど。
(今はもう少し、この3人で過ごす時間を大切にしたい)
天気は快晴、私たちは屋台の方へ駆け出した。
屋台には本当に色々なものが並んでいた。
アンリの言っていたアロマキャンドルに、押し花で作った栞。
チェノリアで染めた刺繍糸なんかもあったりして、アンリが即決で購入していた。
「この糸で、お嬢様に素敵な刺繍を塗って差し上げますね!」
そう満面の笑みで告げるアンリにつられて、私の口元もほころぶ。
かわいいものだけじゃない。
大ぶりにカットされた肉の串焼きにみんなで頬張りつくこともした。
とても肉肉しくて、でも柔らかくジューシーな肉をみんなで口々に褒めあった。
特に私はこの世界に転生してからというもの侯爵家の高級フルコース三昧だったから、贅沢だとは思うものの、庶民の食べ物を久しぶりに口にするのが嬉しかった。
お陰で、アンリとルークにはそのあまりに豪快な食べっぷりを驚かれもしたけど。
貴族の人間がこんなに豪快な庶民の食べ方をどこで覚えたんですか、なんて問いには心臓がばくばくした。
さらにルークは市場の剣や武器を見ながら、この国には良質な刀が多いと目をキラキラさせていた。
そのたびにはっとして私に謝る。
「申し訳ありません、俺は護衛騎士なのに、他のことに気を取られてしまい…」
「別にいいのよ。それより、その剣を気に入ったの?お金は持って来ているし、買ってあげましょうか?」
「いえ、エミリア様のお金でだなんて、滅相もないです。それに、俺はまだ新人なので、あまり戦場に立つ機会…といっても、最近はもっぱら害獣駆除などですが…とにかく、そういうものは無いんです。…でも、そうですね。団長にはここの鍛冶屋を紹介しておきます。俺が使わなくても、誰かは使うだろうから」
「そうね」
彼の仲間思いの志に、胸が温かくなる。
ほんとうに、この世界に来てこの2人に会えてよかった。
思わずにこにこと笑っていると、不意にアンリがほっとした顔を見せた。
「よかった。お嬢様、笑ってますね」
「え?」
「ここのところ、お嬢様はずっと難しい顔をして俯いているから心配だったんです」
はっとしてルークの方を見れば、彼も私を見て頷いていた。
もしかして、今日は私を出来る限り楽しませようとしてくれたのだろうか。
(本当、この2人には頭が上がらないな)
私は2人に向き直って笑いかけた。
「2人とも、ありがとう。もう大丈夫よ、お陰ですっかり元気になったわ」
そう言うと、2人の顔もほころんだ。
(それにしても)
通りを歩きながら考える。
(皇太子はどこにいるんだろう?)
実は今日一日屋台を巡りながら、皇太子がいないか注視していた。
私は皇太子の顔をよく知らないけれど、あの一枚絵に描かれていた白銀の髪の美しさはそう頻繁に見られるものではないということが、この世界に来てからわかった。
もしかしたら王族であることを隠すために顔を見せないようにしているかもしれない、そう思ってフードを被っている人の姿もできる限りよく見たつもりだが、それでも見つけられなかったのだ。
(このまま見つからないのはまずい。でも、どうやって見つければ、、、)
考えごとをしながら歩いていたら、前を歩く人にぶつかってしまった。
「わっ、すみませ…」
振り返った相手を見て固まる。
すらっとしていて背の高い身体。
吸い込まれそうなほどの美しい瞳。
そしてなにより、フードを被っていてもわかるさらさらの美しい白銀の髪。
間違いない。
私が探していた、アルガード・ルーゼンベルクーーアルテーヌ王国の第一王子、その人だった。
私が固まっていると、アルガードは私の目を見てふわっと笑う。
「申し訳ありません、お怪我はありませんか?」
「あ、はい…」
「そうですか、よかった。それでは、良い1日を」
そう言って踵を返すアルガードを、呆気にとられて見ていた私ははっとして彼に手を伸ばす。
「あ、待って、、、!」
けれどそれも虚しく、人混みの中でその手が何かを掴むことはなかった。
(どうしよう、追いかけないと)
身長の高いアルガードは、人混みの中でも頭ひとつ抜けていて目立っている。
今なら走ればまだ間に合うかもしれない、そう思って歩幅を早めようとしたその時。
アルガードは隣にいる男性と何かを話し、人気の少ない路地に入っていった。
瞬間、私の中の記憶が再び呼び覚まされる。
花びらの落ちた薄暗い路地裏の中に倒れ込むアルガード。
(今が、その時…)
そう思った途端、私は全力で叫んでいた。
「ルーク!あの人を追って!」
「え…」
「早く!このままじゃ彼が危ない!」
私の並々ならぬ気配を察したのか、ルークはそれ以上何も言わずに路地裏に駆けていった。