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関西秘史絵巻

岸和田藩士の二人酒

作者: 大浜 英彰

 もしも私が既に家督を継いでいたり藩の要職に就いていたりしたならば、こうも無聊を託つ事はなかったのかも知れない。

 要職としての多忙な職務や家長として重くのしかかる責任感に没頭するのは、大変ではあるけれども充実感が得られるだろう。

 だが私は幸か不幸か、そのどちらにも未だ当てはまらなかった。

 父の千左衛門せんざえもんは五十を越えた今も達者その物で先山家の家督を譲る気配はないし、そんな若侍に要職を任せる程に我が岸和田藩は人手不足ではない。

 そんな私が武芸の稽古や学問の習得をこなす以外にする事と言えば、境遇を同じくする若侍の友人達と暇潰しに遊ぶ事位だろう。

 中でも加茂(かも)家の長男である内膳ないぜんは同い年という事もあり、芝居見物だの物見遊山だのに連れ立って出掛ける程の仲だ。

 とはいえ私も加茂内膳(かもないぜん)も、所詮はしがない若侍風情。

 そう毎日遊び歩く程の金銭的な余裕がある訳でもなく、男二人で愚痴りながら酒を飲む事もしばしばだった。


 この日も私は加茂家へ招かれ、内膳と差し向かいで酒を飲み交わしていた。

 内膳は気さくで良い奴なのだが、深酒をやるとクドクドと愚痴る癖があり、差しで飲んでくれる友達が少ないらしい。

 だから私が遊びに来ると、内膳は喜んで歓迎してくれるんだ。

「大坂の淀屋(よどや)鴻池こうのいけの勢いは勿論だが、和泉国の唐金からかね屋の隆盛振りはどうだ?廻船を何隻も操って、手広く商いをしているそうじゃないか。」

「然りだな、内膳。信長公や家康公が戦場を駆け抜けた戦国の世ならいざ知らず、今の宝永の世は剣よりも算盤の方が世渡りに便利なのかも知れん。」

 豪商を引き合いに出して愚痴る内膳に酒を注いでやりながら、私は悪酔いを防ぐ為に箸を動かした。

 内膳の家人が用意してくれた里芋の煮転がしは、岸和田藩の位置する泉州では酒肴として御馴染みの品だ。

 しかし酔いが回って愚痴りがちになった内膳は、この里芋にも不満を感じていたようだ。

「あんな普請の立派な蔵屋敷を建てられるような連中の事だ。酒の肴だって、こんな里芋なんか比べ物にならないのを食ってるんだろうよ。刺身を何種類も盛り合わせたのを豪勢にやっているんだろうな。」

 確かに里芋の煮転がしは素朴な郷土料理に違いないが、ここまで言われては立つ瀬が無いだろう。

 それに酒肴を用意してくれた内膳の家人にも、流石に申し訳ないという物だ。

 これ以上の放言を内膳が口にしないよう、話題を変えておいた方が得策なのかも知れないな。

「刺し身が良いとは限らないぞ、内膳。これは私が通っている剣術指南所の師範代から聞いた話だがな、据え物斬りの鍛錬をやった直後は赤身の刺し身が食えなかったらしい。ズバッと斬り付けた死体の断面を、どうしても連想してしまうんだそうだ。」

「据え物斬りと言うと罪人の死体を斬るアレか…それは無理も無いな。そう考えると、里芋には剣呑な所が無くて良い。」

 私の話を聞いて思わず連想してしまったのだろう。

 畳の上に置いた大小の業物をチラリと一瞥すると、内膳は渋い顔をして左右に頭を振っていた。

「お主の気持ちも分からなくはないがな、内膳。刺し身とまではいかなくとも、がっちょの揚げたの位は肴として欲しい所だよ。」

「おお、がっちょか…あれは頭から尾まで骨ごと食えるから、無駄がなくて良いな。どうだ、光太郎。またぞろ釣りに行ってみんか?」

 この地域で「がっちょ」と呼ばれているネズミゴチの仲間は、ガツガツと釣り餌に食らいつく貪欲な性質を持っている。

 それ故に大した苦労もせずに幾らでも釣れるので、内膳と一緒に釣るには悪くない魚だ。

 何しろ内膳と来たら、釣れずに暇を持て余しても愚痴り始めるのだからな。

 彼奴はある意味では、太公望から最も遠い奴なのかも知れないな。


 力技で話題を変えたのが功を奏してか、内膳は遊びの予定を考えるのに夢中になっていた。

 さっきまで愚痴っていたのが、まるで嘘のようだよ。

 ここは内膳の遊び仲間として、私も色々と提案してみるかな。

「がっちょを釣るのも悪くはないがな、内膳。今の時期はもっと良い遊びがあるぞ。去年の秋の事だが、うちの殿様が三の丸で稲荷祭を行われたのを覚えているか?」

「覚えているぞ、光太郎。長泰公が京の伏見稲荷を勧請されたそうで、あれは盛大で賑やかだった。にわかや狂言なんかも出てな。」

 我が岸和田藩の三代藩主である岡部長泰公は領民達からの信頼も厚い名君であらせられるが、去る元禄十六年に五穀豊穣を祈願して行われた稲荷祭の見事さは、この誉ある将の名声を一層に高めるに至ったのだ。

 領民達も敬愛する長泰公に応えようと挙って地車を出したのだが、それがまた稲荷祭を一層に盛り上げて、今思い出しても胸が熱くなってしまう。

「いよいよ今年も、その時期か。狂言や地車を見ながら振る舞い酒を傾けるのも、良い趣向かも知れんな。」

「何しろ親父殿達のように役職を持っておると、そう羽目を外して遊べぬからな。私もお主も、若いうちに存分に楽しんでおく方が良いだろうよ。」

 子供のようにはしゃぐ内膳に相槌を打ちながら、私は再び盃を手に取った。

 内膳と一緒に飲む今年の振る舞い酒は、果たしてどんな味なのだろう。

 それを思うだけで、稲荷祭が今から楽しみになってしまうな。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 大浜様らしい素敵な御作品でした。 読ませていただきありがとうございます。
2023/11/08 14:50 退会済み
管理
[良い点]  2人の若侍の何げない日常の描写が、しみじみと良いな~と思いました。  一緒にお酒が飲める友達って、素敵ですよね。 [一言]  あと、酒の肴の里芋の煮転がしが、凄く美味しそうでした(笑)。…
[良い点] 若侍の友情ってステキですよね。 鴻池、財閥だったよなと思ってちょっとググったりしてみました。摂津の両替商だったんですね、江戸時代すうっと栄えてたって。 豪商は解体されても今でもお金持ちな気…
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