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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

約束

作者: 福梟

初投稿です。

戦争のことを題材にしています。空襲での描写、残酷な表現もありますので、読んでくださる方はご理解、ご了承のほど、よろしくお願い致します。

物語の主要人物たちは、創作ですが、時代背景などは、史実に沿えるように努力いたしました。

ジャンルが分からなかったことなどを含め、間違っていることも多いと思いますがよろしくお願い致します。



「行ってくる」

男は、そう言って一羽の烏の頭を撫でた。烏は、男の手から逃げる事なく、その手に頭を押し付けている。

一瞬、男は烏の様子に顔を緩めたが、すぐに険しい顔になると名残惜しそうに手を離した。

「……手紙を頼んだ」

男はそれだけ烏に伝えると足速に飛行場へと足を運んだ。


 烏は、遥か彼方に男の機体が消えるのを見届けた後、空へと飛び立った。もう、そこに居る必要がないかのように。そして、男との約束を果たすために。男と同じように、たった一羽で飛び立ったのだ。



「ーーっはぁ!?」

 目覚めの悪いやけに現実帯びた夢に俺は飛び起きた。周りを見れば、大声をだして飛び起きた俺を心配そうに見る珈琲店の店員とうるさい言わんばかりの視線を向ける客。まだ夢現にいた俺は、霧がかかる思考の中、ここが休憩がてらに寄った珈琲店であることをすぐに思い出し、安堵したようにため息をついた。そうだ、ここは鹿児島だ、と気持ちを落ち着かせるように何度も心中で呟く。あんな寂しい場所じゃない。そんなこと分かりきっていたのに、冷や汗が止まらなかった。


 俺の地元は愛媛だ。2年前、進学先の鹿児島に来た。大学では、日々ストレスを抱えながらも生活している。先輩から勧められてやり始めたラップは正直よく分からないが円満な人間関係の為に続けてはいる。けれど、そんな愚痴も言える相手はいないので今日も今日とて自分を誤魔化して生きている。救いなのは、昨日から夏休みということだろうか。友だちや先輩に何か予定をつくられる前に、この夏を謳歌する算段はつけてあった。

 珈琲店でスマホを見がら予定を確認する。俺はこの夏をただで過ごすつもりはないから鹿児島観光をするのだと意気込んで色々と入てある。漸く、夢からの恐怖も薄れていけば、意地でも今年は鹿児島を楽しんでやる当初の目的を思い出す。

「今日はどこ行くんだったか……」

予定帳を見れば、ミミズみたいになった字で午後から神社と書いてある。神社だけえらい達筆だな。

「神社?そんなん書いたっけなぁ?」

身に覚えがないということは、寝ぼけていたんだろう。午前中は鹿児島の名物を食べ歩いたので、丁度いい。運動がてらに神社に行ってみようと俺は先程の夢のことも忘れて軽い足取りで店を後にした。


「んー?んん?」

意気揚々に出発したのも束の間、俺は早速迷っていた。ナビを開きその場で回ってみるも青い矢印も一緒に回るので意味がない。

「お前は止まれよ!」

ナビに向かって文句言っても仕方ないんだが、何故こうもグルグル一緒に回るんだ。ナビまで回ったらどこに向かうかわからないじゃないか!そう言えば、以前本気でそれを友だちに愚痴ると「お前、マジ?」と哀れみを向けるような視線を向けられたな。納得いかない。

 しかし、どこを見ても木、木、木。どうやら道もわからず適当に歩いていれば、知らない間に山道に入ったようだ。

「ったく、ここどこだよ」

ガシガシと頭をかいて周りを見渡す。気がついたら入っていた山道は不気味なほどに人がいなかった。

「……んー?」

道は一本道。顔を上げ、行こうとしていた方向には鳥居が建っていた。

「あーあれかな?」

ナビには何も書いていなかったが、夕焼け色の鳥居は存在感があった。畏敬の念すら抱くほどの堂々とした立ち姿に俺は好奇心がくすぐられる。

「たぶん、あの神社かな。行ってみるか」

予定帳にも名前が書いていない神社は多分ここだろうと楽観的に考えながら喜び勇んで向かっていた。さあ、いよいよ境内に入るぞというところで、小さな違和感に気づく。

「俺、なんでここが分かったんだ……?」

そうだ、神社の名前は書いてなかった。どこの神社とも、どうやって行くとも書いていなかった。けれど、辿り着けると思い込んでいた。事実、俺は神社にたどり着いている。ナビすら書かれていない、人1人いない神社に。

そう言えば、あれ、俺の字だったか……?

達筆に書かれていた字を今更思い出す。俺は生まれてから一度もあんな美しい字を書いた覚えはなかった。小さな違和感から少しずつ俺は正気を取り戻しかけていた、が、遅すぎた。

「ーー!?」

トンっと何かに軽く背中を押された。鳥居の先に足が入る。それを待ち構えたかのように濃い白い霧が俺を引き摺り込んでいく。

後ろに視線を向ければ、小さな黒い影が飛び立ったのを見た。


テレビからニュースの音が鳴った。

山奥で学生1名が倒れているのが発見されました。意識がなく、病院で治療を行なっているとのこと。警察は、事件事故双方で捜査しています。


 和友の意識は浮上する。そして、目の前に広がる光景に息を呑んだ。

「どこだ、ここ」

そこは、知らない土地だった。雨が降り出す音が聞こえた。


1945年 6月17日 鹿児島

 

 あたりは月の光すら届かないと思えるほど暗い。夜だから暗いと分かっていても、家の明かりが一切外に漏れていないのは違和感を感じえなかった。何かが変なことは分かるのに、正直、俺には何が変なのかは分からなかった。季節は夏だと言うのに、湿度が高い。降り続ける雨が一層鬱陶しく感じ、雨音がやけに耳についた。

しかし、その雨音を掻き消すような爆音が突如として響く。静かな夜が、ザーッと言う雨音のような音と慌ただしく人が動く音に溢れた。

「空襲だ!!」

 誰かの叫び。爆音に街の人々が家から外へと出て行く。寝巻きの人もいれば、着流しの人もいたが、大人から子どもまで慌ただしくどこかへ逃げて行く。みんなが我先にと逃げる中、俺は、空を見上げていた。

「なんだ、あれ」

視界を凝らして見えた黒い何か。ただ、呆然とそれを見つめていれば、遅れて爆発音が響いた。家屋が倒れ、炎が上がる。皮肉にも闇を照らしたのは炎だった。

火災に巻き込まれ、崩れ落ちた家屋の中で、逃げ遅れた子どもが火に包まれてもがき苦しむのを見た。しかし、誰もがそれに目をくれない。止まれば上から火が落ちてくる。家族の命を守りながら逃げるのに必死で、気づいていても助けようとはしなかった。

「何してる!?早く水を!!」

俺が転がってきた錆だらけのバケツを拾おうとした。けれど、バケツは手からすり抜けていく。

「は……?」

物が掴めない。それだけではない。道の真ん中に立っていると言うのに、人が当たってくることはなかった。俺の体を人がすり抜けて行く。そして、俺は、地縛霊の様にその場所から動けないでいた。

 俺自身の異変と周りで起こっている惨劇に思考がついていけない。人が死んでいく。老若男女関係なく、無差別に。それから目を逸らすことも許されない。俺はただ、旅行してただけだ。楽しい思い出を作るために来ただけだ。なんだよ、これ。なんなんだよ。

「こんな、地獄知らないっ……」

空から降る爆弾が街を炎で包み、惨劇が止まらない。炎の灯りで上空に飛んでいる飛行機を見た。そこから、ばら撒く様に振ってきた爆弾は木の屋根を貫き、爆発し、大火災を引き起こす。

「ーーこんなの消せる訳がない」

火の手が上がる。崩れる家。泣き叫ぶ声。助けを求める声。集中砲火されているから火を消すことすらできない。しかし、爆撃した飛行機はいつまでも空に留まり、惨劇を嘲笑っているかのようだった。

「あ……あ、ぁぁ、ああああああっ!!!!」

人間ができることなのか。ここは地獄だ。きっとあの飛行機には、悪魔が乗っているんだ。そうでないなら、この事実をどう受け止めればいいんだ。

「夢、だよな……?」

バクバクと早く打ちつける鼓動を抑える様に胸元を握りしめた。

「こんなこと、あり得ない」

そうだ。これは、夢でなくてはならない。でなければ、狂ってしまう。だから、早く覚めてくれと強く願った。願ったところで地獄から脱することはできはしない。ただ、見ていられない惨劇さに目を固くつぶった。幼児の様に耳を手で覆い、悲鳴をかき消そうとした。しかし、体に感じる熱や耳に残る助けを求める声が、その現実から逃げることを許さなかった。


 何時間経ったんだろうか。先程の爆撃音などが嘘の様に掻き消えた。夜をうっすらと太陽が明るく照らそうとしているのに、あちこちで耳障りに火が燻る音を出す。

 視界が開ければ、家は崩され、上も下も右も左も死体が転がる言葉も出ない状況で。逃げ延びた人々は、ただただ、家へと急いでいた。逃げる中、散り散りになった家族を探す人もいた。俺は、どうか誰も死なないでくれと願うことしかできない。けれど、現実はそんなに甘くはない。

 見えたのは、年若い女性の虚な姿。

「……!」

その女性の足元には、もう性別すら分からなくなった、黒く焼き焦げた誰か。力なくその場に膝を折り、その誰かの前で涙すら女性は流せずにいた。

「うそだ……」

その誰かは、つい数時間前までは生きていたはずなんだ。俺と同じ様に、生きていた、ついさっきまでは生きていたはずなのにっ!!

 死がこんな目の前で感じたことは今までなかった。漠然と遠い未来の果てで命は尽きるものだと信じていた。

嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……!!死ぬのは、嫌だ!

 途端に襲ってくる恐怖に肩を抱いてガタガタと震えていれば、背中を見知らぬ男に叩かれる。

「兄ちゃん、少し手伝え!!」

「え、は?」

もう、訳がわからない。先程まで動かなかった足が動き、体は実態を持てる様になっている。思考を整理する暇もなく、男の背中を追っていれば、急に視界が広がった。そこには、助けてと泣く子どもがいた。母を知りませんかと叫ぶ兄妹がいた。火傷で皮膚が爛れ、虫の息になっている子どもを抱く母親がいた。自然災害でも起きたのではないかと思うほど、数えきれない怪我人がいた。白い服に身を包んだ看護師や医者がいたが、怪我人との数が多すぎていた。男が叫んだ。

「人手が足りんのだ!!俺と一緒に怪我人を避難させえ!」

「は、はい!!」

男は兵隊の様だった。見るも無惨な状況でも涙ひとつ見せることなく、男は怪我人の避難にあたっている。その後ろについていくが、顔を青ざめながら手伝いをするしかない。途中で我慢できず吐き戻す俺を見て、男は「ここはええから、生き残っとる人、避難さしてやってくれ」と怒りもせずにそう言ってくれた。

 俺は、生き残っている人を必死になって探した。足が棒になる程走った。声が枯れるほど叫んだ。できることなどなかったが、生き残りがいれば避難して欲しかった。ただ、その一心で地獄を走った。走って、走って、その先にきっと誰かが助けを待ってると信じていたかった。自分の頑張りで救われる誰がいるなら救いたかった。

「……なんで……?」

けれど、どれだけ走っても地獄から脱せられないと現実が嘲笑う。


 視界が黒と赤に埋め尽くされる。黒焦げになった建物。肉か焼き焦げた匂い。赤い赤い鮮血が道路や壁を染めていた。よく見れば、その中に臓物の一部がある。体の一部ない死体。黒く焼き焦げて性別もわからない死体。視線を逸らせば近くに川があることに気づく。川は死体で埋め尽くされていた。それだけ見ても、皆、生きるために水を求めたことが分かる。しかし、助かっている人は、ほとんどいない。「水の上に油があった。それを火が伝ってきた」と、どこからかそんな話が耳に入る。川が火から人を守ってくれるものと思うのは、仕方のないことで。けれど、そのせいで多くの命が奪われるだなんて、あの惨状で誰が考えつけるだろうか。無残で冷酷な現状は、地獄もここまで酷くはないだろうとすら思えるほどだった。

「こんなのって、ないだろ……」

俺の視界はそこで暗転する。

 しかし、直ぐに俺の視界は黒から白へと変わった。真白な世界に投げ出されたかと思うと、また別の光が差し込んだ。


 視界が開けた時は、地獄だなんて感じられないほど静かで美しい景色が広がっていた。よく見れば、ここには見覚えがある。俺が目当てのものを探していれば、やはり予想した通りのものがあった。色褪せてはいるが、その堂々とした建ち姿を忘れる訳がない。

「これ、あの時の鳥居じゃないか……?」

赤く大きな鳥居。それは、俺がこちら側に来た原因となるもの。呆然とそれを見上げていれば誰かが俺を力強い声が呼びかけた。

「お前!生きとったんか!!」

「……あ!」

視線を向ければ、あの地獄で誰よりも人を助けるために動いていた兵隊だった。

「あの後、誰もお前のこと見てないゆうから、もう死んだと思っとったんや!いやあ~よかったなぁ!」

聞けば、男の名前は、利勝という。背丈は俺よりも低いが夏の風の様に爽やかな男だ。利勝は、生きて会えたことを喜び、白い歯を見せて笑うと俺の肩を力強く叩いた。普通に痛い。

「ほんと、生きてて、よかったなぁ」

そして、利勝はしみじみ呟いた。生きてることが当たり前だった以前の俺ならば、きっといつもの調子で冗談で流した。けれど、あれを経験した以上、その言葉が当たり前でなくとても幸運であることを理解できた。

「はいっ……会えて、よがったっ……」

何より、俺にとって知人がいない土地で、顔見知りの利勝の存在は心強かった。

「あの、ここは……?」

「ここか?八咫烏を祭っとる神社だな」

「八咫烏……?」

「なんや、俺もこいつに連れてこられたんで、詳しくは分からん」

こいつと利勝は自分の肩に留まった鳥を指さした。美しい黒い毛並みに筋肉質な身体。雀より少し大きめの身体を持つそれは俺の時代でもよく見る鳥だった。

「烏……?」

羽の調子を整えているような素振りを見せていた烏だったが、俺に気づくと首を傾けた後、ひょいっと俺の頭へと移動する。

「うわ!?」

「おー、懐かれたな。俺以外に自分から関わりに行くとこ初めて見たわ」

「懐かれたんですか、これ?」

「俺も最初そんなんだったからな、多分な」

烏は、頭の上で軽くジャンプしてみたり、肩に移動したりと忙しなく動いている。けれど、すぐに俺から離れて利勝の指先へと戻った。

「怪我してた時は肝を冷やしたが、こんだけ元気になってくれて安心したさ」

烏との出会いは、怪我したのを助けたからと言う。そこから、何となく餌をやったりしていれば懐かれたと話してくれた。

「おかしな話、決まって俺が1人の時にこいつは現れるんだよ」

お陰で、余計なこと考えなくて済むんだがな、と利勝は笑う。

「余計なこと……?」

「……俺の存在意義、戦争の意味、とかな」

そうだ、ここは恐らく俺の時代とは違う。漠然と理解していたことが利勝の一言で現実味を帯びた。軍服を着ていると言うことは、利勝は兵隊なのだろう。命を賭して国を守れと命令された一人なんだ。

「立っとくのも何やな、ちょっと座るか」

気さくに話しかけてくれる利勝は、そう言って神社の方へ足を進めた。物怖じせず利勝は、あれよあれよと進んでいく。神社といえば狛犬などがあるものだと思っていたが、どうやらここは違うらしく、珍しい烏の形をした石像が本殿の入り口の左右に置かれていた。

「前来た時よりも、随分と綺麗になっとんなぁ」

「来たことあるんですか?」

「一回だけな。その時もこいつに案内されたんだよ。不思議だよな。俺1人だと絶対来れないのに、こいつと一緒ならいつの間にか境内に入ってる」

肩に移動した烏の頭を優しく指で撫でながら話す利勝は、愛おしそうに話す。烏もまた、その指から逃げることはしなかった。

「ここなら、ええか」

少し寂れてはいるが立派な造りである本殿。その賽銭箱の前にある石段で利勝は足を止めた。大人2人が座るには十分な広さを持つ石段の汚れを適当に払い、「まあ座れや」と隣を叩く。

「……お前、この時代の人間じゃないだろ」

俺が腰を下ろし、少し気持ちを落ち着かせたのを見てから、利勝に確信をつく言葉をかけられた。ドキリと心臓がうるさく跳ねる。

「……ふはっ、そう警戒するなよ。何もとって食おうなんて思っちゃいないさ」

利勝があっけらかんと笑うから俺は見て分かるくらいには体から力が抜けた。きっと間抜けな面を晒していたに違いない。

「気が付かんわけがない。この時代にしては見慣れない風貌、肉付きはよく、死に慣れない様子を見たら、察しのいいやつは分かるさ」

どこか遠い目をして利勝は続けた。

「争いのない良い世界から来たんだな、お前」

その言葉に妬みも嫌悪もありはしなかった。ただ、純粋な羨望抱く気持ちと心からの安堵が向けられたことが分かった。戦時中であり、命をすり減らしながら生きる兵の1人である利勝。その兵の生き方を、少しではあるが俺も知らないわけではなかった。だから、真っ先に向けられた想いがこんなに暖かいものだとは思わなかった。そうだ、いつだって利勝は優しかった。どんな情けない俺を見ても声を荒げることはなく、今だって、憎悪を向られることはなかった。どうしてこんなに人に優しくできるのか。どうして、人を想う気持ちを忘れずに生きていけるのか。どうして、そんなにも真っ直ぐに生きれているのか。利勝が与える優しさは、俺の時代にもあったことだった。けれど、これほど暖かくは感じ得なかった。当たり前にあるものだと思い込んで、煩わしいとすら思っていたんだ。

「………なんで、お前が泣くんだ」

ぼやける視界で俺は自分が泣いていることに気づく。

「お前、泣き虫だなぁ」

苦笑いを浮かべた利勝は、俺の頭を乱暴に撫でる。まるで、弟を宥める様に。

「何をそんなに泣くことがある?言うてみ」

な?と優しく諭されたら、もう気持ちに歯止めが効かなかった。きっと俺よりも歳下である利勝にぽつりと話し出したのは、多くの嘘を混ぜた小さな真実だ。

「……俺は、いつだって誰かの機嫌を損ねない様に生きてきたんです。慣れない言葉を使って好かれる様に、自分を隠して」

不満しかなかった。どうして自分だけって怒って喚いて、いっそ俺を笑い物にする他人に嫌われたかった。そう、ずっと心に隠していたことが利勝には何故か話すことができた。

「でも、俺はそれができなかった。嫌われるのは、怖い。だから、怖くて弱虫で、不満を受け入れ生きてきたんです」

きっと、利勝の方がよっぽど不満を抱えたり、理不尽を受け入れて生きているのに、それでも俺の話を遮ることなく聞いてくれる。

「漠然と生きてきたんです。やりたいこともしたいことも見つける努力をせずに、変わらない不満を抱えながら、変わらない毎日を妬んで生きていたんです………それが、今、恥ずかしくてしょうがないんです。悔しくて、恥ずかしくて、苦しくて涙が止まらない」

拙い言葉。言葉の整理よりも早く気持ちが溢れてしまう。過去の自分が情けなくて仕方なかったから。死を遥か遠い存在と思い込んで、惰性を貪った。不満があっても自分を変えることはしなかった。だって楽だったから。いつも、自分を正当化する言い訳を考えるために時間を使った。

「俺は、恵まれた環境にいたんです。それでも、恵まれたことに気づかずに生きてきたんです。もっと、大事に生きていればよかったっ……変わらない毎日を妬むくらいなら、人がなんて言おうと自分を大切に生きていけばよかったっ……!!」

ボタボタと涙が落ちては地面にシミを残していく。ここに来てから、後悔ばかりだ。悔やんだ時にはもう遅いのに。そう悲観的に話す俺の話を暫く静かに利勝は聞いていた。しかし、話が終わった後、泣き噦る俺の頭を力強く撫でたかと思うと、口を静かに開いた。

「……俺の寿命やる」

「………え?」

利勝は見たと言う。人が焼け焦げて死んだ死体の前で俺が白い何かに包まれて消えるのを。まあ、最初は狐に化かされたと思っとたんやけどなと悪戯っぽく笑う利勝は、どこか吹っ切れた様に短く息をついた。

「俺は、きっとこの為にここに呼ばれたんだ」

「なに、を」

「俺は特攻隊員。明日死ににいく。だから、残りの俺の人生をお前にやる」

「ーーいらない……そんなの、貰える訳がないっ!!」

俺は声を荒げて答える。死んでほしくないと伝えるために。ここで、俺がそれを受け入れたら本当に利勝が死にそうで怖かった。

「アンタはこんな所で死んでいい人間じゃない!」

「……この世に死んでいい人間なんて一人だっておるものか」

「っ……」

熱を鎮める様な冷たい声に俺はすぐに口を閉ざした。

「……あの空襲を経験したお前は、あれを何と見る?巷じゃあ、大人も子どもも鬼畜米兵何ぞ言いよるが、本当にそうか?」

「……それでも、殺したのは、他でもない奴らじゃないかっ……」

忘れもしないあの惨劇は、人の手で起こったものだ。あの土地を炎と血で染めたのは、他でもない敵組織の飛行機で。俺は、奴らを心なんてない悪魔だとすら思えた。しかし、利勝は首を横に振る。

「敵が人を殺すんじゃない。選択を間違えた国が自国の民を殺すのだ」

「……それ、は」

「……お前の言いたいことも分かるさ。しかしな、憎き米兵を殺せと教わり武器を持ったのは他でもない俺だ。戦場に出ても変わらぬ固い気持ちだと思っとった。なかなかどうして、そんなことを思えたのか」

初めて敵を同じ人間だと分かった時、自分のしてきたことが恐ろしくなり逃げた、と自傷気味に笑って利勝は寂しそうに呟く。

「なら、どうして……」

特攻隊を志願したのか、なんて俺から聞く権利などなく言葉を濁す。その真意に気づいた利勝は、また静かに続けた。

「友が、死んだ。親友が死んだ。親も兄もみな、戦争で死んだ。戦地に行った末の弟も消息がわからん……優しい子やったからなぁ、もう生きてはいないだろう」

それは、この時代では"普通"でだった。

「誰かの友を殺した。誰かの家族を殺した。誰かの恋人を殺した。それをお国のためにと大義名分を得たつもりでいた。殺したのは、他でもない俺ら人間で、人殺しに大義名分なんてないこと、知っとったのになあ……」

それは、この時代では"普通"だったのだ。戦争を理由に国の為にと死ねと、国の為にと敵を殺せと、それを正義と周りは教えた。しかし、人を殺せば罪になることは誰も教えなかった。だからこそ罪に気づいた利勝は誰よりも良心の呵責に苦しんでいた。

「もう、生きる意味など俺にはない。ただ、生き延びたことを恥じる毎日だった」

「そんなこと」

「お前は言ったな。殺したのは奴らだと。ならば俺も奴らからしたらそう言われても可笑しくはない」

見方が変われば正義は悪に、悪は正義に簡単に変わる。もしくは、この世には正義も悪もないのかもしれん。どうあれ、自分はただの殺人者だと、そう諦めた様に遠くを見つめる利勝を俺は許せなかった。

「違う、利勝さんのせいじゃない……」

「……?」

急に立ち上がった俺を利勝は訝しげに見上げた。

「誰が悪いと言うなら、戦争が悪いんだ。戦争がなければ、誰も殺し合いなんかしなかった、誰も死ぬことはなかった。誰も人を殺せなんて教えなかった!!だから、だから、利勝さんは、生きていいんだっ!!」

こんな優しい人が、死んではならない。こんな苦しんだ人が、死んではならない。平和な未来を誰よりも渇望した、この時代の若者が黙って死を受け入れるなんて許さない。それは、俺の人生の中で初めての感情。理不尽への怒りだった。

「だから、逃げよう!このままだと、日本はーー!」

そこで、俺の声は出なくなる。まるで未来のことを話すなと言うかの様に。利勝の肩に留まっていた烏が、まるでお辞儀をするかのように深々と頭を下げた。そして、それを合図に俺を白い羽と煙の様なものが包み込む。俺は怒りのあまり、拳を握りしめる。

ふざけるな!目の前で救える命があるんだ!!誰よりも苦しんだこの人を、救えずにして何を救うんだ!!

何度も心で叫んでも声は出ない。強く喉に爪を立てても空気は震えない。タイムリミットかの様に視界の煙は濃くなるばかりだ。伝えたいことを何も伝えられずに、また何処かへと飛ばされることが分かった。ここより他に行けるなら、利勝も連れて行く気概で咄嗟にその腕を掴んだ。けれど、それを止めたのは他でもない利勝だった。俺の手に震える手が重なる。

「もういい。もういいんだ……感謝する。名も知らない、優しい人」

利勝はよく笑う人だと言うことは、少し話しただけでも分かることだった。しかし、この時初めて、利勝の瞳から涙が落ちる。それに驚き力を緩めた手を利勝は優しく自分の腕から離させた。

「お前の言葉で俺は救われた。全てを知った上で、生きていいと言ってくれたこと、死んでも忘れはしないだろう。お前が恥じたその優しさは、人を思いやれるその心は、俺らが渇望したものだ。」

足が浮いた。それは、空へと投げ出されるような感覚。俺は自分の体が中に浮いていることに気づく。景色が遠くに見えていく中で利勝が拳を上げたのがハッキリと分かった。

「生きろ!俺の分まで!!お前の優しさに救われた人間がいることを忘れるな!!自分を恥じることなく、前を向いて生きていけっ!!!」

俺は、ぼやける視界を乱暴に拭う。目を開けろ。目を逸らしてはならない。あの若き男の優しさを。戦争の無意味さを。俺たちの世界の平和がどれほどの命を犠牲にして作られたかを。過去のものとして見て見ぬ振りをすることは許されない。どれほどの人が無念に死んでいったのか。どれほどの人が先の未来で平和を望んでいたのか。それを知るのは、先を生きる俺たちの責務だ。

「……どうか、俺らの様にはならんでくれ」

利勝の祈る様に向けられたその言葉を聞いたのだから。最後に悔しげに笑って此方に手を振った利勝を、白くなる視界の中で見たのだから。明日、死を覚悟して生きる人を見たのだから。

その現実から、目を逸らしてはならない。

 俺は、あの笑顔も言葉もを生涯忘れはしないだろう。明日死にゆく人が、あんな優しい言葉をかけられるなんて知らなかったから。俺たちの時代が、幾万人の犠牲の上で成り立っていた平和であることを痛感したから。

忘れるものか、どうしようも無い理不尽さを受け入れるしか無い、この悲しみを。胸が焼けるほどの、この悔しさを。どこまでも純粋な、この優しさを。

俺は利勝を、決して忘れはしない。


 投げ出された白い世界で俺は一人で立っていた。もうどこかに飛ばされることはないだろうと何となく分かっていたから、涙が止まらないんだ。こんなに苦しく悲しいんだ。何故、利勝はあんな理不尽を受けなければならないのか。何故、俺はあの人たちが築いた平和な世界で何も知らずに生きてきたのだろうか。そんな悔しさや自分に対する怒りが溢れて止まらない。

「……なかったことになんかさせねぇから。絶対、この悲劇を忘れさせないからっ……!!」

そう、呟き涙が床に落ちた時だった。足元から白い世界が一層強く光り輝く。


「ーー!?」

 気がつけば病院のベットの上だった。目を覚ました俺を見て、泣きながらその手を握る母と急いで医者を呼んでこようとする父がいた。聞けば、俺は3日間の行方不明ののちに、とある山奥で意識不明で見つかったとのこと。外傷はないが意識が2日ほど戻らなかったという。心配したと伝えてくれる家族。けれど、俺の頭は別のことを考えていた。

「……父さん」

俺の呼びかけに父が振り向く。父の顔は小さい時から何度も見てきた。そのはずなのに、一瞬だけ父に利勝の面影を見た。

「父さんって鹿児島出身だっけ……?」

だから、突拍子もない言葉が口から勝手に出ていたんだ。


 結論から言えば、父の生家は鹿児島だった。ただ、母親との折り合いが悪く婿養子として愛媛に来たらしい。家庭を持ってからも帰省をすることはなかったらしい。俺は、父から住所と電話番号だけ書かれたメモを受け取り、退院したその足で父の生家へ来ていた。

「ここかな?」

初めて行く父の生家は、核家族が増えた世代からすれば物珍しい日本家屋だ。どっしりと佇む正門をくぐれば、玄関の右脇に小さな庭があるのが分かる。丁寧に整えられた松の木は昇り竜を想起させる。その下の人工池には、これは見事な錦鯉が優雅に泳いでいた。

「はぁ~すげえ~」

物珍しさに池を覗いていれば、急に後ろから呼び止められた。

「人ん家で何ばしよる」

驚いた。池に落ちるかと思ったくらいには驚いた。別に悪いことなどしてはいなかったが、悪戯が見つかった子どものように恐る恐る後ろを振り向けば、一人の爺さんが眉間に皺を寄せてそこに立っていた。右手に持った杖の先は、左の手の平を軽く叩いている。絶対怒ってるやん。なんですか、それで何するつもりですか。

「……えーっと、先程お電話した和友です、はい」

可笑しい、祖父に会うだけなのに何故こんなにも他人行儀なのか。会ったことないからか。なるほど、納得。

「……久平の息子か」

爺さんはと言えば、俺の形を上から下まで見てから、ふんっと鼻を鳴らした。

「中に入ればええ。他でもないお前からしたら祖父の家だからな」

あれ?以外に話が通じるかもしれない。見た目で、頑固親父だと思い込んでいた俺は拍子抜けする。後に続くように玄関を潜り、居間へと案内された。居間には、それは立派な黒塗りの仏壇があった。そこに朗らかに笑う女性の写真が立てかけられている。

「お前の祖母に当たる人だな」

祖父は、そう短く答えた。いつの間にか持ってきたお茶を置き、自分のを飲みながら、遠い目をしている。

「……悪い人ではなかった。子どもに、苦労をさせたくないと良かれと思っていった言葉が結果として久平を遠ざけた。結局、仲違いのまま死んでしもうたがな」

どこか思い耽るような独言に俺は静かに聞いていた。

「……久平は元気か」

「はい、元気です」

「そうか」

ふっと口元が緩むのを見た。ああ、この人は本当に父の親なのだと感じる。例え離れていても音沙汰がなくとも心配するし、元気でしていれば安心もする。どこまでいっても親は親で子どもは子どもなのだ。帰ったら電話ひとつでもしなよと話してみよう。俺が出る幕ではないかもしれないが、このままではいけないから。

「さて、わざわざ疎遠になった祖父に何のようがあった?」

「……あ」

そうだ、本題を忘れかけていた。父と祖父との仲をとりもつのは、この際後回しだ。

「……突拍子もないことをお聞きします。この家系に利勝という名前の人はいませんでしたか?」

これは、ただの勘でしかない。けれど、俺は、もしかしたらという可能性から目を逸らしてはならない。違うなら、それでいい。恥を忍んででも知らなければならないことがある。知る努力をしなければならない。

「……」

祖父が少しだけ目を見開いたような気がした。飲んでいたお茶をテーブルに置くとこちらに鋭い視線を寄越す。真剣そのものの視線に俺は生唾を飲み込んだ。

「……冷やかしならば、帰れと言いたかったが、そうとも言えんらしい」

ふむと、少し顎ひげを撫でてから祖父は「少し待て」と言い残し、奥の部屋へと姿を消した。祖父の跡を追うように不意に風が部屋を通った。しばらくの沈黙の後、祖父が茶色の封筒を持ってきた。ずいぶん古い物のようで、所々汚れがあることがわかる。

「わしの父から……あーお前からすれば曽祖父が残したもんだ。兄、利勝の遺書という」

「……!」

「まあ、見てみるといい。わしは、もうそれの意味について合点がいっとる」

「意味?」

「……お前が来てくれたでな」

「??」

祖父の言うことはよく分からなかったが、俺は、まず手紙を読むこととし、封が開いてある袋から恐る恐る手紙を取り出した。

質が良いとは言えない紙は半分に折りたたまれていた。震える手で丁寧に開ければ、見たことがある字が綺麗に並んでいる。


拝啓、生きて帰った名も知らぬ君よ。

 これを読んでいるときには、私、利勝はもうこの世にいないものと考えてください。これは、君と出会ってから後に書いた物です。遺書を残す相手などいないと思い、書く気はありませんでしたが、もし奇跡というものがあるのなら、これが生きて帰った君に届いていることを願い書いています。

 初めに、これは遺書として書いたわけではありません。戦争の事実を隠されないように文に残しているのです。

 私は、罪の意識に苛まれておりました。人を殺して生きていくこと、教え子を殺して生きていくこと、それは私にはできないことでございます。戦争では人を殺すことを正しいこととして教えます。大人は、子どもに国の為に人を殺せと言うのです。お国のために死んでこいと言うのです。純粋無垢な子どもたちは、何も疑問を持たずそれは「かっこいいこと」として信じぬいてしまいます。どんな理由があったとしても、人を殺していることには変わりないというのに。その姿があまりにも哀れで滑稽で愚かでなりません。しかし、一度、これに反を翻せば、非国民と言われます。最悪の場合、お国の手によって殺されてしまいます。それが怖くない人なぞ、どこにいるのでしょう。それゆえに、私自身も今滑稽だと哀れだと言った人と同じように生きてきたのです。人殺しに加担していたのです。そして、今でもその生き方を変えることができない。今更、私だけ生きることすらできないのです。


だから、名を知らぬ君よ。

私の罪を知った君よ。

どうか、二度とこの様な浅ましく滑稽で愚かな時代を作らないでくれ。

どうか、他者の命が金より軽いなどという妄言を吐くことはしないでくれ。

どうか、人を殺すことを勇ましく勇敢だとおもわないでくれ。

どうか、国の為に死ぬことが本望だと美しいことだと思わないでくれ。

君の未来は、君の命は、君だけのものです。私のように奪われ、血で汚れ、罪を被り、生きていることが地獄で早く死んでしまいたいと思いながら生きた屍のようにはならないで欲しいのです。私は、君に愛する人と笑い合い、共に過ごし、誰も傷つくことがない未来を望んでいる。君のいる未来が永久に平和であり続ける時代であって欲しいと望んでいるのです。


未来に生きる君よ。

尊き今という時間を私の代わりに自分らしく生きてください。どうか、平和な世で生き抜いてください。


                 利勝


ただ、静かに手紙に涙が落ちた。

「…………なんだよ、全部あんただったんじゃないか」

手紙の字は、一度見たことがあった。予定帳に書かれていた字に違いない。どういう因果かは知らないが利勝と俺の縁は結ばれていたんだ。俺が過去の時代に行くずっと前から、細くとも切れることがない縁が固く結べられていたんだ。そして、利勝は死してなおも未来を案じ続けているんだと理解する。もう戦後70年近く経ったと言い、過去の惨劇を過ぎ去った傷として見る今の人々に心配し、未来を危惧している。そうして、血縁である俺を何らかの形で過去に繋いだんだ。忘れないでくれと伝えるために。俺たちが暮らしている平和の時代は、かつて無慈悲に冷酷に殺された人々の悲願であることを伝えるために。

「……あ、ぁあっ……」

嗚咽が漏れる。俺は、この20年近く何を学んできたのだろう。今までの学びなど、この手紙はに遠く及ばない。これほど重みのある学びを俺は知らなかった。学ばなかったことをこれほどまでに悔やんだことなんてなかった。手紙を強く握りしめて蹲って泣く俺の背中を祖父は不器用に摩る。

「……泣いてしまえ。誰も笑わん。何の偶然か、それは、お前宛の手紙だ。お前の遠い先祖がお前に残したものだ。未来に綴る平和を願う手紙だ」

祖父の力強い言葉に、俺は暫く涙が止まらなかった。


「ーーもう、大丈夫か?」

祖父の心配する声に俺は静かに頷いた。

「………お前は、叔父に会ったのだな」

それ以上、何も聞くことはしなかったが、俺が答えない事が何よりの返答だと祖父は納得したような様子が伺えた。

「……その手紙は、お前にやる。お前が持って然るべきものだ」

そうして、決意した眼差しで俺を射抜いた。

「……けれど」

「タダでやるとは言わん。どうか、それで叔父の悲願を叶えてやってくれ」

「俺が……?」

祖父の力強い手が俺の両腕を握りしめた。俺は、その勢いに少し瞬ぎはしたが、拒絶しようとは思わなかった。

「この先、戦争を知らぬ世代が、大人となる。暴力は正義だと思い込んでいる愚かな奴がおる。あたかも、あの惨劇が嘘かの様に話す子どもがおる。他でもないわしがそれを危惧しないわけがなかった」

利勝も同じことを危惧し、それを愚かなことを称していた。祖父もまた同じように未来を危惧していたのだことが熱のように伝わってくる。

「わしらはもう歳だ。いずれ死にゆく者だが、これから生きていくものに、これから生まれてくる者に同じ過ちを犯して欲しくはない。だから、どうかお前の言葉で伝えてはくれまいか。かつて、平和を望んだ人々がいたことを。かつて、戦争で多くの被害が出たことを。美化なんぞしなくて良い。敵を殺して死ぬことが美しいことだと思い込むように伝わるなら、美化なんぞしなくてもいいんだ。誰かを想い、人に優しくし、他者と自分の命を尊び、人生を全うすること、それこそが本当に美しいことだと伝えてはくれまいか」

祖父の言葉は、このままの未来を案じ、ただ永久に平和を願う言葉。利勝だけの悲願ではなかった。ああ、俺はこんなにも未来を想い、誰かのために心を砕き泣くことができる優しい人たちの血を引いているのか。そう考えるだけで俺は俺に自信が持てる気がした。

「……俺ができることは少ないけれど、それでも、きっと形にして伝えるから。過去にあった惨劇を。俺たちが立っている土の下には数多くの人が眠っていることを、きっと、必ず伝えるから。だから、どうか見守っててくれますか」

これは、俺がやらなければならないことだ。漠然と毎日を生きていたが、今、やるべき目的を得た。ならば、例え俺の未来がどう転んだとしても踏み出さなければならない。

「ああ……ありがとう」

俺の決意に祖父は、その日初めて涙を流した。

 それから、俺は手紙を胸にして祖父の家を後にした。これから幾万人の悲願に向け、しなければならないことができた。できるかは分からない。それでも踏み出すことはできる。

 戦後の八月が、またやってくる。青く輝くこの空が平和の象徴であり続けることを永久に願う。


 一羽の烏がそれを始終見ていたことなど和友は知る由もない。烏は、ただ静かに木々を揺らした。もう、大丈夫であることを確認したかの様に大空に羽を広げたのだ。

 

烏と男との約束は、もう果たされていた。


ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

今後ともよろしくお願い致します。





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