深海の都 14
カイトは口を半開きにしたまま、少女を見つめていた。
少女は真っ青な瞳をしていた。
深い深い深海の青。
じっと見つめていると吸い込まれそうになる。
「大丈夫か?」
背後から老人に声をかけられ、カイトは我に返った。
そうだ。僕は、あの人魚を殺さなくちゃ。
いや、殺せなくてもいい。人魚の鱗でも髪でも、その青い瞳でも
何かを持ち帰るんだ。
カイトは懐から小刀を取り出した。
これまで小動物さえ殺したことがない彼の右手は、ぶるぶると震えていた。
無理だ。
いや、でもダメだ。ディアナのために。
カイトは、ディアナの顔を思い浮かべた。
黄金色に輝く髪。エメラルドのような碧色の瞳。
「カイト。面白い本が手に入ったの。読む?」
「カイト。丘の向こうに菜の花畑を見つけたの。行ってみない?」
鈴の音のようなディアナの声。
歳の離れた従姉妹のディアナは、母のいないカイトにとって
唯一の光だった。
病死した母の墓前で泣いてばかりだったカイトを太陽の下に連れ出して、
生きる希望を与えてくれた。
ディアナを失うわけにはいかない。
母と同じ病気に罹ったと聞いたとき、カイトは決めた。
ディアナは僕が救う。
カイトは小刀を小脇に構え、ゆっくり人魚に近づいていった。
「やめろ」老人の声が聞こえたが、歩みを止めることはなかった。
人魚まで、あと数歩の距離まで近づいた瞬間、カイトはものすごい力が
身体を引っ張るのを感じた。
とっさに逃げようと足を後ろに退いたが、既に遅く、じりじりと
人魚のほうに手繰り寄せられていく。
カイトの額を油汗が流れた。
その時、再び頭の中に歌声が流れ始め、一瞬、態勢を崩したカイトは
絡めとられるかのように、人魚の胸元に抱きすくめられた。
「うわあ」
人魚の背中に回した自らの手が何か温かくぬめぬめしたものに触れた。
よく見ると、少女の肩には人間の眼のようなものがある。
それが、ぎょろりと動きこちらを凝視した瞬間、
カイトは恐怖のあまり叫んだ。
まさか、まさか、まさか。
でも、そうだ。間違いない。
カイトは自分の両手がゆっくりと溶かされていくのを感じていた。
粘膜が交わっていくように少女の背中に溶け込んでいこうとしている。
本で読んだことがある。
深海には、メスが出会ったオスを逃がさないため
己の身体の中にオスを取り込んで一体化させる生き物がいると。
個体数の少ない深海で種族を残すには最善の方法なのだと。
先ほどの眼は、前に取り込まれた誰かの眼だ。
だとすると僕も。
「イヤだ~~~~~~」
カイトは断末魔の悲鳴をあげた。




