深海の都 9
カイトは複雑な気持ちで老人を見ていた。
「死ぬことが出来ないのは、不幸なことなんですか?」
小さな声で独り言をつぶやいた。
黙々と刺身を食べていたカゲが
「先ほどから、歌声が聞こえてくる。これは人魚の声か?」と尋ねた。
老人は珍しいものを見るように
「客人はこの声が聞こえるのか?」
「ああ。ここへ来る途中に通り過ぎた塔の方向から聞こえてくる。
歌と言っていいのかどうかも分からないが、ただ、とても哀しい声だ」
「人魚様の声は、超音波の領域に近い。たいていの人間は聞き取れない」
「だが聞こえる。寂しそうだ」
「哀れに思うか?」
「この声を聞いていると、彼女の孤独が痛いほどに突き刺さってくる」
「客人は彼女を救うことが出来るか?」
「無理だ」カゲはきっぱりと言い放った。
「誰かを救うことなんて誰にも出来ない。俺はグアヤキルでそれを知った」
老人は落胆してため息をついた。
「俺たちは明日の朝、ここを出発する。何も礼が出来なくてすまない」
「ここを出て東へ向かえばいい。バニティの近くの森に出るたて穴がある。
今晩は、ここへ泊っていくといい。あまり寝心地は良くないが
海の中よりはましだろう」
「感謝する」カゲは両足を揃えて深々と頭を下げた。
その夜、カイトは眠れずに、何度も寝返りを打ち続けた。
死ねないことは不幸なことなのだろうか。
若くして命を落とすよりは、よほど幸せなのではないだろうか。
生きていれば見ることができる景色がたくさんある。
生きていれば出会える人たちがたくさんいる。
生きてさえいれば笑うことだって泣くことだって出来る。
希望を持つことだって。
僕は生きていたいし、僕の大切な人にも生きていてもらいたいんだ。
翌朝、カゲが目を覚ましたとき、カイトの姿はどこにもなかった。




