最後の夕餉
屋敷に戻ったカゲは、夕暮れが近づいても自室から出てこようとしなかった。
壁の隅に背をあてたまま、膝を抱えて顔を伏せていた。
この数時間に起きたことが事実とは思いがたく、
けれど事実だと受け入れるしかなく
感情と理性のバランスがとれず、ひどく混乱していた。
分かっていることは、訓練の日々がどんなに苦しくとも、
ボイドはカゲにとって何かしらの光になっていたということだ。
部屋の戸が軽くノックされて
「カゲ。夕食の時間だ」と呼ぶ声が聞こえた。
膝を抱えたまま、黙りこくっていると
「カゲ。君は僕が育てた剣士だ。心を強く持ちなさい。
どんなに辛くても、それを表に出してはいけない」
ボイドの声色がやや厳しいものに変わった。
「はい」カゲは、小さなかすれた声で応えると立ち上がって
扉を開けた。
そこには右腕を三角巾で吊られて、
いつもと同じように笑っているボイドの姿があった。
最後の晩餐は、いつもよりほんの少し豪華な食事が並べられていた。
日頃は添えられぬ果物を使ったデザートや、嗜好品としての飲み物も
用意されていた。
ボイドは、動かない右手に代わり、左手を器用に使いながら、ゆっくりと
食事を進めていた。
「なかなか難しいものだな」苦笑いするボイドに
「お手伝いしましょうか」とカゲも笑顔で返した。
これが二人で囲む最後の食卓になるとは、どうしても信じられなかった。
「カゲ。僕は明日の朝には、殺される」
「知っています」カゲは青ざめた顔で答えた。
「最後に、僕自身の話をしてもいいだろうか。君にはつまらない話だろうが、
もしよければ、覚えていてほしい。僕という人間がこの世界にいたことを」




