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お前は悪役令嬢じゃない、ヒロインなんだ!

作者: 高良 揚羽

 

 ーー頼む、気づいてくれ。


 僕は祈っていた。大広間でオーホホホホホホホ!と見事な高笑いを上げる我が婚約者ーーヴェロニカに向かって。


 この場の全員の視線を独占する彼女は、真っ赤に塗られた唇をなまめかしく開く。


「全く、この女狐め! 私のレオン様に色目を使うなんて、下等な地位のくせに何様のつもり?」


 彼女の仰々しい言い回しに僕は頭を抱える。ちなみに、暴言を吐かれた僕の隣に立つ女は生ぬるい笑みを浮かべている。


 僕は、ヴェロニカが重大な勘違いをしていると知っていた。


「あら、弁解の余地もないのかしら?」


 オーホホホホホホホホ!とまるで必須事項のように定期的に挟まれる高笑いに目眩がする。早くやめさせよう、と僕は声を上げた。


「やめてくれ、お前は間違っている! ヴェロニカ!」

「あら、愛しのレオン様。一体何が間違っていると言うの?」


 何もかもだよ!


 どんなにそう思っても、決してこの場で言葉にできない歯痒さに拳を握った。心の中で、僕が知る真実を吠えた。


 ーーお前が転生したのは悪役令嬢じゃない、ヒロインなんだよ……!


 ◇


 僕は転生してすぐ、ここが自分の書いたネット小説の世界だと気づいた。

 主人公――レオン・エクハルトに転生したのだ、気づかないわけがなかった。青灰色の瞳に輝く金髪、王子よりも王子らしい恵まれた顔面は、僕が思い描いていたままの外見だった。


 一方で、僕が書いた小説の世界だと判明した時点で、他の転生者と出会うことは望み薄だろうな、と思った。


 公開はしていたけれど、そう多くの人には読まれていなかった。だから、もしこの世界に転生した人間が僕以外にいたとしても、きっとストーリーを知らないまま、普通に生きていくんだろう。


 そうしてこの世界に慣れた六歳のある日、僕はヒロインに出会う。


「ヴェロニカ・ヴェンデルガルトですわ。どうぞよろしく」


 父から『お前の婚約者だ、仲良くしなさい』と引き合わされた少女は、紫水晶の瞳にドリルのように巻かれた銀髪、そしてなんとも強そうな名前をしていた。


 彼女の構成する要素が脳に伝達されるたび、僕はじわじわと鳥肌が立って頭が真っ白になる。

 理想の女の子が、そこにいた。彼女がその白い指で艶やかな銀色の髪を巻き付けるたび、考え事をするように吊り上がった目を細めるたび、甘い痺れが心臓に伝わる。


 衝撃のあまり、その場で交わした会話はあまり覚えていない。でも一つ、強烈に覚えていることがある。


 別れたあと、僕は忘れ物をして、一人で少女の部屋へ戻った。

 ドアを開けようとすると、ヴェロニカのぶつぶつと呟く声がした。


「転生したのはわかってたけど、これは一体何の世界なのかしら?」


 そう、彼女も転生者だったのだ。僕は息をつめた。声もかけられずに、少女が思考を垂れ流しているのを聞く。


「うーん、異世界ものなのは間違いないでしょ? でも魔法はないし聖女はいないし……。かっこよくて王子様みたいな婚約者、私は絶世の美少女、かつ吊り目、ドリルのような巻き髪、強そうなヴェロニカという名前……そうか、わかったわ!」


 彼女は己の構成する要素から、たった一つの真実を導き出したらしい。『絶世の美少女』のあたりでそうそう、きみはヒロインなんだよ……と扉の外で頷いていたが、どうも雲行きがあやしい。


「間違いないわ、悪役令嬢物ね! 全く、人に意地悪するのは気が進まないけれど役割を全うしなくちゃね。ちゃんと悪役令嬢らしくできるように頑張るわよ! でも納得がいったわ。こんなドリル髪で悪役令嬢にぴったりだもの! この逸材をヒロインに据える作者なんていないわよ!」


 僕はそっと壁に項垂れた。


 僕が書いた『昼下がりに君とワルツを』は、レオン・エクハルトとヴェロニカ・ヴェンデルガルトのほのぼのラブストーリーである。悪役令嬢も婚約破棄も出てこない。


 ヴェロニカが強そうなキャラ造形になってしまった釈明を述べるとするならば、作者(ぼく)の好みのせいだった。彼女の言葉を思い出す。


『この逸材をヒロインに据える作者なんていないわよ!』


 違うんだ、ヴェロニカ。ただ、僕の好みの強そうな女の子をヒロインに据えたら、結果的に悪役令嬢的な外見になってしまっただけなのだ。


 その発言を聞いてから、なんだか顔を合わせるのが気まずくて、婚約者との交流を避けたまま、僕は騎士学校に入学した。

 朝から晩まで訓練と座学に励み、寮生活で実家にはまともに帰らず、完全にヴェロニカとの接触を絶った。


 だから知らなかった。


 まさか彼女が、あれから十年あまり、ずっと悪役令嬢を目指していたなんて……!


 ◇


 十七歳になった僕は、騎士学校を卒業し、社交の場に出た。そこで初めて婚約者の評判を知る。


 僕の婚約者はーー誰もが認める「面白い女」になっていた。


「レオン様、知っていて? あの子、自分と正反対の女の子を見つけると絡みにいくのよ。『あらあなた、初めて見る顔ね? 垢抜けないわね、恥ずかしくないのかしら? うんうん……ドレスを買うお金がなかったあ? 全く仕方ないわね、私のドレスを貸してあげるからついてらっしゃい?』って。どこの悪役令嬢が自分のドレスを貸してあげるってのよ!」


 マリーは、けらけらとおかしそうに笑った。美しい黒髪が、笑い声に合わせて揺れている。いかにも清純派といった見た目で、外見だけならヴェロニカよりよほどヒロインらしいかもしれない。


 彼女は珍しいことに『昼下がりに君とワルツを』の読者だったらしい。原作通りレオンとヴェロニカのほのぼの恋愛が見れると思ったのにヴェロニカが悪役令嬢の真似事をしていて、最初はそれなりに混乱したらしい。今ではすっかり面白がっているようだが。

 マリーはヴェロニカの親友の座を勝ち取り、レオンとも前世を共有する者として交流を続けている。


「あら、あの子、次は別の子に目をつけたようだわ」


 楽しそうにマリーが報告してくる。やれやれ、と肩をすくめる。これ以上婚約者を放って置かれてはたまらない。ヴェロニカがデビュタントに世話を焼きすぎて、全然話せていないのだ。


「はあ、回収してくるよ」

「そうしてあげて、レオン様。そのままヴェロニカと踊ってきなさいよ」


 マリーは笑って親指を立てた。がんばってこい、とのエールなのだろう。ほのぼの恋愛が見たい、という当初の野望は、どうやらまだ諦めていないらしい。

 ありがとな、と囁いてその場を後にする。


 そんな僕たちのやりとりをヴェロニカがじっと見つめているとも知らずに。


 ◇


 馬車に揺られながら、僕たちは会場を後にする。目の前には上機嫌な様子のヴェロニカが座っている。


「今日も楽しかったかい? ヴェロニカ」

「ええ最高の夜でしたわ。レオン様。今日はマナーのなってない小娘がいたから躾けてあげましたの」

「ああ、食べ方を教えてあげていたね。相手が食べ物をこぼしたらさりげなくハンカチで拾ってあげてもいた」

「ええ、しょうもない小娘でしたわ。最後は泣き出してしまって……意気地のない子でしたわ」


 ふん、と鼻を鳴らす彼女だが、涙ぐんでお礼を言われていたことに気づいていないのだろうか。


 得意げな彼女に呆れる。整った顔を崩してやりたくて、高い鼻を摘んでやった。


「な、なんですの?」

「別に?」


 驚いた顔の彼女は、少し幼く見える。それが少しおかしくて、ふふ、と笑った。ヴェロニカは困った様子で眉を寄せた。


「相変わらず変な方ですわ。レオン様は……」

「君には言われたくないよ」


 ぐっ、とヴェロニカは黙る。暗い面持ちで唇を噛んだ。いつもなら小気味よく言い返してくるのにどうしたのだろう。


「何かあった? ヴェロニカ」

「……レオン様には、好きな方はおりますの?」


 あー、と僕は遠い目をする。ヴェロニカは自分が『好きな方』であるとは微塵も思っていないらしい。なんだか癪にさわって、意地悪な返しをした。


「放っておけない子ならいるよ」

「……そうですか」


 放っておけないくらい、斜め上の方向に猪突猛進で一生懸命な君。最初は「あの時自分が止めていれば」という責任感からだった。でも今は、こうやって顰めっ面を見るのも、高笑いをしているのも楽しいのだ。


 難しい顔をする彼女に目線を合わせると、ふんっと横を向かれた。


 子供みたいで、さらにおかしくなる。僕が肩を振わせると、ヴェロニカは頬を膨らませた。淑女とは思えない全力の膨れっ面だった。


「機嫌を直して」


 ポケットからお菓子を取り出してみせれば、ぱあっと顔に花が咲く。「もう怒ってない?」と聞くと、「それとこれとは話が別ですわ!」と懸命に喜びを抑えた様子で、そわそわして僕の手からお菓子を受け取った。目をつぶって心底美味しそうに頬張る姿を見て、思わず吹き出してしまう。

 こんなに面白くて、子供っぽくて、可愛い人が悪役にはなれないだろう。


 なんですの!とぷりぷりと怒られても、お菓子をしっかり掴んだままではちっとも怖くない。


 本当は、僕が教えてあげればいいのだろう。『僕も転生者で、君はヒロインなんだよ』って。でも面白くないじゃないか、と僕は自分勝手な意地を張る。

 僕が書いた理想のヒロインで、好きな子のことを悪役扱いするなんて、たとえ本人だとしても面白くないのだ。


 ◇


 時は流れて、僕の誕生日パーティーがやってきた。


 僕の静止もむなしく、目の前でオーホホホホホホホホホホホ!とヴェロニカの糾弾は続いている。糾弾されている当のマリーはと言えば、生ぬるい笑みで見守っていた。


「レオン様のことを狙っているのがバレバレよ! 全く、この女狐!」


 どうやら今日は、僕への距離の近さを注意するという方向への悪役ムーブらしい。


 今日はどこへ着地するのだろうか、と眺めているとヴェロニカの様子がおかしいことに気づいた。

 瞳をきっと吊り上げながらも、その瞳は不安そうに揺らいでいる。赤く縁取られた小さな口を開けたり閉めたりして、迷うように問うた。


「マリーは、レオン様が好きなんでしょう?」


 んん、と僕とマリーは同時に首を傾げた。そして、ヴェロニカは僕の目をひたと見つめる。


「そして、レオン様も、マリーのことが好きなんでしょう?」


 はあ?と僕は婚約者の目の節穴っぷりに呆れた。恐らくマリーも隣で同じ顔をしている。


「全然好きじゃないわ、ヴェロニカ」

「僕もだよ、ヴェロニカ」


「嘘つき!」


 待ってくれ。なんの糾弾なんだ、これは。悪役ムーブじゃなかったのか。


「レオン様は、性悪女が近づいていい方ではないんだから! マリーも、すごく優しくて面倒見が良くて、身分だけの女に負けるような子じゃないんだから!」


 そうか、と僕は腑に落ちた。

 ああ、ヴェロニカ。お前は、『自分を』弾劾しているのか。


「だから、だから……」


 彼女は悪役らしからぬ濡れた声で、それでも凛と前を向いて宣言する。


「私は、二人の邪魔はしたくないの。レオン様のことはすっごく好きだけど、不幸にしたいわけじゃないの」


 彼女の紫水晶の瞳が揺れている。


「……だから、婚約破棄してあげても、良くてよ?」


 彼女の目から、一粒の涙がこぼれた。


 僕は深くため息をついた。ヴェロニカがびくっと肩を震わせた。僕は大股で近づいていく。


「じゃあ、婚約はやめようか」


 悲痛な顔を見て、そんな顔するならなんで婚約破棄なんて言ったの、となじりたくなる。どうやら先程の言葉は僕にかなり効いたらしい。


 彼女の涙を拭うと、その場に跪いた。ポケットから指輪ケースを取り出す。


「婚約じゃなくて、結婚してくれる?」


 驚いた彼女の顔は、やはり幼い。もっと強い女の子が好みだったはずなんだけどなあ。斜め上に一生懸命もがいている姿を見ているうちに、宗旨替えしてしまったらしい。


「今日、渡すつもりだった」


 折角の誕生日パーティーだから、とサプライズを考えたのはヴェロニカも同じだったようだが。……婚約破棄サプライズは勘弁してほしい。


「僕が好きなのは、ヴェロニカだけだよ」


 六歳のとある日、理想通りのヒロインに出会って、恋に落ちた。

 十七歳、再会した婚約者が悪役令嬢になっていて責任を感じた。

 責任を取って見守っているうちに、彼女のあたたかさに触れた。

 そして今、ヴェロニカを何よりも愛おしく思う。


 うそ、でも、とか呟く彼女の返事を待つ。


「……うう、よろしくお願いします」


 彼女がやっと返事をして、僕の腕の中に飛び込んでくる。

 周りで長年の彼女の行動を知る人間たちが、わあっと歓声を上げた。


 僕の腕の中で会場中から祝福される彼女が、悪役のはずがない。涙と笑顔で忙しい彼女の頬にそっと手を添えた。


 ◇


 それからしばらくして。


「ねえ、私最近思ったのだけれど」

「なんだい? ヴェロニカ」

「もしかして私、悪役令嬢じゃないんじゃないかしら?」

「やっと気づいたの?」


 笑顔の絶えない夫婦の間で、そんな会話が繰り広げられるまで、あと少し。

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