一章~31話 選別の理由
用語説明w
この施設:ラーズが収容された謎の変異体研究施設、通称「上」。変異体のお肉も出荷しているらしい
ナノマシン集積統合システム:人体内でナノマシン群を運用・活用するシステム。ラーズの身体導入されているが、現在は停止措置を施されている
ヘルマン:ドラゴンタイプの変異体。魚人のおっさんで元忍者、過去に神らしきものの教団に所属していた
眠りから覚め、ゆっくりと目を開ける
見慣れた個室の天井
気がついたら、毎日見ることになった天井だ
食堂に行き、食事をとる
ヘルマンもクレオもいない
シンヤとその取り巻きもいなかった
あいつらがどう出て来るか分からないため、いなくてちょっとホッとした
今日は検査室に呼ばれ、簡単な検査を受ける
俺が初めて見る研究者だった
「…うん、数値もいい。君は間もなく完成変異体といえる状態になるだろう」
「え!?」
い、いきなり完成変異体!?
寝耳に水すぎるだろ!
「数日のうちに、ステージ2へ行くことが決まるだろう。心の準備をしておきなさい」
「あ、はい…」
「ステージ2は、ここと違って優しくない。気を引き締めておけ」
いきなりステージ2に行くことが決まってしまった
「…そういえば、俺はナノマシン集積統合システムの強化手術を受けているんですが、まだ停止を解除してくれないんですか?」
俺は、軍時代にナノマシンシステムの導入手術を受けている
コアを体内に移植してナノマシン群と共生を行う人体の強化手術で、治癒力の向上などが見込まれる
強制進化の妨げになるため、この施設に入れられた際に機能を停止されていた
「ナノマシン群が強制進化に干渉すると特異な変異を起こす可能性が高いからね。少なくとも、この施設にいる間は解放することはできないだろう」
「そうですか…」
残念だが、ゴネても仕方がないだろう
ステージ1の卒業だけで喜ぶとしよう
検査が終わり、俺は検査室を出る
最近は検査時間が短くなり、その分自由時間が増えた
俺の強制進化は順調だというこだろう
運動場に行くと、すぐに見知った姿を見つけた
「よお、ラーズ」
「ヘルマン、よく会いますね」
「運動場と食堂しか行くところがないからな」
ヘルマンは、相変わらず武術の型をやっている
既に少し汗ばんでいた
「聞いたぜ、シンヤをやったんだってな」
「ええ。トラウマの克服を兼ねて、ボコボコにしました」
「トラウマは治まったのか?」
「トラウマは…、そうですね。何を怖がっているのかを理解したら大分治まりました」
怖がっていたのは、仲間のことを思い出すこと
そして、あの時の絶望を思い出すことだった
思い出し、理解したことで、やっと整理できた
そもそも、忘れていい記憶ではない
「そうか、よかったな」
「ヘルマンのおかげですよ。ありがとうございました」
「俺は何もしていないさ。だが、シンヤなんかここじゃ中ボスだ。まだラスボスがいるんだから、満足するなよ?」
「…そんな、格闘漫画みたいな。誰のことですか?」
「そりゃ決まってるだろ。ここで一番強い奴は研究者や施設の人間だ。俺達は全員家畜でモルモットだろ」
「あー…、確かにそうですね」
「俺達も、早くここを出ないとシンヤみたいに順応して噛み付く牙を失っちまう。生きて帰るために、噛みつく力をつけないとな」
「そうですね…」
「よし、いっちょやるか!」
ヘルマンが構え、俺も応じる
ヘルマンとの組手は、ここでの貴重な楽しみとなった
ヘルマンは実戦的な武術の技を持っており、俺の格闘技の技術とは根本的に違う
だからこそ面白いし、噛み合わずに逆に俺の技がきれいに決まる時もある
だが、ヘルマンの技術の高さは異常だ
過去に忍者という諜報活動の専門家として活動していたらしいが、その中でも上位の実力を持っているのではないだろうか?
俺が軍時代に師事した先生も暗殺術の使い手だった
俺はあの先生に手も足も出なかったが、ヘルマンも同じくらいの腕を持っているように思える
…よし、今日のテーマは組み技だ
ヘルマンは腰を落とした拳法のような構え
腰が低くてやりづらい
「シッ!」
ジャブを飛ばしながら牽制
丁寧に捌きながら、ヘルマンが俺の膝関節を蹴って来る
一瞬前足を引き、ジャブ、腰を落としてからの胴タックル!
「…っ!?」
ドゴォッ!
俺の体が吹き飛ぶ
ボディに車が衝突壁したかのような衝撃だ
入る直前、足さばきでスイッチ、体の反転の力を加えて肩で打撃か…!!
一瞬で、近距離からの高威力の打撃
発勁の打ち方だ
よく誤解されるが、発勁には二種類の意味がある
武術で使われる発勁とは、力学と人体構造、そして重力をつかった純粋な打撃だ
これにタイミングが合えば、とんでもない威力になる
しかも、ヘルマンは変異体であり、常人よりも力が強い
カウンターにもなってしまい、ダメだ…、立てねぇ…
そしてもう一つの発勁が、氣力を発する攻撃の一種のこと
氣力とは魂と肉体を繋ぐ力であり、肉体内を血液のように氣力が通っている
この経路を氣脈という
同じ発勁でも、意味が違うので気を付けなければいけない
拳法系の武術の発勁は理解が難しく、氣力を使った技だと誤解されたことから発勁の意味が混同されたことが由来らしい
「ラーズ、大丈夫か?」
「ヘルマン…ぐっ……無理…」
体が全く動かない
痛みと苦しさで力が入らねぇ…
「…すまない、力を入れすぎたか」
ヘルマンが驚いている
ダメだ、悔しいが実力差がありすぎる
徒手格闘には自信があったのに…
「なあ、シンヤ達にまた絡まれたらどうするんだ?」
ヘルマンは、これ以上の組手は無理だと判断して雑談を始めた
「次に来たら殺します。何度も襲撃を受ける状況は危険ですからね」
「集団で来るかもしれないぞ?」
「その場合は、取り巻きを少しづつ削っていきますよ。この施設は守衛がいますし、助けを呼べるので有利です」
いざとなれば、個室にも逃げ込める
負け犬でもいい、生き残った方が強いんだ
ゲリラ戦で一人ずつ狩ってやる
「…手に負えなかった呼べよ。少しなら手伝ってやる」
「珍しいですね。あまりトラブルには関わらないようにしてると思ってました」
「お前との組手は面白いからな。それに、よくラーズと話してるから俺も目をつけられたようだ」
「なるほど…」
だが、シンヤとその取り巻きでヘルマンを囲むなんて自殺行為だ
へルマンは強すぎる、はっきり言って相手にならない
「…ラーズ。実は、俺はステージ2に上がれることになりそうなんだ」
「え!?」
「もう五年もステージ1にいて、少し諦めかけていたんだけどな」
「良かったじゃないですか。実は、私もステージ2に…」
「何だと!? お前、来たばっかりなのに早すぎないか!」
「さっき、研究者に言われたんですよね。よかった、一緒に上がりましょう」
「ああ、よろしくな」
ようやく立ち上がれ、俺はヘルマンと握手をする
「最近、選別の時なんかは頭痛も治まったり集中力が上がったりして、体調が良くなったことを実感してたんですよ。まさか、こんなに早くステージ2に上がれるとは思いませんでしたけど」
「PTSDで恐怖を感じたことが、結果的に良かったのかもな。選別でも、恐怖と殺意を通常よりも受けて強制進化が進んだのかもしれない」
「…恐怖と殺意? どういう意味ですか?」
「強制進化は、恐怖とか殺意とかの感情の動きで進行が加速するって話じゃないか」
「…初耳ですけど!?」
強制進化
変異体因子が覚醒すると人体に変異が始まる
この覚醒段階まで来ると、無作為の変異が進行してしまう
よって、生存に支障が無く、人体を効率良く強化するために、ある程度デザインされた方向に変異を誘導する必要があり、これを強制進化と呼ぶ
変異体とは、生物が持っている環境により適応したい、今の自分から変わりたい、という欲求による変異だ
そして、その欲求とは生存本能を刺激された時に一番発揮される
例えば、生き残りを賭けた殺し合いの最中
死が間近に迫り、圧倒的な恐怖に襲われている状況
この死のストレスが生存本能を刺激し、強制進化を促進するのだ
…俺の場合は、更にトラウマの恐怖による精神的ストレスを受け続けていたことで強制進化の進行を早めたのかもしれない
「あの選別という殺し合いって、強制進化を促すためにやらされてたんですか!?」
「そうだろうな。精神的ストレスを与え続けることで、俺達被検体の感情を揺さぶり強制進化を進めていたんだろう。しかも選別があれば、その合間の時間も死の恐怖と戦うことにもなる」
「…」
思い当たる節はある
選別が始まれば、そして戦いに集中すれば、頭痛が治まり体調が良くなった
そして、追い詰められれば、あり得ない怪力が出せた
素手でサイボーグの腕を引きちぎり、ゴーレムの頭を叩き壊す力…
追い詰められた時、俺のトラウマだった何かを押し退けて、変異体の性能が引き出されていたのだ
「なんで何も説明しないんだ、この施設に奴らは…!」
「ストレスを与えるのが目的なんて言ったら、安心させてストレスが減るだろ。それに、養豚場の豚に世話の方法をあれこれ説明する業者がいるか?」
ヘルマンが言う
「…」
そうだった
俺達は実験動物で、商品で畜産動物だったんだ
「…俺達は変異体という強化人間だ。戦いの刺激で体が完成するなんて、因果な体だよな」
「そうですね…」
改めて、自分が普通の人間じゃなくなったと実感した
ナノマシンシステム
一章~11話 テレパスハック実験 参照