一章~20話 スパー
用語説明w
この施設:ラーズが収容された謎の変異体研究施設、通称「上」。変異体のお肉も出荷しているらしい
変異体:遺伝子工学をメインとした人体強化術。極地戦、飢餓、疲労、病気、怪我に耐える強化兵を作り出すが、完成率が著しく低い。三種類のタイプがある
ヘルマン:ドラゴンタイプの変異体。魚人のおっさん
守衛にボコボコにされた後、医務室で治療を受ける
回復魔法と薬で体が治っていく
だが、俺の怪我はすでに腫れが引き、スタンスティックの火傷も治りかけていた
変異体となった俺の治癒力が上がっている
…強化人間となった事実を再認識した
部屋に帰ってくると、ベッドに倒れ込む
疲れた
主に精神が
だが、反抗できたのは大きな一歩だ
シンヤにじゃない、俺自身の恐怖に対する反抗だ
俺の中で恐怖を撒き散らす何か
あいつに反抗できたのだ
この施設は、俺達被検体を商品として扱っている
被検体同士のいざこざで秩序が乱れれば、すぐに守衛が取り押さえに来る
ここからが大事だ
毎回抵抗しなくちゃだめだ
毎回毎回、守衛を巻き込んでやる
次も、シンヤに会った時にはとことん抵抗する
俺は、やり返してくる奴だと思わせなくちゃいけない
この施設は弱肉強食だ
平和と協調よりも、マフィアの理論の方がまかり通る
…いやというほど分かった
攻撃者という頭のおかしい相手に対しては、説得や迎合よりもリスクを呈示しなければいけない
攻撃に対する一番有効な手段は、反撃の危険性を提示することだ
舐められるとは、こいつはやり返さないと思われることだ
そういう相手に、人間は手を緩めない
そして、境遇を受け入れたら俺自身が戦えなくなる
戦うことが無駄だと、俺自身にインストールされてしまうのだ
やられたくない
死にたくない
恐怖に負ける自分から変わりたい
自分の居場所は、自分で守るしかないんだ
・・・・・・
…目が覚めた
いつの間にか眠ってしまったようだ
「…よぉ、乱闘かましたらしいじゃないか」
運動場に出てみると、ヘルマンが来ていた
「はい。シンヤに完全に目をつけられていて、このままじゃ潰されると思って…」
「ま、確かに舐められたらやられちまうわな」
「相変わらず恐怖で体は強張ったんですけど、今回は無理やり動いてやりましたよ」
「そうみたいだな。お前が、あのシンヤに抵抗したって噂になってたぜ」
…噂って
ここでの生活は変化が少ない
だから、他の被検体の噂はすぐに広まるのだろう
誰かが暴れた、誰かが守衛に殴られた、そして誰かが死んだ、なんて噂だ
「よし、人生の先輩としてアドバイスをしてやる」
「アドバイス?」
「ああ。まず、その軍隊仕込みの丁寧な言葉使いを崩せ」
「言葉ですか?」
「そうだ。そして、一人称を私から俺にしろ。それだけでも、少しは舐められなくなる」
「はぁ…」
舐められない
それは、自分を守ることだ
言われてみれば、こんな場所で丁寧な言葉を使う理由なんか一つたりともない
「…それで、お前が怖がっている物が何かわかったのか?」
ヘルマンが、ストレッチをしながら尋ねる
「…いえ、まだです」
俺は首を振る
ヘルマンに言われた、「何を怖がっているのか」という質問
これのおかげで、頭の中がグチャグチャになっている
俺は攻撃されるのが怖い
俺の中の何かが恐怖を撒き散らすからだ
つまり、攻撃されることを怖がっている訳ではない
俺の中の何かが叫ぶから怖いのだ
…その何かの正体に見当が付かない
「お前の症状はPTSDだと思うんだがな…。突然震えて動けなくなる、フラッシュバックの典型的な症状だ」
「PTSD…」
研究者にも言われたな
PTSD
心的外傷後ストレス障害の略
トラウマとなる体験の記憶が、自分の意志とは関係なくフラッシュバックのように思い出され、不安や緊張が極度に高まる症状だ
「…でも、フラッシュバックは起こしていないんです。何か、よく分からない恐怖に襲われているのは間違いないんですけど」
「うーん、無意識下で何かを思い出しているのかもしれない。戦場帰りの兵士にはよくある。ラーズが過去の体験で負ったトラウマじゃないのか?」
ヘルマンが言う
そうか、ヘルマンも忍者として戦場に出ていたんだ
しかも、俺がいた国よりも劣悪な環境での戦闘だ
死と隣り合わせの戦場では、当然PTSDになる兵士だって多い
「…ヘルマンと同じですよ。私…いや、俺も、自分の小隊を皆殺しにされたんです」
「そうか…、お前も仲間を…」
ヘルマンが言い淀む
わざわざヘルマンに言う必要はないが…
俺の小隊は、独自にある特殊任務を行っていた
だがその結果、敵の集中攻撃を受けて壊滅した
俺は復讐のために戦い、その途中で変異体因子が暴走して意識を失った
…そして、気がついたらこの施設にいたってわけだ
「…ま、戦場で仲間を失うなんて珍しいことではないのかもしれませんけどね」
「戦友を失って、心が痛まない奴なんているわけないさ」
ヘルマンは静かに言う
本当は、もう少しへルマンに詳細を話してもいいのだが…、あまり話したくない
ヘルマンも、俺がこれ以上話さないことに何も言ってこない
口にすることで、戦友の死をまた思い出してしまう
そして、誰かに知って欲しいことでもない
…踏み入られたくないんだ
「…軍に所属して、戦場で魔法や銃弾の中で戦ってきたっていうのに、一体何を怖がってるっているんでしょうね」
「わかりそうか?」
「ヘルマンに言われて、前回の選別の時に意識してみたんです。確かに、私の中にいる何かを怖がっているんですが、やっぱり正体が分からないんですよ…」
「ま、人間は思い出したくないものに蓋をする生き物だ。思い出せないことは不思議じゃないさ。あんまり悩みすぎると、精神を病んで肉にして売られちまうぞ」
「でも、こんな状態だと選別で生き残れないですよ…」
完成変異体の価値は、兵器利用だ
常人に比べて、五倍近い身体能力や、サイキック能力、鋭敏な感覚器、高い生命力を持つ
ギガントタイプは物理攻撃に、エズパータイプは魔法能力に、ドラゴンタイプはバランスタイプであり、それぞれの戦闘能力を期待されている
しかし、完成変異体となる可能性が百万人に一人と極端に低いことから、各国が必死に獲得を狙って競争となっている
そのため、完成変異体を作り出すための人体実験施設がペアの各地にあり、各国の需要がその運営を支えている
ここのような施設で作り出された完成変異体は、高値で売買されている
俺達被検体は、その大切な商品ということだ
当然、選別で負けたり、戦えなくなった場合は切り捨てられるだろう
「ラーズ、気分転換にスパーリングでもやってみるか?」
「…そうですね。わた…俺も、忍者の技を体験してみたいです」
「よし、マススパーだ」
「はい」
俺は、少しだけ腰を低くして構える
ヘルマンは左前の半身の構えだ
「しっ!」
俺はジャブを撃ちながら接近、間合いに入る
ヘルマンが、反応してジャブを叩く
同時に、俺の左腕を掴む
まずい!
一瞬焦り、俺は右ストレートを打ち込む
いや、打たされた
「…っ!?」
ドガッ!
ヘルマンは、その右ストレートに合わせて胴タックルに来る
ダメだ、入られた
耐えるのを諦め、倒される勢いで引き込みながら回転する
ヘルマンの腕に足を絡め、肩関節を極めるオモプラッタを仕掛ける
「うおっ!?」
ヘルマンはその勢いで前転し、俺のオモプラッタを外す
お互いにすぐ立ち上がり、スタンドからの打撃戦だ
足ふみ、頭突き、手刀での目突き、金的などの実戦的な攻撃に対して、ローキックやフック、アッパー、肘、膝などの王道の打撃で返す
…ヘルマンとのスパーは楽しかった
敵意が無いからか、心の中の何かが叫ばない
俺の身につけた格闘技術が簡単に出せる
積み重ねた技術を使える、そしておが互いに高め合える
選別の相手やシンヤから向けられる攻撃に対して、すぐに叫び出す何か
早く克服したい…