一章~18話 選別六回目
用語説明w
変異体:遺伝子工学をメインとした人体強化術。極地戦、飢餓、疲労、病気、怪我に耐える強化兵を作り出すが、完成率が著しく低い。三種類のタイプがある
選別が始まった
この選別場の空気は相変わらずだ
誰かに見られている、俺と相手の生死をただ観察されるという場所
前回はゴーレムだった
相手が人間じゃない、それだけで心のなかで暴れ回る恐怖が少なくて済んだ
だが、今日の相手はまた人間だ
人を殺すことに慣れる、そんな自分を頭で否定する
死にたくない、だが人の道を踏み外したくない
人の道を踏み外す、それは狂うということ
もう、人並みの幸せを得ることはできないということだ
…この当たり前のことを守ってくれていた、法治国家とはなんと素晴らしいことか
人間なんて、生き死にが絡んだら野生の動物に戻る
戻らなければ生き残れないからだ
「今日の相手は強化人間だ。普通の人間と思って油断するなよ」
スピーカーから研究者の声が聞こえる
強化人間
何らかの方法により、人体を強化された人間
ドーピング、霊体憑依、細胞移植、サイバネ手術、モンスター化…
人体の強化方法は多岐にわたるが、それぞれにメリットとデメリットがある
そして、人体強化術は肉体の強化と霊体の強化に大別でき、それぞれの人体強化の最高峰が変異体と仙人である
変異体とは、強制的に一固体内で進化を完結させた遺伝子工学による強化
仙人とは、霊体を神格化させることで神や魔神に近づける霊子生物学による強化だ
しかし、変異体と仙人以外の強化が弱いかというとそんなことはない
変異体と仙人は、あくまで汎用性と完成後のデメリットの少なさゆえに最高峰という位置づけだ
その他の強化方法は、それぞれが必要な環境に特化された強化をされており、得意な環境では変異体や仙人を超えることもありえるのだ
俺の目の前には一人の男が立っている
ほっそりとしたひょろ長い体格で、強そうには見えない
だが、研究者が強化人間と言った
警戒すべきだろう
俺が知っている強化人間ってサイボーグくらいしか知らないんだが、こいつはどんな強化をされているんだ?
ドヒュッ!
「…なっ!?」
オレの顔の横を、男の右手が通り過ぎる
細身の男が近づいて来たと思ったら、突然腕が伸びてきやがった
その指先には鋭い爪が付いている
こいつ、素手のくせに遠距離攻撃をしてきやがるのか!
何だ、ヨガの達人か!?
完全に意表を突かれた
俺は一度距離を取る
間接や骨をいじっている人体改造だ
外科手術で人口骨でも入れているのか
もしくは、何らかに細胞を腕に移植したキメラか
…本当は、遠距離攻撃があるこいつとの距離を詰めたかった
そうしないと勝負にならないから
だが、距離を詰めるということは、敵と接近するということ
攻撃されるというイメージが強くなる
また、俺の中でいつもの何かがゆっくりと立ち上がり、叫び始める
撒き散らした恐怖が俺を襲う
怖い
やっぱり怖い
俺は、昨日へルマンに言われた言葉を思い出す
「何を怖がっているんだ?」
攻撃されること
傷つけられること
これを怖がって、何か変ですか?
ビュッ!
「うぁっ!?」
腕が伸びて、次々爪が飛んでくるのを避ける
もう一度
もう一度
…息が切れてくる
理由は分かっている
体が強張って呼吸を忘れるから
息を止めてしまうと、スタミナはあっという間に減ってしまう
体に余計な力も入っていて、これもスタミナ切れに拍車をかけている
ダメだ、このままじゃ被弾する
良く見ろ、この爪は直線でしか飛んでこない
避けて突っ込む
鞭のような動きで、腕をしならせながら爪を突き出してくる
ナイフのような鋭利な爪が指先に光っている
「何を怖がっているんだ?」
また同じ質問が聞こえる
よく見ろ
攻撃を見て…
攻撃のタイミング、その瞬間に心の中の何かが一生懸命に叫ぶ
口を動かし、届かない言葉を叫び、声の代わりに恐怖を巻き散らす
「…っ!?」
また体が竦む
恐怖で硬直する、これの繰り返しだ
俺の中にいる、影のような何か
恐怖を撒き散らして、俺を恐怖で満たす
今回だけじゃない
今までの選別やシンヤとの時も、ずっと何かを叫んでいる
「何を怖がってるんだ?」
…攻撃されることだ
いや、もっと突き詰めろ
今感じている恐怖は、心の中の何かが叫んでいるからだ
…つまり、俺はこいつに叫ばれるのが怖い
「…っ!?」
この何かが叫ぶときは?
攻撃されるときだ
だから、俺は戦うことが怖いんだ!
ドスッ
「ぐぁっ…!」
爪が肩にザックリと刺さった
俺は、爪を抜かずにその腕を掴む
…そうだ、俺は攻撃されること自体を怖がっているんじゃない
この施設に来てからずっとそうだ
心の中の何か、こいつが叫ぶこと自体を怖がっているんだ!
俺は、この小さな発見に感動を覚える
俺の心で何かが起こっている
その当たり前のことを、言葉にすることで少しだけ理解できた気がした
だが、目の前の腕を伸ばす強化人間に一度意識を戻す
ダメだ、集中しろ
まずはこいつを倒さないと
悩むな、悩めば恐怖で固まる
勢いだ、がむしゃらに動け!
ギリッ…
肩に刺さった爪の痛みを、歯を喰いしばって我慢する
どうやら、こいつが人体改造をしているのは片腕だけのようだ
俺は、伸びた腕を下に勢いよく引く
「っ!?」
その勢いで、細身の男は前にバランスを崩す
俺はそこから体ごともう一度引っ張り、男を引き倒す
そして一気にダッシュ、一気に距離を詰める
ゴッ!
ダッシュの勢いをそのままに、跳び膝蹴りを顎にぶち込む
細身の男はそのまま仰向けに倒れる
拳を落とす
だが、その勢いで刺さっていた男の爪が抜けて血が噴き出始めた
細い爪は、予想以上に深く刺さっていた
まずい、早く仕留めなくては…!
仰向けの状態で、男が爪を振るう
爪が鋭すぎてナイフを持っているのと変わらない
太い血管を切られたら終わりだ
爪が刺さらないように両手で掴み、その腕を両腿で挟んで支点にして九十度回転
倒れ込めば、腕十字固めだ
俺は、軍に入る前から格闘技を習ってきた
腕十字は俺の得意技だ
そして、今やっているのは格闘技じゃない、殺し合いだ
一気に折る、そして離れる!
グニョン…!
「なにぃっ!?」
肘関節をぶっ壊そうとしたのに、その肘が簡単に伸びやがった!
これは、間接ごといじって柔らかく伸びるようにしているのか!?
軟体かよ!
俺は、すぐに腕十字を諦め、サイドポジションに戻る
男は暴れながら起き上がろうとする
よし、こいつは寝技を知らない、いける!
ずっと頭痛や吐き気、倦怠感などの体調不良に襲われていたが、やっと体がまともに動くようになった
俺が身につけて来た格闘技の技を使うことができる
心の中で、また何かが叫ぶ
俺は、その叫びに耳を傾ける
お前は、いったい何を言ってるんだ?
何で言葉が俺に届かないんだ?
「…」
今まで、心の中の何かが巻き散らす恐怖が怖かった
だから、ずっと見ないようにしていた
…だが、逆にその何かに目を向けていくと、少しだけ恐怖がやわらぐことに気が付く
何も知らないから怖い
何も分からないから怖い
それなら、知ってみればいい
そういうことだろうか?
一発、顔に拳を落とし、跳んできた爪を掴んで引きずる
細身の男の体が反転して横を向いたところで、顔を跨ぐようにして上を取る
そして、柔らかい腕を掴んで、肩関節を支点に背中側に回してやる
アームロックだ
腕の骨は伸びても、肩関節の可動域は変わらないようだ
柔らかい骨を、肩を中心に捻じるように捻り上げる
ゴキッ…
「ああぁぁっ!!」
男が悲鳴を上げる
無口な男だったが、悲鳴は上げられるらしい
「…っ!?」
その時、違和感に気が付いた
痛みに呻く男が、痛みで叫びながら大きく口を開けている
その口の中は空っぽだった
舌が無い、歯もない!
ど、どうなってんだ!?
すると、スピーカーが鳴る
「…ちっ、勝負がついてしまったようだな。D03、選別は終わりだ」
…そして、すぐに研究者とガードマンが入って来る
パワードアーマーのガードマン達が、細身の男を担いで連れて行ってしまった
白衣の研究者が俺のところに来た
「あ、あいつは何で舌も歯も無いんだ?」
「あいつは、金を持ち逃げしたマフィアの構成員だったらしい。拷問を受けて、消されるところを我々が安く買いとったのだ」
「…」
「腕をいじっていたから、選別の相手に使えると思ったのだが、所詮はマフィアの下っ端だったな」
こ、この施設は、予想以上に胸糞悪い場所だったようだ
俺達被検体と戦わせる相手は、こういう訳ありの奴らってことか!
「この施設で買われたあいつらも、人権は取り上げられている。生きている限りお前達被検体の相手をさせられ、心が折れて戦えなくなれば処分される。…殺してやるのも優しさだぞ」
そう言って、研究者は出て行った
…今日も生き残った
だが、次も勝てるとは限らない
俺の心の中の何か
恐怖で俺を縛り付けている何か
あいつはいったい何なんだろう
「何を怖がってるんだ?」
その答えが、あいつの正体だろう
今まで、俺は目を背けて来た
背けていることさえも気が付いていなかった
俺は、自分の心に目を受ける必要がある