四章 ~7話 逃走
用語説明w
宙の恵み:ラーズが収容された謎の変異体研究施設、通称「上」とダンジョンアタック用の地下施設、通称「下」がある。変異体のお肉も出荷しているらしい
PIT:個人用情報端末、要はスマホ。多目的多層メモリを搭載している
トラビス教官:宙の恵みの教官でBランク戦闘員。被験体を商品と割り切っている
「はぁ…はぁ……」
嫌な汗でぐっしょりとシャツが濡れている
また、夢を見た
怖かった
夢でよかった
目が覚めたら、またあの施設で…
選別の時間が来て
拷問を受けて
ダンジョンに潜らされる
また、この時間が始まる
絶望で死にたくなる
…はっと目が覚めて、夢でホッとする
「ラーズ?」
フィーナが少し戸惑いながらも、優しく抱き締めてくれる
フィーナを抱き締めると、帰ってきたという実感が沸く
解放されたと信じることができる
もう大丈夫なんだと思える
この暖かさがないと、またあそこで目が覚めるんじゃないかと怖くてたまらない
痛みや恐怖に慣れることはできるのだろうか?
…この感覚は、生命を守るための防衛本能だ
受け入れることなど出来ない
俺は、この感覚を麻痺させていただけだった
それを理解した
解放された今、もう一度あの施設に入れられたら俺は壊れる
絶望に負ける
あの施設の記憶が、常に俺を追いかけて来る
「…」
俺は乗り越えられるのだろうか…?
「セフィ姉、団長心得なのに毎日来てくれるけど大丈夫なの?」
セフィ姉が、優雅に紅茶を入れてくれる
騎士団本部のある中央区から、俺が入院しているファブル地区まで一時間くらいはかかるはずだ
「後は、宙の恵みの本部、被験体と資料の精査待ちなの。ラーズも見つかったことだし、しばらくはゆっくりさせてもらうつもりよ」
セフィ姉は、わざわざお気に入りのティーセットと茶葉を持ってきてくれた
完全にまったりするつもりだったよね?
「そういえば、冷凍保存された被験体が何人か見つかったみたい。ただ、解凍にはかなり時間がかかるそうよ」
「そうなの? 冷凍保存ってそんなに解凍が大変なんだ」
タルヤ…、無事だといいけど
「普通は数日で解凍できるはずよ。宇宙船にも使われている技術で安定性も保障されてる。…ただ、あそこで使われた冷凍保存のやり方がずさんで、普通の解凍方法だと命に関わるみたいなのよ」
「そ、そうなの…!?」
ふざけてやがるな!
被験体の命を何だと思ってやがるんだ
失敗したら肉にすればいいってか?
「個人の荷物もどんどん見つかっているから、ラーズやへルマンさんの物も探してる」
「そうなんだ、ありがとう」
へルマンの武器、見つかるといいな
「タルヤさんとへルマンさんの子供さん探しは、宙の恵みの調査と並行してやるから気長に待っててね」
「うん、助かる。忙しいのにごめんね」
俺はお礼を言う
「何の話?」
フィーナが口を挟んでくる
「ああ、セフィ姉にお願いして…」
ドタドタドタドタ…
ガチャッ!
「セフィ姉、大変!」
病室のドアが開き、ミィが飛び込んで来た
「ミィ、どうしたの?」
「宙の恵みの職員が何人か逃走したって! この病院直近の拘束場所からだから、捕まえるの手伝って欲しいって!」
「はっ!?」 「えっ!!」
俺とフィーナが驚く
この近くに牢屋があったのかよ!
「それは大変ね、すぐに行きましょう」
セフィ姉が落ち着いて言う
考えてみたら、セフィ姉、ミィ、フィーナと、三人もBランク戦闘員がいるんだ
すぐに捕まえられるだろう
一般人に被害が出ないことだけが心配だ
・・・・・・
拘束された宙の恵みの職員は百人を越える
ワープゲートでクレハナのウルラ領にある地上施設へ
そこから龍神皇国に移送、各地の拘束場所(牢屋?)に入れられて取り調べを行っているらしい
その内、この病院の近くの拘束場所から脱走者が出たのだ
だが…
「あと何人?」
フィーナが聞く
「あと一人ね」
ミィが答えた
二人の手には、四人の縛られた男の紐が握られている
当然だが、一瞬で捕まえた
「あと一人はどこかしら」
セフィ姉が辺りを見回す
その時、俺の耳が小さな女の子のくぐもった声を捉えた
そっちを見ると、男が小さな女の子の口を押さえ、首にナイフを突き付けている
「あいつは…」
俺は人混みに紛れる
セフィ姉達もすぐに男に気がついた
「くそっ、そいつらを離せ! このガキを殺すぞぉ!」
男が叫ぶ
「…その子を離しなさい」
セフィ姉が、威圧感を込めて言う
一瞬怯むが、男はナイフを向けたまま叫ぶ
「うるせぇ! お前らは近づくな、動いたら刺すぞぉぉっ!」
俺は、興奮する男を静かに観察する
…まさか、こんな所で会えるとはな
あいつは、ステージ3の基礎訓練で拷問を担当していた野郎の一人だ
「…」
俺は、後ろから静かに男に近づく
男のナイフを握る腕に静かに手を添える
引きながら男の肘を下げてナイフの刃先を上げる
そう、ちょうど男の顎に向くようにだ
素早く動かさない
自然な速さで、違和感無く実行するのが抵抗されないコツだ
ザクッ…
「はぇっ…!?」
顎の下から口腔内にナイフが貫通
同時に背面から左の手の指を二本、男の右目に突っ込み眼窩に引っかける
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁっ!?」
眼窩を引かれる痛さで、男が女の子を放す
女の子から男を引き離し、ナイフを握る指を掴み折る
「…ぁぁぁぁっ! お、お前! トリッガードラゴン!?」
「…なぁ、拷問の時に言っていたこと、試させてくれよ」
「なっ、何だと…!?」
「痛みに慣れろ、そう言ってただろ?」
俺は、顎に刺さったナイフを引き抜いて鼻を削ぐ
ザシュッ…
「ぎゃぁぁぁぁっ!!」
「おいおい、あんたが痛がってどうするんだ?」
お前達は、繰り返し被験体の体を切り刻み、殴り、焼いた
俺達は毎日泣き叫んだ
…お前達は慣れろと言った
それなのに、なぜ痛がってるんだ?
慣れろだと?
慣れられるものなら慣れてみろ
「ラ、ラーズ…」
フィーナとミィが、ラーズを見つめる
一瞬で男を無力化
人質の女の子を救い出した
騎士の自分達よりも早い発見と決断力
凄いと思った
だが、それよりも…
ラーズの殺気は何?
残虐な行為を平然と実行した
あの目を見て、背筋がゾクリとした
ラーズじゃないみたいだった
ラーズは、この二年間どんな生活を送ってきたんだろう
「ラーズ、もういいわ。やめなさい」
セフィ姉が近づくと、ラーズは静かに従った
「…まだ逃げてる奴がいるの!?」
フィーナがミィを振り替える
「ええ、しかもBランクよ。名前はトラビスだって」
ミィが答える
「…トラビス?」
俺は二人を振り替える
「知ってるの?」
ミィが言う
「…ああ、世話になった奴だ。どこに逃げ込んだんだ?」
「北の森林地帯の中よ。周囲は騎士団で固めたから、あとは森の中で捕まえるだけ。トラビスは宇宙ステーション内の責任者だったみたいだから、絶対に捕まえないと」
ミィが仮想モニターに地図を出す
ペアの住人は、個人識別のために「多目的多層メモリ」を持っおり、個人用情報端末とリンクさせている
この個人用情報端末のことをPITと呼ぶ
情報ツールやネットワーク接続など生活の必需品だ
このPIT本体にもディスプレイが付いており操作は可能だ
だが、通常は仮想モニターを使って情報表示と操作を行う
仮想モニターとは、霊子情報を霊体に作用させる技術
あたかも視覚情報のように視界にモニターを表示させることができ、骨電動イヤホンと併用することで、拡張現実的なインターフェースを実現している
現実の視界や音声を遮ることなく、ナビや各種情報を視界に重ねて表示できるため便利だ
本人にしか見えないため、ディスプレイを覗き見られることも防止できる
ちなみに、俺は個人情報を証明できる多目的多層メモリを大崩壊の際に失っているため、龍神皇国の国民であるという証明がすぐにはできない
海外でパスポートを失っているよう状態で、いろいろとめんどくさい
「…セフィ姉、お願いだ。トラビスの捕獲を俺にやらせて欲しい」
「え?」
セフィ姉が驚いた顔をする
「ラーズ、トラビスはBランクなのよ? 無理だよ」
ミィが言う
「あいつの戦闘力は嫌と言うほど知ってるよ。…完成変異体の性能評価は必要だろ?」
「ラーズ、ダメだよ! まだ、体は万全じゃないんだし、そもそもBランク相手に…」
フィーナが口を挟む
「お願いだ。あの野郎だけは俺がやりたい。…やらなきゃダメなんだ」
参照事項
タルヤの冷凍保存
三章~20話 冷凍保存
拷問
三章~2話 基礎訓練1




