一章~7話 トラウマ
用語説明w
この施設:ラーズが収容された謎の変異体研究施設、通称「上」
変異体:遺伝子工学をメインとした人体強化術。極地戦、飢餓、疲労、病気、怪我に耐える強化兵を作り出すが、完成率が著しく低い。三種類のタイプがある
フィーナ:ラーズの二歳下の恋人。龍神皇国騎士団にBランク騎士として就職している
日課となっている検査を受ける
「あの…」
「何だ?」
俺は、採血をしている白衣の研究者に相談してみることにした
俺の体を襲う、あの恐怖のことだ
「実は、戦いの時に言いようのない恐怖に襲われるんです。何か原因が分かりませんか?」
「…」
「…このままじゃ、とてもじゃないけど戦えません」
黙っていた研究者が、少し悩んだ素振りを見せた後に口を開いた
「…お前の症状は、おそらくPTSDだろう」
「PTSD?」
「そうだ。自覚が無いのなら、無意識に何かをフラッシュバックしている可能性がある」
PTSD…、トラウマってやつだ
やっと体調は良くなってきた
だが、今度は俺の心が明らかにおかしくなっている
俺は軍隊に所属していた
Cランクの兵士として、今まで何度も戦場に出てモンスター、敵兵、装甲戦車やMEBと戦って来た
ちなみに、MEBとは多目的身体拡張機構の略称で、要は二足歩行型乗込み式ロボットのことだ
他にも、戦闘ヘリ、空飛ぶじゅうたん、飛竜などの飛行ユニット、多くのモンスターを相手にした
戦ったモンスターの中には、戦闘ランクがBランクのものまでいた
戦闘ランクとは、簡単に言うと個体の戦闘能力を評価したもの
Sランク 宇宙戦艦、守護神など
Aランク 老竜
Bランク 闘氣を使える戦闘員
Cランク 戦車の戦闘力
Dランク 一般兵のパーティ(三人から五人程度)
Eランク 銃火器や範囲魔法などを使う戦闘員
Fランク 一般成人男性の素手での戦闘力
ざっくりだが、こんな感じだ
各ランクで突出した能力を持つ場合はC+、B+などといった評価になる場合もある
そして、SSランクには高次元生命体である神や魔神が定義され、数千年前に現れてペアを破壊しかけた「神らしきもの」なんて伝説上の化け物もSSランクとされている
…その上には、SSSランクもある
どれくらいの存在なのか、想像もつかない
そして、俺はCランクの戦闘員として、強力なモンスターとも戦ってきた
銃や魔法、仲間との連携を武器に、ぎりぎりの戦いだって生き抜いてきた
それなのに
それなのに…
今の俺は、攻撃されることが怖い
戦うのが怖くてたまらないのだ
戦場を飛び交う範囲魔法や銃弾の中で戦ってきた
それなのに、今は拳で殴られることさえもが怖くて仕方がない
…殴られることを怖がるのは普通だ
警戒だってするべきだ
だが、恐怖で体がこわばると、躱せる攻撃が躱せない
それどころか、敵意を向けられるだけで何も言い返せなくなる
俺の心の中で、何かが首をもたげ、恐怖を巻き散らす
すると、体が委縮してしまって何もできなくなってしまう
俺はどうしてしまったんだ?
…いや、本当は分かっている
PTSDの原因なんて分かり切っている
トラウマを持っていることも自覚している
仲間を守れなかった
国を守れなかった
そして、俺だけが生き残ってしまったこと
この後悔が消えることなんか、あるわけがない
・・・・・・
検査が終わる際、研究者に
「適度な運動は精神的なリラックスを産む。この施設にいる限りは貴重なリフレッシュ方法だ、試してみろ」
と言われた
この施設で、初めて俺のことを思って話をされた気がする
いい研究者も中にはいるんだな
これが理由というわけではないが、俺は運動場に向かった
この施設で目覚めてから、ずっと体が重かった
意欲がわかず、無気力の状態が続いていた
吐き気と頭痛に悩まされ、歩くこともままならなかった
それに比べれば、今の俺は立って歩ける
健康とはすばらしい
痛みや苦痛が無いだけで気分が軽くなるんだから
ここの運動場は思ったよりも広かった
床に四百メートルトラックが描かれた体育館のようになっている
今日も、数人が思い思いに運動をしていた
俺は、ゆっくりと走り出す
ジョグをして体の状態を確認しよう
「はぁ…はぁ…」
…すぐに息が切れてきた
いったい、いつぶりに運動をしているんだろう
凄く久しぶりな気がする
そもそも、俺がここに来てどれくらい時間が経っているのだろうか
ずっと体調不良で寝たきりだったため、時間の感覚も無い
…変異体因子の暴走
これによって、俺は戦場で意識を失った
そして、気がついたらこの施設に運び込まれていた
どうやってここに来たのかも分からない
「…はぁ…はぁ…はぁ…」
おかしい
俺はただ走っているだけだ
それなのに、体が喜んでいる
血液が全力で体を駆け巡っている
あぁ…、久しぶりに気分が少し良くなってきた
気分が良くなれば、人間はポジティブにもなれる
テストステロン
男性ホルモンの一種で、運動時に増える
筋肉の発達に必要であることが有名だが、実は気力の衰えた抑うつ、集中力の低下の改善にも効くことが分かっている
適度な運動は、精神的な症状の改善にもいいということだ
気分が良くなり、俺は久しぶりに大切な女の顔を思い出した
フィーナ
…俺の恋人
俺の二歳下の幼馴染であり、複雑な家の事情から俺の両親の養子となった
つまり、一時的にフィーナは俺の戸籍上の妹になったのだ
そして、紆余曲折がありつつも俺と付き合った
…フィーナに会いたい
今何をしているのだろう?
フィーナはBランクの騎士だ
一般兵の俺とは違う、才能にあふれた騎士
最初は、才能あふれるフィーナに嫉妬もした
人間的に嫌いではないにも関わらず、あまり接したくなかった
自分の劣等感を自覚してしまうからだ
でも、才能なんか関係ない
俺は自分のやり方で、人のためになる仕事をしている
そう思わせてくれたのが、軍での仕事だった
同じ一般兵である仲間と共に、国民のためにモンスターを狩る
パーティを組み、お互いに切磋琢磨して業務をこなしていく
自分の出来ることを全力でやる、それで出来なければ仲間の力を借りればいい
…俺の劣等感を溶かしてくれた場所
一生懸命に努力して、自分に自信を持たせてくれた場所
自信を持てたことで、俺はフィーナと付き合うことができたんだ
自信が無ければ、人間は本当に何もできない
そして、自信が欲しければ努力しかない
努力した結果、失敗しようが負けようが、その努力の分、確実に自信はつく
俺が、実績で叶うわけもないBランクの騎士であるフィーナに対して堂々と告白できたのは、この自信のおかげだ
職場の仲間との充実した仕事、そしてやりがい
そして、大好きだったフィーナとの生活
俺の宝物のような時間だった
…あぁ……、やっぱりだ…
久しぶりに、楽しかった時のことを思い出しかけたのに…
過去のことを思い出そうとすると、否応なしに心の中の何かが起き上がった
大崩壊
俺の国が死んだ日
そして、俺の大切な仲間が死んだ日
「うぅっ…!」
俺はトイレに駆け込む
もう何度繰り返したんだろう
思い出そうとすると吐く
どうしていいか分からない
取り戻したい
でも、もう取り戻せない
また、無力さが襲ってくる
俺の気力を奪い、無気力へと押し流していく
…どうして俺には力が無いんだろう?
…どうして俺だけ生き残っているんだろう?
フィーナに会いたい
この哀しみから救ってほしい
抱き締めてほしい
…でも、俺には会う資格がないのかもしれない