四章 ~1話 大気圏へ
用語説明w
この施設:ラーズが収容された謎の変異体研究施設、通称「上」とダンジョンアタック用の地下施設、通称「下」がある。変異体のお肉も出荷しているらしい
変異体:遺伝子工学をメインとした人体強化術。極地戦、飢餓、疲労、病気、怪我に耐える強化兵を作り出すが、完成率が著しく低い。三種類のタイプがある
ハンク:鉄拳と呼ばれるギガントタイプの変異体、男性。手甲型の装具を使い、前衛としての高い適正を持つ。アーリヤの恋人
アーリヤ:アイアンメイデンと呼ばれるエスパータイプの変異体、女性。冷属性魔法と耐魔力障壁魔法などの補助魔法を使う。ハンクの恋人
トラビス教官:施設の教官でBランク戦闘員。被験体を商品と割り切っている
ペアは、惑星ウルとギアが互いに公転する二連星だ
どちらの惑星も人類が生存可能な大気を持っており、成分はほぼ同じ
この大気がある範囲を大気圏と呼んでいる
大気圏の厚さは、地上から百キロメートルほどであり、「対流圏」「成層圏」「中間圏」「熱圏」の四層構造となっている
そして、人工衛星や宇宙ステーションが飛ぶ軌道は大気圏の更に上
軌道高度は、地上から二百キロメートルから千キロメートルの範囲だ
その理由の一つは空気抵抗を抑えるため
大気圏内に存在する空気は、宇宙ステーションの減速の原因となるからだ
そして、もう一つの理由が放射線対策だ
地上千から五千キロメートルの範囲には、ヴァン・アレン帯と呼ばれる惑星の磁場が放射線を遮る範囲がある
この範囲より内側に存在することで、宇宙ステーションに降り注ぐ放射線を遮ることができる
そして、物資の輸送を考えるなら、地上に近い方がいい
その為、特に理由が無ければ地上から二百キロメートル付近の軌道が選ばれることになる
ポッドが、「上」である宇宙ステーションから射出された
…俺がやることは、三分後にポッドのハッチを内側から破壊して脱出
自由落下をしながら触手に作った膜を使い、ムササビのように減速、更に飛行能力を使って減速、地上に生還する
「…っ!?」
突然、第七感で何かを感じ取る
これは精力か…!?
「…ラーズ、分かる?」
「アーリヤ!? どうした?」
アーリヤが、テレパスの念話を使うために自分のポッドから精力を伸ばしてきたようだ
「…ラーズに謝らないといけないことがある」
「謝らないといけないこと?」
このタイミングでかよ?
「…ハンクが、あなたが脱出を企てたことをトラビス教官に言った」
「な、何だと!?」
あの、エントランスでの会話か!?
「…さっき、二人で話したときにハンクが教えてくれた。トラビス教官に疑われて、咄嗟にラーズがもしかしたら…って言うしかなかったって」
「…」
「…そうしたら、トラビス教官はポッドを撃ち落とす方法があると漏らしたらしい。そのために、ポッドの番号を個人に固定して使わせているって」
「決まった番号にポッドを使わせていたのは、逃走時に狙ったポッドを撃ち落とすためだったのか!」
「…ごめんなさい。ハンクは私を守るために、あなたを売ってしまった」
いや、それだけはないだろう
ハンクは、トラビス教官に恩義を感じてしまっていた
俺から見れば、それは異常な心理だ
ストックホルム症候群というものがある
精神医学用語の一つで、 誘拐や監禁などの拘束下にある被害者が、加害者と時間や場所を共有することによって好意や信頼の感情を抱くようになる現象だ
実際に過去に起こった人質事件などで、この心理現象が確認されている
まさに、今のハンクの心理状況だ
必要以上にトラビス教官に傾倒することで、余計なことまで口走ってしまったのだろう
「…ラーズ、ポッドから脱出をしなければ撃墜はされない。取りやめて生き残ってほしい」
また、アーリヤからの念話が送られてくる
「それはできない。教団の奴隷になるくらいなら死んだ方がマシだ」
「…ラーズ」
アーリヤの感情が伝わって来る
俺に死んでほしくないという気持ちが伝わって来る
自分勝手だとは思うが、理解はできる
最優先は自分達の自由だ
そして、それは俺も同じだ
「アーリヤ、俺も言わなければいけないことがあるんだ」
「…え?」
「俺はエントランスに一人で残って、塗装用のペンキを使った」
「…塗装用のペンキ?」
「ポッドを保護するペンキだ。歪んだり、ぶつかったりして、塗装がすぐ剥げるから置いてあるだろ?」
「…ええ」
「だから、俺の20番のポッドの番号を塗りつぶして10番に、ハンクの10番のポッドを20番に変えてみた。ちょっと下手になっちゃったけど」
「…っ!?」
アーリヤの驚愕の感情が伝わってくる
「ごめんな。ハンクと教官が廊下から戻った時、ハンクが俺の目を一度も見なかったから不審に思ったんだ。念のためにって思ってさ。十の位を変えるだけだったし」
「…それじゃあ、このポッドは?」
「うん、そっちが俺の20番のポッド、俺が乗ってるのがハンクの10番のポッドだ。俺のポッドを撃墜するつもりなら、そっちを狙うはずだ」
「…でも、ラーズがハッチを閉めた、私のポッドは11番だったはず」
「ごめん、保険のために21番のポッドのハッチを開けておいたんだ。俺がハッチを閉めたのはババァを放り込んだポッドじゃない」
「…そ、そんな!」
「ハンクのやったことは仕方がない。でも、俺だって帰らなきゃいけない。…撃墜覚悟で脱出するか、そのまま地上に降りるかは任せる。地上に降りることも、残酷な選択なのは分かっているから」
「…」
「出来るなら、生きてまた会おう」
俺に繋がっていた精力の主体が入れ替わったのが分かった
アーリヤを介してテレパスが送られてくる
「…ラーズ!」
今度はハンクの声だ
「まさか、お前が俺達を…!」
「すまない、ハンク。お前の態度を見て疑ってしまったんだ」
「な、なんてことを…! 俺達に撃ち落とされろと言うのか!?」
ハンクの感情が精力から伝わってくる
絶望、焦燥、怒り…
助かるという希望が目の前にあった
それなのに、その希望が目に前で消えていく
…当然の心理だ
「ハンク、落ち着いて聞け。教官は、どうやってポッドを撃墜すると言ったんだ?」
このポッドは、重力によって落ちて行くだけの機能だ
ある程度の方向は変えられても、一度地上に撃ち出したら戻すことはできない
だから、落下時の逃走防止のために、睡眠作用のある薬で中の被検体を眠らせていたのだ
まさか、更に撃墜システムまで用意されていたとは思わなかった
「宇宙ステーションからロックオンするミサイルがあると言っていた。ポッドに異常があった瞬間に撃ち出すと」
「ロックオン…」
ロックオン
ミサイルをターゲットに誘導する技術
疑惑を持たれた俺のポッドを、ターゲットとして固定するつもりだ
「魔導生探知レーダーだと言っていた。ポッドから脱出した生命体を探知してミサイルが飛んで来るということだ!」
ハンクが吠える
不思議だ
ハンクが悪い、自業自得だと頭では分かっている
それなのに、俺を売ったハンクの気持ちと、それを容認したアーリヤの気持ちが理解できてしまう
この二人は、絶対に助かりたかっただけなんだ
「…余計なことを言わなければ、どっちも助かったのに……」
「黙れ! 俺はお前を許さん! 絶対に恨む! 呪い殺してやる!」
ハンクが叫ぶ
俺は、流星錘の先端、錘を握りしめてテレキネシスを込め始める
「それでいい」
「何だと!?」
「…俺を恨め! 俺はその覚悟でやった! 俺は、お前達のために犠牲になってやることなんかできない!」
俺も、ハンクとアーリヤを試した
ハンクとアーリヤが生き残るという選択肢を、消す可能性があると分かっていた
…死んでもいいと思ってやったことだ
恨めばいい、嫌えばいい
それでも俺は死ねない! 死にたくない!
PITを見ると、まもなく三分が経とうとしている
「俺達は死なん! 絶対に生き残るぞ!」
ハンクの激昂
「…お前達は、間違いなく俺の仲間だった。お前達のおかげで俺は生き残れた。感謝している」
「何を…!?」
「ハンク、アーリヤ、幸運を祈っている。…じゃあな」
俺は、テレキネシスを圧縮していた錘を握りしめる
そして、ハッチのロックの部分に叩きつけ、同時に飛行能力の推進力を発動する
ドゴォッ!!
ゴバッ!
ハッチの一部が砕け、同時にロックが外れてハッチが凄まじい勢いで開く
俺は、飛び出すようにポッドから飛び出した
「俺達の愛は…! 俺達は死な………!」
その衝撃で、繋がっていた精力が切れる
おそらく、ハンクとアーリヤもポッドから脱出したのだろう
「…っ!?」
ブォォォォォォォッ!!
飛び出した空間
巨大な球体が目の前に見える
青く美しい惑星
まずい、まだかなりの高度だ
ゴオォォォォォォォォッ!!
俺は、慌てて肺の中の空気を少しづつ吐き出し始める
呼吸を止めていると、体外が超低気圧なため体内の気体が膨張
肺が破れたり、気体が血中に溶け込んでしまう
潜水士がなる減圧症の症状だ
強靭な変異体とはいえ、ダメージのリスクは減らすべきだ
ポッドは俺よりも早く落ちて行く
ハッチを開けた瞬間に爆発でもするかと思ったが、そんなことは無かったようだ
ゴオォォォォォォッ!!
俺は上空を振り返る
次の懸念事項は、宇宙ステーションからの撃墜だ
はるか上空に小さな光…、通称「上」と呼ばれた宇宙ステーションが見えた気がする
…そして、飛翔体が高速で落ちてくる
その方向の先には、大気との摩擦で帯を作るもう一つのポッド
そして、小さな…、おそらくポッドから飛び出した粒…
…そこへ、向かっていく
ゴォォォォォォォッ!
カッ…
ゴッガァァァァァァァン………
薄い大気の中、閃光が走った
「…」
謝りはしない
切り替えろ
生き残ることに集中し…
「…っ!?」
突然、何かの光が俺の目に飛び込んで来た
進む方向…、地上ではない
逆方向、上空に何かがいた
四章開始です
よろしくお願いします!