命の価値
みんな頑張ってます。
以前、クミルは話していた。ゴブリンの寿命は、十年程度だろうと。ただしその十年は、外敵がいない場所で、穏やかに暮らせた場合に限る。
住む場所に実りが少なければ、幼い子供から死んでいく。
この世界は発展している。
元の世界よりも遥かに高い医療技術を持ってすれば、より長く生きられるのではないか。
クミルから聞いた元の世界、そしてゴブリンと呼ばれる種族の生態を聞けば、自ずとそれは確信に変わる。
原始的というより、野生の動物と何ら変わりがない森での生活。それに比べれば、信川村でさえ近代的だと言えよう。
そして、森の中に住む生物の中には、人体に有害なものもある。森を住処にする生物の中には、毒すら栄養とする種族も存在する。
だが、ゴブリンは違う。食らえば、病に侵される。人間同様、ゴブリンは森の中で、脆弱な存在なのだ。
一部の身体能力は、人に勝る。しかし、一部では人に劣る。
それが元の世界で、どんな生物よりも繁殖し、世界の覇権を握った人間と、森の中で細々としか生きる事が出来ないゴブリンの違いだろう。
☆ ☆ ☆
全ての検査が終わり、薬剤の投与が行われた。無論、副作用の低い薬剤の投与である。
だが、ギイ達の熱は下がる様子が無い。
医師達は、様々な手段を講じた。
それでも快方に向かう様子は、全くといって見当たらなかった。
「宮川の母親。死因は、肺炎だよな?」
「潜伏期間がナガスギル。カンセンはありえない」
「そんな事は、百も承知だ! でも、この種族独特のものだとしたら?」
「なら、初期症状が、出ているハズダ。肺炎の症状とは明らかにチガウ」
「海藤先生、ライツ先生。可能性は、ゼロでは無いんです」
「桑山先生……、確かに……。せめて、未知のウイルスが原因なら」
「それすらも、発見デキナカッタ!」
「あぁ、そうだ! 何が違うって言うんだ! 体は人間と変わらない。免疫システムだって正常に機能している。心因性の発熱なら、こんな高熱は続かない!」
「それこそ、種族のチガイカ?」
「その辺は、教授に調べて貰っている。あっちはあっちで、頭を抱えているぞ」
手の打ちようが無い。
苛立ちのあまり、海藤は声を荒らげる。それは、襲い来る絶望を打ち払わんとする、強烈な意識だ。
それがわかるから、貞江とカールは、海藤を諌めようとしない。
そして井川もまた、苦境に陥っていた。
井川は、生物学的見地で、ギイとガアの生体を調べる為に呼ばれた。
しかし、何一つわからないのが現状だ。
さもありなん。
相手は未知の生物だ。しかも、この地球には存在しない生物。その生体を解明するのに、一か月やそこらで足りるものか。
仮に、彼らが日本を訪れて直ぐに調べても、何かが判明する保証は無かっただろう。
井川は、さくらが残したデータを元に、クミルへ質問を繰り返した。
ゴブリンという種族について、住んでいた森はどんな環境だったか。
直接、ゴブリンとは関係無くとも、周辺区域の情報、流行り病の傾向に至るまで、多くの事を確認した。
どんな所に、ヒントが転がっているかわからない。それこそ、環境の変化は、大きな要因になり得る。
例えば、大気の違い。
幾ら山脈に守られ様とも、地球の環境が、彼らに合わない可能性も捨てきれまい。
それ以外には、死因だ。
農村地域では、飢餓、極度の栄養失調により発生した疾病が、死因の大半を占めていた。
森に住む獣を狩って暮らす者達は、栄養失調、怪我による破傷風や、食事を媒介とした感染症が、死因だと考えられる。
挙げたのは、あくまでも人間の情報だ。
しかし、感染症が死因として有るなら、人を食らう森の生物達にも、影響を及ぼしているはずだ。
食うか食われるか。それが森の生物達の定めなら、食った側に何らの異常をきたしても、おかしくはあるまい。
しかし、どれだけ情報を得ても、幾ら精査を重ねても、さくらのデータを補うに過ぎない。ギイとガアの急な発熱、その根本に繋がらない。
明らかに何かが足りない。その何かは、わからない。
「くそっ! 時間が無いというのに! 私は何をしている!」
「いがわさん。おてつだい、できること、ない? わたし、なんでも、する」
「済まない。君の前で、弱音を吐くべきでは無かったな。クミル君、手伝ってくれるか? 検査のデータを見直すぞ!」
「はい」
井川の焦燥感は、痛いほどクミルに伝わってくる。
例えクミルの様に、感情が読めなくても、その目を見れば意志は伝わる。
ギイとガアを救う! だから、下を向かない!
諦めない者は、井川とクミルだけではない。
「もう一度、一から当たりましょう!」
「そうだ! ここでギブアップはユルサレナイ!」
「当たり前だ! 苦しんでるのは、俺達じゃない、患者だ! どんなことをしても治す。あの子達を治せるなら、悪魔に魂を売ってやる。原因を突き止めて、必ず治療してやる!」
貞江は、二人の医師を鼓舞する。
海藤は深く息を吐くと、飲み終えたコーヒーの空き缶を、握りつぶす。そしてカールは、髪をかき上げ、腕まくりをする。
海藤とカールの目に映るのは、もう二匹のゴブリンではない。原因不明の病に苦しむ、二人の幼子である。
これまで幾人もの患者を治療してきた、その経験は伊達ではない。それを示せずに、これからいったい誰を救えるというのだ。無垢な命を守れずに、これから先、何を守れるというのだ。
貞江を筆頭に、二人の医師と一人の学者は、培ってきた全てをぶつけて、未知の病に戦いを挑む。
一方、毎日の様に神社に通い、祈り続けていた敏和の横には孝則がいた。
「なんで、なんでだよ。なんで! 神様! お願いします、お願いします! あの子達を助けてくれ! 頼むよ、頼むよ!」
「こんな時だけ、神頼みするなんて、聞いちゃくれねぇかもしれねぇ。それなら、この老いぼれの命をくれてやる。だから、頼む。あいつらを助けてくれ」
神頼みなんて、叶いはしない。神様は、人間の願いを、聞き入れてはくれない。
そんな事はわかっている、だけど祈らずにはいられない。
しかし、奇跡は起きる。
「何だと! あぁ、直ぐに戻る!」
「どうしたんです?」
「貞江からの連絡だ。ギイとガアの意識が戻った」
搬送時に一度は、意識を取り戻した。しかし病院へ運ばれてから、一度も目を覚まさなかった。
連絡を受けた孝則と敏和は、急いで病院へ戻る。
病室に入ると、医師達とクミルが、ベッドを囲んでいた。
敏和に気がつくと、ギイとガアは、精一杯の笑顔を作った。そして弱々しい声で語りかける。
「クミリュ、としかじゅ、しゃだえ、たきゃのり。ギイ、げんきなりゅ」
「があも、げんき、なりゅ」
「ばあちゃ、あえた。いきろ、いあえた」
「げんきなる、いっしょ、おさんぽ」
ギイとガアは、戦っている。原因不明の病に、敢然と立ち向かっている。
辛いはずだ。その辛さをおくびにも出さない様に、笑いかけて来る。
胸が熱くなる。零れそうな涙を、賢明に堪える。
上手く声が出せない。掛けようとする言葉が、頭の中でぐるぐると回る。
そんな中、最初に声を掛けたのは、クミルであった。
そして、クミルに引きずられる様に、敏和達の口から想いが飛び出す。
「ぎい、があ、まけない! いっしょ、むら、かえる」
「あぁ。一緒に、散歩しよう。言っただろ? 幸せになるんだって」
「そうよ、帰ろ! 元気になって帰ろう! お祝いしよ!」
「ギイ、ガア。お前らは、こんな事でくたばらねぇ。一緒に帰るんだ。俺達の村に帰るんだよ」
「ギイ。しああせよ。みんないりゅ、しああせよ」
「ガアもしああせ。みんなやさしいの。しああせ」
その笑顔は、クミル、敏和、貞江、孝則だけじゃない。医師達の心を、揺り動かした。
ほんの僅かな間だった。ギイとガアは、再び目を閉じる。
それを見届けると、医師達はギイ達に背を向け、歩き出した。
「行きましょう、先生方!」
「ええ! 桑山先生の言う通り、もう一度データを洗い直すぞ! この子達を治す鍵は、絶対にあるはずだ。俺達は、何かを見逃しているはずなんだ」
「アア。ぜったいに、この子をナオス! こんな小さな子達に負けてラレナイ!」
医師達が、病室から去ろうとしたその時、敏和は思わず医師達を呼び止めた。
「先生。この子達は、治りますか?」
意味の無い問いかけで有る事は、敏和自身がわかっていた。だが、問わずにはいられなかった。
その問いに対し、海藤は歩みを止め、少しだけ振り向くと声を荒げた。
「治せるか? 冗談じゃない! 治すんだ! 絶対に治すんだよ! 君が家族だと言うなら、祈れ! すがれ! 俺達だって、祈りたい! だけど、俺達は医者だ。だから、やらなきゃならい事がある! お前達のやる事は、奇跡を願う事だ!」
「ショウジの言う通りダヨ。我々は、何も出来てナイ。あの子達が目を覚したノハ、君達の意思ダヨ。もう一度、奇跡をオコソウ。今度は、ミンナデネ」
医師達は戦う、それ以外の者はひたすらに願う。
ただ、どれだけの知識と知恵を合わせても、どれだけ戦おうとも、その闘志が挫ける事がなくても、届かない事がある。
そしてどれだけ願い続けても、叶わない事がある。
それは、違う世界の理に縛られているならば、尚更であろう。
その日以降、ギイとガアは目を覚ます事は無かった。
そして、逗留中の隆を含めて、信川村の住民が全て集められる事になる。
そう、誰一人として欠ける事なく。
残す所、後四話です。
果たして奇跡は起きるのか?
次回もお楽しみに!




