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信川村の奇跡  作者: 東郷 珠(サークル珠道)
八章 病魔の果てに
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感謝

続きです。

「十月二十三日、午後四時十五分。宮川さくらさんの、死亡を確認しました」


 貞江は、最後まで勤めを果たした。

 信川村の住民全てが集まる中で、貞江が一番冷静であった。


 貞江は、死亡宣告をする際、個人を尊重しフルネームを告げる。

 それに呼応して、診療所のあちこちから、すすり泣く声が聞こえる。


 住人達は皆、死を受け入れたつもりだった。しかし、さくらの死だけは、受け入れ難かった。


 死亡を告げられてから、僅かに時間が経過する。誰もが俯く中、ギイとガアが立ち上がる。

 そして、詰め掛けていた住人達を掻き分けるようにして、ギイとガアは病室を飛び出した。


 五分も経たずに、ギイとガアは戻ってきた。彼らの手に有ったのは、日本酒の一升瓶であった。

 そしてギイとガアは、住人達に日本酒を差し出す。


「ないてうの、ばあちゃかなしむ」

「ばあちゃ、たびだちゅの、おくりゅ」


 悲しんでるだけじゃ、安心して眠ってもらう事は出来ない。

 自分達は大丈夫、そう伝えなきゃいけない。


 それは奇しくもギイとガアが、三笠の死に直面した際、さくらから学んだ事であった。


 日本酒を差し出し、涙をボロボロ流しながら、ギイ達は笑顔を作ろうとする。

 そんな彼らを見れば、いつまでも悲しんでなど居られまい。


 ギイ、ガア、クミルが、どれだけ奮闘したか、知っている。

 引っ張られる様に、自分達に何が出来るかを考えた。


 同時に羨ましくもあった。

 これだけ多くに支えられて旅立てるなら、人生は捨てたもんじゃないと思えた。


 さくらが、何の為に生にしがみつこうとしたのかを、誰もが知っている。

 寿命だから仕方ない。それをさくらは、覆して見せた。


 真似など出来る気がしない。

 しかし年老いて尚、抗う事の大切さを教えてもらった。


 人生なんて、必要とされてる内が花さ!

 格好つけてないで、足掻きなよ!


 そんな声が聞こえる気がした。


 崩れ落ちる様にして、涙を流していた孝則が立ち上がり、ギイとガアの頭を乱暴に撫でる。


「お前達の言う通りだ。さくらを盛大に送り出してやらねぇとな。おい、みんな! 祭りの準備だ! 村の大恩人が、旅立つんだ! しっかりと、祝ってやろうぜ!」


 皆の瞳からは、涙が止まらない。

 しかし、別れの儀式を準備するために、動き出した。


 葬儀の準備は、着々と進められていく。夜になり、さくらの親族が到着する。

 そして通夜に代わる、宴会が行われた。


 宴席で、息子の宮川敏久を筆頭に、親族は一人一人に頭を下げた。


「母がお世話になりました。ありがとうございます」


 親族が、親の死に目に会わないなんてと、非難する者はいない。

 さくらなら、自分より仕事を優先しろと、言うはずだから。

 それでも、仕事を切り上げて、葬儀に間に合う様に駆けつけたのだ。

 充分であろう。


 最後に親族は、クミル、ギイ、ガアに深々と頭を下げた。


「クミルさん。母の面倒を見てくれて、ありがとうございます。母から、貴方の事は聞いております。良かったら、あの家はそのまま使って下さい。母が喜ぶはずですから」

「あ、あの。わたし、なにも、できなかった。さくらさん、ちからに、なれなかった」

「何を仰います。あなたは誠心誠意、母の看病をして下さいました。ありがとうございます」


 そう言って深く頭を下げる敏久に、クミルは返す言葉を持たなかった。

 続いて敏久は、ギイとガアにも話しかける。


「ギイさん、ガアさん。あなた達のおかげで、母は笑顔で旅立つ事が出来ます。ありがとうございます」

「ばあちゃ、しやぁせ?」

「ばあちゃ、ねむえう?」


 種族の壁を越え、声帯を変化させてまで、日本語を話せるまでに至った。

 口から出る言葉は、子供の様に拙い。しかし気持ちは、これ以上もないほどに伝わる。


「母をばあちゃと呼んでくれるんですね。なら、私はあなた方の父です。あなた方が幸せに暮らせる為に、私と妻、そして息子が尽力します」

「チチ?」

「ハハ?」

「そうです。これから、あなた達は私達の息子です。遠慮なく何でも言って下さい」

「ありやと、おああいあす」

「ありやと、おやいやす」


 敏久はギイ達に笑顔を向けると、再びクミルの方へ体を向けた。


「あなたの事情は、色々と聞いております。クミルさん。準備が整ったら、あなたと養子縁組をさせて頂こうと考えております」 


 その言葉と共に、クミルの中へ、敏久の感情が薄っすらと流れ込んでいく。


 敏久から感じたのは、亡き母の願い。

 そう、死の淵にあっても、さくらは自分達の事を心配してくれていた。


 この村には、隆を除いて老人しかいない。

 隆は、容体がよくなれば、元の生活へ戻るだろう。

 だが、クミルは違う。日本人でも、就労ビザを持った正式な渡航者でもない。


 そんな曖昧な存在であるクミルは、老人達を全て見送った後、独りになる。

 記録上、信川村の住人は、存在しない事になる。


 その時、不法入国者であるクミルは、どうなるのだろうか。

 ゴブリンの寿命を考えれば、その頃にはギイ達も居ないはずだ。

 その事を考え、さくらは手を回していた。


 さくらの想いと、それを叶えようとする敏久の想いを感じ、クミルの瞳から涙が零れた。


 ☆ ☆ ☆


 一方、独り診療所に残り、片付けをしていた者がいた。

 

 遺体の処置を終えた貞江は、さくらに改築して貰った診療所で、さくらが用意してくれた設備を、静かに点検していた。


 誰よりも悔しい思いをしていたのは、貞江ではなかろうか。


 医者だから、泣いてはいけないと思っていた。

 最後まで、全力を尽くそうと思っていた。

 絶対に助けると、約束した。

 運命を捻じ曲げても、笑顔にしようと決めた。


 でも、救えなかった。結局、何一つ出来なかった。

 情けなさだけが残った。


 後、どれだけ頑張ったら、救えただろうか。

 他に、どんな知識が有れば、良かったんだろうか。

 どんな設備を揃えておけば、良かったんだろうか。

 どんな、どんな、どんな……。


 こうやって、大切な命が、零れ落ちていく。

 

「さくらさん。ありがとうなんて、言わないで。私、駄目だったのよ」  

 

 それが精一杯の言葉だった。


「そんな事は有りません。貴女がいたから、我々は母と別れが出来たんです。貴女の様な方が、母の主治医で良かった」


 それは、あり得ないはずの言葉だった。

 今頃は、さくらを送る為の宴会に、参加しているはずなのだ。

 

「宮川さん……、どうしてここに?」

「旦那さんに、聞きました。貴女は多分ここだろうと」

「何をしに?」


 口にした瞬間、意味の無い問いかけをした事に、貞江は気がついた。

 開口一番に、お礼を言って下さった。それ以上、何の意味が有る?

 わざわざ探しに来て、不満を仰る方ではないはずだ。


 貞江の様子を見て察したのか、敏久は柔らかな表情を作ると、深々と頭を下げる。


「母の事、ありがとうございます」


 貞江にとってそれは、聞きたくない言葉だった。

 己の無力を感じ、矮小さを思い知らせていたのだ。感謝の言葉は不要だ。

 しかし、敏久は言葉を続ける。


「これからも私の子供達を、よろしくお願いします」


 貞江は、言葉の意味を直に理解出来なかった。僅かな時間、呆けていた。


 やがて、さくらと敏久のやり取りを、思い出す。

 貞江は、あの場所にいて、話しを聞いていたのだから。


「子供達って、ギイちゃんと、ガアちゃん……」

「ええ。クミルは、正式に養子として、迎えます。私の後継者として、頑張って貰うつもりです。ギイとガアは、証が無くても私の子供です」

「そう……ですか……」

「先生には引き続き、あの子達の主治医として、腕を振るって頂きたい」

「私で、良いんですか?」

「貴女に、お願いしたいんです」


 それは貞江を、後悔の渦からすくい上げる言葉だった。


 敏久は、貞江の役割を、敢えて明確にした。

 診療所に入り、貞江の様子を見た瞬間、その必要が有ると感じたからだ。


 仮に、今回の件を悔いた貞江が、引退を決意しても、変わりの医者を探す事は、敏久なら造作も無い。

 しかし、信川村において、貞江の変わりが誰に務まるだろうか。


 貞江は、まだ必要な人材だ。それに、とても優秀だ。

 後継者が育つまで、頑張って欲しい。


 形は違えど、やはり親子なのだ。さくらと同じ様に、役割を与えてくれる。

 

 さくらとの約束を、果たす事は出来なかった。

 しかし、まだ必要とされるなら、さくらの様に最後まで足掻こう。


 貞江は、ゆっくりと首を縦に振る。

 そして、敏久は笑顔を浮かべた後、宴席に戻っていった。

 

 ☆ ☆ ☆


 家では、さくらを取り巻く人々が、顔を合わせてさくらの話題で盛り上がる。

 これは、祭りの始まり。 


 宴会は小一時間程で終わり、それぞれが家に戻っていく。

 そして日が開ければ、さくらを送る為、荘厳な儀式の準備へ移る。

これで終わりでは有りませんよ。

本章はあと一話、そして最終章へと移ります。


次回もお楽しみに!

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