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信川村の奇跡  作者: 東郷 珠(サークル珠道)
八章 病魔の果てに
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最後の時

奇跡は起こるのか?

 クミルは、さくらが入院して以降、ずっと祈り続けていた。

 自分の命が助かった時の様に、再び奇跡が起きる事を願っていた。

 しかし、ネックレスの欠片は、既に輝きを失っている。二度と光る事は無い。


 それでもクミルは、諦める事が出来なかった。そして、村中をくまなく歩き回った。

 もしかしたら、同じ様にネックレスの欠片が、どこかに落ちているかもしれない。

 別の欠片であれば、まだ奇跡を叶える力があるのではないか。

 そう信じて。


 しかし、クミルの願いは、届く事は無かった。

 そもそも、クミルの母が籠めた力は、世界を繋いだ時に完全に失われた。

 仮に新たな欠片を見つけても、奇跡の御技は起きない。

 

 わかっていた。

 如何に魔法とて、代償なしでは発動しない。クミルを救った力は、母の命を対価とした大きな魔法だ。

 そんな事は、おいそれと出来ない。例え覚悟が有ったとしても、その術を誰も知らない。


「おねがいします、さくらさん、つれてかないで。なんでもする、だから、おねがいします」


 何も出来ない。だから、奇跡に頼った。

 ネックレスの欠片を握りしめて、一心に祈り続けた。

 

 ☆ ☆ ☆


 見舞いに行けない時、ギイとガアは殆どの時間を、日本語の練習に費やした。

 そして隆は、ギイ達に応え、練習相手を務めた。


 どれだけ頑張っても、発音が出来ない。不可能だとわかって尚、練習を続けた。


 もし、日本語が話せたら、不可能を可能にした証になる。

 そうすれば、さくらが元気になるかも知れない。

 それ以上に、さくらの笑顔が見たい。

 

 短い間でも、さくらと一緒に暮らしてきたのだ、今がどんな状態なのかはわかる。

 一緒に居たい。ずっと、ずっと一緒に居たい。


 あの温もりが、どんな苦痛も和らげてくれた。

 あの笑顔が、どんな不安も取り去ってくれた。

 

 さくらが辛いなら、今度は自分達が支える。

 大丈夫。さくらは必ず元気になる。そう信じて止まなかった。

 

 ☆ ☆ ☆


 貞江の献身的な治療で、さくらの体調は一時的に持ち直した。しかし、さくらの体は限界を超えていた。

 そんな中、さくらは家族との別れを済ませた。


 そして、貞江と江藤にありがとうと告げ、安心したように目を閉じる。

 それからさくらは、目を覚まさなかった。


 知らせは、直に村中へ伝わる。そして住人達が、次々と診療所を訪れた。


「さくらぁ。俺より若いくせに、先に逝くんじゃねぇ。てめぇは、元気なのが取り柄じゃねぇのか! 目を覚ませ、さくらぁ!」

「姉さん、起きて! ギイちゃん達を、置いて行っちゃ駄目よ」

「そうよ、さくらさん。目を覚まして下さい」


 孝則、みのり、隆子らが、声をかける。

 狭い病室に詰めかけ、住人達が入れ替わりながら、声をかけていく。


 しかし、誰が呼びかけようが、さくらは目を開けない。誰が励ましても、もう答える事はない。


 だが、呼びかけずにはいられない。

 酸素マスクを付けられ、バイタルサインを示す生体情報モニターに映る脈拍の信号は、今にもゼロになろうとしている。


 もう、覚悟を決めるしか無かった。

 そして住人達が、さくらへ最後の言葉を投げかけた時であった。


「ギイさんとガアさん、クミルさんを中に入れて下さい!」

 

 視覚に障害を持った隆でも、今がどんな状況かはわかる。

 だからこそ、訴えずにはいられなかった。


 少なくとも、貞江は医者として、配慮を怠る事は出来ない。院内感染を防ぐのは、当然の努めてあろう。

 見舞いによる訪問で感染したなど、本末転倒だ。


 本来ならば、住人達が病室を出入りするのも禁じたい。隆の入室も禁じたい。

 医者として、さくらを診続けてきたからわかる。


 恐らくさくらは、このまま二度と目を覚まさない。

 だから、入室許可を出したに過ぎない。


 しかし、ワクチンを接種している住人達や若い隆と、ギイ達は違う。

 万が一の感染リスクを、考慮しなければならない。


 会わせる訳にはいかない。それが、さくらの意向でもあろう。

 だが、最後の時にまで、一番さくらに近しいギイ達が、直接会えないなんて、辛すぎる。

 貞江の心は、揺れた。

 

 ただ、悩んでいる時間はない。貞江は、直に決断をする。

 マスクを着用と短時間で有る事を約束する事で、ギイとガア、そしてクミルの入室を許可した。 


 しかし、ただ単にギイ達を、病室に入れたのではない。

 貞江とて、非現実を期待したのだ。

 

 彼らの声に反応して、止まりかけたさくらの心臓が、再び動き始めるかもしれない。そして、目を開けるかもしれない。

 

 現実の奇跡なんて、そんなもんだ。しかし、誰もが願うのだ、目を覚まして欲しいと。

 奇跡が起きるとすれば、そんな時だろう。

 

「ギイギ、ギイギ! ギイギ! ギイギ!」

「ガアガ、ガアガガガアガ! ガアガガ、ガアガ!」

「さくらさん、ぎいのこえ、きこえる? おきて、いってる。があのこえ、きこえる? かえろ、いってる。げんきだして、おねがい、さくらさん!」


 ギイとガアが、クミルが、懸命にさくらへ声を掛ける。

 その光景は、皆の涙を誘う。


 彼らが、どれだけさくらの回復を願っていたか、皆が理解している。

 さくらが元気になる様に、奮闘して来たのも、知っている。

 諦めきれないのもわかる。

 

 しかし、もう目を覚まさない。来るべき時が来たのだ。


「もういい。お前ら、もう止めとけ。さくらを眠らせてやれ。ここまで頑張ったんだ。お前らの為に、頑張ったんだ。休ませてやれ」

「ギイギイ、ギイギ、ギギイギ!」

「ガアガ、ガアガガガアガ!」

「うるせぇよ! もういいって言ってんだろうが!」


 やるせない思いに耐えかね、郷善が声を荒らげた時だった。

 ベッドから、か細い声が聞こえた。


「うるさいのは……、あんた……だよ……郷善」


 それは神が与えた、最後の時間なのだろう。

 住人達は、声を掛けようとした。しかし、言葉が出なかった。


 ゆっくりとさくらは目を開ける。そして、首を横に傾けると、ギイとガアの姿が見える。

 クミルが、ネックレスの欠片を握りしめて、祈っているのが見える。


 さくらは、彼らに向かって手を伸ばそうとする。しかし、力が入らない。

 それを察した貞江が、さくらの手を布団の下から引っ張り出す。

 そしてギイとガアは、さくらの手を力強く握りしめた。

 

 ギイとガアの瞳には、今にも零れそうなほど、涙を溜めている。

 

 窓越しで、さくらの容態が、悪化していくのを見て来た。

 それは、ギイとガアに耐え難い不安を与えた。

 

 そんなギイとガアに、クミルは語った。

 さくらは懸命に病気と戦っている、だから応援しようと。

 

 さくらを失う恐怖に耐え、応援し続けた。今、何が出来るか、考え続けた。


 奇跡が起こるとすれば、皆の願いが届いた時だ。クミルの手に有る欠片が、淡い光を放つ。失われたはずの力が、病室内を照らし始める。

 そして、ギイとガアが、ゆっくりと口を開く。


「ギ、ギギギ、ギャアア、バ、バア、バアア、ばあちゃ。ばあちゃ」

「ガ、ガァ、ア、ア、バア、ばあちゃ。ばあちゃ。ばあちゃ」


 それは紛う事なく、奇跡の産物であった。


「ばあちゃ、ばあちゃ、ばあちゃ、ばあちゃ」


 ギイとガアは、さくらを呼び続け、涙を流す。

 そして、さくらは貞江の力を借り体を横にして、ギイ達が握っていない方の手を伸ばそうとした。


「えらいね、がんばったね」


 小さく、また掠れた声は、同じベッドの脇にいたクミルでさえ、ようやく聞き取れる程であった。


 さくらは、笑顔を湛えていた。

 しかし、ギイ達を褒めようと伸ばした手は、その頭に届く事はなかった。


 パタリと力なく、伸ばしたさくらの手が、宙から落ちる。

 ギイ達の握っていた手から、力が抜ける。

 

 そして、生体情報モニターに映る情報が、心肺の停止を告げた。

 対光反射等の検査を行った貞江が、全ての作業を終えて、集まった者達に向かいあう。


「十月二十三日、午後四時十五分。宮川さくらさんの、死亡を確認しました」

ごめんなさい。

さくらさんを、助けてあげる事が出来ませんでした。

ごめんなさい。

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