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信川村の奇跡  作者: 東郷 珠(サークル珠道)
六章 学びと成長
57/93

別れを乗り越えて

先生とお別れです。

 夜が明けても、不思議と眠気が襲って来なかった。

 村の人が訪れ、交代するから少し休めと、声をかけてくれる。しかし、眠れる気はしなかった。


「わたし、もうすこし、せんせいといっしょ。だめ?」

「いいけど、大丈夫なの?」

「はい。めいわく、かけない」

「迷惑なんて、考えてないわよ。和尚さんがいらっしゃるまで、まだ時間が有るわ。朝食の準備をするし、眠くなったら遠慮しないで言いなさいね」

「はい、ありがとう、ございます」


 クミル自身、その希望が我儘だと理解をしていた。

 そもそも、迷惑をかけないなんて、どだい無理なのだ。食事と寝床を用意して貰う。尚且つ時間が訪れたら、起こしてくれるだろう。

 準備を手伝う為に、ここに残った。だがやった事と言えば、簡単な補助くらい。何の為に残ったのか? それは、先生の為じゃない、自分の為なのだ。


「クミル。ちゃんと食って、ちゃんと寝る。じゃないと、良い考えなんて浮かばない。まぁ、これは先生の受け売りだけどな」

「どの口が言うの? クミルさん、この人はね、今でこそだけど」

「園子、余計な事を言うなよ」

「何に言ってんのよ、村の人なら誰でも知ってる事よ」

「ったくよぉ。せっかく良い話したのに、恰好つかねぇだろうが!」


 孝道は、不貞腐れる様に捨て台詞を吐き、三笠が眠る部屋を出る。それを見届けた園子は、孝道と洋二が起こした事件の数々を、面白おかしく語り始める。

 それは、園子なりの配慮だったのかもしれない。


 園子の話しは、朝食を待つのに丁度いい時間だった。そしてクミルの、迷走し始める思考を抑えるには、充分な内容だった。


 前日の夜も、碌に寝ていないのだ。腹が満たされれば、眠くなるのは道理だろう。

 ウトウトしながら、クミルは仮眠用の部屋に案内される。そして、数時間ほど、眠りについた。


 ☆ ☆ ☆


 やがて、邸内が騒がしくなる。足音や話し声が混じり合い、不協和音となってクミルの脳を揺さぶる。

 体を起こし、仮眠室から顔を出すと、住人が集まり始めているのがわかる。

 さくらの姿が見当たらないのは、ギイとガアを優先した結果だろう。


 また、住人達は一様に、黒い服を身に付けている。

 そして、クミルが目を覚ましたのに気が付いたのか、みのりが小走りで近づいて来る。


「起きたのね、良かった。寝起きで悪いけど、着替えてね」


 何の事か理解出来ずに、クミルは首を傾げる。だが、みのりの視線を辿ると、黒い服が木製の棚に掛けられているのが見える。


「あれ、きる?」

「そうよ。あれ? 孝道から、何も聞いてない? 全くもう、あの子ったら」

「すみません」

「いいのよ。それより、孝道の使い古しで、申し訳ないんだけど」


 みのりから、儀式には黒い服を着るという事が、薄っすらと伝わって来た。村の人達が似た様な恰好をしていたのは、そのせいなのだろう。

 

 クミルが考えを巡らせていると、みのりが棚へと歩み寄る。そして、黒いズボンを手に取ると、クミルの足に合わせる。


「やっぱりサイズが大きいわね。一旦、履いてみて。直ぐに裾上げしちゃうから。上着は、どうしようもないわね」


 みのりは、素早く裾上げに取り掛かる。裾上げが終わる頃には、さくらと佐川等、一部除いた住人が集まった。

 

 時が加速していく、クミルの苦悩は喧噪の海に流され、思考する余裕を与えない。

 孝道に従い、邸内に棺を運び込む。そして、三笠の遺体を棺に納める。それと前後する様に、見知らぬ男性が、三笠の家を訪れる。

 

 髪を剃っているのだろうか。一種、独特な貫禄を有する男性が、儀式を執り行う和尚と呼ばれる存在だと、孝道がクミルへ耳打ちをする。


 出迎えた孝則は、和尚を控室へと案内する。

 やがて和尚は、不思議な恰好へと着替えると、三笠が眠る部屋へと歩みを進める。そして、作り上げた祭壇の前に陣取った。


 儀式が始まる。


 和尚が、何かを唱え始める。音に乗せた言霊が、室内に響き渡る。辺りは、静謐な空気へ変わっていく。

 

 言霊は、クミルを集中へ誘う。

 何が起きているのか、よくわからない。だが、神秘性だけは理解出来る。不思議な感覚の中で、クミルは住人達を真似て、手を合わせた。


 やがて住人達が順に立ち上がると、祭壇の前に進む。置かれた二つの箱に入った砂を、片方からもう片方に移す。そして手を合わせる。

 それが終わると、再び元の位置に戻って、静かに待つ。


 やがて儀式が終わり、男衆が揃って柩を抱える。ゆっくりと、丁寧に、大きめの車へと運ぶ。

 ただクミルは、それ以降の同行を許されなかった。

 

 車の運転席には、孝道が座る。そして、孝則を含めた数名を乗せ、三笠の家から走り去る。

 残された者達は、車を見送ると、各自の家へと戻る。その間クミルは、酒瓶やビールケースを運ぶ事を命じられた。


 運び終わっても、作業は終わらない。

 クミルは命じられるままに、儀式とは別の部屋へ向かう。そして、脚の短い長机を並べていく。 

 並べ終わる頃には、住人達が荷物を持って戻る。そして長机の上には、各家庭で用意したのだろう、料理の数々が並べられていった。


 慌ただしさを抜け、ようやく一息つく。

 クミルは、祭壇が有る部屋へと向かう。気が抜けたのか、クミルはペタリと座り込む。

 そして瞳からは、一筋の涙が零れた。


 ☆ ☆ ☆


 母の亡骸は、どこかの偉い人が、持って行った。

 仲間の亡骸は、埋めるのが常識だった。それ以上は、何もしない。

 

 こんな壮大で、神秘的な儀式は、初めてだった。


 儀式の最中、和尚の呼吸に合わせ、皆が祈りを捧げていた。そして、想いの奔流が、クミルに流れ込んで来た。

 それは、三笠への感謝であり、幸せな旅立ちを願う祈りでもある。そして、再会を願いであり、安心しろと語りかける強い気持ちであった。

 三笠を失った事を、誰もが悲しんでいた。それ以上に三笠を想い、祈り続けていた。


 ふとクミルは、孝道の言葉を思い出す。


 自分は、先生の為に何が出来た、何を祈った。

 ただ怖がって、悲しんで、勝手に苦しんで、それで喜んでもらえるのか? 違う、今の自分を見れば、先生は悲しむ。

 そして、決して声を荒げずに、それでも迫力の有る声で語るのだ。


「お前は、いつまでそうしてる。俯いて、何を成せる。前を向け!」


 幻聴だろうか?

 その時クミルの耳に、三笠の声が届いた気がした。

  

「お前は優しい。想いの分だけ、離れ難くなるものだ。お前は、私をそれだけ想ってくれたのだろう。ありがとう、クミル」


 幻視であろう。

 少し目を細め、柔らかな表情になった、三笠の姿が現れた気がした。


 涙が止まらなくなっていた。そしてクミルは、畳に頭を擦りつけ、叫んでいた。


「ありがとう、ありがとう。せんせい、ありがとう、ございます。わたし、もう、かなしませない。せんせい、こころのこり、ないする」

「クミル、お前になら出来る。私は、安心して旅立てる。ありがとう」


 三笠の幻は、クミルの頭を優しく撫でる。感触など無い、だが温かな心を感じる。

 そしてクミルは頭を上げる。涙は止まらない、それでも真っすぐ三笠の瞳を見る。


 やがて幻は、消えていく。満足したかの様な笑顔で。


 自分で悟ったのではない、三笠の幻が教えてくれた。その時クミルは、さくらの言葉をようやく理解した。

 

 愛情の分だけ、失うのが怖くなる。失うのは、誰でも辛い。だが、それを否定してはいけない。教えを、想いを、愛を、心を、継いでいくのだ。


 母が守ってくれた命だ、軽んじて良い筈が無い。

 先生は教えてくれた、今度は自分の番だ。

  

 ☆ ☆ ☆


 暫く時間が経過し、車が戻って来る。孝則が桐箱を抱えて、玄関を潜る。

 そして孝則は、桐箱を祭壇の上へと置き、和尚と共に手を合わせる。


 孝則は和尚を案内して、料理が並んだ部屋へと向かう。皆が部屋に集まり、座り始める。

 そして皆が席に着いたのを確認すると、孝則は立ち上がる。


「この中には、先生の教え子が沢山いる。俺も先生からは、色んな事を教えてもらった。兄貴分みたいに、思ってる。先生はこの村の出身じゃない。でもこの村の為に、色んな事をしてくれた。先生には、感謝しても感謝しきれない。これから先生は、新たな生に向かって旅立つ。今日は門出の日だ。旅の無事を祈ろう。みんな、今日は飲んで騒げ! 先生が安心して旅立てるように! 先生の心残りが無い様に! 献杯!」


 孝則の挨拶を皮切りに、宴会が始まった。その言葉は、クミルの心にすっと収まる。


 死んだんじゃない、旅立ったんだ。

 だから、世話になった恩人に、大好きな先生に、心配をかけちゃいけない。

 その旅に、幸せが訪れる様、祝わうんだ。


 皆がグラスを合わせる。そして、がやがやと賑やかに、先生の話しをしながら、思い出を一つずつ、心の中にしまっていく。

 これが、別れ方なんだ。


 あの日、思い出したくもない、辛い出来事が起こった。ギイとガアは猶更だろう。

 それは、ただ残酷で、悲しくて、やりきれない想いを残す。だけど、もしそんな物でなくなったとしたら、少しは救われる。

 生き残った自分を、許してやれる。生きる勇気へ変わる。


 故郷の仲間達も、旅立ったのだろうか。それなら、もう少しましな世界に生まれ変わって欲しい。

 母は幸せだったのだろうか。生まれ変わったら、もっと幸せになって欲しい。


 クミルは想いを籠めて、グラスを掲げる。

 この日クミルは、本当の意味で、この村で生きていく覚悟を決めた。

本章は、これまでと違った意味で、重い内容だったと思います。

ギイとガア、そしてクミルの葛藤と成長を、楽しんで頂けたら幸いです。


次から新章へ移ります。

次回もお楽しみに!

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