別れを乗り越えて
先生とお別れです。
夜が明けても、不思議と眠気が襲って来なかった。
村の人が訪れ、交代するから少し休めと、声をかけてくれる。しかし、眠れる気はしなかった。
「わたし、もうすこし、せんせいといっしょ。だめ?」
「いいけど、大丈夫なの?」
「はい。めいわく、かけない」
「迷惑なんて、考えてないわよ。和尚さんがいらっしゃるまで、まだ時間が有るわ。朝食の準備をするし、眠くなったら遠慮しないで言いなさいね」
「はい、ありがとう、ございます」
クミル自身、その希望が我儘だと理解をしていた。
そもそも、迷惑をかけないなんて、どだい無理なのだ。食事と寝床を用意して貰う。尚且つ時間が訪れたら、起こしてくれるだろう。
準備を手伝う為に、ここに残った。だがやった事と言えば、簡単な補助くらい。何の為に残ったのか? それは、先生の為じゃない、自分の為なのだ。
「クミル。ちゃんと食って、ちゃんと寝る。じゃないと、良い考えなんて浮かばない。まぁ、これは先生の受け売りだけどな」
「どの口が言うの? クミルさん、この人はね、今でこそだけど」
「園子、余計な事を言うなよ」
「何に言ってんのよ、村の人なら誰でも知ってる事よ」
「ったくよぉ。せっかく良い話したのに、恰好つかねぇだろうが!」
孝道は、不貞腐れる様に捨て台詞を吐き、三笠が眠る部屋を出る。それを見届けた園子は、孝道と洋二が起こした事件の数々を、面白おかしく語り始める。
それは、園子なりの配慮だったのかもしれない。
園子の話しは、朝食を待つのに丁度いい時間だった。そしてクミルの、迷走し始める思考を抑えるには、充分な内容だった。
前日の夜も、碌に寝ていないのだ。腹が満たされれば、眠くなるのは道理だろう。
ウトウトしながら、クミルは仮眠用の部屋に案内される。そして、数時間ほど、眠りについた。
☆ ☆ ☆
やがて、邸内が騒がしくなる。足音や話し声が混じり合い、不協和音となってクミルの脳を揺さぶる。
体を起こし、仮眠室から顔を出すと、住人が集まり始めているのがわかる。
さくらの姿が見当たらないのは、ギイとガアを優先した結果だろう。
また、住人達は一様に、黒い服を身に付けている。
そして、クミルが目を覚ましたのに気が付いたのか、みのりが小走りで近づいて来る。
「起きたのね、良かった。寝起きで悪いけど、着替えてね」
何の事か理解出来ずに、クミルは首を傾げる。だが、みのりの視線を辿ると、黒い服が木製の棚に掛けられているのが見える。
「あれ、きる?」
「そうよ。あれ? 孝道から、何も聞いてない? 全くもう、あの子ったら」
「すみません」
「いいのよ。それより、孝道の使い古しで、申し訳ないんだけど」
みのりから、儀式には黒い服を着るという事が、薄っすらと伝わって来た。村の人達が似た様な恰好をしていたのは、そのせいなのだろう。
クミルが考えを巡らせていると、みのりが棚へと歩み寄る。そして、黒いズボンを手に取ると、クミルの足に合わせる。
「やっぱりサイズが大きいわね。一旦、履いてみて。直ぐに裾上げしちゃうから。上着は、どうしようもないわね」
みのりは、素早く裾上げに取り掛かる。裾上げが終わる頃には、さくらと佐川等、一部除いた住人が集まった。
時が加速していく、クミルの苦悩は喧噪の海に流され、思考する余裕を与えない。
孝道に従い、邸内に棺を運び込む。そして、三笠の遺体を棺に納める。それと前後する様に、見知らぬ男性が、三笠の家を訪れる。
髪を剃っているのだろうか。一種、独特な貫禄を有する男性が、儀式を執り行う和尚と呼ばれる存在だと、孝道がクミルへ耳打ちをする。
出迎えた孝則は、和尚を控室へと案内する。
やがて和尚は、不思議な恰好へと着替えると、三笠が眠る部屋へと歩みを進める。そして、作り上げた祭壇の前に陣取った。
儀式が始まる。
和尚が、何かを唱え始める。音に乗せた言霊が、室内に響き渡る。辺りは、静謐な空気へ変わっていく。
言霊は、クミルを集中へ誘う。
何が起きているのか、よくわからない。だが、神秘性だけは理解出来る。不思議な感覚の中で、クミルは住人達を真似て、手を合わせた。
やがて住人達が順に立ち上がると、祭壇の前に進む。置かれた二つの箱に入った砂を、片方からもう片方に移す。そして手を合わせる。
それが終わると、再び元の位置に戻って、静かに待つ。
やがて儀式が終わり、男衆が揃って柩を抱える。ゆっくりと、丁寧に、大きめの車へと運ぶ。
ただクミルは、それ以降の同行を許されなかった。
車の運転席には、孝道が座る。そして、孝則を含めた数名を乗せ、三笠の家から走り去る。
残された者達は、車を見送ると、各自の家へと戻る。その間クミルは、酒瓶やビールケースを運ぶ事を命じられた。
運び終わっても、作業は終わらない。
クミルは命じられるままに、儀式とは別の部屋へ向かう。そして、脚の短い長机を並べていく。
並べ終わる頃には、住人達が荷物を持って戻る。そして長机の上には、各家庭で用意したのだろう、料理の数々が並べられていった。
慌ただしさを抜け、ようやく一息つく。
クミルは、祭壇が有る部屋へと向かう。気が抜けたのか、クミルはペタリと座り込む。
そして瞳からは、一筋の涙が零れた。
☆ ☆ ☆
母の亡骸は、どこかの偉い人が、持って行った。
仲間の亡骸は、埋めるのが常識だった。それ以上は、何もしない。
こんな壮大で、神秘的な儀式は、初めてだった。
儀式の最中、和尚の呼吸に合わせ、皆が祈りを捧げていた。そして、想いの奔流が、クミルに流れ込んで来た。
それは、三笠への感謝であり、幸せな旅立ちを願う祈りでもある。そして、再会を願いであり、安心しろと語りかける強い気持ちであった。
三笠を失った事を、誰もが悲しんでいた。それ以上に三笠を想い、祈り続けていた。
ふとクミルは、孝道の言葉を思い出す。
自分は、先生の為に何が出来た、何を祈った。
ただ怖がって、悲しんで、勝手に苦しんで、それで喜んでもらえるのか? 違う、今の自分を見れば、先生は悲しむ。
そして、決して声を荒げずに、それでも迫力の有る声で語るのだ。
「お前は、いつまでそうしてる。俯いて、何を成せる。前を向け!」
幻聴だろうか?
その時クミルの耳に、三笠の声が届いた気がした。
「お前は優しい。想いの分だけ、離れ難くなるものだ。お前は、私をそれだけ想ってくれたのだろう。ありがとう、クミル」
幻視であろう。
少し目を細め、柔らかな表情になった、三笠の姿が現れた気がした。
涙が止まらなくなっていた。そしてクミルは、畳に頭を擦りつけ、叫んでいた。
「ありがとう、ありがとう。せんせい、ありがとう、ございます。わたし、もう、かなしませない。せんせい、こころのこり、ないする」
「クミル、お前になら出来る。私は、安心して旅立てる。ありがとう」
三笠の幻は、クミルの頭を優しく撫でる。感触など無い、だが温かな心を感じる。
そしてクミルは頭を上げる。涙は止まらない、それでも真っすぐ三笠の瞳を見る。
やがて幻は、消えていく。満足したかの様な笑顔で。
自分で悟ったのではない、三笠の幻が教えてくれた。その時クミルは、さくらの言葉をようやく理解した。
愛情の分だけ、失うのが怖くなる。失うのは、誰でも辛い。だが、それを否定してはいけない。教えを、想いを、愛を、心を、継いでいくのだ。
母が守ってくれた命だ、軽んじて良い筈が無い。
先生は教えてくれた、今度は自分の番だ。
☆ ☆ ☆
暫く時間が経過し、車が戻って来る。孝則が桐箱を抱えて、玄関を潜る。
そして孝則は、桐箱を祭壇の上へと置き、和尚と共に手を合わせる。
孝則は和尚を案内して、料理が並んだ部屋へと向かう。皆が部屋に集まり、座り始める。
そして皆が席に着いたのを確認すると、孝則は立ち上がる。
「この中には、先生の教え子が沢山いる。俺も先生からは、色んな事を教えてもらった。兄貴分みたいに、思ってる。先生はこの村の出身じゃない。でもこの村の為に、色んな事をしてくれた。先生には、感謝しても感謝しきれない。これから先生は、新たな生に向かって旅立つ。今日は門出の日だ。旅の無事を祈ろう。みんな、今日は飲んで騒げ! 先生が安心して旅立てるように! 先生の心残りが無い様に! 献杯!」
孝則の挨拶を皮切りに、宴会が始まった。その言葉は、クミルの心にすっと収まる。
死んだんじゃない、旅立ったんだ。
だから、世話になった恩人に、大好きな先生に、心配をかけちゃいけない。
その旅に、幸せが訪れる様、祝わうんだ。
皆がグラスを合わせる。そして、がやがやと賑やかに、先生の話しをしながら、思い出を一つずつ、心の中にしまっていく。
これが、別れ方なんだ。
あの日、思い出したくもない、辛い出来事が起こった。ギイとガアは猶更だろう。
それは、ただ残酷で、悲しくて、やりきれない想いを残す。だけど、もしそんな物でなくなったとしたら、少しは救われる。
生き残った自分を、許してやれる。生きる勇気へ変わる。
故郷の仲間達も、旅立ったのだろうか。それなら、もう少しましな世界に生まれ変わって欲しい。
母は幸せだったのだろうか。生まれ変わったら、もっと幸せになって欲しい。
クミルは想いを籠めて、グラスを掲げる。
この日クミルは、本当の意味で、この村で生きていく覚悟を決めた。
本章は、これまでと違った意味で、重い内容だったと思います。
ギイとガア、そしてクミルの葛藤と成長を、楽しんで頂けたら幸いです。
次から新章へ移ります。
次回もお楽しみに!




