クミルの決意
日付が少し前後します。
八月九日の早朝、調査隊は幸三を案内役にして、村の東北部に位置する、山道口付近から山へ入った。
九日の調査範囲は、東北部から南下し南部山脈を抜けた、村の南西方面まで。
村の北西から南東本面にかけて流れる、川を目指して下山する。
翌日の十日は、九日に下山した辺りから上流を目指し、北部の山脈を抜けて旧市街地付近へと戻る。
更に十日の午後には、調査報告を提出する予定となっている。
これは、かなりの強硬日程である。
山岳訓練で慣らしている、調査隊なら問題は無いだろう。だが、取材陣には過酷のはずだ。
信川村を囲む山脈は、人の手が入っていない。故に、様々な動物が生息している。そして、ギイ達が熊と遭遇したのは、つい最近の事だ。
脅威に遭遇すれば、取材陣はパニックに陥るだろう。
山を良く知る幸三が同行するのは、取材陣の安全を鑑みての配慮だ。
因って調査隊は、集まった報道各社から、一名を選抜して同行させる事に決めた。ただこの決定には、報道各社からの反対意見が上がった。
しかし、温情が不服だと言うなら、取材許可を取り消すと、調査隊のリーダーは反対意見を却下する。
取材陣の同行は、邪魔以外の何物でも無い。
そもそもの目的は、ピクニックでも登山でも無い。山を移動するのが、目的でもない。
そして何故、調査隊が五十名もの人数で組織されたのか。それは、手付かずの山を、手分けして探索する為だ。
余計な者が同行すれば、調査隊は安全を図る為に、それなりの人員を割かなければならない。
取材陣を連れて行くのは、報道各社への配慮に過ぎない。それでも身勝手な言い分を通そうとするなら、権利など主張はさせない。
調査隊リーダーの姿勢は、かなり強硬的であろう。しかし、八月八日に起きた地元住民とのトラブルが影響したのか、報道各社は渋々であろうが従った。
一方、八月八日の早朝に出発した洋二達は、自宅に一番近い南側の山脈を目指した。そして南西部を通り、西側山脈の中腹まで進んでいた。
基本的に幸三と洋二は、自然環境のモニタリングを目的として山に入る。
但し、山に入るついでに山菜を採る幸三と、モニタリング自体が好きな洋二では、使うルートが異なる。
山を歩いている途中、クミル達が不用意に痕跡を残しても、辿るルートが異なれば、目に留まる事は無い。
ただ、同行する取材陣の勝手な行動で、ルートを変えざるを得なくなった等、突発的な事態が起こらないとも限らない。
八日の夜、洋二は九日の解散予定地から離れた場所を、野営場所に選んだ。それは、万が一の事を考慮した結果である。
月明かりの下で、携帯食で小腹を満たし、一行は体を休める。
太郎と三郎は、ギイとガアに寄り添う様にして、腹ばいになっている。そんな太郎達に、ギイとガアは寄りかかり、背中を撫でていた。
「取り敢えず今日は順調に進んだな。どうだ、疲れたか?」
「ギイギギギ」
「ガアガガガ」
「何となくだけど、大丈夫って言いたいのか? お前等はイントネーションを真似てんのか?」
「しょういちさん。ぎいたち、まねるだけじゃない。ことばのいみ、りかいしてる」
「クミル。お前もだけど、こいつらもすげぇな」
「ギャアギャギャ!」
「ガアガア!」
「あぁ? なんだ? 俺には、わからないんだよ」
「たぶん、ほめられた、よろこんでる。あれ、ぎいたちのげんご」
「そんな事もわかるのか? すげぇな! お前、通訳みたいな事も出来るのか?」
「ちがう、ます。こころ、よんだだけ。ごぶりんのげんご、わたし、しらない」
「俺には、魔法だの何だのってのは、わからないけどよ。便利な能力だな」
「そんなこと、ない。わたし、やくにたたない。なにも、できない。だから」
「悪いクミル、変な事を言った。忘れてくれ」
「いえ。わるいの、わたし」
洋二は、クミルの言葉を遮る様に言い放つ。洋二の気持ちを察してか、クミルは作り笑顔を向けた。
洋二は、クミルと一日過ごし、気が付いた事が有る。クミルは、真面目な性格だ。努力家で根性も有る。
道なき道を登り下りするのは、かなり過酷だ。筋力が戻りきっていないクミルには、さぞ辛かっただろう。
しかしクミルは、弱音を吐く事無く洋二の後を付いて来た。
言葉に関しては、その最たるものだろう。どれだけ努力すれば、一か月も経たずに日本語を話せる様になるのか。
だがそんなクミルの行動を、洋二は気負い過ぎだと感じていた。寧ろ、強迫観念に取り付かれている様にも感じた。
クミルの生い立ちを知り、信川村に至るまでの状況を聞けば、そう成らざるを得なかったのがわかる。
だが、ここはクミルが育った世界ではない、日本なのだ。
気にするな。余り悩むな。仕方なかったんだ。大丈夫だ。もっと気楽にしてろ。
どんな言葉をかけても、彼の苦悩を取り払う事は出来まい。
今回の騒動は、ギイとガアの映像が流出した事に端を発した。だが、問題なのはギイ達だけではない。
日本において、クミルの存在は認められない。誰もが当たり前に有する、法で認められた権利は存在しない。
己の努力で如何様にもなるなら、誰も悩みはしない。
恐らく故郷では、自分の境遇を変えようなど、考えもしなかったのだろう。そして現在、日本におけるクミルの存在は、自身の努力ではどうにもならない。
恐らくクミルは、頼る事を恥じているのでは無い。頼るだけで、何も出来ない自身を恥じているのだろう。真面目な男だ、その位は察する事が出来る。
だが、彼が抱えているものは、もっと重い。
クミルが入院している間は、貞江が傍に居た。先生が、毎日の様に訪れていた。お人好しの村長も、気にかけていたはずだ。
あの三人は、敢えてクミルの内面に、触れなかったのだろう。
そしてさくらなら、きっとこう言うだろう。
「人の悩みをわかってやれるなんて、傲慢だよ。悩みなんて、本人にしか解決出来ないんだ。だから、ほっときな。中途半端なアドバイスは、返って本人を混乱させるだけだよ」
かける言葉は無い。そう考えた洋二は口を噤む。そんな洋二に、クミルは語りかける。
「ようじさん。あなた、やさしい。わたしのこと、かんがえて、くれて、ありがとう。こきょうのひと、かなしみ、いかり、たましい、ぜんぶ、わたしせおう。わたし、かれらのぶん、いきる。まけない、くじけてる、ひまない」
「だから……」
「わかる、いいたいこと。でも、だいじょうぶ。たましい、わたしのそばにいる。みんな、わたしを、とおして、いろんなもの、みる。わたしをとおして、ぜいたく、する。みたことない、けしき、みる。わたし、かなしむと、みんな、かなしむ。だから、まえむく。みんなに、さいこうのけしき、みせる。さいこうの、けいけん、してもらう」
粗末な食事、地べたでの就寝等、かつての生活とさくらの家を比べれば、天と地の差がある。日本の生活は、贅沢そのものなのだろう。
魂という存在が、どの様な物なのかは、クミル自身も理解はしていまい。
だが本当に、精神体の様な存在として、亡くなった故郷の人達がクミルの傍に居るならば、クミルを通じて体験を伝えられるだろう。
道半ばにして逝った者達は、クミルの想いを受け取り、満足して旅立てるだろう。
仮にそれが、全て妄想だとしても、クミルの心は救われる。
「ったく。やっぱり、お前は凄いよクミル。さて、ガキ共! そろそろ寝る時間だ。明日は、家に帰るんだからな!」
「ギイギ、ギギギ」
「ガアガ、ガアガガガ」
「おい、クミル。なんて言ったんだ?」
「たぶん、みはりする、いった」
「馬鹿野郎。妙な気を使わないで、ガキは寝ろ! 年寄り扱いしたら、ただじゃおかねぇぞ!」
「ぎいぎぎぎぎ、ぎい」
「せいぎのひと、ねて。いってる」
「があがががが、ががあがが、がが」
「せいぎのひと、おじいちゃん、ねて。いってる」
「うっせぇ、うっせぇ! 早く寝ちまえ、お前もだクミル。疲れは取れないぞ!」
洋二は拗ねた様に、手足をバタバタさせる。その途端に、ギイとガアがはしゃぎ出す。
それを眺めるクミルに、笑顔が生まれた。
四章から五章の出来事を、時系列順にご紹介しておきます。
8/1 信川村の取材と報道。
8/2 デモ行動の開始、宮川グループの役員会、閣議、役場の捜査。
8/3 宮川グループの会見、各企業からマスコミへの圧力、政府の発表、機動隊の出動と暴動の鎮圧。
8/4 宮川グループの社員による、信川村の清掃。
8/5 阿沼の訪問。
8/6 さくらが東京の病院へ。佐川と調査隊の打ち合わせ。
8/7 さくらの検査。調査隊の受け入れと、旧市街地の調査。
8/8 さくらの検査。各家の調査。
8/9 さくらの退院、自宅で一泊。山岳部の調査、前半。
8/10 さくらが信川村へ帰還。山岳部の調査、後半。調査の結果を政府が発表。
次回もお楽しみに!




