取材の朝
始まり始まり。
さくらの自宅では、クミルがギイとガアに家事を習っていた。
クミルは診療所で、日本語を教わり、幾つかの家電製品を扱える様になった。しかし、診療所でのクミルは、あくまでも患者で有り、世話をされる側である。
掃除機や洗濯機の使い方等を、知る由もない。
「これ、おす? ぼたん?」
「ギイ、ギイ! ギギ、ギイイ」
「ちがう? こな、いれる? どれ?」
「ガア、ガアガア」
「これ? へんなすぷーん、つかう?」
「ギイ!」
「こな、どれくらい?」
「ギギギ、ギイ」
「これくらい? わかった」
「ガア。ガアガ、ガアガガ」
「あと、えきたい? これだね?」
「ギイ。ギギギ、ギイギギ」
「それで、ぼたんおす。わかった」
「ガアガアガ、ガアガガ。ガガガ、ガガガ」
「おわる、おとなる。つぎの、さぎょう。わかった」
ギイとガアが、特別な個体だと思えるのは、知能と順応性の高さだろう。
如何に知能が高かろうと、森で暮らしてきた種族を、人間の家に押し込めれば、ストレスを溜めてやつれるか逃げ出すか、何れかの行動を取るだろう。
だが、ギイとガアは違う。
人間の生活に慣れ、人間が使う道具を覚えた。こんな事が、そう簡単に出来るはずがない。
驚いたのは、それだけではない。
ギイとガアは、やり方だけを真似ている訳ではない。恐らく、理由も理解している。
機械の使い方がわからなくても、掃く拭く位ならクミルでも出来る。だが、ギイ達は言う。隅をちゃんと掃かないと駄目だと。
教えたのは、村長の妻みのりだと聞いている。彼女の教え方が、良かったのだろう。そして、彼女の指導を理解したギイとガアも、相当に優秀だ。
最早、人間と変わりがない。
昨日、彼らと再会してから、常識を覆される事ばかりだった。
ゴブリンが害獣として忌み嫌われるのは、彼らを理解していなかったからなのだろう。もしかしたら、他のゴブリンにも知能の高い個体が居たかもしれない。
互いに理解さえすれば、争う事は無かったのかもしれない。
ギイとガアの後に続き、廊下を歩くクミルは、思考に耽り始めた。そして、自分でも気が付かない内に、立ち止まっていた。
思考を続けるクミルは、結論を覆す様に頭を振る。
いや、ゴブリンは排他的な種族だ。
もし彼らを理解し、適切な距離を保ったとしても、ここまで良好な関係を築く事は不可能だ。
年に数回は、罠にかかって死ぬゴブリンが見つかる。
彼らにとって、人間が育てる作物と、森の恵みに違いはない。だから、罠が有るとわかっていても、作物を盗みに来る。
そして、罠を仕掛ける人間を、脅威に感じるのだろう。
ギイとガアから感じるのは、それらの個体とは違う感覚だ。
「そうやって、考え込むのは、あんたの癖かい?」
「あぁ、いえ。さくらさん」
「構わないよ。ゆっくりやればいい」
さくらに声をかけられ、クミルは考え込んでいる事に気が付いた。そして、さくらの裾を掴んでいる、ギイとガアが居る事にも。
さくらは、自室に居ると聞いていた。恐らくギイ達が連れて来たのだろう。立ち止まり、ぼうっとしている自分を心配して。
この行動こそが、自分の知識に有るゴブリンと、ギイ達の違いだ。
「ありがとう。ぎい、があ」
この日、ギイ達を見る、クミルの目線が変わった。
知能の高い二匹のゴブリンから、ギイとガアへ。種の一つから、個へ。
それは、大きな一歩なのだろう。
☆ ☆ ☆
一方この日、孝則と佐川は早朝から、役場に詰めていた。そして、取材班への対応を、再確認していた。
また幸三と洋二は山に入り、安全確認をしていた。
信川村は、世間に公表し辛い秘密を、抱える事になった。しかし、この日だけ乗り越えれば、さくらが対策を講じるはず。
取材の日程がずれる事だけは、何としても避けたい。それ故の、念入りな準備である。
朝食の時間が訪れる頃には、幸三から孝則へ安全との連絡が入る。孝則と佐川の朝食を届けたみのりを含め、一同を安堵させる。
しかし、その安堵は直ぐに苛立ちと不安に変わる。
到着予定時間に合わせ、取材班を持て成す為の食事を、みのりが準備している。
既に洋二は、役場で煙草を吹かしている。幸三は、太郎と三郎の力を借り、未だ山の散策を続けている。
取材班の到着を待ち、粛々と準備が進む。しかし告げられていた、到着予定時間が過ぎる。
「村長。一時間も過ぎても来ないけど、中止にでもなりました?」
「佐川が連絡してるけど、出ねぇんだ。もう少し待て、洋二」
「事故にでも遭ってなければ、いいんですけど」
「みのり、余り気にするな。悪いが、準備を進めてくれ」
「はい」
村に続く道は、酷く見通しが悪い。
信川村を訪れる者は、数が限られている。それでも、年に数回は事故が起きる。連絡が取れない事で、懸念を抱くのも仕方が無い。
しかし、遅れの原因は別にあった。
☆ ☆ ☆
曲がりくねった峠の道端に、大型の車が一台停まっていた。
車の陰では、若い女性がしゃがみ込んで、嘔吐いている。その背中を、別の女性が擦っている。傍らでは、サングラスをした三十前後の男性と、二十前後の男性が、煙草を燻らせていた。
「関さん。携帯が鳴ってますけど、出なくていいんすか?」
「いいんだよ。どうせ会社からだろ?」
「時間、だいぶ過ぎちゃいましたね」
「ジジイ共なんて、待たしとけばいいんだよ! それより!」
鳴り続けるスマートフォンを無視して、サングラスの男は嘔吐く若い女性に近づく。そして、苛立ちを隠そうともせず、女性に煙草の煙を吹きかけると、怒鳴り散らした。
「おたくさぁ、それでもアイドル? げーげー吐くって、どんなんだよ! 乗りもん駄目なら、酔い止め位は飲んで来いよ! おたくのせいで、一時間も押してんだよ! どう責任取んだよ!」
「すみません。うちのタレントが」
「あのさぁ、マネージャーさん? 糞みてぇな企画だからって、ド新人連れてくんなよ!」
「まぁ関さん、その位で。取り敢えず、先方には連絡しておくんで。落ち着いたら、出発しましょう」
「はぁ、ひろし。会社にも連絡入れとけ! マネージャーさん、正式にクレーム入れさせてもらいますよ!」
ひろしと呼ばれた男は、車に乗り込むと連絡を取り始める。
そしてひろしが車に入ってから、十分ほど経過した頃、関と呼ばれたサングラスの男は、外で休憩していた他のスタッフを連れて、車に入っていった。
「ひろし、連絡は?」
「両方オーケーっす」
「それよりお前等、聞け!」
関は、二名を自分に近づけると、ひそひそ声で話し始める。
「お前等も、聞いただろ? この村の噂」
「姥捨て山だとか、忘れ去られた村とか、地図に載ってない村とかっすか?」
「そうだ。地図の話しは、ただのデマだ。それと姥捨て山ってのは、ジジババしかいない、限界集落ってとこだろ? でもよ、そういう閉鎖された場所ってのは、何かしら有るんだよ!」
「何かしらって? このロケは、山菜採り名人の取材でしょ? 幽霊でも出るんですか?」
「馬鹿! お前この業界、何年やってんだよ!」
疑問を投げかけたスタッフの頭を叩き、関は威圧する様に周囲を見る。再び声を潜めて話し始めた。
「ロケってのは、臨機応変に対応すんだよ! いいか? どんな小さな事でも、見逃すなよ! 素材なんて、そこら中に転がってんだろからな。俺の指示を無しでも、カメラを回せ! それと、限界集落のジジババ共は、用心深いからな。絶対、勘づかれない様にしろ!」
「あ~、関さんがこのロケに来たがった理由、ようやくわかったっすよ!」
「でも、関さん。そう上手く、ネタなんて転がってるんすかね?」
「山口ぃ。閉鎖的で、妙な村には違いないだろ? そんな場所なら、掘れば出て来んだよ! それに最悪、無ければ作れ!」
「わかりました」
「それとな、朗報だ。宮川グループって知ってんだろ? あそこの元会長が、あの村に住んでる。叩けば誇りは出るんだぜ。隠し財産やら、グループ内のお家騒動とかな」
「関さん。それを作り出せって言うんでしょ?」
「そうだ」
関に対し、ひろしはニヤリと下卑た笑みを浮かべる。山口と呼ばれた男は、首を縦に振る。それに満足したのか、関は再び煙草に火を付ける。
少しすると、タレントと思われる若い女性と、そのマネージャーと思われる女性が車に乗り込んでくる。
そして、マネージャーの女性は、関の前まで近づくと、深々と頭を下げた。
「ご迷惑をおかけして、すみませんでした」
「体調はぁ? もういいのぉ?」
「はい」
「今回は多めに見ますけどぉ、二度と無い様にしてくれます?」
「わかってます」
「ほんと、だいじょぶなの? 食レポも有るんだよ!」
「それまで、体調を戻させます」
「あのさぁ。着いた時にその子が駄目ならぁ、マネージャーさんに変わりをやってもらうんでぇ。シクヨロ!」
「え? それは!」
「それは、じゃねぇんだよ! わざわざマネージャーさんがついて来る位だからぁ、使えるのかと思ったら真逆じゃない?」
関は、投げやりな態度で、マネージャーの女性に対応する。そして、さも面倒そうに会話を終わらせようと、関はひろしに視線を向ける。
ひろしは軽く頷くと、運転席に移る。
マネージャーの女性に慰められながら、タレントの女性が席に座る。関は、その二名に煙草の煙を吹きかける。
険悪な雰囲気を漂わせ、車は走り出す。信川村に、悪意が忍び寄ろうとしていた。
ギイとガアは、可愛いですか?
もし、可愛いと思ってくれたら、幸いです。
関は、ムカつきますか?
ムカつく方は、平常な感性ですね。
事態は、急速に進展します。
次回もお楽しみに!




