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信川村の奇跡  作者: 東郷 珠(サークル珠道)
三章 積み上げる信頼
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散策と発見

ギイとガアは、可愛いだけじゃ無いんです。

 玄関から一歩外に足を踏み出すだけで、夏の日差しが容赦なく照り付ける。

 さくらとみのりは、一瞬クラリとする。朝でも、年寄りには堪える暑さである。家の中に引き返そうとさえ思わせる。

 しかし、引き返す訳にはいかない。ちびっ子達が、はしゃいでいるのだ。


「あんまり先にいくんじゃないよ」


 さくらの声は、ギイ達に届いているのだろう。しかしこの時、ギイ達は外に出られた嬉しさで、舞い上がっていた。


 普段なら、敏いガアがさくらの言葉に反応し、ギイを窘めてもおかしくはない。

 だが、ガアもギイと一緒になって、飛び跳ねている。


 両手を大きく広げて、新鮮な空気を取り込んだかと思えば、ダンダンと足を踏みしめ、大地の感触を確かめる。

 照り付ける日差しを手で覆い隠しながら、顔を見合わせて笑ったかと思えば、庭をぐるぐると走り回る。

 

「嬉しそうですね」

「ああやって見ると、子供なんだって安心するよ」

「いつもは、大人しく言う事を聞きますからね」

「そうだね。あたしが言うのも何だけどさ、あの子達はもっと我儘を言っていい」

「そうですか? 私は、甘えん坊に見えますよ」

「そうかい?」

「だって、寝る時はいつも、姉さんにくっついてるじゃないですか」 


 さくらとみのりは、話しをしながら、ゆっくりと一歩ずつ歩く。そういう年齢だ。

 そして少し曲がった腰が告げている。お前は走れない、咄嗟の時でも素早く動く事は出来ないと。


 一方ギイとガアは、待つ退屈さなど感じていないのだろう。走り回り、飛び跳ねて楽しんでいれば、時間の感覚など頭から消え去る。


 どれだけ子供らしいと思える行動をしても、ギイ達が賢く物分かりが良い事には変わりがない。

 ギイ達は、さくらが庭先に来るまで、決して道へ飛び出そうとはしない。

 さくらとみのりが庭先に辿り着き、道へと足を踏み出すと、ギイ達は喜び勇んでさくらを追いこす。

 

「ほら、どこに行くんだい! そっちじゃないよ、こっちだ」


 さくらは外に行くと言っただけで、目的地を告げていない。その為ギイ達は、山へ向かうと考えたのだろう。そして、山の方面に走り出した。

 しかし、今日の目的地はそこではなかった。


 ギイ達は、反対方向へ向かうさくらを追いかけて、直ぐに追い抜く。

 暫く走ると立ち止まり、大地の感触を確かめる様に、足を踏みしめる。そして、さくらの下へと走って来る。

 ゆっくりと歩くさくら達の周りを、ぐるぐると回ったかと思えば、再び進行方向に向かって走り、また戻って来る。


「ちっとは、落ち着きな! 疲れちまうよ!」

「ギャギャギャ、ギギ!」

「ガガガ。ガガガガガ」

「あんたらが元気なのはわかったよ。でも、言う事をお聞き! 疲れて倒れても、おぶってやれないんだからね」

「ギイ」

「ガア」


 みのりは、さくらとギイ達のやり取りを見て、ふと感じた。

 彼らにとって、さくらは親代わりとなっている。


 ギイ達は、みのりの言う事をちゃんと聞く。教えた事は、実践しようと頑張る。

 一方さくらは、常に彼らを褒めている訳ではない。叱る事は、みのりより多い。それでも彼らは、さくらと一緒に居たがる。


 何よりも、互いに言葉を理解していないはず。それなのに、傍から聞いていると、会話が成立している様にも感じる。


「あの子らの表情を見れば、何となく言いたい事がわかる」

 

 さくらは、そう語る。

 しかし、二週間やそこらで、そう言える程、心を通わせたのだろうか?

 それはさくらだけに言える事ではない。ギイ達にも同様の事を感じる。


 恐らく、互いに理解をしようと努力をしたのだ。その結果、纏う雰囲気や表情から、意図を察する事が出来る様になっていったのだろう。

 それは、完全な理解とは、程遠いだろう。

 それでも、言葉の通じない者同士が意志を通わせる。これは、努力で勝ち得た奇跡なのだろう。

 

「もしかして姉さん。うちの畑に向かってます?」

「あぁ。郷善は何かと面倒だし、正一の所はライカが手伝ってるから、手は足りてるだろうしね」

「先生が不在の間、この子達にうちの畑を手伝わせるんですか?」

「まだわからないよ。この子らが、孝道を気に入ればの話しさ」 


 動き回るのを止めさせる為、さくらがギイ、みのりがガアの手を握る。そしてさくらとみのりは、話しながらゆっくりと歩く。

 それでもギイ達の興奮は治まらない。物珍しそうにキョロキョロと辺りを見回し、ぎゃあぎゃあと騒ぐ。


 さくらの家から田舎道を挟んだ先は、休耕地になっている。

 田舎道を山方面に向かえば、直ぐにヘンゲル家が見えてくる。そこから更に歩くと、三堂家が有る。更にその先に有る川を超えると、山瀬家や三島家が見えてくる。

 

 今、さくら達が向かっている方角は、旧市街地方面である。各家はそこそこ離れているが、さくらの家から順に、三笠家、鮎川家、桑山家と並んでいる。

 また、三堂家、鮎川家、桑山家の前には、大きな耕作地が広がる。

 

 自分の土地を持たないヘンゲル夫妻は、移動の距離の少ない三堂家の畑を手伝い。三笠は、鮎川家や桑間家の畑を手伝っている。

 因みに佐川と江藤は、役場近くの建物を改装して住んでいる


 既に、孝道が汗水垂らしている頃だろう。

 さくらは、ギイ達に村に何が有るかを説明しながら、鮎川家の畑に向かう。

 そしてギイ達は、時々さくらの話しに頷くも、繋いだ手をブンブンと振り、楽しそうに辺りを見回しながら歩く。


「ギイちゃん、ガアちゃん。姉さんの話しも聞きなさいね」

「ギイギギギギ」

「ガア」

「別にいいんだよ、みのり。この子らは、耳から入る音を聞き分けてるからね」

「だから、イントネーションを真似るんですか?」

「そうだよ。多分、この子らは話してるんだよ、ちゃんとね。まだ、日本語を理解しきれてないだけだよ。それに」

「それに?」

「発音だけは、どうしようも無いだろ? それは、強制出来るもんじゃないさ」

「そうですね」


 耳から入る音を、ギイ達は聞き分ける。何度も繰り返せば、日本語がわかる様になる。 

 伝わらなくてもいい。話しかける事が、今は大切だ。


 しかし、どれだけ賢くても、ギイ達は人間じゃない。

 声帯が変わる位の奇跡が起きなければ、物理的に人の言葉を話すのは不可能だろう。


 それは、少し寂しい事ではある。ただそれが、コミュニケーション不足の原因にはならないはずだ。

 もし現時点で、ギイとのコミュニケーション能力に不足が有るとすれば、原因は関わる人間が少ない事だ。

 住人が僅かなこの村でさえ、色々なタイプの人間が暮らす。多くの人間と触れ合う事で、さくらでは与えられない知識や経験を得られるだろう。


 但し、人間に慣れ始めたばかりのギイ達が、構えずに居られる相手は多く無い。故にさくらは、三人目のコミュニケーション相手に、面識の有る孝道を選んだ。


 休耕地を過ぎる頃、郷善が管理する畑が見えてくる。

 作物を育てる光景すら、物珍しいのだろう。幾つかの作物の内、一際目立つ赤を刺し、ギイ達はさくらに話しかける。


「ガガ、ガアガ?」

「ギイギ?」

「それはトマトだね。今朝食べた赤いやつ、あれがトマトだよ」

「ガガガ?」

「そうだよ。トマト、あんたは切った物しか見てないだろ?」

「ギギ、ギギイギギ」

「別にわからなくてもいいさ。あんたらは、これから知ればいい」

 

 ギイ達は、ここで作られた作物を、日々口にしている。所謂、地産地消だ。

 ただし、彼らが目にして来たのは、調理された物でしかない。地産地消ならばこそ、どうやって作られているのかを、教えてやれる機会が有る。


 ギイ達の問いかけに答えながら、一行は郷善の畑を通り過ぎる。やがて、鮎川家の畑が見えてくる。

 孝道一人で作業をするには広すぎる畑に、収穫期を迎えたきゅうりやトマト等が実りをつける。そして、畑をじっと観察しながら歩くと、孝道が暑さに耐えながら収穫している姿が見つかる。


「どうだい? 凄いだろ? これは、孝道が頑張って育てたんだ。こうやって、育てた物をあんたらは口にしてるんだ。だから、感謝は忘れちゃいけないよ」 


 目を覆い尽くす様に広がる畑、そして見るからに生き生きとし、収穫を待つ作物の数々。それだけでも、目を引く光景だろう。

 だが、一番ギイ達の心に届いたのは、孝道の働く姿であろう。


 賢いギイ達の事だ、それがどれだけ大変な事かは、察する事が出来ただろう。

 これまではしゃいでいたのが嘘の様に、ギイ達は呆然として孝道の作業を見つめていた。


 暫くすると、孝道がこちらに気が付いたのか、作業を中断して近づいて来る。


「さくらさんに、お袋! ガキ共を連れて、何の用だ?」

「あんたの畑を、この子らに見せたくて、連れて来たんだよ」

「畑? 見るのは構わないけど、邪魔だけはするなよ! 悪いけど、忙しいんだ」

「孝道! 姉さんに向かって、その口の聞き方は失礼ですよ!」

「みのり、いいんだよ。邪魔したあたしらが悪い」

「でも……」

「はぁ、お袋。暇なら、手伝ってくれよ。収穫が終わらねぇ」


 手伝う。その言葉に反応したのは、孝道に言われたみのり本人ではなかった。

 それまで、呆然と立ち尽くしていたギイとガアが、孝道へと歩み寄ったのだ。


「なんだ? お前等、手伝うのか? やる気があるのか?」


 ぶっきらぼうに言い放たれる孝道の言葉に、ギイとガアはコクコクと頷いた。


 何が、ギイ達をそうさせたのかは、さくら達にもわからない。

 この世界に来てから、ギイとガアは食事を与えられる生活をして来た。食事を作るのは、さくらかみのりだ。一緒に生活していれば、それ位の事は理解が出来る。

 ただ、その食事の元となる物が、どこから来たのかは、今知ったのだろう。


 しかし、山で生活していたなら、自分達の食い扶持は、自分達で探すのが当然だと思っていても不思議ではない。

 それならば、自らの食い扶持を確保する為に、行動してもおかしくはない。


 孝道は品定めでもする様に、ギイとガアをじっと見つめる。

 信川村の中では、若い部類に入る孝道でさえ、七十歳なのだ。人生経験の浅い若者とは違い、他者を見る目は持っている。

 

 あの夜、初めて見た時のギイ達は、ただ怯えるだけであった。そして孝道は、さくらに叱られた。

 だが態度を改めるのは、簡単な事ではない。孝道に異物を見るつもりが無くとも、彼らにどう映っているかは定かではない。

 それに彼ら自身、男の人間に慣れていないのだろう。体が強張っているのが見て取れる。


 しかし、今の彼らはあの夜とは違う。少なくともその目は、真っすぐ孝道を見据えている。

 孝道自身、ギイ達にどう接していいかわからない。それでも、その真っすぐな瞳から、目を背ける事は出来ない。

 孝道は大きく息を吐くと、少し上空を見つめる。その後ゆっくりと、ギイ達に視線を戻す。そして腰を屈めると、静かに片手を差し出す。


「わかった。簡単な事から始めよう。改めて自己紹介だ。俺は桑山孝道、よろしくな」


 作り笑顔が苦手なのは、己が一番わかっている。それでも孝道は、笑顔を作った。それは、ギイ達の緊張を和らげていく。

 腰を屈めた孝道は、そのままの姿勢で言葉を続ける。


「どうした? こういう時は、握手だろ?」


 ギイ達は、孝道の言葉どころか、行動の意味を理解していない。

 それを察したみのりが、ギイ達に声をかけようとする。しかしみのりは、声をかける前に、さくらに止められた。


 ここは、自分達の出番ではない。それに、案ずることはない。

 孝道は、村の中で一番紳士的な男だ。ギイとガアは、必ず孝道の意図に気が付く。 


 孝道は屈めた姿勢を保ち、ギイ達の反応を待つ。ギイ達はじっと見つめた後、おずおずとその手を掴む。

 そして、ギイ達の農業体験が始まった。

一歩を踏み出す勇気、それは賞賛に値します。

他の人には当たり前でも、当人には当たり前じゃない事だって有るんです。


価値観の共有、行動理念の共有、それが出来れば、相手をより深く理解する事でしょう。

それが行えるのは、思いやりという心なのでしょう。


外見だけで判断する、憶測だけで相手の人格を決めつける。

何て、寂しい事でしょう。


皆さんは、どうですか?

私は、まだまだです。


精進あるのみ。


次回もお楽しみに!



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