外出の判断
見知らぬ他人が一緒に暮らすには、互いの努力が必要です。
ましてや、ギイとガアはペットでは有りませんから。
さくらは、人間の暮らしを教えた上で、ギイとガアを屋外に出すと決めていた。
これは偏に、彼らの安全を優先したからである。
人の暮らしを知る事で、生活環境に適応させる。これは、共に暮らす上で重要な事である。
しかし彼らは、人間と違う体組織を持っている可能性が有る。
例えば、彼らの肌は褐色である。それは、森の中で身を隠す為だけなのだろうか?
また、環境の適応能力はどれ位あるのか? 彼らにとって、有害な食べ物は存在するのか? 人間と同じく、免疫システムは存在するのか?
どんな存在なのかを知らなければ、体調の変化が生じても対応は出来ない。
それ以前に、人と共に暮らす事は物理的に難しい。
例えば彼らの肌は、僅かな光しか届かない森の中で、光を吸収しやすくする役割を果たしている。
同時に、メラニン色素と似た働きをしているのだろう。余計なダメージを体内に与えず、皮膚上でビタミンDを促している。
そして彼らは、人間と同じく汗をかいて、体温を調節する。
また、彼らの生態に関しても、確認する必要があろう。
裸で生活するのが当たり前であった彼らに、さくらは服を着せている。当然、これが正しい行為なのかも、知る必要が有る。
最初に彼らが着たのは、通気性の良い甚平である。特に嫌がる様子は無かった。それ以降、色々な服を着せてみた。服は嫌がらずに着た。
しかし、下着と靴下の着用は嫌がった。締め付ける感覚に、慣れないのだろう。ただ、時間の経過と共に、下着の着用は嫌がらなくなった。
しかし靴下は、頑として履こうとしなかった。庭に出した時には、靴どころかサンダルを履く事すら嫌がった。
例えば動物の中でも象は、足の裏から伝わる刺激で、遠く離れた場所の音を感知する。ギイ達の種族にとっても、素足で足場を確かめる事は、重要なのだろうか?
そう考えたさくらは、敢えて強制はしなかった。
これは、シャワー等で体を清潔に保つ可否についても、同様の事が言える。
もし彼らの汗が、カバの様に殺菌効果を含んでいれば、それを洗い流すのは返って逆効果と言えよう。
それらの事を調査する以外に、彼ら自身が他に与える影響も、調べねばならない。
検査の結果で、既存の感染症に関しては、心配ないと判断が出来た。
しかし、感染症の可能性が、ゼロになった訳ではない。この世界に存在しない、病原体を保持している可能性が有る。
ギイとガアが、未知の病原体を保持していたと仮定しよう。
この場合、ギイとガアを隔離すれば、接触や飛沫からの感染を防げるだろう。しかし、ギイとガアに接触したのは、一人や二人ではない。
先ずは、さくらと桑村家の四名、それに加えて山瀬幸三、三島洋二、クミル、そして山瀬幸三の飼い犬である太郎と三郎。これらは、ギイとガアに直接接触している。
それ以外に、人的感染を考えるならば、間接的な接触者も考慮すべきだろう。
山瀬幸三の妻である山瀬隆子や、クミルに言葉を教えた三笠英二、村長の桑山孝則と一緒に執務を行う助役の佐川田助が、それにあたる。
仮に未知の病原体を保持していたとしても、住人達の感染リスクは、必ずしも高いとは言いきれまい。
感染リスクが高いのは、寝食を共にしたさくらとみのり、この両名くらいであろう。これは所謂、万が一の可能性を鑑みての措置である。
「あのねぇ。あたしらは、不思議な力で日本に戻って来たんだよ。もし、この子らがそんな病原菌を持っていたとしても、消えて無くなっているはずだよ。そんな事よりも先に、この子達の心配をしな! 大変なのは、あたしらじゃなくて、この子達なんだよ!」
医師の貞江に対して、真顔で言ってのける位なのだから、さくらは万が一など疑ってさえいない。かと言って、リスクヘッジを怠っているのか? 否、寧ろギイ達と生活する事自体が、リスクヘッジとなっている。
さくらは自らが検体、また観察者となる覚悟で、ギイ達と暮らしている。そして生活の中で、色々な試みを行った。
食事を共にする事で、直接感染の可能性を計る。また、様々な食材と調理方で、彼らの食事による体調変化を計った。
常に行動を共にする事で、飛沫や空気感染の可能性を計る。また、屋内外での発汗の違いを確かめたり、住環境へのストレスを計った。
家庭菜園の世話をさせ、土壌感染の可能性を計る。土を弄って汚れた後は、シャワーを浴びさせて、体調の変化を確認した。
他にも、考え得る感染の可能性を試し、彼ら自身の環境適応能力を計った。
ギイ達との生活が始まって一週間を経過しても、さくらの体調に変化は起こらなかった。彼らを引き取って以来、生活を共にしていた、みのりも同様であった。
そしてギイとガアも、特に体調の変化は見られなかった。
「これで、あたしの言った事が証明されたろ?」
「流石ね、姉さん」
「あのさぁ、みのり。あんたも付き合う事はなかったんだよ」
「姉さんと一緒に過ごすのは、とっても懐かしいし、楽しいですよ。あの子達も可愛いし」
「あんたも、村の連中も、お人好し過ぎるんだよ」
「家の家事を変わってくれた、華子さんと園子さんにも感謝しなくちゃ」
「そうだね。今のあたしらは、引き籠ってただ飯を食らう、ろくでなしだからね」
照れ隠しの様に嘯くさくらに、みのりは笑顔を向ける。
みのりは、桑山家の家事を鮎川華子、三堂園子の両名に頼み、さくらと共にギイ達の世話をしていた。
また、常に語る言葉通り、さくらはギイ達を、客として扱うつもりは無かった。
「働かなきゃ、ご飯は食べられないんだよ」
みのりが家事を率先してくれる。そしてみのりは、さくらに習い、殊更丁寧を心がけ、簡単なものから少しずつ、ギイ達に手伝いをさせる。
ギイとガアを始め、みのりと自身の体調推移、それと詳細な観察結果を、さくらが記録する。
さくらは、考え得る限りの可能性を試して、検討を重ねた。二週間を経過する頃には、観察記録の必要が無くなっていた。
一方ギイとガアは、人間の生活に慣れていく。
洗濯機を扱える様になった、洗った洗濯物を干せる様になった、掃除の仕方を覚えた、箸を使える様になった。
出来る様になれば、褒められる。達成感と共に、少しずつ笑顔が増えていった。
その笑顔と反比例する様に、ふとした瞬間に窓辺に立って、外を眺めている事が増えていた。
心の拠り所を見つけたのだろう、流石に手を繋いでいる事は、少なくなった。それでも、屋内だけで生活させるのは、限界に近づいていたのだろう。
人間でも、慣れない生活で自覚が無いまま、ストレスを溜める事が有る。望んで引き籠っていても、家から一歩も外に出ない事で、ストレスを溜める可能性が有る。
彼らと人間の精神構造は、然程変わりが有るとは思えない。そして行動を見れば、簡単に推測が出来る。
ギイとガアは、外に出たいと望んでいる。
ギイ達がこの村に来てから、二週間が経過し、本格的な夏が訪れた。
朝食を終え、居間でデータの再確認していたさくらは、満足気に頷くとノートPCを閉じる。そして、口角を少し釣り上げて、老眼鏡を外す。
「ギイ、ガア。こっちにおいで」
さくらの声に反応し、タタタと音を立てて、ギイとガアが居間に入って来る。掃除をしていたみのりも、ギイ達に続いて居間へと姿を現した。
「今日は、外に行くよ」
「ギギ?」
「ガガ?」
「そう、外だよ」
「ギャア、ギャア、ギャア!」
「ギイ。ガガア、ガガガアア!」
「ふふっ。よかったわね」
「ギギ、ギャア!」
「ガア、ガガア」
子供らしく飛び跳ねるギイに対し、ガアは顔を綻ばせながらも、ギイを大人しくさせようとする。
さくらとみのりの会話を聞いて、真似るのだろう。意味までは理解してないだろうが、イントネーションは、日本語に近づいている。
実際に人間と同じ食事をし、家事の手伝いをする。一緒に生活をしていて、特に違和感を感じない。違う言葉を話し、姿が異なるだけで、人間と変わらないのでは無かろうか? ギイ達を見ると、そんな錯覚さえ感じさせられる。
「ギイ、ガア。はしゃぐのは、その位にしておきな。行くよ!」
さくらが、ゆっくり立ち上がろうとする。
何度も見て理解したのだろう、老齢故にさくらの足腰は弱っている。さくらが立ち上がる際、ギイ達は必ず支える。
毎度の事であっても、さくらはありがとうの一言と、笑顔を忘れる事はない。
ありがとうを言われる度、笑顔を向けられる度に、ギイ達は嬉しそうに顔を綻ばせる。
さくらとみのりは、日除け用の深いつばの有る帽子をかぶり、水筒の入ったリュックを背負う。
逸る気持ちを抑えきれないのか、ギイ達は跳ねる様に玄関へ向かう。そして、玄関を開ける様にせがむ。
そんなギイ達の様子に、さくらとみのりは顔を見合わせて、すこし声を上げて笑った。
玄関を開けると、ギイ達は庭と道の境まで走り、ぴょんぴょんと飛び跳ねる。
夏の強い日差しも、お構いなし。そんな子供らしい、元気な姿であった。
本エピソードは、下書きには有りません。
書いている内に、必要だと感じて追加しました。
なので、書くのに凄く時間がかかりました。
だからなんやねん!
まあね、そんな物ですよ。
努力をひけらかすのは、愚かの極み。
そして、愚か者代表、東郷珠!
そんなバカですが、頑張ってます。
是非、応援の程、よろしくお願いいたします。
次回もお楽しみに!




