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信川村の奇跡  作者: 東郷 珠(サークル珠道)
三章 積み上げる信頼
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教え教えられ

一晩明けて、翌日です。

「わ、わた、わたしの、なは、く、くみる。くみると、いいます」

「そうか! 君は、クミルというのだな? クミル、私の名前は覚えているか?」

「※※※※※※。せんせい?」

「あぁ、そうか。貞江がそう呼ぶから、覚えてしまったんだな? それでも構わんか。でもなクミル。せんせいは、あだ名だ」

「あ、だ、な?」

「そう、あだ名。仮の名前だ」

「みかさ、えいじ?」

「そうだ、君は賢いな! それが私の名前だ」


 青年はたどたどしく、覚えたての言葉で、自らの名を告げる。たった一日で、青年は自分の名前を言える程に、日本語を習得した。

 昨日は、発音すらままならなかったのだ、どれだけの進歩かわかるだろうか?


 クミルは、三笠が診療所を訪れなり、覚えたての日本語で、質問を浴びせる。三笠は、ゆっくりと丁寧に回答する。

 説明に含まれる言葉の意味が、わからない時も有る。その場合クミルは、三笠の話しを中断させてでも、直ぐに質問をする。

 そして三笠は、変わらずゆっくりと丁寧に、また身振りを交えて、言葉の意味を説明をする。時には、体を使って示す事で、理解を促す。


 理解をすると、クミルは嬉しそうな笑顔を見せる。

 熱心な教え子が出来たのだ、三笠にとっても、クミルと会うのが楽しみになっていた。


 三笠が日本語を教える目的は、この世界に来た方法と、帰る方法、この二点を知る為である。

 しかし三笠は、クミルから無理に聞き出そうとしなかった。


 余程の事が有ったのは、さくらの話しからも想像できる。ただでさえ環境が変わったのだ、これ以上余計なストレスを与える必要は無い。

 必ず、話してくれる時が来る、それを待てばいい。


 三笠は会話を交えて、身の回りの事を中心に日本語を教えた。

 クミルは、病院の施設を理解し、自由に動き回れる様になった。空調の操作方法を知り、窓ガラスの存在を知り、自動ドアの仕組みを知った。

 

 クミルは、海綿が水を吸うように、知識を吸収していく。教師としては、教え甲斐が有るというものだ。

 

 また、神の力ではなく、技術だと知ったクミルは、興味深く三笠の話しを聞いた。その意味では、施設の中は、クミルにとって宝箱の様な場所であろう。


 ふかふかのベッドもさることながら、機械という真新しい出会いに囲まれている。

 ちゃんと知れば、恐れる必要が無い。ベットの近くに置いてある医療器具も、自分を治療する為だとわかれば、安心できる。


 しかし、そんなクミルを驚かせたのは、ウォシュレットであろう。


「※※※※※※!」


 初めて体験した時には、思わず母国語で叫び声を上げた。


 一応の説明は、三笠から受けていた。しかし、半分も理解出来なかった。日本語を学んでいる最中なのだ、それは仕方が無かろう。

 三笠は、実際に体験した方が早いと考え、クミルに試させたのだ。


「せんせい、みず! たすけ、※※※※※※!」

「落ち着け、クミル! いいか! 一番先のボタンを押せ! 赤色のボタンだ! ボタンはわかるか?」

「ボタン? あか?」

「そうだ、右手に有る。わかるか?」

「はい、ある、ます」

「よし、それを押せ!」

「せんせい! みず、みず?」

「良いんだ。それで正解だ! 後は、トイレットペーパーで、尻を拭いて出て来なさい」

「ぺいぱ? しろ? これ?」

「そうだ、さっき教えた様に、それで尻の水気を取るんだ」


 ドア越しにカラカラという音が聞こえる。その後、暫くしてから、ジャーという音が聞こえて来た。

 教えた通りの事が出来たのだろう。


 貞江は医師だ、他人の排泄物を見る事も、仕事の内であろう。

 だが、クミルは子供ではない。他人に見られながらの排便は、気恥ずかしいどころか、嫌だと感じるのではなかろうか。

 故に三笠は、トイレの使い方を教えた。


「ごい。ごい、です」

「すごい、と言いたいのか?」

「そう、すごい」 

「そうか。これで、一人でトイレが使えるな?」

「……? ああ、そう。いける、くみる、わたし、ひとり、といれ、いける」


 まるで宝物を発見した風に、輝いた表情を浮かべて、クミルはトイレから出て来る。

 そして、三笠の問いかけに、少し首を傾げながらも、たどたどしく答えた。


 そんな二人のやり取りを、背後から眺めていた貞江は、吹き出す様に笑い始める。

 貞江に釣られて、クミルも笑う。

 

 三笠はクミルと接して、人柄の片鱗を知り、誠実な男だと理解した。

 また、真面目な性格に加え、努力家でもあるのだろう。更に言えば、勇敢な青年だ。


 言葉も通じぬ、見知らぬ他人を受けれ入れるのは、誰もが出来る事ではない。

 それが、たった一日ほど一緒に居ただけで、笑い合う事が出来る。こんなに素晴らしい事が、有るだろうか?

 三笠は、その光景を愛おしいと感じていた。


 ☆ ☆ ☆


 一方さくらの家では、親ガモを追う子ガモの様に、ギイとガアがさくらの後ろを、着いて回っていた。

 昨日の会議で、住民達から一定の理解を得た。

 しかしさくらは、直ぐにギイ達を、屋外に出すつもりはなかった。


 屋内外問わず、至る所に危険が有る。ある程度の事は、教えないとならない。

 クミルは、人間だ。自分の持つ知識と、新たな知識を擦り合わせる事で、ある程度は順応する事が出来るだろう。


 しかし、ギイとガアは違う。

 人間にとって日常的な事でも、ギイ達にとっての日常ではない。

 見て真似るからといって、放置していいはずがない。正しい知識を教えて、経験を積ませなければ、危険を伴う事も有る。


 この日、台所へ立つさくらを、ギイとガアは見ていた。自分達にも出来ると考えたのだろう。

 ぴょんぴょんと飛び跳ねて、洗い物を手伝いたいと、さくらにアピールする。


 それだけなら、まだいい。

 ガス台や、包丁を触ろうともした。これは、正しい知識が無ければ、怪我では済まない。


 その様子を見たさくらは、敢えて包丁で、指先を少し切って見せた。

 直ぐに指先から、血が流れる。それを見たギイとガアは、顔を青ざめさせる。


「わかるかい? 危ないんだよ。無理しなくていい、ゆっくりと覚えればいい。これは、あんた達には、まだ早い」


 さくらは包丁を片付けると、居間にギイとガアを連れて行き、絆創膏を取り出す。そして、絆創膏を指に張ると所までを見せる。


「わかるかい? 小さい怪我なら、これで血が止まるんだよ」


 一連の行動を見て、ギイ達は理解したのだろう。コクコクと小さな頭を上下に動かした。

 そんなギイ達の頭を、さくらは優しく撫でる。


「いいかい。ゆっくりと、覚えなさい。焦る必要はない。ゆっくりでいい。正しい知識を身につけなさい」

「ギャッギャギャ?」

「そうだよ、ゆっくりだよ」

「ガアガア、ガガガ?」

「そうだよ、正しい知識だよ」


 流石に、言葉を真似は出来ないのだろう。また、言葉の意味を半分も理解しているか、定かではない。

 しかしギイ達は、さくらのイントネーションを真似る。


 またギイとガアは、食事の際に箸を使おうと頑張った。

 箸を握って、おかずを刺す。それ位なら出来た。しかしさくらの様に、上手くは使えない。ギイ達は、少し悔しそうな表情を浮かべる。

 そんなギイ達を、さくらは頭を撫でて褒めた。


「よく頑張ったね。まだまだなのは、これから覚えればいいんだ。焦らなくていい、すぐに上手く使える様になるよ」


 食事の後は、食器を片付けるのを手伝った。運ぶだけなら出来るだろう。そう判断したから、さくらは見守った。


 簡単な事なら、見て真似る事が出来る。それは、子供ながらに持つ僅かな経験で、補える範囲に限られるのだろう。


 ギイ達の行動は、全てさくらが強制した事ではない。

 ギイ達は、犬や猫とは違う、何も知らない子供とも違う。強制して、何かを教え込もうとすれば、必ず行き違う。


 これまでの生活で、親から伝えられて来た事も有るだろう。その中には、大切な教えも有ったはず。それを無碍にしてはならない。

 ギイ達は、人間ではない。これは、しっかりと頭に、叩き込まなければならない。

 そうでなければ、必ず対応を間違える。ギイ達が伝えたい事を、理解してあげられない。

 

 それこそ、ギイ達が山へ行ったのは、そこでなら自分達だけで暮らしていけると、判断したからであろう。

 寧ろ、森の中に居る方が、ギイ達にとっては自然なはずだ。

 家に住む、衣服を纏う、これは人間が作り上げた文化だ。ギイ達が当然に受け入れられると、考えてはいけない。


 必要に迫られて、覚えなければならない。それは、容易な事では無いはず。

 不満を口にしなくても、ストレスは感じているはず。

 衣類を纏う事に対して、ギイ達は不満を口にしない。だが、受け入れる為に、何かしら心の動きが有ったはず。

 それを汲み取るには、ギイとガアという存在を、ちゃんと理解しなければならない。


 さくらの所作をじっくりと観察し、また言葉の意図を理解しようとする。

 それはギイとガアが、今の生活に順応する為の努力なのだろう。

 恐らく彼らは、理解している。特にクミルは、現実を受け止めている。


 もう帰れない、ここで生きていくしかない。


 現状を理解した上で、置かれた環境に馴染もうとする。

 知る事、理解する事がどれだけ大変なのか。それを行う気力が、どれほど尊いものなのか。

 

 だからこそ、一つずつ丁寧に、教える必要がある。

 さくらと三笠は彼らと接する事で、真摯に向き合う大切さを、感じさせられた。

本作は、下書き程度の物を、最後まで書いて有ります。

最初の内は、章の概要とエピソードの概要しか書きませんでした。

しかし、後半になるにつれ筆が乗り、一つのエピソードにつき、投稿レベルの文字数を書きました。


仮にそこまで作った物を、他人に見せても、全く同じ作品にはならないでしょうね。

結局、私の文章は私の物なんです。

そして私は、下書きに魂を加えて本編を書き上げます。


だから、体調を崩すんです。

多分だけど。


下らない戯言は置いといて。

下書きを書いておけば、本編を綴るのは、余り時間はかかりません。

ただし、時間のかかる作業も有ります。

調べ物と、言葉選びです。


そのシーンにあった言葉を選ぶのは、中々に難しいと感じます。

その度に、己の無知を痛感させられます。

日々、努力ですね。


さて、本作は十章の構成になっています。

後半になるにつれ、物語は加速していきます。

是非、最後までお見逃し無い様、お願いします。


次回もお楽しみに!


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