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信川村の奇跡  作者: 東郷 珠(サークル珠道)
二章 反発と理解
17/93

再会と名付け

二章の完結です。

 孝道が走らせる車が、到着するよりも少し早く、さくらは若者を見つけていた。若者は、さくらの予想通りの場所にいた。

 ただ、予想以上だったのが、泣き叫びながらアスファルトを何度も叩いている事だった。

 その姿に、さくらは言葉を失い、立ち尽くした。


 若者は、何かを訴える様に、泣きながら叫んでいる。見ているだけで心が割かれそうになる、悲痛な叫び声だ。

 しかし、何を言っているのか、全くわからない。何を訴えようとしているのか、理解してあげられない。

 

 さくら自身、葛藤をしていた。

 何と声をかけたらいいのか、どうしてやればいいのか、わからない。

 自分のした事は、間違っていたのか?

 連れて来てはいけなかったのか?

 貞江が言った様に、無理すれば傷が開く。わかっていたはずだった、だけど若者を止める事が出来なかった。


 やがて、唖然としているさくらと、泣き叫ぶ若者を、ヘッドライトの灯りが照らし、長い影を作る。

 停まった車の中から、孝道と貞江が飛び降りる。


「さくらさん、何してんだ! 早く、あいつを止めないと!」


 青年の叫び声を打ち消すかの様に、孝道は大声を上げる。そして、若者に走り寄ると、後ろから羽交い締めにする。しかし若者は、力づくで孝道の手を振りほどこうとする。


 違う、それじゃ駄目だ。

 孝道を見て、さくらは漠然とそう感じた。

 そうじゃない、不安なだけだ。混乱しているだけだ。

 もっと……。


「さくらさん、わかっているんですよね? 子供達と一緒です、あの人を安心させられるのは、さくらさんしかいないんです」


 要安静の患者が歩きだし、尚且つ路面を殴って暴れている。貞江も焦っていたはずだ。しかし、貞江は理解していた。だからこそ、冷静に努めて、さくらへ声をかけた。

 そんな貞江の声は、葛藤するさくらの心に染み渡る。


 青年は、ここに来る時に驚く様子は無かった。だから、気に留めていなかった。

 それは、間違いだった。知っていたはずだ。なのに、なぜ見逃してしまったのだ。

 

 あの若者は、命の危険を伴う傷を負っていた。鋭い爪で抉られた様な傷だった。 

 恐らく若者は、猛獣に襲われたのだ。森の中で、何か余程の事が有ったのだろう。

 

 怖い思いをしたのなら、安心させなければならないだろう。

 人はそんなに強くない。もしあの若者が、ここに辿り着くまで、気を張っていたとしても、いずれは崩壊しておかしくない。心が壊れても、おかしくない。

 正に今、その状況を目にしているじゃないか。


 さくらはゆっくりと近づく。そして、優しく若者を抱きしめた。

 若者の言葉はわからない。不安を消してあげたい。心が壊れかけているなら、繋ぎ止めてあげたい。

 こちらの言葉も伝わらないだろう。それでもいい、届かなくてもいい。


 さくらは誠意を籠めて言葉を紡ぐ。


「大丈夫、大丈夫だよ。あたしがついてるから、大丈夫。ごめんよ、不安にさせたかい? でも、安心しておくれ、あたしがついてるからね」

 

 さくらの言葉が、耳に届いたのだろう。若者から力が抜けていくのがわかる。

 しかし、若者は泣いている。その心は、未だに叫んでいる。

 さくらは抱きしめる力を強め、優しく言葉を続ける。


「あんたの体は危ないんだ。大人しく寝てなきゃいけないんだ。わかってくれるかい? 助かった命を大切にしておくれ。あんた自身を大切にしておくれ」

 

 ゆっくりと、ゆっくりと、さくらは想いを口にする。

 言葉が想いなのではない。言葉に想いを乗せるのだ。さくらの口から放たれる柔らかな音が、青年の心に届く。そして、力強く抱きしめられた体から、温かさが伝わる。

 

 それは、混乱していた青年に、冷静さを取り戻させる。そして青年は、ゆっくりとさくらを体から離し、口を開く。


「※※※※※、※※※※※。※※※※※※。※※※※※、※※※※※※。※※※※※、※※※※※」


 青年の言葉はわからない、だけど想いが届いた事は、理解出来る。

 さくらは、孝道に視線を送る。そして孝道は、青年を起き上がらせると、肩を貸す様にして車へ向かう。

 

「さくらさん。ありがとうございます」

「貞江さん。こっちこそだよ。あんたの言葉で、目が覚めた」


 孝道が青年を車に乗せる。そして、運転席へと移動する。そして貞江と共に、さくらも車に乗り込む。

 車は直ぐに、診療所に到着した。

 

 診療所の前には、幸三の車が見える。そして孝道と貞江は、青年を車から降ろすと、治療室へと連れて行く。そして、さくらは幸三を探した。


 幸三の姿を、直ぐに見つける事は出来た。

 幸三は車の傍で、二匹の秋田犬にタオルケットを嗅がせていた。

 

「ようやく戻って来やがったか。あんたは、車に乗ってろ!」


 さくらが視界に入ると、荒々しく幸三は言い放つ。だが、その手は優しく二匹の秋田犬を撫でている。


「わかるか? いい子だ。そうだ、この匂いを追うんだ! 出来るよな?」


 二匹の秋田犬は、念入りにタオルケットの匂いを嗅ぐと、ワンと一回だけ吠えて幸三に知らせる。


「そうか、偉いぞ。太郎、三郎、行け!」


 幸三の合図で二匹の秋田犬、太郎と三郎が走り出す。そして、幸三は急いで車に乗り込み、その後を追った。

 太郎と三郎は時折立ち止まり、地面に残る匂いを辿る様にする。ただ、走っていく方角は、間違いなく山である。

 それを理解すると、幸三はイヤホンマイク越しに、話しかけた。


「間違いねえ。ガキ共は、山へ向かってる。洋二、直ぐに合流だ。他の連中は、捜索を止めて、家に戻れ! 後は、任せておけ!」 

 

 声を荒げる様にした声だけじゃない、その後に呟いた言葉も、イヤホンマイクは拾っていた。


「くそっ、不味いな。熊と遭遇してなきゃいいけどな」


 連絡を受けた洋二の行動は、迅速であった。幸三と連絡を取りながら、乗ってきた軽トラを飛ばす。

 他の探索場所を探索していた住人は、郷善の指示で不測の事態に備え、集会所で待機する事になった。

 

 そして森に近づくと、ここから子供達が入っていたと言わんばかりに、二匹の秋田犬は立ち止まる。

 幸三は車を停め、後部座席から猟銃を取り出す。洋二の軽トラックも到着し、同じく猟銃を持って車から降りて来る。


「師匠。ここなんですね?」

「そうみたいだな。洋二、抜かりはねえな? さくら、あんたは真ん中にいろ」


 幸三の問いかけに、さくらと洋二は軽く頷く。

 そして幸三が先頭に、さくらを挟む様にして最後尾に洋二が並び、三人は森へと足を踏み入れる。


 森の中を覗いただけで、幸三の言葉の意味が良くわかる。

 月明かりのおかげだろう、森の外はよっぽど明るく感じる。森の中は暗闇というより、月明かりも通さない完全な黒なのだ。それに恐怖を感じない人間は、いないだろう。


 こんな中に、子供達が入ったのか? さくらは、信じられなかった。

 だが、森の入り口近くには、小さな足跡が残っていた。そこから、奥へと進む跡も残っている。

 そして、太郎と三郎は、匂いを嗅ぎながら足跡を追っていく。

 

 あの子達は、人間じゃない。だから人間と違う、特徴があるのかもしれない。

 それに、森に住んでいたなら、暗闇に慣れていてもおかしくはない。

 

 ただ、逃げた事は問題だろう。

 もし、仮定した事が事実なら、あの子達に帰る場所は無いはずだ。

 青年は、森の中で大きな怪我を負った。そして、同じく森の中から逃げて来たであろう子供達の傍には、親がいなかった。

 

 あの子達が、人間とは違う生態の可能性も有る。

 しかし、人間とそう変わらないと仮定するなら、両親と一緒に避難してもおかしくはない。

 森の中で、何か重大な異変が起きていたとすれば、子供達は住処を奪われたどころか、親を失った可能性だってある。


 そんな子供達が、自分に心を開いてくれた。それにも関わらず、診療所から逃げ出した。

 恐らく、診療所の中が怖かったんじゃない。会議を聞かれていたのだろう。

 人間を恐れているふしがある。加えて、会議の内容を聞いて、自身を否定した様に感じたなら、逃げても不思議ではない。


 それならば、あの子達を助けてあげられるのは、自分だけだ。

 あの子達に、居場所を与えてあげられるのは、自分だけだ。


 心は逸る、だが足元が覚束ない。傾斜がきつくなっていく、呼吸が乱れる。洋二に背を支えられながら、さくらは登る。

 慣れない夜の山に、さくらは苦戦を強いられる。そして、危機は突然に訪れる。

 

 太郎が吼えた。それは、危険を知らせる合図であった。

 太郎の意図を理解した幸三は、手に持っていた懐中電灯をさくらに渡して、猟銃を構える。

 そして、上空に向けて撃った。


 幸三の目的は、銃声でこちらの存在を、獣に知らせる事である。それが上手くいったのか、太郎が幸三に向かって吼える。


「太郎、行け!」


 一匹だけを走らせると、幸三は再び上空に向けて猟銃を撃つ。そして幸三は、振り返る事なく、背後のさくらに告げる。


「熊だ。ここからは、少しも油断するな」


 緊張感がさくらを包む。ここまでも、夜の森の中で油断はしていない。


「俺は先に行く。三郎、洋二、さくらを頼むぞ!」


 幸三は銃を構えたまま、山を早歩きで登っていく。

 太郎を先頭に山を登ると、モニター越しに見た兄妹の姿が見える。その反対側には、熊がいる。

 まだ逃げていない。兄妹は怯えているのか、動けずにいる。


 太郎は状況を察して、兄弟を庇う様にして熊との間に立つ。そして、姿勢を低くし唸り声をあげる。

 間髪入れずに幸三は、熊を目がけて銃を放った。


 当てる必要はない。熊が逃げればそれでいい。

 銃弾は、熊の鼻元を掠める様にし、木に当たって止まる。流石に恐怖しただろう、熊は背を向けて去って行く。


 最大の脅威は去った。しかし兄妹にとって、恐怖の時間は終わっていなかった。

 故郷の森でも、あんなに大きな音を聞いた事がない。猟銃の音で、兄妹は腰を抜かす様に、へたり込んでいた。


 吠えながら近づいて来た、攻撃的な動物。そして巨大な獣さえも、退ける人間。やはり、人間は恐ろしい生き物だった。仲間達の言っていた事は、本当だった。

 兄妹は、真の恐怖を実感させられた。


 その怯えは、太郎に伝わったのだろう。太郎は、兄妹から距離を取る様に、幸三の下へと走った。そして、幸三も敢えて兄妹には近づかなかった。


 太郎は、いつでも走り出せる様に、周囲を監視している。

 そして兄は、ガタガタと震えたまま、妹を背に庇う事を止めない。妹は、兄にしがみ付き、背に顔を埋めて、全身を震わせている。


 兄妹は、じりじりと後退していく。それを見逃すまいと、太郎がピクリと兄妹に顔を向ける。

 それすらも怖いのか、震えながらも、兄妹は後退を続けた。

 

 緊張状態が続き、再び太郎がピクリと顔を動かすと、三郎が昇ってくる。兄妹には、敵が増えただけとしか、思えなかったかもしれない。

 兄妹が、恐怖の只中に居る一方で、幸三は深いため息をついていた。

 

「ったく、先生の言う通りか。こんな所まで来る割に、臆病なガキだ。何者なんだ一体?」


 そして幸三は、兄妹の監視を二匹に任せて、ドカッと座り込んだ。普段は、神頼みなどしない幸三だが、この時ばかりは、さくらの到着を祈った。


 著しい体力の低下、恐怖の連続、それは兄弟の思考を鈍らせた。

 逃げなくちゃならない、本能がそう伝えている。だが、足が動かない、腕が動かせない、全身が言う事を聞かない。


 そんな窮地において、兄妹はさくらを思い出していた。

 なぜさくらを思い出したのか、兄妹にもわからない。脳裏に過るのは、身を盾にして自分達を守ってくれた両親の姿ではなかった。

 

 それは、匂いだったのかもしれない。激しい息遣いだったのかもしれない。ぜぇぜぇと息を切らしながら、登ってくる気配を感じたからかもしれない。

 求めた存在は、しっかりとその目に兄妹を捉え、真っすぐに向かってくる。そして、飛びつく様にして、兄妹に抱き着いた。


「良かった、良かった。無事で良かった」


 息を切らしていたさくらは、多くを語れなかった。しかし、それだけで良かった。それだけで想いは、兄妹に届いた。


 未だ息が整わないさくらは、涙を流しながら兄妹をきつく抱きしめる。

 それこそが、兄妹を恐怖から解放したのだろう。

 

 兄妹の瞳からは、ポロリと涙が零れる。そして兄妹は、声を上げて泣いた。

 もう、涙を止める事は出来なかった。


 怖かった。死を覚悟した。獣が去った後も、怖かった。人間が怖かった。あの動物も怖かった。それに、同じ動物が増えた。

 人間は去ってくれない。二匹の動物も去ってくれない。体を動かそうとしても、動かない。

 怖かった、怖かった、怖かった。もう、駄目だと思った。


 ……でも。

 ……あの優しい人間は、来てくれた。

 

 迷惑をかけたくない、その一心で山を登ってきた。そして、圧倒的な恐怖に晒された。優しい人間は、その恐怖から解放してくれた、また助けてくれた。

 兄妹の中で、安堵と共に嬉しい気持ちがこみ上げているのだろう。

 暫くの間、兄妹が泣き止む事は無かった。


 やがて、さくらの呼吸が整う。そして、兄妹が落ち着くのを待つ。

 さくらは、兄妹からゆっくりと離れると、笑顔を見せた。そして、静かに語りかける。

 

「あんたは、ギイ。あんたは、ガア。名前がないと困るだろ? 本当の名前が有っても許しておくれよ」 

 

 さくらは、大きい方を指さし、ギイと呼んだ。次に小さい方を指さし、ガアと呼んだ。

 兄妹に名前という概念はない。でも、自分を呼んでいる事は、理解したのだろう。

 小さく頷いた兄妹の顔に、笑みが浮かんでいた。

土曜日、土曜日、同じ竹。

これが、最近のお気に入りフレーズです。

意味が分からない方は、YouTubeの藤間桜チャンネルをご覧あれ。

念の為、ばあちゃんの名前は、この子から貰ったのではありません。

誤解の無い様。


次回もお楽しみに!

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