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信川村の奇跡  作者: 東郷 珠(サークル珠道)
二章 反発と理解
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逃走の果てに

兄妹は立ち上がれるのか?

 どれだけ時間が経っただろう。兄妹は泣き続けていた。やがて涙が枯れる頃、妹は蹲ったまま、兄に呼びかける。


「ガガ、ガアガア」


 妹の言葉を聞き、兄は目を見開いた。

 いつも兄の後ろに隠れ、小さな動物でさえも怖がる妹が、見知らぬ森に足を踏み入れようと言う。

 妹だって、怖かったはずだ。でも前に進む事を、決意した。そんな勇気が、どこにあったのか?


 妹は、いつの間にか成長していたのか?

 いや違う、元々勇敢だったんだ。守らなければならない、そう思っていた。だが、守られているのは、自分だったのかもしれない。


 故郷の森は、目を瞑っていても、走る事が出来る。それ位に、慣れ親しんだ場所であった。

 しかし逃走の最中、兄は何度か道を間違えた。かなりの動揺があったのだろう、仕方のない事だ。

 手を引かれながらも、周囲を観察し、兄に道を教えたのは妹であった。 


 きっと妹は自分よりも、勇敢なのだ。そして、自分よりも冷静だった。

 妹は反対した。心配をかけるから、あの場所から離れるのは駄目だと言った。そんな妹を説得し、山に向かう事を決めたのは、自分なのだ。


 仲間と両親から、勇気を受け継いだのだ。妹だけじゃない、自分も受け継いだのだ。

 自分が前に立たずにどうする。

 

 あの優しい人間に、迷惑をかけない様にするには、ここで暮らすしかない。そう決めたのだ。立ち止まって、何になる。泣いているだけで、何が出来る。

 悪夢の様な出来事に怯えていては、生きてはいけない。自分達は、生きていかなければならない。

 母の言葉を守る事が、死んだ仲間への手向けになる。

 

「ギイギ! ギギギギギ、ギイギ! ギイ、ギイ!」 

「ガガ。ガガア、ガアガア。ガガガ、ガアガ」


 兄妹は、立ち上がる。そして、兄が妹の手を引き、一歩ずつ慎重に歩き出す。

 恐怖は、まだ心の中で蠢いている。両足が震え、上手く歩けない。

 妹は震える手で、存在を確かめる様に、兄の手を強く握る。そして兄もまた、妹の体温を感じながら、強く握り返す。


 恐怖の為、視界が狭まっていた。

 よく見れば、生えている木が違う。そこに巣くう鳥が違う。飛んでいる虫が違う。草むらに身を潜ませて、休んでいる小さな動物達が違う。

 何もかもが、故郷の森とは違う。匂いが違って当然だ。


 大丈夫、ここにはあの化け物はいない。

 大丈夫、ここは安全だ。

 己に言い聞かせる様に、兄は小声で呟く。それを聞いた妹は、ようやく周囲を見渡す事が出来た。

 

 ここには、色んな種類の虫や動物が暮らしている。

 ここにもちゃんと、生態系が有るのだろう。あの悲しい化け物が、余所者だった様に、今は自分達が余所者なのだ。

 森の秩序を壊せば、森の恵みを受ける事は出来なくなる。周りの虫や動物に、余計な緊張を与えない様に、兄妹は音を立てずに歩いていく。


 これからここが、新たな住処となるのだ。

 故郷との違いを感じながら、ゆっくりと心を落ち着け、じっくりと周囲を見渡す。

 何が糧となるのか。また、何が自分達にとって脅威となり得るのか。冷静に見極めながら、歩みを進める。


 ただし、森はそれほど甘くはない。

 虫も動物も、己が生き延びる為に、進化を遂げて来た存在だ。そして、余所者を簡単に受け入れる程、優しくはない。

 虫達は告げる、何かが訪れたと。鳥達は告げる、奇妙な生き物が現れたと。小さな動物は、休む事を止め騒ぎ出す。


 大人のゴブリンであったら、状況は異なっただろう。

 薄暗い森の中でも、獲物を捉える事が出来る目。音を立てずに、獲物に忍び寄る技術。故郷の森では、最弱の部類に入るゴブリンでも、この森では脅威になったはずだ。

 

 だが、兄妹の技術は余りにも拙い。どれだけ足音を消そうとしても、森の住人を欺ける程、完全に消す事は出来ない。

 気配を消す事が出来ない、匂いを消す事が出来ない。ましてや、夜目が利くのは、兄妹だけではない。


「ガガ、ガア」

「ギギ、ギイギギギイ」


 兄妹は、警戒されている事を、感じ取った。緊張感が漂う森の中で、兄妹は更なる慎重さを求められた。

 森に認められるには、時間がかかるだろう。仕方がない、兄妹は余所者なのだ。歓迎される方が、おかしいのだ。


 やがて、大地は緩やかに傾斜していく。兄妹は、一歩ずつ足元を確かめながら歩く。住処になり得る場所を探して、徘徊を続ける。

 しかし、余所者に易々と住処を与える程、森は優しくない。小さな動物達は、威嚇を続ける。そして、虫達は、身を潜ませ襲撃態勢を整える。

 どれだけ歩いただろう、兄妹は山の中腹まで進んでいた。


「ガア、ガ。ガア、ガア」

「ギイ、ギイ。ギギギギ。ギギイギイ」


 徐々に、足を踏み出す速度が落ちていく。呼吸が荒くなり、膨大な汗が流れ出す。

 診療所で仮眠を取り、多少は疲労が軽減したとは言え、完全に癒えた訳ではない。 

 そして山の傾斜は、兄妹の体力を否応なしに削っていく。疲労に加え、緊張の連続は、兄妹の集中力を奪い取る。


 あの逃走劇で、冷静であった妹でさえも、頭が回らなくなる程に疲れていた。

 ただ、ここまでの道程で、自分達を害する事が出来る脅威は、見当たらなかった。それが油断に繋がったのだろう。

 兄は、周囲の警戒を緩めて、寝処に最低な場所を探す事に、意識を割いていた。


 何が潜んでいるのか、完全に把握してはいない。見知らぬ森の中で、警戒を緩めるのは、最大の悪手であろう。

 普段なら、そんなヘマはしない。だが今の兄妹は、集中力を著しく欠いている。故に、この山で最大級の獣に近寄っている事に、気付く事が出来なかった。


 低い唸り声と共に、それは現れた。気が付いた時には、もう遅かった。巨大な獣が、ゆっくり枝を掻き分けて姿を見せた。

 兄妹の何倍あるのだろう、毛に覆われた、がっしりとした体躯。そして鋭い爪と牙。それは、この森で兄妹が初めて目にする、脅威であった。


 一瞬、兄妹は凍り付いた様に動けなかった。幸いにも、その行動は正解である。

 しかし次の瞬間、兄は妹を背に隠す。そして、足元に転がる枝を手に取る。

 

 そんな物で、巨大な獣を相手取る事は出来ない。しかし身を守る方法は、それ以外に考えられない。

 疲労で、脳の回転が遅くなっている。しかし、よく見れば理解出来たはず。


 微かな音しか立てずに歩く、見知らぬ生き物が突然現れた。

 警戒心が強く、聴力の高い生物なら、さぞ驚いた事だろう。そして、威嚇行動を起こしたのだ。

 聡い妹なら、それに気が付いてもおかしくはない。


 怯えさせない様に、ゆっくりと距離を取る事は出来ただろう。

 ましてや、人間とは異なるゴブリンの身体能力ならば、逃げる事も可能であっただろう。

 仮に逃げ切れなかったとしても、他に手段なら幾らでもある。


 木を伝って逃げれば、相手を振り切れたかもしれない。なにせ相手は、大きな体躯である。木の上で有利なのは、身軽に動けるゴブリンの方だ。

 また逃げる迄もなく、相手が去るまで、身を隠す事も出来ただろう。

 だが、極度の疲労が、兄妹の判断を狂わせた。


 兄の行動は、巨大な獣の目に、攻撃の意志が有ると映ったのだろう。

 ただ脅すだけの行動を、攻撃に変化させる。勢いよく突進してくる様を見れば、容易にわかる。

 その突進は、兄弟の体を簡単にバラバラにする。


「ガ……」

「ギイ……」

 

 兄妹はこの瞬間、死を覚悟した。

 兄の体は強張って動かない。妹は、兄の背中にしがみ付く。

 

 そんな時、パンッという乾いた音が、山の中に響き渡った。

 その音に反応したのか、巨大な生物が動きを止めた。

 

 パンッパンッと、乾いた音は続く。

 兄妹には、その音が理解出来ない。しかし、巨大な獣は、その音を理解しているのだろう。

 巨大な獣は、突進を止めて、ゆっくりと兄妹から距離を取る。

 それと同時に、吠えながら近づいて来る妙な生物がいるのを、兄妹は理解していた。


 兄妹の緊張は、些かも解けていない。それは、本能的な行動だったのかもしれない。

 兄は妹を背に隠したまま、ゆっくりと巨大な獣から離れる。

 

 また、一連の出来事は、兄妹に更なる疲労を与えた。

 距離を取ったとて、巨大な獣は警戒を緩めていない。吠える何かが近づいて来る。

 しかし、既に体力の限界を超え、兄妹は身動き一つ取る事は出来ない。


 見知らぬ森で、兄妹は危機の只中にいた。

 それは、自らの力では、どうにもならない。悪夢の再来であった。

このエピソードが公開されるのは、三月です。

はい、そろそろ季節の変わり目ですね。

そして、花粉の季節ですよ。


私自身、この時期は体調を崩します。

出歩くと、涙が出てくる時も有ります。


しかし! 私は認めないのだ!

花粉症ではない!


下らない事を口走りました。

皆さんは、くれぐれも体調管理をしっかりなさって下さい。


次回もお楽しみに!

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