<ショートショート>人魚の切り身
「嬉しいの言葉以外思い浮かびません。今まで違う種族のもの同士の結婚は認められてきませんでしたけど、こうして時代は大きく変わったのだと思います。私は生涯、妻を愛し続けたいと思います」
いつものようにテレビを付けながらの朝食を済ませていると、そんな言葉が食卓を通過した。
中学校へ向かう準備に追われるはずの貴重な時間、百合は箸を止めてテレビに映る異様な光景に目を奪われてしまっていた。
テレビ画面では、涙を堪えた真っ白なタキシード姿の成人男性が湧き上がる喜びを噛み締めているのだが、隣に佇む純白のドレスに身を包む女性の下半身は、どう見ても魚の尾びれのそれと同じ。
つまり、花嫁は人魚なのだ。
テレビカメラのアングルもこれ見よがしに新婦が人魚であることを強調していた。ねっとりした質感の鱗を持つ下半身は、うようよしてて独特のてかりを放つ。
魚類特有の臭いが、画面を通して百合の食卓にまで届きそうである。
「おえっ…」
百合が思わず嘔吐くのも仕方がない。百合は幼い頃から人魚は苦手な部類だ。お構いなしに、百合の父と母の会話が飛び交う。
「世も末だな。人間と人魚が結婚するとはよ。人魚って、ほんの50年くらい前じゃ、魚の仲間だと思われていたんだぜ」
「お母さんも小さい頃は、たまに人魚の切り身が食卓に並んでいたんだけどねえ」
「噂じゃ、人魚をいまだに食ってる連中もいるらしいな」
「それ部落の人たちでしょ?」
思い出すタイミングというのが多少間違っているのを自覚しながら、百合が打ち明けない訳にはいかなかった。
「お母さん、今日の家庭科の時間に魚の煮付けを作るから、…お魚の切り身、持っていかなきゃいけないんだった………」
母はみるみる紅潮していく。
「百合! どうしていつも直前にそんな事、言うのよ! ウチの冷蔵庫に常にお魚があるとは限らないんですよっ!」
× × ×
遅刻気味で家庭科室に来た百合は、クラスの生徒たちが佐原先生を囲んでいる光景を目にした。きっと何かがあったのだと察した百合は、少し離れた場所に立っている八百岡に声を掛けようとする。
百合と八百岡は、最近仲良くなり始めた間柄である。
「先生、八百岡さんが持ってきた切り身…、これ、人魚だと思うんです……」
学級委員長のふいの言葉で、八百岡の肩に触れようとした百合の手がにわかに止まる。
佐原先生は、八百岡に意を決して問い詰める。
「八百岡さん、どうして人魚の切り身なんて学校へ持ってきたの? もしかして嫌がらせ?」
「違います。どうしてダメなんですか? 人魚は白身魚と同じだって、お爺ちゃんはいつも言ってます」
「八百岡さんのお家では、人魚を今も食べているの?」
「はい」
「偉い学者さんたちが、人魚は魚の仲間じゃなくて人間の仲間だって調べたら分かったんだって。だから同じ人間同士なの。八百岡さんも人間は食べないでしょ?」
「食べないです」
「それと同じよ」
「でも、ウチでは人魚はずっと食べてます」
「ダメなの。お家の事情まで先生は口を挟む気はないけど、お願いだから、学校では人魚は食べないで」
俯いて震える八百岡の姿に、百合の頭は混乱していた。
「………。お父さんは人魚が増えて、船の難破が増えて困るってお母さんに言ってます」
その反論はやけくそとしか思えなかった。
「確かに人魚は人に迷惑を掛けるわね。だからと言っても、ダメなものはダメなの」
× × ×
八百岡は、その日の授業と休み時間、誰とも口を聞かず俯いていた。何かをずっと考えているようにも見えたし、何かをずっと考えまいとしているようにも見えた。
放課後の直前に降った俄雨を見て、百合は決心した。
「八百岡さん、今日一緒に帰らない?」
百合の自宅が逆方向であることを知っていた八百岡は、戸惑っていた。
× × ×
雨の上がったばかりの夕焼け空はとても綺麗だった。
夕日の当たる積雲は紫や赤、黄など複雑な色に照らされた幻想的な瞬間を保ち、思わず二人は立ち止まるしかなかった。いつもより水分を含んだ頬を触る風も、心地よい。
百合は、八百岡と二人でこの夕景を眺められただけでも、遠回りの価値は充分あったと信じていた。
「知ってる? 人魚って締める直前、とっても綺麗な声で叫ぶんだよ。あまりに感動的な声だから、私、初めて聞いたとき、泣いちゃった」