8.軍師
アッパーフィールド侯爵家の『軍師』ウラギリオは頭をかかえていた。
あのがめついマクロード男爵家の三男が『竜使いの鞭』を返しに来るとわざわざ侯爵に先ぶれをよこしてきたからだ。
レッサードラゴン捕獲の失敗はそろそろほとぼりがさめると思っていたのに。
ぼーっとした侯爵ならこのまま忘れてくれるだろうと思っていたのに。
蒸し返された。
家宝が戻ってくるということで侯爵は単純に喜んでいたが家臣団の目は俺を責めていた。
そもそもあの小僧がダンジョン周辺の土地を租借して急激に開拓を進めているのも気に入らない。
どうしてくれよう、どうしてくれよう。
『ゴブリンの女王』と称しゴブリンを見世物にして小道具の模造品や応援衣装などを売って儲けているとも聞く。
どうしてくれよう、どうしてくれよう。
ゴブリンを『竜使いの鞭』で使役したのはほぼ間違いないだろう。
俺の失敗を利用しているのにいい子ぶりやがって。
まてよ。
こちらに主人とむちゃくちゃ強い腰ぎんちゃくが来るということは、あの砦を離れる…これは?
◇
アッパーフィールド侯爵の伯都への旅はムコーセを御者に小僧、アイシャ、サンチェスに俺が馬車に乗ることになった。
エリザベスは好評開催中の『ゴブリンの女王』の監督のため、ハンスは何かあったための連絡係として砦に残っている。
馬車の向かいの席では小僧がアイシャに流れる風景をあれこれと説明している。
隣にはサンチェスがいてなにかこうプレッシャーのようなものを感じるので、俺も窓から外を見ている。
とても牧歌的な風景。
街道から見えるあの森の奥にはくそ恐ろしいはぐれオーガーとか居るかもしれないけど、流れる風は気持ちよく。昼飯食べたら寝てしまいそうだ。
◇
「オーガーが出たぞ~!」
『一週間砦』に野太い男の声が響く。
砦の空気が急に騒がしくなる。
「サンチェス親方のいない時にとは不運な」
「ダイアウルフの群れも見たそうだ」
「『魔物の森』の恨みでもかったのか」
あいかわらず続いている砦周辺の開発工事から避難してきた冒険者達が噂する。
ぴしーん!
「あーもう、稽古中なのに煩い!」
エリザベスが鞭を鳴らし砦の外へ飛び出していった。
◇
「で、オーガーを拾ったと」
ワイバーンから落とされた通信筒の中身を読んだ小僧に問う。
子犬じゃないんだから。
「子猫を拾うようにオーガーを…」
サンチェスも同じこと思っていたか。
っていうかサンチェスは猫派?
面倒見良いのがエリザベスのいいところだけど、あの鞭と彼女の組み合わせを放っておくと砦は魔物動物園になっちゃうぞ。
これってクギを刺すのは俺の仕事だよな。
「帰ったらリズに言い聞かせるよ。子猫みたいに魔物をほいほい鞭打って拾ってくるなと」
子猫なら良いのにとアイシャがぽつり。
「お願いします。ですが既に…」
小僧が眉をしかめる。
「拾ったオーガーの家族が飢えているとかでエリザベスさんは救援に向かったそうです」
深入りは…徹底的にしちゃうよな。
◇
「私がコミットメントしたのはレッサードラゴンが捕獲出来た後のリワードです。斬新なチャレンジにより我々は貴重なエクスペリエンスを得ました。それは決してただの失敗ではありません。今、こうして『竜使いの鞭』が戻って来たことを考えれば失敗ではなくサクセスへの過程であったと言えるでしょう…」
アッパーフィールド侯爵家の『軍師』殿の演説が続く。
俺はそろそろ眠さの限界。
サンチェスはいつも以上に目を開いて頑張っている。
小僧はしっかりしている。さすが。
侯爵様は…寝てる?
「ときにマクシミリアン様」
軍師が小僧に話しかける。
「こちらにおいでいただく間に野営地がはぐれオーガーに襲われたそうで」
「はい」
「これは申し訳ないことをしました」
「いえいえ、残っていたクリストファー殿の…」
小僧が俺を示し。
俺も軽く頭を下げる。
「…仲間がオーガーを手なづけてくれたそうで、お借りした侯爵様のご領地を騒がすようなことにはなっておりません」
軍師がウンウンと頷く。
「わたくしも早馬で聞き及んでおります」
知ってて訊いたのかよ。
「さすがは軍師殿、お耳が早い」
サンチェスが適当な合いの手を入れる。
口を動かすと眠気を抑えられるからね。
「その後に僧侶が手なづけたオーガーを従え森へ向かったと」
砦の外からでもそれは分かるか。
監視されているんだなぁ。
「こぉおしゃく様」
突然軍師が声を張る。
侯爵の身体がビクンと震え、目を覚ます。
「ダンジョン近くの野営地がオーガーに襲われ、僧侶がそのオーガーを手なづけて事態収拾した」
「報告によればその僧侶は鞭を気持ちよさそうに振り回していたと」
「その鞭は『竜使いの鞭』にそっくりだった」
「そして魔物を手なづける『竜使いの鞭』は今、ここにある」
軍師は顎に手をあて一呼吸置きわざとらしく首をかしげる。
「この『竜使いの鞭』…本物でしょうか?」
◇
「右」
子猫が右を向く。
「左」
子猫が左を向く。
「おいで」
子猫がアイシャの胸元へと飛び込む。
わしゃわしゃとアイシャが子猫を撫で、子猫は上から目線で俺を見る。
なんかむかつく。
侯爵と軍師に持ってきた『竜使いの鞭』が本物であることを証明するため、猫を用意してもらい鞭打った。
猫とアイシャは初対面なのにアイシャの言うことをきき、人間の言葉がしっかり分かっている風だ。
「こちらにお持ちした『竜使いの鞭』が本物で、野営地にあるのはその模造品です」
小僧が説明する。
金に糸目を付けず、錬金術師のフランシスが本物そっくりに模造したのがエリザべスの鞭。
片頬をしかめ眼を泳がし軍師が食い下がる。
「猫を手なづけられただけでは本物と証明出来たことになりません。ドラゴンを調教できないと」
侯爵がぼーっと軍師を見ている。
侯爵の家臣団が軍師を見る目に厳しさが増す。
「レッサードラゴンの件…どうなったんだったかな」
侯爵がふにゃりと言葉をこぼした。
◇
「よい方達でしたね」
アイシャをみて小僧がぽつり。
視線の先では子猫をなでるアイシャ。
「いただいてきてしまいました」
アイシャが嬉しそうに応える。
馬車に揺られ風を感じ。
小僧がそう思うならまぁいいか。
砦に帰ったらエリザベスをどう説得するかの方が問題だ。