6.
「モリゾーっていうとさ、日本人って思われないこともあるんだぜ、信じられる? いろいろ説明するの面倒なの。じゃあ、いったいどこの国のヤツなんだよ。モリゾーって…? 日本だろ! それに聞き取りにくいらしいな。『モリオー?』とか『コリゴー?』とか呼び間違えられて。そんな名前ねえだろ? うちの会社、親戚筋みんなタカナシで名前には『マモル』って字使っているやつ多いし…、だからっていうか、ミノルってことになったわけ。結局、じゃあどこからミノルが出て来たのかってのは、不明だけどな」
ここでモリゾーは笑った。あたしもあきれて、ぼんやり笑った。
「えっとね。君のことはわかっているんだ」
とモリゾーがあたしを見ると、あたしは自分が小さくなってしまったように感じた。
「あのね。まず言っておくと、オレ、おしゃべりなんだよね。でも、すごい神童だったのよ。わかる? カミのワラベで…。夢にいろいろ見ることがあるんだ」
「へえ」
「じいちゃんによると、なんか力の集まる場所ではときどきそういうことがあるんだ。そういう子どもが生まれ育つことを周りの人は待っている。じいちゃんはちょっと惜しい人だったらしい。神童ってのは…、子供のころだけに力が出るってことはよくあるらしいことなのよ。いろいろ言い当てたりさ、そういうことは。特にオレらの村ではわりに普通にあることなんだよ」
モリゾーが何かをもう注文してあるみたいで、いろいろな物が少しずつ運ばれて来ていた。
「オレの場合、それが大人になっても消えていないらしい。だけど、問題はそのことが本当かどうかってのがわからないことがあるわけ」
外がぼんやり暮れてきていてその中にりんと咲いている桜がきれいだった。こういう気分というのは? ロマンチックというのとはちょっと違う。なにか謎が解き明かされるような感じなんだけど、その内容はどうでも良かった。その時、あたしの気持ちはだんだんモリゾーに引き付けられて行った。その感じだけで充分だった。
モリゾーは少し恥ずかしそうに下を向くと、
「ちょっとハズいんだけどさ。とにかく、お前がオレの…。なんていうのかな、一緒にいてくれる人なんじゃないかってのは、もう、夢でわかっていたんだ」
と言った。
その夢を見たのは中学生の時だったという。ただあたしの姿形がわかったという夢で、どこの誰かはわからなかった。その人は桜の木の下に立っていて、ただ会いたいなとモリゾーは思った。それでモリゾーはじいちゃんにそのことを告げると、じいちゃんが言った。
『モリゾー。その人の顔をずっと覚えていられるか? たぶん、おまえにはそれができると思うが、ただ夢で見たというのはあやふやなもので、気持ちの糸が切れるとわからなくなる。その糸を切らないために、おまえは気持ちを澄ませておかなければならない』
どうやって? とモリゾーが問うと
『さあな。基本は耳を澄ませるのと同じだ。その対象物に意識を集中して、取り逃さないようにする。だけど記憶だからな、やり方は違う。それもたぶんお前がわかっている方法でお前のやり方しかない』
モリゾーにはよくわからなかったが、ときどき「いいな」と思う女の子が現れた場合、その子と夢の人を重ね合わせてみることにしていたのだそうだ。
「オレってさ、人の髪に触るのが好きだったわけ」
ともモリゾーは恥ずかしそうに言った。
「オレの住んでいた所は親戚筋の人が集まっている村でさ、そこでチョキチョキ髪の毛切るのがうまかったのよ。それはなんでだかわからないけど…、その人の似あう髪型がわかるっていうか、その人を見ると、そういうふうに手が動くっていうか、オレが切るとなんていうか、ドンピシャな髪型になるし、運が開けるとか言われて…、親戚以外にも評判になったわけ」
サラダ、変わり焼き鳥のようなもの、この店のウリのみそおでん。どれもおいしかった。
生ビールいっぱいをちょびちょび飲むだけで、酔い心地が良く、あたしは半分夢の中にいるような気分だった。
「で、こっちに切りに来て下さい、あっちに来て下さいって、だんだん村の外に出て…。じいちゃんが森の湧水で作った髪になじむウダラシリーズも評判になっていたからさ。こっちにも事務所あったし、まあそれを広めるのにもちょうどいいし、東京にも出て来ていたわけ」
あたしはモリゾーの話をうんうんと聞きながら、時々窓の外の桜に目をやっていた。
「だけどな! 美容師って免許がいるんだってな? オレそういう肝心なことを全然知らないわけよ。で、それでも人から頼まれるから、商品の拡販も兼ねて頼まれるままにやってたんだけど、なんか妬まれたのか密告されたりして、ドタバタがあったのよ」
でも、それが良かったのだとモリゾーは言った。それを知らずに最後にカットしたのがあたしだったと言うのだ。だけど、その時には、あたしを見ただけではわからなかったのだと。
「なんたって、かれこれ…、えっと…十五年も前の夢だからな」
モリゾーは両手を出して、数を確かめた。
それはいったいどこの話なのだろうか? あたしは行きつけの美容室を持たない。お店をいろいろ見るために、新しい所や行ったことのない場所に行く。続けて行くことはめったにないのだから、その場所がどこなのかは見当もつかなかった。
「心を澄ませるって、難しいのよ。オレそういうふうにしようとは思っていたけど、そう簡単じゃないのよ。だって具体的な方法ってものがないだろ。学生時代に見た夢の相手だって成長しているわけだしな」
とモリゾーは言った。
「で、お前の頭触った時、頭のふくらみが手に吸い付くように、すごいピタッときたんだけど、それが何なのかはその日夢に見てわかったんだよ。あ、あの人だったんだ! と。でもその時にはもう遅い。今考えれば、その店にお前のこと聞いたらわかったのかもな。だけど、まあ顧客の個人情報だから、そう簡単には教えてくれなかったかもしれないし、オレが無免許だってチクられたのもその店か、その頃行ってた店の辺りだからしょうがないけどな」
と、ここでモリゾーは通りかかった店員さんに
「すいません、お茶ください」
と言った。
「オレ、あまり酒強くないのよ。酔っている感じは好きなんだけどさ」
と笑うその笑顔にあたしは見とれていた。なんでこんな変なヤツに引き付けられるのか? その話が本当かどうかなんてどうやっても証明なんかできないのに。
ただビールのアルコールのせいだったのかな。そんな気がする。