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1.

 あの日。

 午後、スタバでカフェモカを飲んでいた。

それは、けっこうあたし的には珍しいことだった。いつもだったらドリップコーヒーを飲む。だけど、あの日はちょっと「マイルドに行こうぜ」という気分だったのだ。


 春になり、桜が半分ほどほころび始めた頃で、お天気が良かったので、外の席に座っていた。それもけっこうあたし的には珍しいことだった。いつもはだいたいはテイクアウトして、歩きながらちょびちょび飲んで、仕事のある日だったらそのまま事務所に向かう。

 そうだ。あの日は休日だったのだ。

 そのこともあたし的にはかなり珍しかった。

休日にはカフェになんて行かないし、しかも、職場の近くまで出て行くなんて、ほとんどあり得ない。

 次の月曜日に直接取引先に出向く必要があり、その時に持って行くために用意しておいた袋を職場に忘れて来たのだ。説明の書類やパンフレットなどを袋の中にまとめておいたというのに。


 あたしが勤めているのは、美容関係の商品を主に美容院に流す会社。メーカーと顧客の間を橋渡しする仕事。大学時代の先輩が経営している会社で、会社といっても個人事務所のような感じ。

 あたしは営業担当。

 会社については、いいも悪いも思ったことがないけど、わりに気楽。社員は五人しかいないし、人間関係もわりにいいし、外に出ていることが多いから気分転換もできるし、まあまあ余裕を持って独り暮らしできていた。


 経営者の村井香澄さんって人が、おもしろい人なのだ。あたしより二つ年上。たぶん世間的には超がつくほどのお嬢様だと思うけれど、「ビジネス」って言葉が好きで、「ビジネスしている」自分が好きな人。物が流通していて、もうけが出ていればいいって、まああたりまえなんだけど、「その状態を楽しむ」とか言ってて、「流れる所にいて流される感じが好き」って言ってて、その状態に酔っているということだけを言う。仕事に関してはそのほかのことはあまり言わない。

 仕事をさぼったことがないから良くわからないけれど、仕事の流れが止まったらたぶん、香澄さんは怒るんじゃないかな。怒らせたくないから、流れを止めたくない。


 会社で扱っている美容液などについても香澄さんにはこだわりがある。

 学生時代に旅行した先で出会ったもので、そこは神様が集まるすごいパワースポットの神社がある所だそうで、その神社のある森の地続きの山から湧き出ている水から作っているそうで…。

 民宿に泊まった時にそこのおばさんが使っていて、「すごくいいから」と民宿の入り口で売っていて、そのビン自体に香澄さんは引き付けられたのだという。

「目が離せなくなったの」と香澄さんは言った。

「買ってすぐにつけてみてわかったのだけれど、心まで引き締めてくれる力があるのよ」とも言った。

 香澄さんは民宿を出ると、それを作っているの小さい会社を探し、見に行ったのだ。民宿で買ったものは化粧水だったが、その会社では髪につけるオイルやクリームも作っていた。

 「髪」についても香澄さんにはこだわりがある。

「『髪』と『神』ってカナにすると同じでしょ?」と目を輝かせる。「これは偶然じゃないのよ。たぶん。何か通じるものがあるの」と、さらに目を輝かせる。

「髪には何かその人の中で熟成したものが流れ出ているのね。それは身体の中にあっては強すぎるものだから外に出るのだけれどね。でも頭を守って自分を守るものなの。守るということで神様に通じる。そして常に置き換わるの。それがポイント。だから大事にしないといけないのよ」

 香澄さんはすぐにその会社と契約をして、(といっても、その時には口約束だけだったらしいけれど)その小さい工場で作られる美容液を広めることに静かな情熱を持っているのだ。

「守るべきものを守って慈しむ。その手助けができるのだから」

 とうっとりと言う。

 

 かなり話が脱線したな。

 とにかくその日曜日、職場に忘れた袋を回収してから、休日の朝から仕事のことに気を取られてイラだっていた自分の馬鹿さかげんになんだか脱力していて、恵比寿駅の下のスタバで、あたしはカフェモカを飲みながら文庫を読んでいたのだ。

 文字はちっとも頭に入って来なくて、ただページをめくっているような、空っぽな気分だった。


 変な男が寄って来た。

「お、いたな」

 とその男は言った。もう、その一言で、こいつヤバイな、とあたしにはわかった。なぜだかはわからないけれど、あたしはそういうヤバイ男を呼び寄せる事があったのだ。そういう時はあまりはっきり意思表示をしないほうがいい。

拒否反応を示した場合、そのまま「すみません」と言っていなくなった奴もいたけれど、持っていたペットボトルを投げつけて来た奴もいた。そういう『奴』に共通していることは、ただ『変』ってことだけで、その後の行動は全く予測できない。

黙っていると、男が続けて言った。

「ここだと思った。まさか、日曜日にいるとは思わなかったけど、来てみた」

 はい? 知り合い? と、一瞬心によぎった。けど、そんなわけない。いや、もしかしたらそういう可能性もあるかもしれないけれど、そうだとしたら、お客さん? その可能性を捨てきれない以上、まあ、無難にふるまうに限る。だけど、無難って…?

 あたしはとにかく文庫本を閉じて、バッグにしまって、あわてず騒がず、席を立ってしまうことにした。

「なんか、冷たいな」

 席を立とうとしているあたしの頭のほうから、『変男』がそう言った。チラリと『変男』を見てみると、見た目はそんなに変じゃない。普通の若者って感じ。休日だからか? ジーンズにチェックのシャツ、Vネック、グレーの薄手のニット。

「夢に出てきたんだよ」

 と、なんか、へらへらしている。あたしの中にいやだな~という感じが積もってきた。

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