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4月 偶然の再会

 プロローグから、二年後

 四月、春ーー桜舞う、出会いと別れの季節。


 なんて、センチな気分にひたる間もなく、銀行員にとって四月というのはなかなか忙しい。

 企業は年度初めの資金計画を策定してくるから、それに応えるため貸付や預金の準備に追われる。

 また取引先の新入社員の給与口座の作成や、それに伴う獲得ノルマ。

 おまけに人事異動もあるから、引継ぎや新しい取引先との対応にも追われる。

 

 そんなある日、オレは支店長と田中と三人で取引先からの帰り道を歩いていた。

 都心のビルに囲まれたオフィス街。

 桜の木が、街路樹として、所々に植えられている。

 桜花の季節は終わり、木々もピンク色というよりは緑の葉が見えるものが多かった。

 今年も結局、ゆっくり花見もしないまま、時が過ぎ去っていく。


 ほっと一息ついた帰り道、支店長がこんなことを言ってきた。


「なあ、ちょっと寄り道していかないか?」

 部下には優しいが仕事に厳しい支店長がそんなことを言うなんて珍しい。


 銀行員のサボりと言えば喫茶店と相場が決まっている。この辺に良い喫茶店はあったかなとオレが頭の中のリストを検索していると……


「実はな、このあいだ久々に法事で会った俺の姪っ子がシンガーソングライターっていうのをやってるらしくてな」


 支店長から、まさかそんな言葉が出てくるとは。彼はさらに続けた。


「この近くでレコーディングしているから一度遊びにきてくださいって言われてたんだ。ちょっと寄ってもいいか?」

 

「本当ですか、行きましょう行きましょう」

 田中は相変わらずノリが軽い。


「で、支店長の姪御さんは、何というお名前なのですか?」

 オレは思わず聞いてみた。

 オレも芸能関係にそんなに詳しくないから知らないかもしれないが。


「まあ、それは行ってからのお楽しみということにしようか。俺も久々に会うまではそいつの歌も聴いたことなかったし」


 支店長はシンガーソングライターと聞いて、タバコのライターを作る人かと思っていたくらい芸能音痴らしい。シガーとライターって。


 支店長が手帳から取り出した住所を読み上げた。

 田中がそれをスマートフォンに入力して、場所を検索する。どうやら本当に近い場所のようだ。


 そしてオレ達は、大通りから路地を一本入り、築十年程の割と小綺麗なビルの前へと着いた。

 住所はB1Fとなっていたので、そのまま下へ続く階段を下りた。


 ビルの表のドアを開けるとかすかに音がもれてきた。

 ドラムとかベースの音か? 

 もう一つドアを開ける。

 リズミカルなバンドの音が響いてきた。

 それに混じって、急いでいるような足音がこちらに近づいてくる。

 来訪者の気配を聞きつけてきたのか、三十代後半くらいのスーツをきちっと着こなした小柄な男性が顔を出した。


「どうかされましたか?」

 男性は少しこちらを値踏みするような視線で問いかけてきた。


「いえ、実は私、草橋と申します。東和銀行で支店長を務めております」

 支店長はそう言って、いつも取引先にするように名刺を相手に差し出した。

 きちっと整えられたグレーの髪。背の高いガッチリとした体を包む上質な仕立てのダブルのスーツ。

 さすがは歴戦のバンカー。仕草が堂に入っている。


「東和銀行の支店長さんが、何か御用ですか?」

 男性が怪訝な表情で支店長と、その後ろのオレと田中を見渡す。


「実は私の姪の××がこちらで仕事をしているので、一度寄ってくれと言われていたもので、もしご迷惑でなければと思いまして」

 姪御さんの名前がうまく聞き取れなかった。


 男性は警戒した表情を残したまま、

「わかりました、本人に確認してきますので、しばらくお待ちください」

 そう言って、名刺を持ったまま奥へ引っ込んでいった。



 五分ほどして、男性が戻ってきた。

「お待たせしました、本人が会うと言っております。申し遅れました、私マネージャーの岡安と申します」

 男性はそう言って名刺交換を申し出てきた。

 オレと田中もいつもの通り名刺交換だ。

 さすがに芸能マネージャーの名刺は初めてだった。

 オレたちはそのあと、控え室みたいなところに通された。ここでしばらく待ってくれとのことだ。



 十分ほどして、ノックのあと、オレたちがいる控え室のドアがゆっくりと開かれた。

 春らしいニットのワンピースを着た、小柄な若い女性が出てきて、支店長のそばに駆け寄ってきた。

 男性としては大柄な支店長と並ぶと、女性の身長の低さはさらに引き立った。


「わぁー! おじさん! ほんとに来てくれたんだ! うれしい!」

 彼女は透き通るような声で、まるで飛び跳ねるように喜びを全身で表現している。


「近くまで寄ったんで、ついでにな」

 支店長も普段職場では見せない表情でニヤついている。


 あれ、ていうかこの子知ってるぞ。

 トレードマークの光沢のある長い黒髪。

 アーモンドアイの綺麗な瞳。

 ナチュラルメイクの、清楚な顔立ち。

 

 最近十代・二十代の女の子を中心に人気が出ているシンガーソングライター、minaミナじゃないか!

 テレビの音楽番組とかにもたまに出ているはずだ。

 芸能関係にうといオレでも知っているくらいだからな。


「佐伯さん、minaっすよ。支店長の姪っ子さんてminaじゃないですか!」

 田中の声が弾んでいた。もちろん、オレだってびっくりだ。


 オレたちが呆気に取られていると、minaはこちらに近づいてきた。

 てっきりお義理で挨拶でもしてくれるのかと思ったが、彼女が口にしたのは驚くべきことだった。


「あの……、ずっとお会いしたかったです……」


 えっ? オレや田中が言うのならわかるけど、なんであなたが? 

 なんかすごいキラキラした瞳で見つめてくるし。距離近いよ。今にも手を握られそうな勢いだ。


 わかった。これは支店長の差し金だな。

 こんな可愛い親戚&芸能人を使ってオレをドキドキさせようとそういう魂胆に違いない。


「あの時は、ありがとうございました。私、ずっとお会いしてお礼が言いたくて……。助けてもらったのに何も言ってなくて」


 ?? 助けた? オレが? 今売り出し中の歌姫を? 


 さすがにこんなに可愛い子なら覚えてると思うんだけどな。

 オレがドギマギしていると、minaは少し困ったような表情に変わり、


「あの……、もしかして……、覚えてません?」


「あっ!! 佐伯さん! あの時の」

 田中が素っ頓狂な声をあげた。

「二年くらい前に、飲んで帰ったとき、路上でギターやってた子!」


 ん? なんだそれ?


「絡まれてて、佐伯さんとオレで助けて。でもその後すぐ佐伯さんゲロ吐いてて……」


 おおっ。そんなことあったっけか。

 あの時の女の子がminaだったというのか。

 あれっ!なんか雰囲気ちがくないか?

 まさか芸能界で売れるためにイジったとか。

 んなわけないか。


 オレがminaを見つめると、彼女は


「あのときは、たぶん、ショートカットだったと思うので。伸ばしたんです……髪」


「そうか、そうか、あの時の女の子がminaさんだったんだ! 偶然ってすごいですね、ねえ、佐伯さん」

 田中がしきりにこちらに絡んでくる。ていうかお前役立たずだったじゃん。


 オレはというと、余りに色んなことが起きすぎて、思考を整理しきれずにいた。


「久々に、叔父さんに会って名刺をもらったら、名刺のロゴがあの時助けてくれた人が胸元につけていたバッチと似ていたんで、もしかしたらと思ったんです。ほんと偶然なんですけど」

 そう言って目の前のminaは微笑んだ。


「あの…… もしよかったらお礼に今度食事でも、ごちそうさせてください。二年越しのお礼なんてイヤかもしれないですけど」


「ぜひ、ぜひ、行きましょう!!」

 田中はうれしそうな表情だ。こういう時に、単純なヤツはうらやましい。


 オレはフリーズしっぱなしだ。こんなに性能悪かったか? おれのCPU。


「ダメ……ですか?」

 minaは不安そうな表情でこちらを覗きこんできた。相変わらず手を伸ばしたら触れそうなくらいオレとの距離が近い。頼むからそんな切なそうな表情で見つめないでくれ……なんか頭がクラクラしてきた。


「じゃぁ、オレと田中と……」

 支店長の方を見ると、「おまえらだけで行って来い」という感じで首を振っていた。

 オレにまかせるということか、じゃあ。

「あと、女の子の後輩も連れてきてもいいかな。それでどう?」


 minaは一瞬考え込んだ様子だったが、すぐに飛び切りの笑顔になって

「ありがとうございます! お願いしますね!」

 まるで飛び跳ねるように喜んでいた。


「あの、……あと、もう一つお伺いしたいことが……」

 minaがおずおずと口にした。

 歌姫からの質問なんて、お兄さんなんでも答えちゃうよ。

 彼女の有無とか……まさか、な。


「あの時、男性も女性もどちらもいけるって言ってましたけど、本当ですか?……まさか、お二人はお付き合いされてるとか??」


 minaは冗談を言っている様子は一ミリもなく、心底気になっているという感じで聞いてきた。

 歌姫はこう見えて同人誌系の趣味でもあるのか? 

 田中が受けで、オレが攻めとか……嫌すぎるだろ。

 支店長は肩を震わせて笑いをこらえているし。そんなわけないでしょ。

 あれは、とっさにおっさんを追い払うための方便であることを告げた。


「よかったです。安心しました」

 minaはそう言って、笑顔を見せた。

 表情豊かな子だ。声も澄んだ春風のように響いて、聞いていて心地よい。

 いつまでも話していたいような気分にさせられる。 


 そのあとなんと連絡先の交換までさせられた。

 芸能人の連絡先登録なんて初めてだ。

 ま、キャバ嬢みたいに仕事用の携帯とかあったりしてな。



 後で支店長が申し訳なさそうにオレに話し掛けてきた。

「食事に行く流れになったけど、佐伯は大丈夫だったか?」

「いえ、別にオレは問題ないです」


「すまんな、ミナがうれしそうにしていたので、俺も強く止められんかった。まあ、妹ができたみたいな感じで、気楽に接してやってくれんか? 高校卒業してからあの世界に飛び込んで、がむしゃらにやってたせいか、あんまり親しい友達もおらんみたいでな」


「でしたら、うちの真由ちゃんとか連れて行ったら仲良くなるかもしれませんね」

「その辺の人選はお前にまかせる、頼んだぞ」

「わかりました」


 銀行の支店長なんて部下に横柄な人が多いが、草橋支店長は違う。

 叱る時こそ厳しいが、それだってこっちに非がある場合だけだ。

 普段は部下のことをよく見ていてくれている。オレもさんざん世話になった。迷惑もだいぶかけたしな。それくらいたやすいことだ。


 色々なことがあった一日だった。


 まあ、支店長が言うように可愛い妹ができたみたいな感じで気軽に行くほうがいいのかもな。


 逆の立場でオレがもし芸能人で、そのせいで友達によそよそしくされたらイヤな気分になるだろう。

 向こうも、「minaって呼んでください」って気さくな感じで言ってたし。


 それにしてもテレビで見るより可愛いな。

 芸能人って感じでなんかオーラが出ていたし。田中なんかメロメロだったもんな。

 オレだってあんなキラキラした目で見つめられたら、どうにかなってしまいそうだ。


 いやいや、なんせ支店長の親戚で、芸能人だ。

 住む世界が違う。

 お近づきになれただけでも奇跡だ。

 妹、妹、minaは妹……よし、これで行こう。

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