3月 再建
三月の上旬、オレは岡安さんと上原プロダクションの社長を支店の会議室へ呼び出した。こちらは支店長と雨宮さん、田中、真由ちゃんのいつものメンバー。
minaも「私の事務所の行く末と佐伯さんの仕事が見たい」と同席を申し出てきたので、オレは了承した。
minaにカッコいい所をみせたい、なんて思いはほとんどなくて……正直、これから行う策略の数々を直接minaの前で披露するのは気が引ける……
今日で、事務所再建の方針を決める。
なかなか態度の煮え切らない社長に再建案に同意させるつもりだ。
交渉事をする時はなるべく自分のホームグラウンドで。
こちらはリラックス出来るし、逆に相手の心理的な不安や動揺を誘う事ができる。
社長は、大きな銀行の支店という慣れない環境に来たせいか、はたまた今回の騒動で疲れ切っているのか、椅子に座った姿は思いのほか小さく見えた。
岡安さんは、真剣な表情でこちらを伺っている。
「これまで、上原プロダクションの再建計画について、社長、岡安さん、こちら側は私と雨宮の方で話を進めてきましたが、やはり借入の金額がかなりの重しとなっており、このままでは資金不足を起こし、会社の信頼を失いかねません……そこで……」
オレは一旦、言葉を切った。
一同、固唾を呑んで見守っている。
「そうなる前に、いっそこっちから会社を倒産させちゃいましょう!」
「な、何だって……」
社長は椅子から飛び上がり、わなわなと肩を震わせながらこちらを見ている。
と言っても、元はと言えば経営の責任はアンタにあると思うけど。
経営に困って、minaの水着写真集まで出す計画をしていたらしいな。minaに聞いたらとても嫌がってたし。minaの水着姿はオレだけのもんだ。
だから、悪いけどオレもアンタには容赦しないよ。
社長以外は、みんな冷静にオレの方を向いている。
当たり前だ、オレが社長以外には事前に話を通しているから。
「やはり、倒産は困りますか??」
「当たり前だ、この会社は俺の会社だ! 俺を路頭に迷わす気か!」
社長は憤慨していた。しかも自分のことだけかよ! 所属芸能人や従業員のことは全く話に出てこない。これでためらわずに、次の引き金を引ける。
「まあまあ、社長、落ち着いて、最後まで佐伯の話を聞きましょうや……」
草橋支店長が間に入ってなだめた。実は、この人も結構策士だけどな。
「一つだけ、倒産を回避する道があります! 」
「なんだ、あるなら、最初から早く言え」
社長はやっと自分の椅子に座り、こちらを促した。
「御社の事業を、他の芸能事務所に買い取ってもらいます。平たく言えば、吸収合併ですね。これなら所属タレントや従業員は路頭に迷わずに済みます」
社長はショックな出来事が多すぎて頭を整理できずにいるようだ。
最初に実現不可能な案をぶつけて、そのあとに本命の案を提案するのは、交渉事の基本テクニックだけどな。相手も最初の案よりは、ってことで了承しやすくなる。
「じゃあ、私も、他の皆さんも、そのまま活動できるってことですか?」
minaがためらいがちに発言してきた。
「もちろん、買い取ってもらう事務所を探す必要があるけどね。交渉が上手く行けば、みんな残れることになる。新しい事務所の方針に従うことになるけど……実は合併には、minaの協力が必要だ」
「私の……協力??」
「他の女優さんや芸人さんもいるけど、実際に今の上原プロの稼ぎ頭と今後伸びていくのは間違いなくminaだ……言い方は悪いが、minaをできるだけ高く売りつける必要がある。交渉は岡安さんだけじゃなく、オレと雨宮さんも入る。安心して欲しい」
「なんか、びっくりしちゃったけど、私は佐伯さんを信じているから、佐伯さんにまかせるよ」
minaは信頼のこもった眼差しで、オレの方を見てくれた。
「オレはどうなる?? 社長で居られるのか?」
ああ、やっぱりそこに気づいちゃう?
「残念ながら、吸収合併となれば、社長が残れる可能性は少ないでしょう」
というか、可能性は無い。
「そんなもん、納得できん! 社長は俺だ。オレが反対すれば、合併はできないだろう」
社長は、さも当然という風に自分でうなずいていた。
「いえ、できますよ」
すぐにオレが否定した。
驚いているのは、社長とminaだけだ。
あとの全員は、オレと社長のやりとりを冷静に見守っている。
「田中、社長にご説明を」
田中には徹底的に上原プロの資産や財務状況を洗ってもらったからな。
「株式会社の吸収合併には、議決権の3分の2以上の承認が必要です。社長が反対しても、奥さんとお母さんが賛成すれば、可決されます」
田中が説明する姿は堂々としていた。
「な、なんだと!」
「実は、奥さんには内諾をいただいてますがね」
オレはそう言って、にっこり笑った。そのまま続ける。
「まだ、粘ります? こないだ銀座のクラブに行ったんですけど……いやぁ、いいお値段で私の給料では一回しか行けませんでしたが……そこの美和ちゃんでしたっけ?? 可愛かったなぁ。思わず奥さんに報告したくなっちゃうくらい……」
どうやら社長に愛人がいるらしいというのは、雨宮さんが岡安さんから聞きだした情報だった。
オレと雨宮さんはその情報を元に銀座のクラブへ行き、例の女の子を指名した。オレ一人ではなかなか難しかったが、雨宮さんは女の子から巧みに情報を得ることができた。雨宮さん、たぶん一流キャバ嬢としてもやっていけるんだろうな。
「な、何っ……貴様っ、そんなことまで……」
社長はがっくりとうなだれて椅子で小さくなった。婿養子ってツラいね。
「社長、経営者は引き際を誤ってはなりません。会社を潰しても再起した人もいます。ここは、佐伯の案に従っては……」
草橋支店長が畳み掛ける。この辺の感覚は、歴戦のバンカーならではだよな。
「わかった。お前らの好きにしろ……岡安、あとは任せた」
社長はそう言って、それ以後、一言も話すことはなかった。
社長のことは放っておいて。次は受け入れてくれる事務所の問題だ。
「実は、こうなることもある程度想定して、岡安さんにいくつか、上原プロを受け入れてくれそうな会社を見つけてもらいました。といっても上原プロの借金もありますし、受け入れ先はそう多くはないようですが……」
岡安さんが説明したのは
A社…業界大手。所属芸能人も多く、音楽アーティストも多数在籍、芸能界に太いパイプを持つ。
B社…中堅。音楽アーティストの在籍が多く、音楽業界の関係が強い。
C社…中堅。最近売り出し中の若手俳優陣を抱えているが、音楽系は弱い。
この三社は、交渉のテーブルについても良いと言っているそうだ。
「佐伯さんは、どの事務所が良いと思いますか?」
えっ? オレ?? 業界のことはド素人だけど。
ま、せっかくだし、意見だけでも言っておくか。
「C社ですかね」
みんな、意外な顔をしている。
「普通は、A社かB社を選ぶかと……理由をお伺いしてもよろしいですか?」
だんだん、岡安さんの表情も読めるようになってきた。驚いているようだ。
「A社はまず除外します。業界大手で、一見所属すれば安心に見えますが、俳優、芸能人、歌手共に層が厚く、minaや他の芸能人が埋もれてしまう可能性が高いです。元々の力関係が違いすぎるので、上原プロの従業員も使い捨てにされるかもしれません」
「B社はどうなんですか?」
真由ちゃんが聞いてきた。
「同じ理由だ。B社ではminaは実力があってもナンバーワンに押される可能性が少ない」
「C社は今後事業拡大を狙うなら、音楽にも力を入れていくだろう。そこで、実績もあるminaは重宝される」
「あとは、バーター取引って言うんでしたかね。C社は人気の若手俳優を何人も抱えている。その人達が出演するから、そのドラマの主題歌はminaとか、逆にminaが曲を書くから、C社の新人を出すとか、恩を売ることもできる。minaの活躍の幅も広がると思います」
一同からため息が漏れた。なんか、悪いこと言ったかな。
「先程の手腕といい、素晴らしい……さすがは雨宮さんが『本気を出したアイツに勝てるヤツなんていないよ』と言うだけはあります。佐伯さんは芸能界でも成功しそうですね」
岡安さんが感心したように言った。いい視点だったということか。
C社を本命に交渉していくことになり、その場は解散となった。
「佐伯さん、本当にありがとうございました。あとはminaさんのこと……宜しくお願いします」
岡安さんは、最後にオレだけに丁寧に礼を言って去って言った。
minaはそんなオレ達のやり取りを見てぽかんとしていた。
オレの視線に気づくと、minaは恥ずかしそうに小さく手を振って、岡安さんの後をぴょこぴょこと追いかけて帰って言った。
岡安さんは特殊能力でもあるのか? 何でもお見通しなのか?
そろそろ、minaにきちんと返事をしなくちゃ。可愛らしい後ろ姿を眺めながら、オレは心の中でminaを誘うメールの文面を考えていた。
次回で最終話です。
10月13日木曜日に投稿する予定です。