2月 夜空に願う
オレは雨宮さんと、しばらく、上原プロダクションに通いつめた。
オレは以前、『企業救済の魔術師』なんて言われていたこともあったが、別にタネも仕掛けもない。
コツがあるとすれば、まずはこうして足繁く取引先に通う。
そしてなんとか会社のいい所や業界の良い見通しを見つけてそれを稟議書の材料にする。銀行も潰れる会社にカネなんて貸したくないから、「この会社はこんなにいい所がありますよ」、「この業界は今後伸びていく可能性が高いですよ」と説得する材料を探すわけだ。それには、やはり現場を当たってナンボだ。
また、経営者やキーマンと人間関係を作って信頼関係を得る。銀行からカネを借りたいばかりに体面を取り繕う経営者も多い。ウソを見抜くのも銀行員の仕事だ。
経営者と話す中で、本人達も気づいていない、会社の強みを引き出せることもある。
そうやって数多くの会社を当たっていけば、自然と銀行員の知識と経験も磨かれる。
事務所に行けば、必然的にminaと会う機会も増えた。オレが会社の経営状況を簡単に話すとminaは不安そうだったが。
「大丈夫だ、最低限、minaを路頭に迷わすようなことはしない。minaは安心して仕事に励んでくれ」
オレが、力強く言うと、minaは花のように微笑んだ。
「佐伯さん、なんか活き活きとしている」
「ああ、今度はオレがminaの力になる番だから」
この間は、「どうせ、忙しくてちゃんとご飯食べてないんでしょ」とminaがなんと手作り弁当を差し入れしてくれた。よく見ると、minaの親指には絆創膏が巻いてあった。野菜が切り揃ってなかったり、なんか複雑な味だったけど、美味しかった。
社長は婿養子だそうで、先代から会社を受け継いで歳は四十代半ば。ヒゲ面でいかにも業界の人という感じだが、何か頼りない。
オレと雨宮さんがあれこれ再建策を説いてもあいまいな態度だ。どうやらこの人が色々と事業に手を出しすぎたせいで、先代から居たスタッフが離れてしまい、経営が行き詰まってきたというのが正しいようだ。
その点、岡安さんは頼りになった。
岡安さんは業界のことをよく研究しており、他の事務所がどの分野に強いとか、今後伸びて行くだろうとか、この事務所とこの事務所は提携しているとか、仲が悪いとか、そういうことをよく知っていた。
そういった岡安さんの態度から、この仕事に情熱を持っているということも伝わってきた。
雨宮さんは、彼のことをただの朴念仁だと思っていたが見直した、と目を丸くしていた。
minaから声を掛けられたのは、そんな忙しい日の最中、二月の晴れた夜のことであった。
ちょうど、社長と岡安さんとの打ち合わせも終わり、雨宮さんと帰り支度をしていると、minaが少しためらいがちにオレに話しかけてきた。
「佐伯さん、ちょっとだけ時間、いいかな?」
いつもの様子と違い、妙にそわそわしている。
「じゃあ、あたしは先に帰って資料まとめておくから、佐伯はゆっくりでいいぞ」
最近、雨宮さんが丸くなった気がする。いつもならもっと攻撃的なのに。
オレは礼を言って、minaに指定された事務所のビルの屋上へと向かった。
都会のビル街では、いつかminaと一緒に外房で見たきらめくような星空は見えなかったが、上弦の月の光が、オレたちを優しく見守るかのように照らしていた。
空気が凛として、冷たい。
minaは手を後ろに回して立っていた。
白いふわふわのセーター、冷たい風に長い髪がなびいている。月の光を浴びて微笑んで、まるで冬の妖精みたいだな。
「ごめんね、忙しいのに、呼び出して……」
「いや、打ち合わせも終わったとこだし、あとは支店に帰るだけだから」
「私の事務所のために……遅くまで、いつもありがとう」
「minaや岡安さんのためでもあるけど、この件を無事に終えたら、オレ自身何か変われる気がするんだ。ここまで仕事に打ち込んだの、久々だったから」
「佐伯さんほんと変わったね……なんかカッコいいよ」
売れっ子の歌姫にそんなこと言われると、照れるな。
「そんな、佐伯さんにプレゼント」
minaはそう言って、手の後ろで隠していたものをオレに差し出した。赤い包装紙に丁寧にラッピングされた包み。
「今日、何の日か知ってる?」
minaは上目遣いでオレを見つめた。
「今日……二月十四日……バレンタインデーか!!」
「本当はお互い落ち着いてからの方がいいのかもしれないけど……今日という日の乙女のパワーで、私は自分の想いを伝えます」
minaはそう言って、肩でひとつ呼吸をした。表情が、真剣になる。
「佐伯さん、私はあなたのことが好き……最初酔っ払いから助けてくれた時から、また会いたいって思ってた……再会して、あなたに何回も励まされて、私は自分の夢を叶えることができた。ケンカもしちゃったけど、前よりもっと仲良くなれて、今、あなたは前を向いて進んでいる……その姿を見ていると、もう……自分の気持ちが抑えられなくなって……」
「私を、一人の女性として見て欲しい……私とお付き合いしてください!!」
??ーー
突然の告白……minaはオレに好意を持ってくれているのかな? と思っていたこともあったが……まさか、今やスターの階段を駆け上る歌姫が、ただのサラリーマンを好きになるわけがないだろう、そう思う気持ちの方が強かった。
だから、今まで、気づかないフリをしていたのかもしれない。
minaはいつでも真っ直ぐにオレを見てくれていたんだ。
せめて、今の案件を片付けてからなら、オレも自信がついて、落ち着いてminaの気持ちに向き合えたかもしれない。まだ中途半端なオレがminaと釣り合うのか??
いや、そんなことをウジウジ考えていてはダメだ。
minaの想いに応えなきゃ……
オレもminaともっと語り合ったり、この前の初詣みたいに腕を絡めて歩きたい……その先のことも、もっと……
「ねえ……なんか、怖い顔してるよ……」
minaは心配そうに、オレに近寄ってきた。
「急に告白してゴメンね……佐伯さんの、思っていることを聞かせて……偽りのない、今の気持ちを……」
オレはさっき思ったことを、たどたどしく伝えた。minaは真剣にうんうんと聞いてくれた。全く、これではどっちが告白しているのかわからない。
「うーん……もう一押しって感じなんだけどな……でもあせらないことにする……じゃあ、佐伯さんが落ち着いたら、私の気持ちに対する返事を聞かせて」
「うん……すまない……」
「あと、これは、私のワガママなお願い……」
そう言って、minaはオレの腕を優しく取った。
夜風に冷やされたせいか、ひんやりとしたminaの手の感触が伝わる。
「たとえ返事がNoでも、佐伯さんと友達でいたい。元の関係に戻るのはぎこちないかもしれないけど、その時は私が我慢する。迷惑はかけないようにするから。虫のいい話だけど……もう、無視はイヤ……辛すぎる……」
そうだよな。2ヶ月以上も音信不通だったもんな。好きな人にそんなことされたら、オレなら耐えられない。
「うん、わかった……約束するよ。ちゃんと返事をする……あと、もしダメでも……友達でいる……無視はしない」
オレはminaの言葉を、心に刻み込んだ。
「ねえお願い、ギュッってして……最後かもしれないから」
minaはそういってオレの胸にそっと……小さな愛らしい顔ををうずめた。
彼女の勢いに押されて、オレはおそるおそるminaの背中に手を回した。
「それじゃあ、ギュッじゃないよ、もっと……」
オレはminaを抱きしめた……
minaの香り……華奢な背中……セーター越しに伝わるminaの温もり……
オレはその瞬間、歌姫に真剣に恋をしていた。
「たぶん、最後にならないと思うよ……」
あとは、オレの自信だけだから。
ごめん、もう少しだけ、待ってな。
「そんな思わせ振りなこと言って……佐伯さんは……女の子を泣かせるタイプかもね……」
minaは目をごしごしとこすって、瞳を潤ませながら微笑んだ。
あっ、チョコレートはあとで美味しくいただきました。なんとminaの手作りだった。だいぶ固かったけど……それほど想いが強いってことだよな。
お読みいただき、ありがとうございます。
次話は、明日10月12日(水曜日)投稿予定です。